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婚約破棄から始まるオムニバス  作者: m


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18/19

⑰フェリクスの場合

テンプレチャレンジ。


「貴方との婚約は無かったことにしていただきたいのです」



 フェリクスは、あの日自分にそう告げたリネットと、目の前の美しい淑女の姿を結び付けることが出来なかった。

 

(本当にリネット…なのか?)


 今自分は、夫のエスコートで会場の中央を静かに歩いていく、一人の淑女に目を奪われていた。

 榛色の髪を美しく結い上げ、美しいラインのドレスを着こなした彼女は、確かに、一年前まで自分の婚約者だったリネット・ダーシモン伯爵令嬢に違いない。

 彼女に釘付けなのは自分だけでは無いようで、自然と彼女達の前が開けて道になり、周囲が注目している様子が伝わってくる。


 彼女の横にいるのは北の大地の守護者、ヴォルフェン辺境伯家の次期当主、ギルクリスト。

 狼を思わせる銀色の髪と鋭い双眸が、自分の妻を見て柔らかく笑んでいる。

 

 互いを想い合っていることが一目で分かる、若き辺境伯夫妻を遠目に見ながら。

 フェリクス・ヒース伯爵令息は、一人、途方に暮れていた。




 美しく整えられた植え込みの陰のベンチに腰を下ろし、フェリクスは溜め息を吐いた。

 会場では次のダンスが始まるようで、聞き慣れた、この国では定番のワルツ曲が、今いる庭園にも聞こえてきている。

 あれからリネットに話しかけようと何度かチャレンジしたものの、中々その機会を得ることが出来ないでいた。

 

 王都から離れた北の国境の地を治めるヴォルフェン。

 辺境を守る彼らが、今日のような王都の夜会に顔を出すことは滅多にない。

 彼らが今日ここに来たのは、先ごろ嫁いだばかりのリネット、次期辺境伯夫人の披露目のためだった。

 その貴重な機会をものにしようと、大勢の者達が代わる代わる話しかけ、その中には王族の姿もあり、フェリクスが近付くことは叶わなかったのだった。


(リネットのあんな笑顔は初めて見たな)


 自分の夫に腰を抱かれながら恥ずかしそうに、けれどしっかりと顔を上げ、堂々と招待客達と話をしていた淑女の姿を思い浮かべる。

 それは、自分の知っている少女の姿では無かった。

 

 フェリクスの知るリネットは、控えめな微笑を浮かべた、どこか頼りなげな少女で。

 あの榛色の髪も地味な印象を与えこそすれ、今日のように魅力的な色には見えなかった。


 リネットに最後に会ったのは、あの日、彼女から婚約破棄を告げられた日だった。

 その日フェリクスは、久しぶりに彼女の姿を正面から見つめ、その哀しげな様に驚いた。

 酷く疲れ、萎れた様子のリネットは、フェリクスの内心の戸惑いに気付くことなく、十年続いた婚約の破棄を告げ、帰っていった。

 その後すぐ人伝てに、彼女がヴォルフェン家に嫁ぐため、北の地へ旅立ったことを知ったのだった。


(俺は一体どうしたら良かったのだろう…やはり、ローズのせいなのか)


 ローズ…ロザムンド、病弱で哀れな、フェリクスの可愛い従姉妹。

 彼女も本当なら、今日の夜会に参加するはずだった。


 自分とリネットの三つ下のロザムンドは、子供の頃から病気がちで、去年のデビュタントにも参加出来ず終いになっていた。

 だから今日のような王宮での夜会をずっと楽しみにしていて、数刻前にも泣きながら、医師に命じられたベッドの上で、フェリクスの名前を呼んでいた。

 

 

「あの、失礼ですけれど、ヒース伯爵家のフェリクス様でいらっしゃいますか?」


 凛とした声が背後の薄闇から聞こえてきて、フェリクスは肩を跳ねさせた。

 振り返った先に立っていたのは、暗がりでも美しい光沢を放つ銀の髪をした、小柄な令嬢だった。

 ドレスに隠されていてもなお、身体全体から野生の雌鹿のような伸びやかさが感じられる。

 何より印象的なのが、意思の強さを感じさせる青い瞳で、それがきらきらと、眩しいほどの光を放っている。

 その色合いで、彼女の正体が分かった。


「貴女は、ヴォルフェン辺境伯家の」


「ええ、ヴォルフェンが娘コーネリアと申します。ギルクリストの妹でございます。不躾にお声をおかけして失礼いたしました」

 

 年下であろう彼女から紡がれる言葉はハキハキとして淀みなく、堂々とした声音だった。

 歳は確か、ロザムンドと同じ十六歳。

 

(ローズと同じか…とてもそうは思えないな)


「ヒース伯爵令息様に、一言、申し上げたき事がございまして。失礼ついでによろしいでしょうか」


「ええ、何でしょうか」


 コーネリアはにこりと、可愛らしく笑んで。

 けれど、告げる声音は、ナイフのように鋭利だった。


「リネットお義姉様に近付くのは、金輪際、辞めていただけますでしょうか」



 息を呑み、二の句が継げないでいるフェリクスに、容赦の無い言葉は続く。


「何度かお手紙をお出しになられていますでしょう?返事が無いのが、そのお返事ですわ。リネットお義姉様はヴォルフェンで幸せに暮らしていらっしゃいますの。水を差すようなことはなさらないでくださいまし」


 真っ直ぐに自分を見つめる瞳は、まるでフェリクスを断罪する刃のようだった。


 そう、これは断罪なのかもしれない。

 

「…私は、」


「はい?」


「どうしたら良かったのか…」


 フェリクスの、自分でも分かる、掠れた、情けない声音を聞いて。

 目の前の可憐な少女の眉間にくっきりと、見て分かるほどに皺が寄る。

 何かを言いかけた令嬢が、こちらの姿を見て、一度言葉を飲み込んだのが分かった。


 さぞ、自分は酷い顔をしているのだろう。


(どうしたら良かったのだろう)


 この問いは、リネットに別れを告げられてから一年、ずっとフェリクスの胸にあった問いだった。

 答えてくれる者は誰もなく、けれどずっと答えを得ぬまま、自身を苛み続けている問いかけ。

 

 どうしてフェリクスは今ここで一人、途方に暮れているのか。

 どうして彼女は手紙ばかりか、会いに来た自分にも、応えてくれないのか。

 どうして彼女は急に、北へ嫁いだのか。


 それらは全て、あの日へと集約していく。


(どうしてリネットは、自分に婚約破棄を告げたのか)


 いつだってリネットはフェリクスに誠実で、折に触れて、病弱なローズのことも気にかけてくれていた。

 二人でどこかへ出掛けた際には、ローズへの土産を選んでくれたし、体調が悪いローズを気にして、茶会を切り上げて帰るように勧めてくれたこともあった。

 政略ではあったが、このまま穏やかな関係が婚姻後も続いていくのだと、そう思っていた。


「ヒース様、ご無礼をお許しいただけますでしょうか。まだ未熟な身故、このままの口調では少し、お話しし難いものですから」


 自問の波に襲われたフェリクスを見つめていたコーネリアが、静かにそう聞いてくる。


「ええ、構いません」


 フェリクスの了承の言葉に礼を述べた令嬢の顎がスッと上がり、途端、毅然とした瞳に射抜かれる。


「ヒース様、貴方はもし目の前で、リネットお義姉様と従姉妹様が野獣に襲われていたなら、どちらを助けられますか?」


 可愛らしい令嬢の口から放たれたとは思えぬ内容に、一瞬言葉が詰まった。


「、野獣、ですか…、それは」


「ご従姉妹様は確かロザムンド様と仰いましたね。ヒース様が長年、ご令嬢の面倒を見られていることは聞いています。彼女とお義姉様と、どちらをお助けになりますか?」


 もう何年も前、ロザムンドの両親が亡くなった時から、ロザムンドの父の弟であったフェリクスの父が、彼女を屋敷に引き取って面倒を見てきた。

 小さな頃から病弱で、一年の半分以上をベッドの中で過ごす、可哀想なローズ。

 父の亡き後、母が伯爵代理を務めるようになってからもそれは変わらず、フェリクスにとってはずっと妹のような存在だった。

 

 コーネリアの問いの意図が掴めず、怪訝な顔を浮かべるフェリクスに少女は続ける。


「ヒース様、はっきり申し上げますわ。貴方がお義姉様にしてきたことは、ロザムンド様のお手を取って、お義姉様には助けに来るまで我慢しろと、そう言っていたのと同じことですわ」


「私は決して、そのような事は、」


「そうかしら?いつもロザムンド様を優先させてきたのではなくて?」


「それは」

 

 確かに、それはフェリクス自身思い当たる節はあった。

 ロザムンドの体調を理由に、リネットとの約束を反故にしたことは数え切れないからだ。

 けれどその分、謝罪も埋め合わせも、欠かした事はなかった。

 ただ実際には、ローズの存在が彼女の負担になっていたのではと、ついさっき、そう思ったことも事実だった。


 だけれども自分は、リネットのそんな優しさにこそ、ずっと感謝していたつもりだった。

 

「ねぇ、ヒース様。辺境ではね、待っている間に死ぬかもしれないのよ。死ななくたって、置き去りにされた事実は消えないわ」


「…しかし、見捨てたいと思ったことなど」


 リネットはローズを優先する自分を、ずっと不満に思っていたのだろうか?

 辛い思いをさせてしまっていたのだろうか。


 その時、記憶の隅で何かが瞬いたような気がした。


(あれは、)


 思考に沈みそうなフェリクスをコーネリアの声が追いかけて来る。


「もしこれが兄のギルクリストで、私とお義姉様がその立場だったなら。兄は迷う事なくお義姉様を助けるわ。私に侘びながらね」


「…」


「けれどこれがもし、領民の子供であったなら、お兄様はお義姉を見捨てるでしょう。ヴォルフェン辺境伯としての兄ならば」


 あの銀髪の男の姿を思い浮かべる。

 武人としても知られている彼は、いざという時には自らが前線に立ってあの地を守るのだろう。

 愛する妻や自分の妹を捨てて領民を選ぶ、本当にそんな選択に迫られる時もあるのかもしれない。

 辺境の地とは、かくも過酷なものなのだろう。


「リネットお義姉様は、それを承知で兄に嫁がれましたわ。『それでも良いか』と、最初に兄が尋ねたそうですから。けれど平時の時には必ず、お義姉様を何よりも優先すると約束して」


「…リネットが」


 いつもフェリクスとロザムンドのやり取りを笑って見つめていたリネットを思う。

 あの物静かな彼女のどこに、そんな強さが潜んでいたのだろう。


「覚悟のない者が、他者の命を背負うべきではないのよ。貴方には、それが分かっていて?」


「…リネットに辛い思いをさせて来たのは事実かもしれない。けれど、決して蔑ろにしたい訳ではなかったんだ。ローズの事も…私が面倒を見なければと、ただそう思って」

 

「そのロザムンド様と婚姻を結ばれるおつもりはないのでしょう?」


「それは…母や親戚達が許さないだろう。ローズは子を為せないかもしれない。私自身、妹のような彼女を妻にと思ったことはなかった。だからリネットに…ローズを知っている彼女なら、ローズの行く末に親身になってくれるかもと」


 あれから次の婚約者が空席であるフェリクスにとって、次の婚約を得る事が、目下重要な責務だった。

 その時に、ロザムンドの存在をどうするのか、それが悩みの種になっていた。

 こちらを見つめていた眼差しが眇められ、青い光がフェリクスを射抜く。


「ヒース様、それはもうお義姉様には関係がない事だわ。ロザムンド様の事は、ヒース家の皆様とお決めになるのが筋でしょう」


「ローズは…ヒースにあまり馴染めていない。私がいないと、」


「ねぇ、貴方は勘違いしていらっしゃるわ」


 続けられる言葉の痛みがもう分かるような気がして、けれど、年下の少女に気押されて、立ち去ることも出来ない。


「愛せないのなら、早く手を離すべきだったのだわ。お義姉様のことも、ロザムンド様もね。貴方はこれから、まだ彼女達を不幸になさるおつもり?」


 自分にとって大切な、二人の少女達。

 フェリクスはただ、二人と笑い合って、静かに…


 そんな自分の心を見透かすように、青い光は許してくれない。

 ワルツの音も、もう聞こえなくなっていた。

 

「貴方の愛がなくてもね、彼女達は幸せになれるのよ。それを決めるのは貴方ではなくて、彼女達でしょう?」

 


 リネットが婚約の破棄を告げた日の少し前だった。

 その日は珍しく二人で街へ出掛けようとしていたのだった。

 

「卒業式典で着る、ドレスを選びたいのです。フェリクス様の瞳の色に合わせて」


 エスコートを伴う茶会や夜会では、婚約者の色を身につけるのがこの国の伝統だった。 

 学院の卒業式典では、フェリクスからは婚姻後も使える装飾品を贈ることになっており、ドレスは、リネットのダーシモン家が自前で用意することになっていた。


 けれどその日、フェリクスは行けなかったのだ。

 いつものようにロザムンドが熱を出し、側に付いていて欲しいとせがまれて。

 

 ヒース家の屋敷に来たリネットは、一言だけ言伝を執事に寄越していた。

 店で待っているから、少しだけでも顔を出して欲しいと。


 その伝言を聞いて、自分は、


(我儘を言われたと思って、私は、)


 苛立ちを、覚えたのではなかったか。

 


(…何てことだ)

 

 今思えば、リネットが何かをしたいとフェリクスに伝えるのは珍しいことだったのに。

 その僅か数日後に、フェリクスを訪ねて来た彼女は、婚約破棄を告げたのだった。


 リネットに婚約破棄を決意させたのは、病弱なローズの存在ではなかった。

 ローズを優先してきた、フェリクスの行動。

 そのことに疑問を持っていなかった、フェリクス自身。

 それら全てが、きっとあの日リネットに、この関係を諦めさせたのだ。

 

 コーネリアの言葉を借りるなら、フェリクスに愛を求めるのをやめて、幸せになるために、彼女は決めたのだ。


 あの婚約破棄はリネットからの、永遠の、別れの言葉だったのだ。

 



 一人の令嬢によって成された断罪の時は終わり、フェリクスは一人、王宮の庭園に残されていた。

 地平近くにあった月が、気が付けば随分、天高く遠のいている。


 ヴォルフェン辺境伯令嬢コーネリアは最後に、あれらは決して、リネットが直接語ったことではないと、その点だけ念押していった。

 あれは全て、コーネリアがリネットの姿を見て、感じたことなのだと。


「お義姉様はね、来たばかりの頃、酷く萎れた苗のようだったわ」


 言葉を崩して話す少女は、その方が、快活な雰囲気によく似合っていた。

 その言葉には嘘も虚飾もなく、ただ真っ直ぐにフェリクスを射抜く矢だった。


「私の婚約者は辺境で、作物の研究をしているの。彼がよく言っているわ、どんなに強い種でも、美しく咲くには環境が大事だって」


 会場で夫の腕の中にいた、美しいリネットの姿を思い出す。

 榛色の髪が眩しかった、幸福な新妻の姿を。 


「お義姉様はご自分が、花を咲かせられるかどうかすら、ご存知なかった。萎れているって事はね、決して本人だけの所為ではないのよ」


 最後に見た彼女は確かに打ちひしがれていた。

 今ならわかる、あれはずっと、自分に蔑ろにされ続けていた、彼女自身の心だったのだ。


 その姿に、屋敷のベッドの上で泣いているロザムンドの姿がどこか重なる。

 今のローズもまた、自分がそのように仕向けてしまっているのだろうか。


 フェリクスの元から引き離せば、きっと彼女は泣き叫ぶだろう。

 けれど、それがきっと自分の罪なのだ。

 背負うことなど出来ないのに、優しい姿だけを見せ続けてきた己の。


「今日のお義姉様はお美しいでしょう?」


 最後に、自分のことのように自慢げに胸を張ったコーネリアの姿に、リネットの美しさの土壌には、この少女の想いもまた、注がれているのだと思い知った。

 リネットを美しく花開かせたのは、彼らと辺境の地、そしてリネット自身の力なのだということを。



 春の嵐が吹き荒れたような跡に一人、残されて。

 けれどどこか、この一年、ずっと心の内にあった閉塞感が、一緒に吹き飛んでいった気がする。

 残ったのは、自分本位の優しさを晒し出されて、ばつの悪いフェリクスだけ。

 それでも、自覚したのだから、しなければならない事がわかったような気がしている。


 

 鮮烈な青い光は、閃光のように全てを詳らかにして去っていった。

 

 伸びやかな四肢で颯爽と駆けていく令嬢の後ろ姿には、フェリクスへの興味など一筋も残っていないのが分かって。

 それは、こんな時に笑ってしまいそうなくらい、眩しくて、清々しい煌めきだった。



一番書きたい所を書こうと思ったら、この二人になりました。

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