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輪郭  作者:
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倫理の改変


彼女と会ったことで、私の倫理は変質した。


私はまだ、結論の側に立っていない。

だが、もはや無垢な保留に甘んじることもできない。


かつての私は、選ばないという姿勢を美徳だと信じていた。


慎みであり、配慮であり、誰かを直接に傷つけないための、最後の防波堤だと。


選ばなければ、誰も責められない。

決断しなければ、誰の人生も歪めずに済む。

少なくとも、そう見える。


考え続けている限り、私は誠実でいられると信じてきた。


だが今、その防波堤の内側で、私は別の音を聞いている。

波の音ではない。

崩れる音でもない。


誰かの時間が、

静かに沈んでいく音だ。


選ばないという行為は、

何も起こさないことではなかった。


それは、

相手の未来に「未確定」という重石を載せ続けることだ。


決断しない者は、

誰の人生も動かさない代わりに、

誰の人生にも居座り続ける。


私はその構造を、

倫理という言葉で長く覆ってきた。


思考は、本来、行為を導くためのものだ。

だが私の思考は、

いつのまにか行為を延期するための

精巧な装置になっていた。


考えている限り、私は善良でいられる。

選ばなければ、

誰も直接には傷つかない。


そう信じることで、

私は自分を保ってきた。


だが、それは傷が見えない場所へ移動したというだけの話だった。


彼女の時間は、私の沈黙と無関係に進んでいく。

若さという速度で、不可逆の分岐をいくつも通過していく。


私の時間も、同じように流れている。


だが、削れ方が違う。


私は「考えていた」という言葉で、

自分の停滞を意味に変換できてしまう。


彼女が削る分岐の数は、私の比ではない。


だからこの非対称は、

構造的に不正だ。


私は、その不正の上に立ったまま

「公平」を語ることができなくなった。


公平とは、

距離を均すことではない。

責任の密度を、

関係の深さに応じて引き受けることだ。


選んだ痛みか。

選ばなかった痛みか。


どちらも消えない。

どちらも、誰かの人生に痕跡を残す。


私はこれまで、

「自分が一番最後に傷つく配置」を

無意識に選び続けてきた。


それを、優しさと呼んでいた。


だがそれは同時に、

他人の時間を先に差し出させる構図でもあった。


その事実に気づいてしまった以上、

私はもう、

かつての自己像には戻れない。


そして今、

私はようやく自分の内側の動きを

正確に言葉にできる。


私は、再びあの言葉を信用し始めている。


私は今、選ぼうとしている。


古い倫理が、それを否定している。

だから、拮抗しているように見えるだけだ。


実際には、

共鳴はすでに始まっていて、

私は引き寄せられ、同時に引き寄せている。


私がずっと恐れてきた言葉も、

彼女が使えば、性質が変わる。


ただ、相手を縛る誓いでも、未来を保証する暴力でもなく、一緒に考え続けることをやめないという意思表明へと。


わたしが嫌悪してきた軽率な絶対とは、性質が違う。


危うい。

だが、あたたかい。


倫理が否定しても、

構造が許さなくても、

感情が、現実の輪郭を

ゆっくりと侵食し始めている。


私は今、自分があざ笑ってきた

「弱い人間」の外観をしているのかもしれない。


だが、その内側の倫理は、

以前の私を丸め込んでしまうほど、

むしろ強固になりつつある。


これは衝動ではない。

短慮でもない。


私は、

自分がどれだけ考え、

どれだけ耐えてきたかを

誰よりも知っている。


だから、きっと止められない。


美徳は、

現実に耐えられなくなったとき、

初めて更新を要求してくる。


今、私の倫理は

壊れているのではない。


再配置されつつある。


より重く、

より不格好で、

より責任を伴う形へ。


私はもう、選ばないことで守れる自分を、守るつもりがない。


この姿勢そのものが、すでに私の倫理の変質を示している。


倫理が、

理念のままでは生きられなくなり、

現実の体温を帯び始めた音がしている。


それは、崩壊の音ではない。


輪郭が、書き換えられている音だ。



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