真凜の秘密
午後9時前に楠浦のコンビニに辛島は現れた。
今日は帰り道はうまく隠れられた。LINEでしか会話をしていなかったが、そのLINEを見るたびに、美紅の嫌悪感は増していた。
いまや辛島が視界に入るだけで、奥歯をキリキリ噛んでしまうほど、美紅は辛島を受け付けなくなっていた。
辛島は、買うものをすでに持っていた。
けん制するように美紅を見ている。
美紅のレジが空くのを待っているのだ。
辛島から「好き」って言われたらどうしよう。美紅は思う。
昨夜のLINEからその話題は出ていない。
人を好きになるのに年齢は関係ないかもしれない。
でも好きになられても困ることはある。
人を好きになることは素晴らしいとアーティストはテレビで歌っていたけど、美紅にとっては素晴らしいどころか、はっきり迷惑だった。
「いらっしゃいませ」
辛島が商品をレジの前に置く。美紅は商品のバーコードを、レジに取り込んでいく。
「918円です」
辛島は財布から千円札1枚と10円玉2枚を出す。
お釣りを数えなくていい配慮はたしかにありがたいことだけど、辛島がそれをやっているの見ると、主婦でもないのになにをやってるんだろうといらいらする。
「102円のお返しです」
お釣りを渡す。
「おつかれさま」
店員と客ではなく、個人と個人の人間としての関係の爪跡を残そうと、辛島はなれなれしく言った。
「ありがとうございました」
店員としてのスタンスを崩さないまま、美紅は礼を言う。辛島の後ろに客が並んでいないのが残念だった。
せっかく美紅が目の前にいるのに、このままでは終われない。
辛島は美紅の気を引こうと話題を切り出した。
「矢部さんも同じ学校なんだね。今日、瑠夏さんと一緒にいたよ」
「真凛? ですか?」
瑠夏と一緒にいた矢部と言えば真凛だ。路地に隠れて二人が話すのを見ていたから間違いない。知り合いなんだと思う。奇遇にも真凛も辛島も美紅は苦手だ。
「あの子もかわいそうだよね。あんなかわいいのに病気があって」
「病気?」
真凛に病気があるなんて美紅は知らなかった。
「知らないのか。ごめんね、余計なこと言っちゃって」
辛島は手を口で押える。美紅が知らないことを知っていたことに、辛島は少しばかり優越感を感じていた。
「なんですか、病気って」
美紅が訊く。辛島は、次の言葉を待っている美紅の反応を楽しむように顔を近づけた。小声で言う。
「ここだけの話だけど、矢部さんのお嬢さん、夜尿症なんだよ」
「なんですか、それ」
聞きなれない言葉に美紅は訊き返す。辛島は口元に手を置いて続けた。
「おねしょ」
「嘘!」と驚いて美紅は声を上げる。慌てて手を口で隠す。他の店員の視線が痛かった。
「誰にも話したらいけないよ」
辛島は口の前に指を立てる。後ろに客が来ていた。辛島はレジから離れる。
誰にも話さないわけがない。
午後10時、バイトが終わるや美紅は瑠夏にLINEをした。
「真凛っておねしょするらしいよ」
すぐに瑠夏から電話が鳴る。
「誰情報?」
「辛島さん」
「それならほんとかも。辛島さん、今日さ、真凛と知り合いみたいに話してたよ」
瑠夏はこれで悩みが完全に晴れると思った。
美紅の件に関しては、美紅がはっきり言ってくれたから、真凛はあきらめてくれたようだ。
ただ、瑠夏の恥ずかしい画像と動画を、真凛はまだ持っているだろう。
修学旅行の夜、明け方ショーツを洗っていたあの瞬間。
そこまで考えたとき、あれっと瑠夏は思い当たった。
そういえばなぜあの時間、真凛は起きていたのだろう。
具体的になにをやっていたかはわからないが、それがおねしょに関係している気はした。
「美紅、バイト終わったとこ悪いけど、明日早起きできる? 真凛の家に行かない? わたし、家の場所わかるから」
一日も早く美紅は真凛の弱みを握りたかった。
天気予報がこの秋一番の寒気と言っていた通り、肌寒い朝だった。それでも冬ではないので、息が白くなるほどではない。
山の斜面を削って住宅が並ぶニュータウンに真凛の家があった。庭が見えるところまで坂を上る。少し茶色がかかっていたが、きれいに刈り取られている芝生の庭が見えた。
駅へ歩くサラリーマンが坂を下っていく。美紅と瑠夏は、真凛の家の庭を注視していた。
三十分ほど待った頃だろうか。
庭に動きがあった。
水色のシーツを抱えた真凛が姿を見せたのだ。普段は櫛で梳かれている髪の毛はぼさぼさで、長袖パジャマの上着にハーフパンツという不自然な格好だった。その格好で物干しにシーツを広げる。シーツの真ん中は丸く色が濃くなっていて、遠目からでも濡れているのがわかった。
「お母さん、消臭剤」
真凛は庭から家にいる母親に声をかけた。
「はい」と母親は家の中から消臭剤を持って手を伸ばす。
洗濯機OKと表示があっても、防水シーツは洗濯を重ねると吸水性が落ちてしまうことを真凛は経験的に知っていた。
今週に入ってめっきり寒くなり、失敗の回数が増えていた。真凛はプライドから防水シーツを敷いて寝るのはあまり好きじゃなかったが、母親に言われ敷いて寝ていた。寝心地は布団に比べたら違和感あるけど、これで済むんだから防水シーツはラクだなと思いながら、真凛は消臭剤をシミの濡れている部分にスプレーする。
美紅と瑠夏はにやにやしながら教室で真凛を待っていた。
学年一の美少女で学年一のわがまま。しかも、ふたりをいじめていた真凛の、こんな恥ずかしい姿を携帯のカメラに収められたことがうれしかった。
ホームルームが始まるギリギリに真凛は教室に入ってきた。
甘いシャンプーの香りに柑橘系の香水の匂いがうっすらしている。真凛と席の近い瑠夏は、その匂いに、あれからお風呂に入ってきたんだろうなと思った。
すぐにホームルームが始まった。
ホームルームが終わると、すぐに担任と英語の教師が入れ替わり、一時限目の授業になる。
一時間目の授業は美紅も瑠夏も上の空だった。真凛がどんな顔をするだろう。そればかりを考えて、授業が終わるのが待ち遠しかった。
ようやく授業が終わる。瑠夏が真凛にすぐ話しかけた。
「真凛、話したいことがあるんだけど」
「ごめん、ちょっとトイレ」
瑠夏は、そういえば真凛は休み時間のたびにトイレに行くなと思った。これも夜尿症と関係あるのかなと思う。
真凛がトイレに行っている間に、美紅と二人でトイレの出口に並ぶ。
トイレからハンカチで手を拭きながら真凛が出てきた。
真凛は美紅に目をやる。昨日、開き直った美紅に対してあまりいい印象がない。
瑠夏は「こっち行こう」と言って、階段のほうに歩く。「なによ」と真凛が歩く。その後ろを美紅がついていった。
「真凛、昨日はよく眠れた?」
瑠夏が訊いた。
「なによ、急に」
言ってるうちに瑠夏が階段の陰で足を止める。美紅も付いてきていた。
瑠夏は携帯に画像を開いて、その画像を真凛に見せた。塗れたシーツを干している真凛の姿があった。
「よく寝れたでしょうね。こんなになっても起きないんだから」
「あっ、えl」
真凛はきょろきょろ周囲を見回す。美紅と目が合って思わず目をそらす。
「みいちゃった」
瑠夏はかつて真凛に言われた言葉を、ゆっくり真凛に投げ返した。
「や、やだ」
真凛のルージュの上にグロスで艶を出した唇が震えていた。
「わたしと美紅しか知らないけどね」
「他は?」
「まだ知らないんじゃないかな」
瑠夏は笑顔を浮かべて言う。
真凛は大きく開いた眼を涙で潤わせていた。肌は首まで赤く染まっている。
懇願するように言った。
「誰にも言わないで」
「どうしようかなあ」
「そんな……いままでの動画全部消すから」
「もちろんよ。どっかに動画とか広めたら、わたしたちもこの画像を上げるからね」
うまく取引ができたと瑠夏は思う。
「わかってる」
真凛はそう言うと教室に戻った。
「やった」と美紅と瑠夏はハイタッチした。
教室に戻ると、すでに真凛の姿はなかった。体調が悪いと言って早退したらしい。
就職が決まっている三年生だから、教師もその早退を咎めなかったようだ。
「矢部となにかあった?」と星吾に訊かれたが、瑠夏は「なんにもなかった」と答えた。




