外伝:ソフィア編 第五話
旅を続けるうちに、アルヴァンは少しずつ人の世に馴染んでいきました。
アルヴァンは人の世の暮らしに関心がなく、宿の取り方も、物の値段も、人同士の細かな作法も知りませんでした。
旅の間、宿を取ることも、食事や必要な品を買うことも、すべてソフィアがしていました。
共に過ごす時間が増えるほど、ソフィアはアルヴァンに惹かれていきました。
自分よりも高い背丈。
白銀の髪に縁取られた美しい顔。
見つめられると、心の奥まで見透かされるような蒼い瞳。
そして、力に自信のあるソフィアでさえ到底かなわないほどの強さ。
何もかもが、ソフィアにとって理想そのものでした。
けれど、アルヴァンが自分をどう思っているのかは分かりませんでした。
出会った頃に比べれば、アルヴァンはソフィアへ心を開くようになっていました。
ソフィアが疑問を口にすれば向き合い、術の修練を頼めば、できるようになるまで根気よく付き合ってくれます。
アルヴァンも、自分を特別に思ってくれている。
ソフィアは、そう信じていました。
アルヴァンは、そこにいるだけで人々の信仰を集めました。
町や村へ立ち寄ると、旅に必要な路銀や食料、生活用品が、いつの間にか二人のもとへ届けられます。
旅を続けるうえでは、とても助かりました。
けれど、困ることもありました。
アルヴァンに心を奪われた者たちが、男も女も関係なく、夜になると寝所へ忍び込んでくるのです。
本人には、それが好意によるものなのか、信仰によるものなのかさえ分かっていませんでした。
近づいてくる者を追い払おうともせず、寝所へ入ることまで許してしまいます。
そのためソフィアは、アルヴァンからひと時も目を離せませんでした。
ある夜、ソフィアが湯浴みを終えて部屋へ戻ると、裸の女がアルヴァンの隣に寄り添っていました。
アルヴァンは困惑するでもなく、いつもと変わらない顔でそこに座っています。
ソフィアは女を部屋から追い出すと、アルヴァンの前へ立ちました。
「なぜ、あなたは何でも受け入れてしまうのですか」
「悪いことなのか」
「悪いことです」
アルヴァンは、理由が分からないという顔でソフィアを見ました。
「私以外の者を、近づけないでください」
ソフィアはアルヴァンの胸へ飛び込み、両腕を回しました。
目には涙が浮かんでいました。
アルヴァンは腕を下ろしたまま、胸元に顔を埋めるソフィアを見下ろしていました。
何をすればよいのか分からないのでしょう。
「こういう時は、抱き返すのです」
「こうか?」
アルヴァンの腕が、ソフィアの背へ回りました。
「はい」
抱き締められたソフィアは顔を上げました。
「そして、頬に手を当てて、唇を重ねてください」
アルヴァンの腕が止まりました。
「それは、儀式としか知らないが……」
アルヴァンはソフィアを見つめました。
「ソフィアは、私の眷属となりたいのか」
「眷属?」
「いや、何でもない」
ソフィアは、逃がさないようにアルヴァンの衣をつかみました。
「儀式ではありません。人は、そういうふうに想いを伝えるのです」
「そうなのか」
「私以外とは、しては駄目です」
アルヴァンは、しばらくソフィアを見つめました。
「分かった」
アルヴァンはソフィアの頬へ手を当てました。
その顔が近づき、二人の唇が重なります。
初めは、教えられたことを確かめるだけの口づけでした。
唇が離れかけた瞬間、アルヴァンは身体を引こうとしました。
けれど、ソフィアはその衣をつかみ、逃がさないように引き寄せました。
アルヴァンの蒼い瞳が、間近でソフィアを映しました。
戸惑いは残っていても、その腕はもう、彼女を拒みませんでした。
その夜、ソフィアは長く抑えていた想いごと、アルヴァンを押し倒しました。
窓の外では夜が深まり、部屋に灯る明かりの中で、二人の影が重なっていきました。
そうして旅を続けるうちに、アルヴァンもソフィアへ想いを伝えるようになりました。
「愛している」
その言葉を、アルヴァンのほうから囁くことも増えていきました。
それから、瘴気は堰を切ったように各地で現れ始めました。
森は枯れ、川は濁り、人の形を失った魔物が、村や街を襲いました。
アルヴァンとソフィアだけでは、もう抑えきれない規模になっていました。
「このままじゃ、世界そのものが呑まれる」
アルヴァンは、眷属の剣神を呼び寄せました。
あの大きな門で、アルヴァンとソフィアを送り出した者です。
ソフィアは、その者にも名を与えました。
「あなたも呼びにくいわね」
そう言って、ソフィアは少し考えるように剣神を見上げました。
「ヴァイド。そう呼んでもいい?」
剣神は、しばらく黙っていました。
拒みはしませんでした。
だから、それが彼の名になりました。
それから、アルヴァンとヴァイドも、互いをそう呼ぶようになりました。
魔王との戦いは、十年もの歳月に及びました。
十年――それは、神にとっては一瞬にすぎず、それでも人が誰かを愛し、神でさえその在り方を変えるには十分な年月でした。
――あの頃、私は幸せだった。アルヴァン。




