第二話 仲良くなれるかな
銀狼と出会ってから、数日が過ぎました。
けれど、あの日、森の中で見た深く蒼い瞳は、不思議なほどリリアの心に残り続けていました。
母と薬草を仕分けている時も、町の人へ薬を届けている時も、ふとした瞬間に、木漏れ日の中に佇んでいた銀狼の姿を思い出してしまうのです。
「リリア?」
母の声に、リリアははっと顔を上げました。
「え?」
「その薬草、さっきから同じ束を何度も見ているわ」
「あ……ごめんなさい」
母は少し不思議そうに、リリアの顔を覗き込みました。
「何か気になることでもあるの?」
「ううん。大丈夫」
リリアは慌てて首を振りました。
けれど、森へ入るたびに周囲を見渡してしまう自分の気持ちには、もう気づいていました。
もう一度、あの銀狼に会えるだろうか。
そんなことを考えていた、ある日のことです。
若葉の揺れる木々の向こうに、見覚えのある姿が佇んでいました。
陽光を受けてきらめく銀の毛並みと、深く蒼い瞳。
間違いありません。
あの日出会った銀狼でした。
「あ……」
リリアは思わず足を止めました。
銀狼もまた、静かにリリアを見つめ返しています。
「また、会えた……」
胸の奥が、ふわりと温かくなりました。
リリアが親しみを込めて一歩近づこうとした、その瞬間です。
銀狼は音もなく身を翻し、森の奥へ姿を消してしまいました。
「あ……」
伸ばしかけた手が、行き場をなくして止まります。
「行っちゃった……」
リリアは少しだけ寂しそうに、銀狼が去っていった緑の奥を見つめました。
けれど、その翌日から、森へ入るたびに銀狼は姿を見せるようになりました。
遠くの木々の隙間から。
苔むした岩の陰から。
陽の当たる草地の向こうから。
銀狼は決して自分から近づこうとはしませんでしたが、リリアの姿を見つけると、いつも静かに立ち止まりました。
「こんにちは」
リリアは、少し離れた場所から声を掛けました。
銀狼の耳が、ぴくりと動きました。
「今日も会えましたね」
リリアは木陰に腰を下ろし、籠を膝の上に置きました。
「近づいたら、また逃げてしまう?」
銀狼は、じっとリリアを見ています。
「じゃあ、今日はここにいるね」
そう言って、リリアは薬草を一つ手に取りました。
「これは傷薬に使う草なんです。葉が柔らかいものを選ばないと、あまりよく効かないの」
銀狼は、その場で話を聞いてくれているようでした。
それだけで、リリアの声を聞いてくれているように思えました。
「今日は町の子供が転んでしまったんです。でもね、全然泣かなかったんですよ。すごいでしょう?」
銀狼の耳が、また小さく動きました。
リリアは嬉しそうに微笑みました。
「お母さんも、その子をたくさん褒めていました。私は小さな頃、よく転んでは大泣きしていたのに」
そこでリリアは、少し恥ずかしそうに笑いました。
「今のは、内緒にしてくださいね」
風が木々の間を抜けていきました。
銀狼はただ静かに、リリアを見つめています。
「あなたは、いつも一人なの?」
リリアは少しだけ声を落としました。
「ごめんなさい。変なことを聞いてしまいましたね」
それからも、リリアは森で銀狼を見つけるたびに、少し離れた場所へ腰を下ろすようになりました。
「今日は、薬を届けに行った家で焼き菓子をもらったんです」
「森の奥では、もう白い花が咲き始めていました」
「昨日の雨で、小川の水が少し増えていました。足を滑らせないようにしないといけませんね」
そんなふうに話しかけるたび、銀狼は静かに耳を動かしたり、深く蒼い瞳でリリアを見つめたりしました。
ある日、リリアはふと気づきました。
最初は遠くの木々の隙間からしか姿を見せなかった銀狼が、いつの間にか、少しずつ近くに現れるようになっていたのです。
「もしかして……少しだけ仲良くなれたのかな?」
リリアが顔を上げてそう呟くと、銀狼はまた小さく耳を動かしました。
リリアは目を瞬かせました。
「今の、返事ですか?」
銀狼は静かにリリアを見つめたまま、その場を離れませんでした。
リリアの胸の奥から、自然と笑みがこぼれます。
「ふふっ、だったら嬉しいな」
森を渡る風が若葉を優しく揺らし、リリアと銀狼の間に柔らかな光を落としていきました。
やがて斜陽が木々を赤く染め始めると、リリアは名残惜しそうに立ち上がりました。
「今日はもう帰るね」
銀狼は座ったまま、静かにリリアを見つめていました。
「また来るね」
リリアが優しく手を振ると、銀狼はその場を動かず、ただ静かに見送っていました。
その眼差しを見た瞬間、リリアの胸の奥がじんわりと温かくなっていきます。
また会いたい。
そう思っているのは、自分だけではないのかもしれない。
そんな愛おしい予感が、リリアの胸をそっと満たしていきました。




