表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
河童子  作者: 黒猫ミー助
6/12

◆6 集会所の窓




 琴は真っ暗な田舎道を先導し、藪沢と美作を下田の集会所まで送り届けた。


 「本当はうぢで泊めでもえがったのだけれど…」

 外にあるブレーカーのスイッチを入れながら、琴は呟いた。

 「流石にそれは申し訳なく思い、お断りしました。

 私は野宿で良かったのですが…」

 「息子の先生にそったなこどさせられねぁー」

 琴は慌てて首を振った。


 「…集会所だがらな、風呂無えのは…申し訳無えが我慢してくなんしぇ。

 若え娘には辛えがもしれねぁーけれど…」

 「…わたし?大丈夫よ〜。

 一週間くらい入らなくても全然平気だから!」

 琴が藪沢に目を向けると、藪沢は溜息をつきながら黙って首を振った。


 琴は、玄関入ってすぐ横にあるスイッチに手を伸ばす。

 天井の蛍光灯が数回点滅した後、建物全体を白く照らした。

 同時に、エアコンが静かに動き出す。

 「じゃぁまだ、明日。ゆっくり休んでくなんしぇ。

 あさまごはん届げるなはん」

 琴は懐中電灯を手に取り、建物の外に出た。


 「何から何まで…大変申し訳無い」

 「琴ちゃん、ありがと〜!」

 藪沢が頭を下げる隣で、美作は琴に抱き着いていた。

 「いいずーごどだ。

 未卯ぢゃんがいっぱい食ってけるの、嬉しいがら」

 琴はガハハと豪快に笑いながら敷地を出て行き、夜の闇の中に消えていった。



 「琴ちゃん、いい人〜。お腹いっぱい〜」

 美作は用意されていた布団に飛び乗り、ゴロゴロと転がりだす。

 それを横目に藪沢はパソコンを取り出し、今日の取材内容の編集を始めた。


 業務用のエアコンが湿度調整まで管理しているので、寝るには丁度良い環境。

 窓は閉め切っているので、外の水音や虫の音は全く聞こえない。

 藪沢のキーを叩く音だけが、夜の集会所内に響いていた。


 「ねぇ、先生〜…先生ってばー!」

 美作の声を無視してキーボードを叩き続ける藪沢。

 「お義父様〜質問があるのですけれど〜」

 彼女は布団に横たわったまま、ダラダラと手を挙げた。

 「…お義父様言うな」

 藪沢は、彼女に視線を向けずに応じた。


 「河童子は居ると思いますかぁ?」

 美作の質問に、藪沢はキーを叩く手を止めた。

 彼はしばし考え込んだ後、静かに口を開いた。


 「…どうだろうな」

 「ん〜…先生は村の人達の話を信じてない?」

 「いや…信じている。嘘は言ってないのだろう。

 彼等は…正確には年寄り連中だけは、本気で河童子を信じている…それだけの事だ。

 ただ…信じているから『居る』事実と言うわけではない。」

 それだけ言うと、藪沢は再びキーボードを叩き始めた。


 「そっか〜…」

 美作未卯はそれだけ呟くと、静かに寝息を立て始めた。


 エアコンのファンの音と、キーボードを叩く音だけが室内に残り続けた。

 外では、虫の合唱に合わせる(あい)の手の如く、時折跳ねる水音が、山野に小さく響いていた。



 パソコンに突っ伏し、座ったまま眠っている藪沢を、美作が慌てて揺り起こした。

 「先生…起きて下さい…!」

 まだ朝日が山間(やまあい)から顔を出し切っておらず、二人が寝泊まりしている部屋に、ようやく薄い光が差し込み始めた頃合いのことだった。


 「む…ああ、いかん寝てしまった。…ん?暗いな?」

 半分寝ぼけたまま時計を確認する藪沢。

 時計の針は5時を指していた。

 「まだ五時じゃないか…。君はやけに早起きだな…」

 農村ならば十分に朝ではあるが、此処、鏡谷擂(かがやずり)は盆地の真中。


 山が太陽を遮るので、朝は遅くて夜は早い。

 まだ朝日は地面にまで落ち切らず、山の峰からの反射光で薄く明るい程度。

 ここが街ならば、まだ新聞配達人しか動き回っていない位の明るさ。

 そんな中、酷い寝癖を直しもせずに藪沢を揺する美作だった。


 「それどころじゃありません!先生!

 窓、あの窓を見て下さい!」

 美作は、必死にある方向の窓を指差した。

 丁度そこは、美作が大の字で大イビキをかきながら眠っていた布団の真上辺り。

 藪沢が背を向けていた方向だった。


 太陽の光が薄く差し込んでいる窓の真ん中辺り。

 幾つかの黒い点が、差し込む朝日を遮っていた。

 藪沢は眼鏡を手に取り、近づいて観察してみる。

 「…これは…?」

 紅葉の葉のような小さな跡が六つ。

 一見汚れにしか見えない黒い跡。


 藪沢は更に窓ガラスに近付き、小さな跡に目を凝らした。

 それは小さな子供の手の跡だった。

 泥の付いた手を、窓に押し付けて出来た様な跡。

 それが低い場所や高い場所に、右手と左手三対ずつ、計六つ。

 「ふむ…面白い」

 藪沢は頭を掻きながら立ち上がり、腰を抜かしている美作を横目に、集会所の玄関へと向かって歩き出した。


 襖を開けて玄関に出、備え付けの突っ掛けに足を通すと、そのまま外に出る。

 建物をぐるりと回り込み、龍神川の川縁を背にして集会所の窓を見た。

 丁度そこは、手形の付いている窓ガラスの前。


 まず藪沢は、建物周囲の地面を確認してみた。

 だが窓の下は泥だらけで、ハッキリと足跡と判る様な痕跡は見当たらなかった。


 次に藪沢は、窓の手形に目を近づけてじっくりと観察した。

 大きさの違う三種類の手形。

 小さな手形は窓の下、大きな手形は上の方。

 一番高い所でも地面から120センチ位の高さ。

 丁度、小学校高学年くらいの子供が、胸の前に手を伸ばすと当たる位置。

 (てのひら)の大きさは左右とも揃っており、三人の子供が横並びで覗き込んでいた様に見える立ち位置。

 手痕は、各人の掌全体を強く押し付けたかの様に、くっきりと残っていた。


 その掌痕の下部からは、縦に垂れた幾つもの黒い筋。

 黒い筋の所々は、日に当たるとほんのり赤く見える。

 藪沢は、指でその筋をなぞってみた。

 まだ乾燥しきってない部分が彼の指に付着する。

 指を擦り合わせてみると、付着したそれは、彼の指紋の隙間に沿って赤く拡がった。


 「ふむ…これは血だな…。まだ、乾燥しきってない」

 藪沢がポツリと呟くと、二つ隣の窓から顔を出して様子を伺っていた美作が、顔を青褪めさせた。

 「ま…まさか、河童子の手の跡ですか?

 人を殺した後に、窓から私を覗いていた!?」

 彼女は息を呑んで小さく震えている。


 「…イタズラだな」

 「…へ?」

 藪沢は、窓に付着した血の跡を指でなぞりながら呟いた。

 「この手形には掌紋が見当たらない。

 シワはあるが手相とは違う。歪み過ぎている」

 彼は爪で小さな手の跡を引っ掻いてみる。

 黒く固まった血が、ポロポロと剥がれ落ちた。


 「…恐らくは粘土で作った子供の手形に、鶏か豚の血をつけて窓ガラスに押しつけたのだろうな」

 藪沢は固まった血の匂いを嗅ぎながら解説した。

 美作は、息を吐きながらへたり込んだ。


 「動物の血で本物っぽさを演出したかったようだが、それが(あだ)となったな。

 血液ではなく泥で掌痕を残しておけば、掌紋が無くても不自然ではなかったろうに…」

 藪沢は、手形を全てこそぎ落とし綺麗にした。


 「しかし、これはこれで中々に面白い…」

 藪沢はフフ…と含み笑いをしながら、龍神川の静かなせせらぎを眺めていた。




 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ