◆8 上屋敷長左衛門
「余所者か…おめ達が犯人では無えのが…」
老人の言葉に美作が反応した。
「それはコチラのセリフよ!
いきなり脅かして、何!ヨーダみたいな顔して!
貴方が犯人なのでしょう!?」
先程迄の怯えていた反動からか、彼女の怒りが爆発した。
立ち上がり、喧嘩腰で老人を怒鳴りつける美作と、それを押さえつける藪沢。
「申し訳無い。うちの愚女が!」
怒る彼女と羽交い絞めにする藪沢。
二人の様子を、老人は毒気を抜かれた様な顔で見つめていた。
「ところで、貴方は?」
落ち着いた美作を放し、藪沢は老人を見た。
顔のシワから感じられる老人の年齢は、多分90超。
背は低くて身体は細く、腰も曲がっているが、筋はガッチリしていて筋肉質。
農作業者特有の土方焼けが肌に染み付いている。
「他人さ、じろじろ見るな。
やっぱし余所者だな。礼儀知らん。
おらは上屋敷長左衛門だ」
「貴方が上田の長で鏡谷擂の村長、上屋敷長左衛門さんでしたか!
是非一度、お話をお伺いしたいと思っておりました!」
藪沢は急いでポケットをまさぐり、ボイスレコーダーを取り出す。
「お願いします。
河童子について取材させて下さい!」
先程迄の落ち着いた態度から一変した藪沢を見て、驚いた長左衛門は一歩退いた。
◆
上田の長 上屋敷長左衛門 外見90超
河童子様のごた、調査すっだぁ?
こんの罰当だりが!
何ぃ…?伝承どして記録さ残して?
余計な事するな!そったな物残すな!
河童子様は、村の人間らが知っていれば十分だ。
あれは鏡谷擂だげの神様であり、鏡谷擂の為の存在だ。
余所者が口出して良い話でゃーねぁー!
だぁれの許可どって取材してらのだが!おっ?
……あん…?治郎右衛門の奴が許可しただど?
こぢらが下手さ出でれば調子さ乗りおって。
これだがら下田の連中は気さ食わんのだ!
河童子様さ好がれどるがらと生意気ばり。
こぢらも十分さ対価は支払ったごったが!
それ何時までもネチネチど…
あまづさえ、河童子様を公開するだど?
あのクソ餓鬼が!嫌がらせが?
貴様らに、これ以上話す事はねぁー。
余所者は出で行げ!
◆
上屋敷長左衛門は藪沢に向けて杖を振りかざす。
そこに、黙って見ていた美作が分け入った。
「やっぱりね!
さっさと村から追い出したいから、昨夜はあんな嫌がらせをしたんでしょ!
この陰険ジジイ!あんな事した犯人はお前だろ!」
美作は長左衛門に向けて怒りをぶつけた。
「ふざげるな!誰が陰険だ!
なんの事が分がらんが、犯人呼ばわりされで黙っていられっが!」
「初めに私達を犯人呼ばわりしたのはそっちでしょうが!」
長左衛門も、彼女の迫力に負けない勢いで言い返す。
「やっぱしおめが盗人が!余所者は野蛮だがらな!
うぢの鶏盗んだのはおめだべ!?」
「うちは血で脅かされたせいで頭に来とるんよ!
もしや、アンタのトコの鶏のか!
お陰でこっちは寝不足でイライラしとるん!」
「血だど!きさま、うぢの鶏ぐったんか!?」
お互い頭に血が昇っているらしく、話が噛み合わないのに勢いだけで口論が続いていく。
見かねた藪沢は、美作の口を押さえて二人の間に入った。
「まてまて…二人とも」
突然口を押さえられて喋れない美作は、「んーんー」と唸って振り解こうとするが、藪沢の手が離れない。
しばらくジタバタしていたが、抵抗出来ないと分かると静かになった。
「…長左衛門さん、お宅の鶏が盗まれたのですか?」
藪沢は、落ち着いた口調でゆっくりと尋ねた。
「あん!?…ああ、んだ。
…んだ…うぢの鶏が盗まれだんだ」
長左衛門も藪沢が間に入ると、だんだんと興奮が冷めていく。
「どうか、経緯をお聞かせ願えませんか?」
藪沢が丁寧に尋ねると、落ち着いた長左衛門は静かに口を開いた。
「……今朝、うぢの鶏小屋の網が破られでらった。
盗んだ奴が抱えで逃げだに違いねぁー。
行げる道辿ったら、おめ達が下田覗いでらった。
そもそも、おめ達はなして此処さ居る?」
相変わらず、不審者を見る様な目で二人を見る長左衛門。
藪沢は少し考えた後、今朝、下田の集会所で起きた出来事を彼に話した。
「…それで高下屋敷の琴さんが、朝方、こちらから寄り合い所に向かう人影を見たと仰いました。
私達は、イタズラした犯人の痕跡が無いかを見に来たのです」
「琴様が…?」
長左衛門は驚き、藪沢の目を覗き込んだ。
「…嘘でゃーねぁーようだな。
だどしたら、誰がおらの鶏を…?」
「河童子様がやったんじゃない?あんたら恨まれてるんだっけ?」
二人のやり取りを黙って見ていた美作が、舌を出しながら口を挟む。
長左衛門は、彼女をギッと睨みつけた。
◆
蛇神様さ従った上田の者を、蛇神様の子らが害なすと言うのが?
寄り合いの血も、おめら余所者が蛇神様怒らせだがら、河童子様がやったんだべさ。
下田さ支払った対価どは何が…だど?
…そったな事は言ってねぁー。
きさん記憶違いだべ。
とにがぐ河童子様も蛇神様も、公開は許さねぁー。
許可しねぁー。
村長どしての命令だ。
おめに嫌がらせしたのは、きっと河童子様だ。
蛇神様も公開される事なんて望んでいねぁー。
んだがら血の手形残したんだべさ。
おめが鶏泥棒の犯人でねぁーどいうんだら、さっさど村がら出で行げ。
何時までも居残るんだら、上田のえらがおめらに何するが分がらんぞ?
◆
「何よ?脅し?
良いじゃないの!受けて立つわよ!」
美作が身構え、長左衛門と三度一触即発となった。
「…止めなさい!
そうですね…そこまで仰るなら帰ります」
藪沢は美作の腕を引き、長左衛門に謝罪した。
「ちょっ!良いんですか!?」
「どのみち、今日中には大学に帰らないといけないので。
昼過ぎには村を出ます」
藪沢の言葉を聞いて、長左衛門はフンと鼻息を吐いた。
「良い心掛げだ。河童子様は約束違えねぁー。
その言葉が正しければ、問題無ぐ村出られるごった。疾く帰れ」
そう言って、手をシッシッと振った。
「こんのクソジジイ!」
藪沢は暴れそうな美作の腕を掴み、長左衛門に一礼をする。
そのまま彼女を引き摺りながら、丘を下った。
◆
藪沢達が道を引き返す様子を、長左衛門はじっと見つめていた。
彼等が丘を下り始めた時もその場を動かず、威嚇するかの様に睨み続ける。
美作も負けじと睨み返しながら坂を下る。
下田の田んぼの畦道に入る頃、二人が振り返ると、彼の姿は腰高の藪に隠れて見えなくなっていた。
美作は、丘の上に向けて思いっきりアカンべをした。
帰り道、美作はずっと膨れっ面をしたまま怒っていた。
「先生!本当に帰るんですか!」
「あんな田舎ジジイに脅されたくらいで?」
「嫌がらせの犯人は絶対あのジジイですってば!」
しきりに藪沢を引き留めようとしている。
藪沢はそんな美作を無視したまま歩き続けた。
「…先生?一体何処へ向かっているのですか?」
だんだんと冷静になった美作は、藪沢が何かの目的を持って歩いている事に気が付いた。
「…おそらくだが、必要な話は大体聞けたと思う。
あと少し…あと少し話を聴けたら、資料を纏めて帰るぞ」
そう言って藪沢は、ある場所で足を止めた。