070.イーズマの都
オレが元の世界にいた頃、季節は夏だった。
朝起きると、蝉の声が次々と聞こえ始めた時期。
堰堤に植えられたひまわりの花が元気よく太陽に顔を向けるような、そんな1年で最も明るさを感じる時期に、オレは死んでしまったわけだが、こちらに転生してきてからは、ついぞ季節感というやつを感じることがなかった。
というのも、どうやら日本と違って、この世界は四季の変化というものがあまりないようなのだ。
拠点としているドーンの街の気候は、寒すぎず暑すぎずで非常に過ごしやすいし、大概どこに行ってもそれは同じだった。
ちょうどそういう時期というのもあったようだが、フローラに聞いてみると、どうやら大陸の中ほどは、どこも1年中気温の変化が少ないらしい。
それはありがたさもあったが、やはり日本人としては、あの夏の暑さや冬の寒さを感じられないというのは少しだけ寂しさもある。
と、そんな風に考えていたオレだったのだが……。
「あっつぅ……」
港に降り立った途端、焼けるような日差しにさらされたオレの口から、思わずそんな言葉が漏れた。
うん、この照り返す感じと、蒸し蒸しとした湿気……日本の夏に通じるものがある。
少し恋しいと思ったあの暑さ、久々に感じるとやっぱり疎ましいことこの上ないわ。ほんの2か月足らずの間で、すでに故郷若干美化されてましたわ。
「た、確かに、暑いですね……」
見ると、フローラも首元を緩めて、手で胸元を仰いでいる。
うん、そんだけでかかったら蒸れるよな。ちょっとかがせてくれてもいいんだよ。
シトリンやアルマも額に汗をにじませているが、普段から暑苦しい性格のアンシィは、スコップだけに暑さ寒さには強いのか、涼しい顔をしている。
なんだか少し悔しい。
「ディグくーん!」
「あ、ブルート」
同じく船から降りたブルートが隣へやってくる。
「いやぁ、着いたねぇ!! なんだかワクワクしちゃうねぇ!!」
「そうだな」
港からして、大陸とは異なる和風な雰囲気にブルートは目を輝かせている。
建物は日本で言うところの江戸時代くらいの木造の家屋ばかり。石造りがほとんどの大陸の街並みとは大きく違う。映画村にでもやってきた気分だ。
やや粗末な板葺きの屋根が立ち並ぶ港から街中、少し小高くなったその先には、瓦葺きの屋敷が立ち並び、それらの街並みを見守るように、最上部には立派な白塗りの城が聳え立つ。
さらにそれらのすぐ後ろには広大な山々が広がり、その山裾から流れ出した川が十重二十重に広がっている。
海から山が近いこの感じは、日本の瀬戸内辺りにも通じる空気感がある。
わずかに憧憬の想いを感じていると、いつの間にかオレのすぐ前に立っていたコルリが、指でどこかしらを指示した。艶姫さんのところに案内してくれるらしい。
「じゃあ、ブルート、オレ達そろそろ行くわ」
「ディグ君はいつまでイーズマにいるんだい?」
「1週間ちょっとってところかな」
ウエスタリアと違い、イーズマは少しドーンの街から遠い。
行き帰りを含めると、滞在できる時間はそれくらいになるだろう。
「そっかぁ……。滞在中に、また、会えたらよいね! 良かったら、また、うちの工房にも来てみてよ」
「ああ、ぜひ、立ち寄らせてもらうよ」
ブルートがこれから世話になるという工房の名前を聞くと、オレ達は手を振って別れた。
そうして、コルリの後ろについて歩く。
現地民はみんな和装だが、かなりの数、オレ達と同様冒険者のような格好だったり、洋服を着ている人達もいる。
江戸時代風だが、オレの世界の日本のように鎖国なんてまったくしている様子はなく、むしろ開放的な印象だ。
ドーンの街以上に、多種多様な人種が闊歩している中では、コルリのような耳としっぽの生えた獣人も決して珍しくはない。
そんな街並みや人々の違いを感じながら歩いていくと、大きな朱塗りの橋を渡り、街の中心街に入った。
と、その時だった。
ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ──
「な、何……!?」
フローラが驚きの声を上げる。
唸るような重低音が響き渡り、石畳の地面がわずかに振動する。
これは……。
「地震?」
そう、地震だ。
体感で震度は2~3くらいだろうか。
立っていられないということはなく、わずかに地面が揺れているのを感じる程度。
しかし、日本人として、地震にある程度慣れているオレやアンシィ、そして、人生経験の長いシトリンはともかく、初めて地震を経験するらしいフローラは、あわあわとして、オレの右腕に抱き着いた。
少し蒸れてますねぇ、フローラさん。
「大丈夫だよ。こういうのはすぐ治まる」
「あ……本当だ」
予想通り、地面の揺れはすぐに治まり、フローラはホッと息を吐いた。
「あ、ディグ、ごめんなさい!」
そして、慌ててオレから離れる。もう少しくっついていてくれても良いのよ。
ちなみにフローラと同じく、地震初体験ではないかと思われるアルマは、ケロッとしている。まあ、個人差ってあるよね。
弱い地震だったので、何かが倒れるとか落ちるとかそんなこともなく、街行く人たちも、何事もなかったかのように、普段の生活を続けている。
どうやら、この国では、地震は日常茶飯事らしい。
なんだか、そんなところも日本と似ているなぁ。
気を取り直して、コルリに続いて、石畳になっている大通りを歩いていくと、ほどなく立派な屋根飾りのついた楼閣へとたどり着いた。
「ここが東冒険者組合……?」
白塗りの壁に朱色の柱。翡翠色の瓦屋根を讃えるその建物は、ギルドというにはあまりにも豪奢で派手派手しく、違和感を禁じ得ない。
だが、確かに冒険者達はこの建物にちらほらと入っていっている……。
うーん、堅牢そうな見た目のウエスタリアの西ギルドとはえらい違いだ。
すたすたとコルリが、白壁の大扉をくぐっていくので、オレ達もそれに続く。
「うわっ……」
スポットライトのような光の線がちょうど顔に当たり、オレは思わず手で顔を覆った。
ギンギラと光を放つ大灯篭がいたるところに建てられ、外の太陽の光にも負けないくらい屋内を照らしている。
どこからともなく聞こえてくる三味線の音。
丸テーブルでは、冒険者達(ほとんどが野郎だ)が、夕刻に近いとはいえ、まだ陽が出ている時間にも関わらず、酒を飲みかわしている。
「なんだか、楽しそうね!」
「あ、ああ……」
確かに楽しそうな雰囲気の場所ではあるが、ギルドらしい受付カウンターもなければ、掲示板等もない。
どうやら連れてこられたここはギルドではないらしい。じゃあ、一体ここって……。
「ああっ、艶姫様だ!」
どこからともなく声が聞こえ、オレは屋内の中央へと目を向ける。
以前着ていたのと同じ、艶やかでありつつも、高級感のある黒地の着物を着た艶姫さんが、煙管を吹かせながら、ゆっくりと階段を降りてきた。
その姿を見ただけで、周りの冒険者らしき男たちから歓声が上がる。
「艶姫様っ!」
「艶姫様ぁああ!!」
「ふふっ、皆、今日もえらい早いなぁ。夜のステージまでもう少し待っててぇや」
シナを作って艶姫さんが、流し目を送ると、それだけで、男たちが心臓を押さて、黙り込んだ。
そういえば、ドーンで話したときに、自分の事を「半ばアイドルみたいなもん」とか言っていたけど、本当に言いすぎではなかったらしい。
そんな超人気者らしい艶姫さんが、雅な所作でオレ達のところまでやってきて、会釈をした。
「ディグはん、ようこそイーズマへ」
「艶姫さん……」
「とりあえず、落ち着いた場所で話しよか。こっちや」
オレたち5人+コルリは、艶姫さんに続いて、店の奥へと移動した。
歩いていると、建物の豪奢さが、一層よくわかった。
作り込まれた中庭を眺めながら、2階の吹き抜けになっている通路を歩く。
数えきれないほど、たくさんの部屋がある楼閣をまるで迷路のようにすり抜け、とある部屋に入る。
「さあ、座ってぇな」
「あ、はい」
促されるまま、オレ達は椅子に敷かれた座布団の上に座る。
「まずは、来てくれてありがとうや。道中不自由はなかった?」
「ええ、船の手配とかは、そちらの使者の方がしてくれましたし」
「まあ、それくらいは当然や。でも、あの子……もしかして、ずっと仮面つけたままやったんか?」
「あ、まあ……そうですね」
部屋の出入り口の辺りで黙って立ち続けていたコルリを艶姫さんがギロリとにらむ。
「はぁ……まあ、この子を寄こしたんはうちやからな。すまんかったな。不愛想やけど、腕は確かやから護衛も兼ねてと思うたんやけど。その分やと、顔出しはおろか、ろくにしゃべりもせんかったみたいやし」
「で、でも、ちゃんと指差しでいろいろ教えてくれましたよ!」
「ディグはんは優しいなぁ……あんたは、ディグはんに感謝するんやで」
再び、狐仮面の女の子に圧をかける艶姫さん。
美しいと可愛いの中間ぐらいの絶妙なビジュアルを持つ艶姫さんだが、ギルドの元締めをやっているだけあって、こういう時の圧はなかなかのものだ。
視線を向けているのはオレではないのに、少しブルリときてしまう。
「まあ、この子には後で、ゆっくり説教しとくとして。せっかく東に来たんやし、いろいろもてなしを考えとるんや。まあ、短い期間やけど、楽しんでいってぇや」
「ありがとうございます! ……あの、ところでここって、何の施設なんですか? ギルドではないみたいですけど……」
「ここは、ほら、あれや。殿方なら誰でも大好きな」
「えっ、殿方が好きな……?」
「そう」
艶姫さんは、にやりと口をゆがめて言った。
「遊郭"竜宮城"。今夜は楽しんでいってぇな。ディグはん」




