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一 義姉妹と、李鷹①

初めまして。

お立ちより下さり、ありがとうございます。


舞台は三国志の時代。後漢王朝の末期。

魏・呉・蜀の国が成立するすこし前から、話ははじまります。


※こちらは拙作、「月琴伝」の続編にあたる話ですが、そのまま読んで頂いても支障がないよう努めています。




 ところは古代中華。時は三国時代の前夜。

 北では大敵・袁紹を下した曹操が、南では父兄二代の名跡を継いだ孫権が台頭し、伏龍をえた劉備がようやくその大望を現しはじめた頃。

 そんな天下の趨勢(すうせい)なぞ知る由もない、曹操の治める中原に暮らすひとりの童女がみた後漢の末期。

 相も変わらず、これはそんな話──





 建安十五(二十○)年も明け、新春を迎えた。

 早春の空は澄み渡り、はるか千里万里を見渡すが叶いそうなほどである。

 今年も極北へと去る雁たちは、半年ぶりに感じる北辺の風を翼いっぱいにうけ進む。


 ふいに、先陣をきるものが警告の声をあげた。

 向こう先、視界一面真っ青なところへ、ぽつんとひとつ、滲みのような黒点があらわれた。

 それはさながら、まっさらな紙面に落とした墨垂れの一点のようにじわじわ拡がり、やがてひとつの形をとる。

 これをみて、雁たちは慌てて針路を逸らした。


 それもそのはず、まっすぐこちらへ向かってきたものとは······なんと、虎だ。それも黒い。


 なぜ翼すらもたない獣が場違いなところを翔けているのか。それだけでも仰天ものなのに。さらに混乱をきたすことには、その背に何者かが(またが)っている。なんとそれが人であり、さらに年端もいかぬ童女である。

 雁たちは口々に警告の叫びを後ろへと送りつぎながら、この異形の行きあいを避けていった。


 だが虎──黒虎のほうではそれをまったく意に介する風情もみせず、のんびりと美しい毛並みを風に(なび)かせながら、優美に空を掻く。

 なぜに空のうえに虎? それも童女を乗せて?

 しぜん沸きあがる疑問の答えは、この虎の正体にこそある。

 世にも稀なる天仙女。それが彼女の真の姿であった。



「だいぶ北まできたね」


またがった童女は、厚めに着込んできた(ほう)の襟元をかき合わせる。


 姓を(さい)、名を(えん)(あざな)盈秋(えいしゅう)という。

 平素とはちがい(こしら)えは旅のもの。背には肩がけにした荷包みを負い、帯のしたには胴巻きを巻いて準備万端。()脚絆(きゃはん)で足首までを覆い、足先には布の靴を履いていた。

 いくら春がきたとはいえ、こんな上空を鳥まがいに翔んでいればどうしたって寒い。これでも不可思議な仙女の力によって緩和されている。まだマシな方なのだ。


(ねえ)様、疲れてない?」


 労って声をかけると、黒虎は肩越しに彼女を見上げ、なんと人の言葉で口をきいた。


「へーき。でも清栄、また重くなった」


「もう、姐様。いまは盈秋だよ」


「そう、盈秋」


 黒虎はまだしっくりこない、といったふうに頭を左右に揺らしてみせた。



 彼女、盈秋は、博学でしられた名家を血筋にもつ漢人の母と、胡蛮(こばん)と恐れられた匈奴の王との間に生まれ落ちた。

 華やかな文化とは縁もない(じん)外の地で馬とともに育ったが、母が、かの曹操に救いだされたことをきっかけに漢へと渡った。以来、ともに潁川(えいせん)の地に暮らしている。

 もとは清栄という字を名乗ったが、この春、大人への第一歩として盈秋と改めたところだ。


 この母、というのが、これまた数奇な命運をたどった人だ。その知己の縁で、盈秋自身も、こうした常人にあらざる(よしみ)をもつに至っている。

 いまは黒虎の姿をしている、この仙女・桃霞にしてもそのひとりだ。


 彼女は、遥かなる昔、天帝に背いた大逆臣を討つために、天仙界より遣わされた天仙女・(はつ)を母にもつ仙妖だ。親譲りの旱魃(かんばつ)をもたらす力のせいで、虎へと姿をやつし、各地を放浪して過ごしてきた。

 ある時、とある仙域へ潜りこんでいたところ、偶然そこへ分け入った盈秋の母らと出会い、以来ずっとその縁が続いている。


 ふふっ、と背のうえで盈秋は笑みをもらす。


「私も来年はもう十歳。字も改めたし、また一歩、大人へ近づいたもの」


 だから重くなるのは喜ばしいことだ。だが、みずからが「姐様」とよんで慕うこの天仙女は、それがお気に召さない様子だ。


「だって清栄たち、すぐ大きくなる。そうしたらもう、桃霞と遊んで回れない」


 圧倒的にひき延ばされた時をおくる彼女からしたら、人の子が老人となって世を去っていく時なぞ、ほんの瞬きの間に過ぎない。まして童の頃となればさらに貴重だ。

 人は大人になればやるべきことが色々増え、自分達に構ってくれる余裕なぞなくなる。それは、この盈秋の母をしても同じだったのだから。


「そんなことないよ。姐様さえ暇なら、またこうしていつだって出掛けられるよ」 


 そんな慰めの言葉にも、桃霞は寂しそうに首をふる。

 この子はまだ知らないのだ。いまはまだ、時が持ちきれぬほどにあり余っているように感じられているのだろう。

 だが、それは甘い幻想だ、人の時はあるようでない。



 黙りこんでしまった桃霞に、盈秋は仕方ないなぁと笑み、胴巻きから落っことさぬよう注意しつつ、ひと連ねの竹帛をとりだす。そこには今からふたりが向かう先、はるばる出張ってきた理由が書きつけられていた。


「この、碧陽(へきよう)門ってところ、姐様しってる?」






 ──数日前のこと。

 彼女が父母と暮らす屋敷の前へ、何頭もの荷駄をひきつらねた遣いが到着したことから話ははじまった。

 突然訪れた行列の仰々しさに何事かと目を丸くしていたら、なんと自分に用なのだという。


 過ぎたこの贈り物の差出人。それは、老盤商店の店主、盤子虎という人物だった。

 彼は天下の都、許都で、一、二といって下らない大店商家の主人であり、やはり母と馴染みのある人物である。

 例に漏れず、その正体は常人ではない。

 桃霞とおなじく仙人······それもこの世の始まりを知るとも噂される大神仙なのだ。ほんらいならばお仲間ですら畏れ入る存在であるのに、なにを好き好んでかずっと地上に、それも人の傍で暮らしている。


 そんな彼が自分に用事? 母ではなく?

  小首を傾げながらも、母にうながされるままに遣いに案内されて、許都の店屋敷へとむかった。そこには手筈のよいことに、すでに桃霞も顔を揃えていた。


 盤の大旦那、こと盤子虎は、相変わらず見目麗しい顔を柔和にほころばせ、自室の、胡族(ゆうぼくみん)風の椅子をそなえた卓へと盈秋を座らせた。

 すすめられた馳走に舌鼓をうった後、彼はやっと本題をきり出した。


「じつは頼みたいことが出来てね、こうして来てもらったんだ」


「お頼み事······ですか?」


 以前のこと。そろそろやっと半年にもなろうか。

 父、董祀(とうし)が死罪を宣告される、という大事件が蔡家を見舞ったことがあった。結果としては、彼女と母が、桃霞ほか頼りになる者達の助力を得てなんとか事なきを得たのだが。

 そのおり、この大旦那にも大変世話になり、不思議な約定を結んだ。


 『いつか私が必要としたら力を貸しほしい』


と。

 こうまでして呼び出されたという事は、その時が来たのだろうか。たかがいち童子にすぎぬ自分に、彼ほどの人がいったい何を頼るというのだろう。盈秋はわずかに身を硬くしながら席上にかしこまった。


「なに、難しことではないよ。ちょっとね、遺構を調べてきて欲しいんだ」


 大旦那がそれと察し、緊張を和らげるように笑む。


「遺構?」


「そう。昔日の······今の世よりもっと前の時を生きた人々の痕跡。まあ遺跡だね。これを調べてきて欲しいんだ。その──」


と、盈秋の隣でモシャモシャと桃を頬張る、見た目すこし歳上な童女に、目をチラと移しながら言った。 


「天仙のお嬢さんと一緒にね」


「? なぜ私に? だって······」


 そう。盤の大旦那ならば幾らでも心当たりはあるだろう。げんにこうして桃霞姐様だって参じている。なにも自分のような非力な童に頼らずとも、そんな願いを受けてくれる凄腕には不自由しないはずだ。

 素直にそう問うと、盤子虎は苦笑してみせる。


「うん。そうなのだがね。はじめはこのお嬢さんに頼もうとも思ったのだが······」


「ヤ」


 みなまで言わせず、桃霞はみっつめの桃に手を伸ばしながらすげなく言った。


「あんまり地上に関わるなって、お師匠様にいわれてる。私は叱られたくない。盤様の頼みでも嫌」


「と、こうなのだよ」


控えめに笑みつつ、子虎は優雅に両の袖を広げてみせた。手ずから盈秋の杯に(らく)を注いでくれる。


「それでも何とか、君と一緒ならいい、という所まで折れてくれたのでね」


 盈秋はポカンとした顔を桃霞へとむけた。彼女は悪戯めいた笑みをニカッとひろげた。


「清栄と一緒だったらいい。叱られても平気」


 なるほど。ちょっとだけ腑に落ちたというか。つまり自分は商売でいうところのおまけ、いや仕事に対するご褒美といったところか。


「それにね。この世のことは、あくまでこの世の······現代(いま)を生きる人々の手によって成されなければならない。私がいちばん重視するのはそこでね。どうかな? 行ってくれると嬉しいのだが」


 それくらいなら、まあ。姐様だっていることだし。

 それならばと、心配性の母も遠出を許してはくれるだろう。


「わかりました」


盈秋はうなずいて、饗された酪をひと口(すす)った。






「うーん、よく知らない。こっちの方へはあまり来なかったから」


 盈秋の問いに、桃霞は風に渦巻く匂いを嗅ぎながら応える。物心ついてこのかた、あてどもなく各地を放浪して回ったが、さすがに塵外の地まで行ってみようという気にはならなかった。


「そっか」


 姐の返事にも盈秋は困る様子もなく、手許にひろげた竹帛(ちくはく)へと視線を落とす。

 ふたりが向かうべき場所。それは(へい)州の奥部。

 許都を過ぎ、黄河すらを越え、旧都・洛陽をかすめてさらに北へ。

 遥かに旅路は続いていた。





 地上を行けば遠大な距離も、空を翔べるとなれば話はかなり違う。

 ふたりは朝とともに発ち、日が沈めば(やす)むを繰り返しながら快適に旅を進め、八日目の(ひる)過ぎ、ついに目的の場所へとたどり着いた。




「ここ、みたい」


 盈秋は上空から、壮大な景観をほこる大地を見下ろして自信なさげにいった。


 空はどんよりと曇って、やや黄味を帯びた土壌が、まばらの緑を頂きながら視界一面に広がっている。

 断続的に陰ができているのは、起伏の急峻なことを物語っていて、山と谷が連綿と織りなす絶景は、大地の超大なうねりの跡を思わせた。見様によっては、それは巨大ななにかが刻んだ爪痕のようにもみえる。

 目的地は、そのいくつもある山尾根の頂上にあった。遠望した印象では、圧倒的な自然のほかには何もない場所──そんな風にみえた。


「とにかく降りてみる」


「わかった、気をつけて」


ありがとうございました。

このあと三話まで更新いたします。


もしよろしければ、ご感想、ご意見など頂ければ嬉しいです。


(ほう)···衣。着るもの。

()···はかま。平たく言うとズボンです。

酪···飲むヨーグルト。


※一部微修正いたしました。


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