068.カラクリと大ダコと破壊者
「わぁ!! これが海なのですね!」
どこまでも広がる水平線を眺め、いつものメイド服姿で大きな荷物を背負ったアルマは無邪気な笑顔を見せた。
「わ、私も実は初めて見ました……。凄く大きな水たまり!」
「アタシもよ! いくら飲んでもなくなりそうにないわね!!」
それぞれ独特な感想を述べるフローラとアンシィを横目に、苦笑するオレとシトリン。
まあ、初めての海となれば、ちょっとはしゃぐ気持ちもわからないでもない。
さて、ドーンの街を出発してから1日。
オレ達は、遥かに広がる大海を抱く、大陸最東端の港町へとやってきていた。
移動には再び、ミナレスさんから預かり受けた精霊鳥パドラを使わせてもらったため、かなり快適な道程だった。
ただでさえ、ウエスタリアよりも距離のあるイーズマだ。ミナレスさんには本当に感謝しかないな。
極北の島国、イーズマまでは、この港から船で、さらに半日ほど進んだ先にある。
そんなわけで、オレたちは初の船旅と相成ったわけだ。
狐少女コルリに導かれ、意気揚々と客船に乗り込んだオレ達は、初めての船旅に興奮するアンシィ、フローラ、アルマを宥めつつ、甲板へと上がった。
「それにしても、凄い人だな」
3人娘は、港や海の様子に夢中だが、オレはどちらかといえば、甲板の上の人の多さの方が気になってしまう。
和装をした現地民っぽい人もいれば、オレ達と似たような冒険者、それに観光客と思しき身なりの良い人たちもいる。
オレの呟きに応えてくれるかな、と一瞬、コルリの方をちらりと見たが、まるで聞こえなかったかのように一切反応はない。
ドーンからここまでやってくるまでもそうだったが、この娘まったく喋ってくれない。
移動する先を指差したり、視線を向けたりがほとんどで、基本ジェスチャーばかり。
名前は教えてくれたので、喋れないわけではなさそうだが……まあ、今のところ支障はないのでいいのだけど。
ただ、少しだけ悲しいなぁ、なんて思っているオレに応えてくれたのは、シトリンだった。
「イーズマは冒険者にとっては修行の地でもあり、世界的遺産も多い観光地でもあるらしい。きっと日々、様々な目的を持った人が往来しているのだろう」
「なるほどね」
そういえば、艶姫さんも、景勝地がどうたら、とかも言っていたもんなぁ。
冒険者や現地人がほとんどだったウエスタリアと比べても、イーズマは多種多様な文化が織り交ざった地であるらしい。
と、そんなこんな、シトリンと会話をしているうちに、いよいよ船の出航の時間となった。
「おおっ……!」
オレ達が乗った船は一見帆船に見えたのだが、岸から離れる際に帆船ではありえない微振動が、甲板を揺らした。
「動力があるのか……?」
「カラクリですよ」
そう答えたのは、仲間の誰でもない。もちろんガイド役のコルリでもない。
人込みの中からいつの間にか現れた、オレと同じくらいの若い男だった。
「この船は、風力とカラクリのハイブリッドなんです!」
「君は?」
「あ、突然失礼しました! 僕、機巧技師志望のブルートといいます!」
ブルートと名乗ったこの世界では珍しい眼鏡をかけた少年は、人好きのする笑顔を見せつつ、オレへと右手を差し出した。握手を求めているらしい。
オレは、とりあえずその手を取って返した。
「えーと、オレは冒険者やってる。ディグだ」
「ディグ君だね! いや、故郷を出て久々に同世代の男の子に出会ったよ。嬉しいなぁ!」
オレが握手に応じたことで、少し砕けた口調になるブルート。
見た目はどちらかというとオレの世界のオタク少年的な印象の彼だが、どうやらかなり社交的な性格らしい。
満面の笑みで、握手をしたままのオレの腕をぶんぶん振るっている。
「ハイブリッドってどういうことだ?」
「あ、そうそう。その話だった。えーと、この船、基本航海中は普通の帆船なんだけど、出航の時とか、風のない時は、別の動力で動くんだ。それがカラクリ」
「ああ、なるほどな。ゼンマイとかそういう」
「そうそう! よく知ってるね!」
オレの世界にも昔似たような文化があったというが、船を動かすほどとは、この世界……というかイーズマの技術はなかなか進んでいるようだ。
「冒険者なのに、ゼンマイの事を知ってるなんて、君とは益々仲良くなれそうだ!」
友達になる気満々のブルートが輝いた瞳でオレを見つめている。
まあ、確かに、こっちの世界に来てからまともな男、しかも同世代の知り合いって初めてかもしれない。
オレも友達になるのはやぶさかではないか。
「ブルートの言う機巧技師ってのは、この船の動力みたいなカラクリを作る仕事なのか?」
「うん! そうなんだ! 僕は元々、遠くの島国でオルゴール店を営んでいる両親の息子でさ。元々、機械なんかには子供の頃からたくさん触れていたんだけど、ある時、イーズマで作られた発条絡繰人形を見て、もう本当びっくりしちゃってさ。それを作る機巧技師に憧れて、何度も工房に手紙を送って、やっと採用されたんだ!!」
「へぇ、そうなんだ」
オレの事を友達だと認識した時以上に、目をキラキラと輝かせて熱く語るブルート。
あまりの眩しさに、思わず目を細める。
好きなものに真っすぐに向かっていく熱意に、思わず気圧されてしまいそうなくらいだ。
ああ、そういえば、レナコさんもこんな目をしてたなぁ。
好きこそものの上手なれ、とは言うが、ブルートほどの熱意があれば、きっと機巧技師としても大成できるだろう。
「ディグ君は、なぜ、冒険者になったんだい?」
どこか遠い存在を見るような思いで、ブルートの話を聞いていたら、今度はそんな風に尋ねられた。
「え、オレ? オレは……」
改めて考えると、オレはなぜ冒険者になったんだろう。
女神にこの世界に飛ばされたのは事故みたいなものだったけど、冒険者になったのは自分の意思だ。
いつか魔王を倒して、元の世界にアンシィを返す。
それを達成するためには、冒険者になるのが必然だと思ったのだ。
いや、実際は、今までスコップしてきた、数えきれないほどのネット小説の影響だろう。
異世界転生といえば、冒険者。それが、オレにとっては当たり前だった。
でも、今は……。
「ん、ディグ君……?」
「あ、いや……なんでもない。そうだな、オレは──」
なんと答えようか、と頭を捻ったその瞬間、出航時に似た振動が甲板を細かく揺らした。
「おかしいな……この船は、航行中はゼンマイ駆動を使わないはずなのに……?」
ブルートの疑問の声と、振動がさらに大きくなったのはほぼ同時だった。
まるで地震かのような揺れに、甲板が嫌な音を立てる。もはやまともに立っていられないほどだ。
海のど真ん中で座礁? なんて、バカな考えさえ浮かべかけたその時。
甲板の端からにょきりと、何かが突き出した。
ぬめぬめと湿り気のある桜色の肌。サイズこそ違うが、その見た目は。
「……タコ?」
そうタコだ。
だが、そのサイズはあまりにもでかい。足一本で、船のメインマストと同じくらいの大きさはあるだろう。
とにかくでかいその化け物ダコは、うねうねと気持ち悪く8本の足を動かして、船へと絡みつこうとしていた。
「うぁあああああ!?」
ブルートが腰を抜かして甲板にへたり込む。
どうやら、機巧技師である彼は、魔物というのをあまり見慣れていないらしい。
いや、例え普通の魔物を見慣れていたとしても、これだけ巨大なタコを見ればこうなるのも当然だ。
他の乗客もほとんどはそんな人たちばかりで、たちまち甲板上はパニックになる。
「ディグっ!!」
舳先の方で、海を眺めていたアンシィが、オレの方へと駆けてきた。
「たこ焼きよ!! たこ焼きが現れたわ!!」
「落ち着け、アンシィ! まだ、未調理だ!!」
アンシィにかかれば、一般的なタコからは大きく逸脱するサイズの化け物ダコも、しょせんはたこ焼きの材料でしかないらしい。
まあ、やる気満々みたいだし、とりあえずバトってみるとしましょうか。
剣モードになったアンシィを右手に掴むと、オレは逃げ惑う乗客たちを避けるようにして、巨大ダコに向かって走る。
見れば、すでに、フローラとシトリン、アルマが応戦中だ。
ホーリーチェインが奴の進行を阻み、その隙間を抜けてこようとうねうね動く足を、アルマが巨大なリュックで殴りつけている。後方からはシトリンの光の弓が奴を牽制する。
よしっ、オレも!!
『……やめろ……』
「えっ……」
大きくアンシィを振りかぶった瞬間、どこかで聞いたことのあるような声がオレの脳に響いた。
「ちょっと、ディグ!!」
「あっ……」
声に気を取られて思わず振りかぶった姿勢で固まっていたオレの身体を蛸足の一本が捉えた。
そのまま胴を締め付けるようにして絡みつかれ、完全に身動きが取れなくなる。
「くっ……!」
宙づりにされ、オレはされるがままだ。
ぬるぬるとした吸盤が身体のいたるところに吸い付き、妙な感触が身体の各所に広がっていく。
「ら、ら、らめぇええええええええ!!」
「何やってんのよ!!」
「あ、いや……すまん……」
アンシィの割とガチの叱責に、若干ふざけの入っていたオレの脳が、冷や水を浴びせられたように冷静になる。
本当に凡ミスして、申し訳ない……。
掴まったオレの姿を見て、フローラやシトリンが魔法でなんとか奴の足を切断しようと試みてくれているが、軟体動物ならではの柔軟性で、ダメージを与え切れていない。
あれ……もしかして、結構ピンチなのでは……。
ズバッアアアアア!!!
そんな風に思った時、オレを掴んでいた奴の足の一本が根元から切断された。
まさに、一瞬の出来事。
受け身すら取ることができず、オレは顔面から硬い甲板に落下した。
「へぶっ……!!!」
「あんた……」
あまりの情けない姿に、アンシィの嘆息の声が聞こえる。
け、けど、一体誰が……。
「まったく、こんな雑魚に何を手間取ってやがる……」
「あっ……」
甲板からなんとか顔を上げたオレの目に飛び込んできたのは、可愛いらしいピンクのリボンのついたショーツだった。
いや、違う。それは神域の聖塔で得た神器級の大剣を肩に担いだジアルマだ。
細っこい体つきをしたアルマとは違い、相変わらずメリハリの利いた爆烈ボディが、メイド服を内から圧迫し、絶妙な露出を演出している。
どうやら、オレのあまりに情けない戦いっぷりに、我慢できなくなって、外に出てきたらしい。
猛禽類のように鋭い視線で見下されると……いや、オレにはそういう性癖はないはず……だ。
「何、モジモジしてやがる」
「あ、いや、なんでも……」
「お前はそこで見てやがれ。こいつは俺様が倒してやるよ」
アルマの時は膝丈、ジアルマになると太ももまで露わになるメイド服のスカートをはためかせ、奴のうねうねと気持ち悪く動き回る脚の一本へと肉薄する。
「おらっ!!」
ジアルマが力任せに大剣を振るうと、足の一本が切断……いや、ちぎれとんだと言った方が正確だろうか。
周囲の肉を引きちぎりつつ、強引に斬り伏せるそのパワーはまさに圧倒的。
次々とタコの足を断ち斬ると、1分もかからないうちに、タコはすっかり坊主状態になった。
もちろん、とっくにタコは戦意喪失している。
「さすが、元辻斬り……」
頬が引きつる。
知らず知らずのうちに、オレは2,3歩後ろに下がっていた。
「……ディグ」
そんなオレを咎めようとしてか、アンシィの声がしたと思った瞬間、タコが最後の悪あがきとばかりに、大量のたこ墨をぶちまけた。
「マジか……!!!!」
「ちょ、ちょっと……!!!!」
オレとアンシィは、そろってたこ墨をもろに浴びる。
ちょっとした暴風雨にでもあったかのように、全身にくまなくたこ墨をぶちまけられて、すっかり真っ黒くろすけになるオレとアンシィ。
もはや目を開けることすらままならぬ。タコはどっちだ。
こすりこすりで、なんとか目を開けた時には、すでに、タコの本体はジアルマに斬り伏せられ、ばたんきゅーしているところだった。
と、その功労者であるジアルマの身体がレベルアップの光を放った。
「はっ……本当にレベルが上がりやがったぜ!!」
ジアルマが嬉しそうに拳を握りしめる。
「へへっ、こんな畜生にも苦戦するスーパークソ雑魚野郎だが、生かしておいて正解だったぜ。強い奴と戦うときは、また、手を貸してやるよ」
ジアルマは、憎まれ口をたたきながらも、アルマの肉体へと戻っていった。
持っていた大剣も小さなナイフに変化して、アルマのリュックの中へとしまわれる。
さすが聖域で手に入れた武器だけあって、収納機能もばっちりだ。
ジアルマをなんとか仲間に引き入れておいてよかった……。
どこかホッとした気持ちでいるオレの隣で、オレと同様、人間形態になっても真っ黒なままのアンシィは、何も言わず佇んでいた。