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僕なら平気です  作者: 赤足


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04 好きなもの

「田中」


「はい」


「今日だからな」


「何がですか?」


「ライブだよ!」


 夕方。


 コンビニのレジで、佐々木順平は思わず声を上げた。


 隣にいた一郎が、いつものぼんやりした顔でこちらを見る。


「覚えてますよ」


「絶対忘れてた顔してただろ」


「顔で判断しないでください」


「じゃあ来る?」


「考えておきます」


「まだ考えてんのかよ!」


 三日前からずっとこれだ。


 誘った時も「考えておきます」。


 昨日聞いても「考えておきます」。


 そして当日になっても「考えておきます」。


「今日の七時半からだからな」


「はい」


「駅前のライブハウス」


「知ってます」


「場所教えたっけ?」


「調べました」


「……調べたの?」


「はい」


 俺は田中を見る。


「お前、来る気あるじゃん」


「まだ決めてません」


「めんどくせえ奴だな!」


 田中は何も言わず、レジへ視線を戻した。


 でも。


 少しだけ期待してしまった。


     *


 午後七時半。


「……いねえな」


 ライブハウスのステージ袖から、客席を覗く。


 狭い箱だ。


 客も多くない。


 知り合い。


 他の出演バンドの客。


 何度か見たことのある顔。


 田中はいなかった。


「誰か来んの?」


 後ろからバンド仲間に聞かれた。


「いや。バイトの奴誘ったんだけど」


「女?」


「男」


「じゃあどうでもいいじゃん」


「どうでもよくねえよ!」


 何で俺が怒ってんだ。


 自分でも分からない。


 まあ、来るとは言ってなかった。


 最初から「考えておきます」しか言ってない。


「そろそろ出るぞ」


「おう」


 ギターを持つ。


 ステージへ出た。


 照明が目に入る。


 客席を見る。


 やっぱりいない。


「……ったく」


 小さく呟いて、アンプの音を確認する。


 ドラムがカウントを始めた。


 いつもの音。


 いつものライブ。


 俺たちは別に上手くない。


 音を外すこともある。


 走ることもある。


 ライブが終わった後に「あそこミスったな」と毎回誰かが言う。


 それでも。


 俺はこの瞬間が好きだった。


 ギターを鳴らす。


 ドラムが重なる。


 ベースが響く。


 ボーカルの声が狭い箱いっぱいに広がる。


 上手いとか。


 下手とか。


 そんなことを考えなくなる瞬間がある。


 ただ、楽しい。


 だから俺は続けている。


     *


 一曲目が終わった。


 順平が汗を拭いながら、何気なく客席を見る。


 そして。


「……あ」


 一番後ろ。


 壁際。


 見慣れた男が立っていた。


 黒い髪。


 眠そうな目。


 無表情。


 田中一郎。


「来てんじゃねえか」


 思わず笑った。


 田中は何の反応も示さない。


 ただ、ステージを見ている。


 順平はギターを構え直した。


「よし」


 なぜか。


 さっきより少しだけ、いい演奏ができる気がした。


     *


 一郎は、ライブハウスという場所に初めて来た。


 うるさい。


 最初に思ったのは、それだった。


 狭い。


 人が近い。


 照明が眩しい。


 音が大きすぎて、ギターだけを聴こうとしても他の音が重なってくる。


 正直、居心地はあまりよくなかった。


 帰ろうかとも思った。


 でも。


 ステージの上の順平は、コンビニにいる時とは違っていた。


 いつもよく喋る。


 よく笑う。


 どうでもいいことで大声を出す。


 それは同じだった。


 なのに、違う。


 ギターを弾いている順平は、もっと楽しそうだった。


 一郎には不思議だった。


 上手いのかどうかは分からない。


 他のバンドを知らないから、比べようもない。


 ただ。


 順平がこれを好きだということだけは、分かった。


『好きだから』


 あの言葉を思い出す。


 お金にならなくても。


 上手くいかなくても。


 それでも続ける。


 一郎には分からなかった。


 好きという感覚が。


 いつからか。


 自分が何を好きだったのかさえ、考えなくなっていた。


 音が鳴る。


 順平がギターを弾く。


 客席の誰かが身体を揺らしている。


 誰かが笑っている。


 順平も笑っていた。


 一郎は、それをずっと見ていた。


     *


「お前、来るなら来るって言えよ!」


 ライブが終わった。


 店の外へ出ると、順平が開口一番そう言った。


「考えた結果、来ました」


「それを連絡しろって言ってんの!」


「すみません」


「いや、別に怒ってねえけど」


「怒ってるように見えます」


「俺は声がでけえんだよ」


「そうですね」


「そこは否定しろよ!」


 一郎は少しだけ口元を緩めた。


「また笑ったな?」


「笑ってません」


「いや絶対笑った!」


「気のせいです」


「お前それ便利だな!」


 順平は笑った。


 それから、少しだけ照れくさそうに頭を掻く。


「で?」


「何ですか?」


「どうだった?」


「何がですか?」


「俺らのライブだよ!」


「ああ」


「ああ、じゃねえよ。感想!」


 一郎は考えた。


「うるさかったです」


「お前!」


「狭かったです」


「悪口しかねえじゃねえか!」


「あと、暑かったです」


「帰れ!」


「帰ります」


「待て待て!」


 一郎が本当に歩き出したので、順平が腕を掴んだ。


「冗談だよ!」


「そうですか」


「で、本当のところどうだった?」


 一郎はまた考えた。


 何と言えばいいのか分からない。


 音楽が好きになったわけではない。


 バンドをやりたいとも思わない。


 感動した、と言うのも違う気がした。


「佐々木さん」


「ん?」


「楽しそうでした」


「俺が?」


「はい」


「ああ」


 順平は少し笑った。


「楽しいよ」


「そうですか」


「それだけ?」


「それが、少し分かりました」


 順平が一郎を見る。


「何が?」


「好きだから続けるっていうのが」


 一郎はライブハウスの入口を振り返った。


「全部は、分からないですけど」


「十分じゃね?」


「そうですか?」


「最初から全部分かる奴なんていねえよ」


 一郎は黙った。


 順平が歩き出す。


「腹減った。ラーメン食って帰ろうぜ」


「僕もですか?」


「他に誰がいんだよ」


「僕、帰ろうと思ってたんですけど」


「いいじゃん。付き合えよ」


「どうしてですか?」


「お前さあ、いちいち理由必要なの?」


 一郎が止まった。


「……必要じゃないんですか?」


「いらねえ時もあるよ」


 順平はそのまま歩いていく。


 一郎は少し遅れて、その後ろをついていった。


     *


「好きな食い物とかねえの?」


 ラーメン屋。


 カウンター席で、順平が突然聞いた。


「好きな食べ物?」


「そう。何でもいいよ」


 一郎は考える。


「……特に」


「またそれかよ」


「食べられればいいので」


「人生損してんなあ」


「そうですか?」


「じゃあ嫌いなものは?」


「特には」


「好きな女のタイプ」


「いません」


「そこだけ回答はええな!」


 一郎はラーメンを食べる。


 順平は呆れたように笑った。


「一個くらい探せよ」


「何をですか?」


「好きなもん」


「必要ですか?」


「必要かどうかじゃねえよ」


 順平は箸を置いた。


「あると、ちょっと楽しい」


 一郎は順平を見る。


「ちょっと?」


「ちょっとでいいんだよ」


「……そうですか」


 一郎はまたラーメンを食べる。


 味を意識してみる。


 醤油。


 少し濃い。


 熱い。


 今までなら、それだけだった。


「これ」


「ん?」


「美味しいですね」


 順平が止まった。


「……お前、今なんつった?」


「美味しいです」


「マジで?」


「はい」


「好き?」


 一郎は困った。


「そこまでは、まだ分かりません」


「何だよそれ!」


 順平が笑う。


 一郎も、ほんの少しだけ笑った。


     *


 店を出る。


「じゃあな」


「はい。お疲れ様でした」


「今日はバイトじゃねえだろ」


「あ」


「お前、何でもそれだな」


「では……」


 一郎は少し考えた。


「おやすみなさい」


「おう。おやすみ」


 順平が駅へ向かって歩いていく。


 一郎も反対方向へ歩き出した。


 数歩進む。


 止まる。


「佐々木さん」


「ん?」


 順平が振り返った。


 一郎は何を言おうとしているのか、自分でもよく分かっていなかった。


 ただ。


 今日が終わってしまうことを、少しだけ惜しいと思った。


「……また、ライブやるんですか?」


 順平の目が少し大きくなった。


「やるよ」


「いつですか?」


「来月」


「そうですか」


 一郎は頷いた。


「また誘ってください」


 順平は一瞬、黙った。


 それから笑った。


「おう!」


 一郎も歩き出す。


 好きなものは、まだ分からない。


 魂というものも、やっぱりよく分からない。


 それでも。


 また行ってみたい。


 そう思った。


 それが何という感情なのか。


 今の一郎には、まだ分からなかった。

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