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僕なら平気です  作者: 赤足


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7/8

07 怖い

 翌日。


「田中」


「はい」


「お前、今日いつにも増してぼーっとしてんな」


 夕方のコンビニ。


 一郎はレジの横で品出しをしていた。


「そうですか?」


「うん」


「いつもと同じだと思います」


「じゃあ、いつも以上にいつも通りだな」


「意味が分かりません」


「俺も言ってて分かんなかった」


 順平が笑う。


 一郎はその顔を見た。


 肘には、まだ包帯が巻かれている。


「何?」


「いえ」


「また怪我見てんの?」


「見てません」


「見てたじゃん」


「見てません」


「なんで意地張んだよ」


 一郎は商品を棚へ並べる。


 順平は少しだけ笑った。


「もう何ともねえよ」


「そうですか」


「だからそんな顔すんなって」


「どんな顔ですか?」


「なんか怖い」


「普通です」


「それが怖えんだよ」


「失礼ですね」


 順平が笑った。


 一郎はまた品出しを続けた。


     *


 バイトが終わった。


「飯食ってく?」


「はい」


 順平が止まった。


「即答?」


「駄目ですか?」


「いや。珍しいなと思って」


「では、考えます」


「戻んなくていい!」


 二人は店を出た。


 少し歩いたところにある定食屋へ入る。


「何食う?」


「鮭定食」


「好きだな、鮭」


「好きみたいです」


「認めた!」


「この前、佐々木さんがそう言ったので」


「俺が決めたの?」


「違うんですか?」


「自分で決めろよ!」


 一郎はメニューを見る。


「じゃあ、好きです」


「軽いなあ」


「駄目ですか?」


「いいけど」


 順平が笑った。


 一郎も少しだけ笑った。


     *


 食事を終えて、二人は駅へ向かっていた。


「そういや次のライブ」


「十二日ですよね」


「覚えてんじゃん」


「予定に入れたので」


「来る?」


「行きます」


 また即答だった。


 順平が一郎を見る。


「何ですか?」


「いや」


「何ですか」


「お前、本当に変わったな」


 一郎は少し考えた。


「そうですか?」


「前だったら『考えておきます』だったろ」


「そうでしたっけ」


「そうだよ」


 一郎は歩きながら考える。


「行きたいので」


 順平が止まった。


 一郎も数歩先で止まる。


「どうしました?」


「いや、お前から『行きたい』とか聞くと気持ち悪いなって」


「帰りますよ」


「嘘嘘!」


 順平が笑いながら追いついてくる。


「いいじゃん。行きたいなら来いよ」


「はい」


「今度は前より上手くなってるから」


「前も下手だとは思いませんでしたけど」


「マジ?」


「上手いとも思いませんでした」


「お前!」


 一郎が少し笑った。


     *


 交差点。


 信号が赤になった。


 二人は立ち止まる。


 車が目の前を通り過ぎていく。


 一郎は何気なくそれを見ていた。


 一台。


 また一台。


 バイクが走り抜けた。


 一郎の視線が、そのバイクを追った。


「田中?」


「はい」


「どうした?」


「いえ」


 信号が青になる。


 順平が歩き出そうとした。


 一郎は動かなかった。


「田中?」


「佐々木さん」


「ん?」


「この前」


「うん」


「バイクにはねられましたよね」


「忘れるほど前じゃねえよ」


「そうですね」


「何?」


 一郎は少し黙った。


「……死ななくて、よかったです」


 順平が一郎を見る。


「急に重てえな」


「そうですか?」


「そうだよ」


「すみません」


「謝んなよ」


 信号が点滅を始める。


「渡ろうぜ」


「はい」


 二人は横断歩道を渡った。


     *


 駅の近くまで来た。


「じゃ、俺こっちだから」


「はい」


「明日もバイトだろ?」


「はい」


「じゃあまた明日」


「はい」


 順平が歩き出す。


 一郎はその背中を見た。


 この前。


 路上に倒れていた。


 血が出ていた。


 呼んでも、すぐには返事がなかった。


 一郎はその光景を思い出した。


 胸の奥が痛んだ。


「佐々木さん」


「ん?」


 順平が振り返る。


 一郎は何も言わなかった。


「何?」


「……いえ」


「なんだよ」


「また明日」


「おう」


 順平は手を上げて、駅へ向かった。


 一郎も反対方向へ歩き出した。


     *


 しばらく歩いた。


 一郎は足を止めた。


「……」


 目元を擦る。


 何か入ったのかと思った。


 手を見る。


 濡れていた。


「……?」


 もう一度、目元を拭う。


 また濡れた。


「なんだ」


 涙だった。


 一郎はしばらく立っていた。


 別に悲しいことはない。


 順平は元気だった。


 さっきまで一緒に飯を食べていた。


 明日も会う。


 来月にはライブもある。


 何も問題はない。


 なのに。


 涙が止まらない。


「……なんで」


 胸が痛んだ。


 一郎は胸元を押さえた。


 まただ。


 あの痛み。


 順平が倒れた時と同じ。


 そして。


 雨の日を思い出した時と同じ。


 一郎は立ち尽くした。


 父親。


 母親。


 白い天井。


『お父さんは?』


 返事がない。


『お母さんは?』


 返事がない。


『大丈夫です』


 何度も言った。


『大丈夫だから』


 そう言えば、それで終わった。


 一郎は目元を腕で拭った。


 止まらない。


「……困ったな」


 呟いた。


 どうすればいいのか分からない。


 転んだ時なら、立てばいい。


 血が出たら、止めればいい。


 骨が折れたら、病院へ行けばいい。


 これは。


 どうすればいい。


 一郎はスマートフォンを取り出した。


 少し考える。


 順平へ電話をかけた。


『もしもし?』


「佐々木さん」


『どうした? 忘れ物?』


「いえ」


『じゃあ何?』


「ちょっと聞きたいんですけど」


『おう』


 一郎は目元を拭った。


「涙って、どうやったら止まります?」


 電話の向こうが静かになった。


『……お前、泣いてんの?』


「そうみたいです」


『何かあった?』


「何もないです」


『何もねえのに泣かねえだろ』


「僕もそう思います」


『どっか痛えの?』


 一郎は胸に手を当てた。


「……痛いです」


『どこ?』


「分かりません」


『病院行くか?』


「そういうのじゃないです」


『じゃあ知らねえよ』


「役に立ちませんね」


『心配して損したわ!』


 一郎は少し笑った。


 涙はまだ出ていた。


『で、マジでどうした?』


「……分かりません」


『そっか』


「はい」


『じゃあ、分かんなくていいんじゃね?』


「いいんですか?」


『知らねえけど』


「適当ですね」


『俺に何を期待してんだよ』


「別に」


『ならいいだろ』


 一郎は黙った。


 しばらく、二人とも何も言わなかった。


「佐々木さん」


『ん?』


「僕、昔から痛いのは平気だったんです」


『知ってる』


「骨折しても、そんなに困らなかったし」


『それは困れよ』


「でも」


 一郎は胸元を押さえた。


「これは、結構痛いです」


 順平は何も言わなかった。


 一郎は目を閉じた。


 母親の顔が浮かんだ。


『一郎の大丈夫は信用できないの』


 困ったように笑っていた。


「……母さんが」


『ん?』


「昔、僕の大丈夫は信用できないって言ってました」


『へえ』


「正しかったみたいです」


『そっか』


「はい」


 また涙が落ちた。


 一郎は鼻をすすった。


「……痛かったんだな」


『何が?』


 一郎は少し考えた。


「たぶん、僕です」


 言葉にした瞬間。


 胸の奥にずっとあったものが、少しだけ緩んだ。


『田中』


「はい」


『泣いとけば?』


「嫌ですよ」


『なんで』


「恥ずかしいので」


『誰も見てねえだろ』


 一郎は周囲を見る。


 普通に人が歩いている。


「いますけど」


『じゃあ端っこ行け』


「雑ですね」


『知らねえよ。泣いてんのお前だろ』


「そうですね」


 一郎は少し笑った。


 泣きながら笑うというのも、変な感じだった。


「佐々木さん」


『何?』


「僕、平気じゃなかったみたいです」


『今さら?』


「はい」


『気づくの遅えな』


「十年以上かかりました」


『遅すぎだろ』


「そうですね」


 二人とも少し笑った。


 涙はまだ止まっていない。


 でも。


 もう、止めなくてもいい気がした。


     *


 電話を切った。


 一郎は目元を拭った。


「……帰ろ」


 歩き出す。


 胸はまだ少し痛かった。


 でも。


 さっきまでより、歩きやすかった。


 明日はまたバイトがある。


 順平も来る。


 来月にはライブもある。


 鮭のおにぎりも、たぶんまた食べる。


 そんなことを考えながら歩いた。


 しばらくして。


 一郎は、ふと気づいた。


 明日が来ることを。


 少しだけ楽しみにしていた。

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