閑話2 天空城の日常
ナガヒメは、光で構成された複雑な立体魔法陣が、敬愛する人物を包み込むのを見ていた。
地上から20000メートルの地点をゆっくりと移動している天空城にとって、昼と夜の違いは曖昧である。
だが、その人物が来るのは、その人物にとっての早朝であることがわかっていた。
天空城内にもともと時計はなかったが、数多くいる生産職の、人間ではない器用な者たちに、時計を作らせた。天空城の中で時間を知る必要ができたのは、唯一、その人物が訪れる時間を正確に知るためであった。
その人物であれば、ナガヒメが出迎えなかったとしても、気分を害するようなことはないだろう。誰もいなかったとしても、怒ることはないだろう。ただ、いつも出迎えるナガヒメの姿がなければ、多少は心配してくれるかもしれない。
ナガヒメは、待つことには慣れていた。天空城に住む者の、大部分は同じだった。その人物と同行するのは、いつも決まった7人だ。絶対的な力をもつ7人を差し置いて、連れて行ってくれと言えるはずがない。ナガヒメは、いつか自分が必要とされる時が来ると信じて、待ち続けた。
かの7人が、極限のレベルに達して以降、ナガヒメが必要とされることはなくなっていた。
ナガヒメは天女である。空を自由に移動できるのが、天女としての種族固有技能である。
だが、かの7人で、空を飛ぶことができないのは一人だけで、その一人すら、専用のアイテムを使用することで飛行が可能となった。
ナガヒメは、信じて待つしかなかった。
だが、そのナガヒメの思いは届いたのだ。
ナガヒメは、必要とされている。
天空城の守りの要として、ナガヒメをクイーンとした7人が、その人物から天空城を託されたのだ。
その人物は、魔法陣の中に消えた。次第に、様々な色に明滅していた魔法陣が霧散する。後には、なにも残らなかった。
「……ニニギ様……また、24時間後ですね」
ナガヒメは、道具の生産職が精魂を込めて作り上げた懐中時計を握りしめた。短い針が2周して同じ位置に来るとき、またその人物はやってくる。
何をしに来るわけでもない。ただ短い会話を交わし、ナガヒメは職人たちが生産したものを見せて、ときどきちょっと褒めてもらう。それだけで、ナガヒメは十分幸せな気分になる。
光が消えた玉座の間の、玉座にナガヒメは身を沈める。
今日は一日、なにをして過ごそうか。そう思ったとき、玉座の間の外から、甲高い声が聞こえてきた。
「ニニギーーー!」
声だけでも、言葉だけでも、誰かはわかる。その人物の名を呼び捨てにする者は、天空城の中には一人しかいない。不敬極まる。だが、その人物が笑って許しているので、無理に訂正させることもできない。
玉座の間に飛び込んできたのは、緑色の光跡を残しながら空中を移動する妖精、フェアリーのノコルルだ。
「遅かったわね。ニニギ様なら、もう行かれたわ」
「えーーーーーーっ……嘘でしょ」
「どうして、私がそんな嘘をつくの?」
「ニニギがボクに色目を使うのが嫌だから?」
目の前でたわ言を聞かされ、ナガヒメはとっさにノコルルを掴み取った。逃げられると思ったが、意外とナガヒメにも捕まえられた。
「ちょっと……痛っ……苦しいよぉ」
「ニニギ様がノコルルに色目をつかう? そんな奇跡、永遠に起きないわ」
「そうかなぁ。ニニギがボクを見る目つき、あれは絶対、ボクを求めていると思うな」
「そのような妄想を抱くことすら、あの方への冒涜だとは思わないの?」
「思わないよ。だって、ニニギとボクは、色々と約束しあった間……ぎゃっ……」
ナガヒメは、気づかないうちにノコルルを再び掴み取っていた。このままでは、握りつぶしてしまうかもしれない。
仕方ない。さすがに殺しては、ニニギに合わせる顔がなくなってしまう。
そっと手を離そうとしたが、なんとなく腹が立ち、床に投げるように捨てた。
「ちょっと……ひどーーーい。まあ、いいや。で、ニニギは、本当にもう行っちゃったの?」
「それは本当よ。私があなたに嘘をつく必要はないわ」
「ふぅん。なんだ。つまらない。ニニギ、何か言っていた?」
ノコルルは、まだ諦めきれないように、玉座の間をくるくると回る。毎日、その人物は同じ時間に訪れる。だから、間に合わないほうが悪いのだ。ノコルルはおおそよ半分間に合わない。ノコルルは時計を持っていない。
さすがに、ノコルルが携帯できるサイズの時計を製作することはできなかったのだ。
「言っていたわよ。色々とね」
「な、なんて?」
「出迎えご苦労とか。今日も異常ないな。とか」
「……そんなこと、知りたいんじゃないんですー。ボクのこと、なんて言っていたの?」
「言っていないわよ。別に」
「えーーーーっ……嘘でしょ。ニニギが、ボクのことを忘れるはずないもん」
「忘れていたわけではないでしょう。でも、毎日話題に出るほど、ノコルルは毎日変化があるわけではないじゃない」
「本当は、何か言っていたでしょう?」
玉座の間を飛び回っていたノコルルが、一箇所に止まった。ナガヒメの顔のやや下に、背中の羽をせわしなく動かして止まり、じっと見上げる。
確かに可愛い。じっと見上げる角度になるように、ホバリングする位置も計算済みだ。可愛い以上に、あざといのだ。
「……ノコルルに会えなくて、寂しいって」
ナガヒメは嘘をついた。その人物は、ナガヒメに対しても気を使う。圧倒的な上位者でありながら、取るに足りないただの天女に対しても、気をつかう。そんなに気を使わなくてもいいのだと何度も行ったが、その人物の態度は変わらなかった。
ナガヒメと二人きりで、他の女の話など、自らは絶対にしないのがその人物だ。
ノコルルの話題など出なかった。だが、そう言ってしまっては、ナガヒメ自身がいつまでもノコルルから解放されない。
「そうでしょーー」
ナガヒメの言葉に、ノコルルが上機嫌でその場で旋回する。ナガヒメも天女である。飛ぶことに関しては自信があるが、これほど回転したいとは思わない。
「では、私は行くわ。ニニギ様をお送りしたら、もうここにいる意味はないもの」
「どこに行くの? っていうか、ナガヒメはいつも何をしているの?」
ノコルルが、実に珍しいことを尋ねてきた。ずっと一緒にいるのに、聞かれたことはなかった。多分、これまでは興味を持ってこなかったのだ。
「珍しいわね。どうして知りたがるの?」
「うーーん……ボクがこれから退屈になるのに、ナガヒメが忙しいなんて、ちょっと嫌じゃない」
「別に、忙しいわけじゃないわ。ノコルルの気持ちは全くわからないけど、よかったら来る? 私と縁の深い人たちのところを回って、ただ世間話をするだけよ。その間に、ニニギ様がご使用になる新しいシーツを織るの」
「うん。退屈になったら勝手に抜け出すから、連れていって」
ノコルルはとても自由だ。唯一この天空で、ニニギに対して敬称をつけない存在だ。そのこと自体、とても本人の評判を落としていることにも気づかないほど自由なのだ。
ナガヒメはこの自由な妖精と一日を過ごすのを少し憂鬱に思いながらも、管理権限を持つために邪険にできない鬱陶しさを感じていた。
ナガヒメは玉座の間を出て、まずは地下層に向かった。
ナガヒメは、この世界に来て日が浅い。ニニギに連れられてくるまで、自我すらあったとは言い難い。それなのに、血の繋がりを感じるキャラクターが何人かいる。実に不思議だったが、ナガヒメにとって、特別な数人だ。
もちろん、ニニギは別格である。ニニギの次いで特別な存在のうちの一人が、ニニギの側近である第一パーティークイーンのサクヤである。
初めて直接面会する前から、サクヤのことは妹だという認識があり、サクヤもなぜかナガヒメを姉だとして受け入れた。実際には、サクヤのほうが先に生じ、ずっと強力な存在だというのに、なぜかナガヒメが姉だと思われていた。
これから会いに行く存在も、ナガヒメにとって特別な一人である。
ずっと姉妹だと思って来た。こちらに関しては、どちらが姉でどちらが妹だという認識はない。双子のようなものだろうか。
会うたびに、血を分けた姉妹だとは思いたくない。そんな感傷が湧き上がる。
ナガヒメは天空の箱庭の城のなかでも、最も深い場所に到達した。
巨大な扉は、いかにも地獄につながっているように見える。
だが、中は地獄ではない。天空の城に、地獄があるはずもない。
「イワヒメ、開けるわ」
ナガヒメが声をかけると、手をかけるまでもなく、自然に扉が開く。
ノコルルがナガヒメの肩に止まった。怯えなくてもよさそうなものだ。何れにしてもノコルルの存在を本当に脅かせるのは、ニニギだけなのだから。
扉の向こうにいたのは、岩だった。部屋の中央に巨大な岩石があり、その周囲に、見事な彫像が並んでいる。
全ての彫像が、ただ一人の人物を模していた。
ニニギである。
岩石の部屋は、無数のニニギに彩られていたのだ。
「……また、増えたわね」
「そりゃ、増えるでしょ。減らないんだから」
中央の岩石が、瞬きをした。岩に輪郭が生まれ、動き出す。
ばらばらと岩をこぼし、ごつごつしてはいるが、人の、女性の形をした岩が現れる。
「イワヒメにも、ちゃんと仕事が当たられているはずよ。それは、あの方の像を作ることではないでしょう」
イワヒメは、岩石姫と呼ばれる古代の種族である。その存在は古くから知られていたが、生態については一切が謎とされる。
「仕事はちゃんとしているよ。でも、彫刻師である私には、それほど多くの仕事はないのさ。空いた時間になにをしようと、咎めることができるのは、この方だけだよ」
岩で出来上がったごつごつした手で、イワヒメはニニギの像の一体を撫でた。
いかにも粗雑に見える姿をしてはいるが、その手つきは奇妙に思われるほど優しく、愛情に満ちていた。
「そう。イワヒメが元気そうでよかったわ。イワヒメもクイーンなのだから、いつでも戦える準備はしておきなさいよ」
「わかっているさ。でもね……私の出番なんか、本当に来るのかねぇ。土の中と火の中で戦うのが私らの任務のはずだけど、あいつら、土の中だろうと火の中だろうと、最近じゃお構い無しだって話じゃないか」
「……それは、水の中と空でも一緒よ。第三パーティーのオトヒメもふくめて、私とイワヒメの3人は、サクヤと一緒によくニニギ様に連れていっていただいたわね。あの頃が懐かしい。でも……ニニギ様の期待に応えられたのは、サクヤだけだった。私たちは途中でついていけなくなり、代わりにペテネラやアレグリアといった……恵まれた人たちに取って代わられた。最初は、ニニギ様は私には空を、オトヒメには水を、イワヒメには火と土を、主戦場として割り当てられたけど……サクヤたちが力を増すにつれ、私たちは出番はなくなった。この世界でも、もとのようにニニギ様と連れ立って外に出るのは、叶わないでしょうね。それでも……私は戻りたいとは思わないわよ。一緒には戦えないかもしれないけど、ニニギ様はこの世界で、私には別の仕事を与えてくださった。ニニギ様が不在の時は、私がこの城の主人だし……イワヒメだって、不満はないでしょう?」
岩石姫は、ふんと鼻を鳴らした。
「正妻が無理なのはわかっているさ。私も、自分の顔ぐらいは知っている……あの方は、私には会いにもいらっしゃらない」
「お忙しいのよ」
「お忙しくても、会うことぐらいできるでしょ。それをなさらないのは、私に魅力を感じていらっしゃらないからだわ」
イワヒメの言うことは、全面的に正しいとナガヒメは認める。だが、口に出しては言えない。イワヒメは、否定して欲しくて言っているのだ。
「そんなことはないわ。顔だけで比較するなんて、くだらないわ。あの方は、いつもイワヒメのことを気にかけているもの」
「……本当?」
たっぷりと時間をかけて尋ねられた。あえて、時間をかけているのに決まっている。
「当然じゃない。千人も人員を収容しているこの箱庭に、たった10人しか選べないクイーンの一人だもの。クイーンには空席もあるのよ。それを考えたら、イワヒメのことを気にかけていないはずがないじゃない」
「そうよね」
イワヒメは納得した。ナガヒメは納得していない。ただの出まかせだ。ニニギに、この城にいる他のキャラクターのことなど、そもそも尋ねたことはない。ただでさえ同行している7人に差をつけられているのだ。これ以上、余計なライバルを増やしたくはなかった。
「それより、この部屋はニニギ様で一杯になりそうね。彫金や彫刻の職業を極めた人は少ないし、欲しい人にあげればいいわ。そうすれば、いずれこの城だけでなく、箱庭全体も、ニニギ様のお姿で一杯になるもの」
「……それはいいわね。でも、できのいい彫刻ほど、手元に残したいじゃない。でも……不出来な彫刻を飾ったりして、ニニギ様にお叱りを受けるのはいやだわ」
「いいじゃない。お叱りでもなんでも……構っていただけるなら」
「ナガヒメはそうでしょうけど、数少ない機会だもの。褒められたいのよ。それに……どの像も完成していないのよ」
イワヒメは、もっとも厳ついのが本人の姿であることを自覚しているのかどうかわからないが、自分を囲むニニギの像を撫で回した。
「そう? これ以上、どこに手を入れるの?」
「ここよ」
イワヒメの手は、両足のつけ根で止まる。それが何を意味しているのか、ナガヒメにもわかる。
「やめてよ。それこそ、ニニギ様がお怒りになるわ」
「この上から生やすわけじゃないのよ。でも、外側の衣を脱がした時、中に、きちんとあるようにしたいじゃない。ああ……どんなお形をされているのだろう。ナガヒメ、教えてよ」
「知らないわ」
「本当に? 見たこともないの?」
「ええ」
「……嘘じゃなさそうね。いいわ。もし知っていたら、この岩の中に沈めてやりたくなったかもしれないもの」
イワヒメは、自分が沈んでいた背後の岩を撫でた。
「そのうちに知るかもしれないけど……その時は、イワヒメのこともお伝えするから、やめてよね」
「わかったわよ……えっ? それまで、私のことはお伝えしてくれないの?」
ナガヒメは最後まで聞かず、理由もわからずに姉妹として認識している、この城の最高戦力の一人の部屋を退出した。
通路に出て、まるで存在を消していたかのように黙っていたノコルルが深呼吸をする。
「ああ……怖かった。ボク、イワヒメ苦手」
「怖い? ノコルルに危害を加えられるのは、正式にはニニギ様だけなのに。そりゃ、掴んだり振り回したりはできても、私にはノコルルに傷をつけることはできないのよ」
「わかっているよ。でも……本当にそうかな? この世界に来て、なんだか、それも変わっているような気がする。もちろん試してみたいなんて思わないよ。それに……ボクがイワヒメを苦手なのは、別の理由だよ。ニニギがなんだか可哀想になってきた」
「おかしなことを言うのね。ニニギ様がお可哀想って、どうして? あんなに愛されているし……私だって負けていないわよ。これから会いに行く、オトヒメだって同じだわ」
「あっ……これからオトヒメなんだね。この箱庭の人は、みんなニニギが好きなのは当たり前だと思うけど……ニニギが作って、ニニギが鍛えて、ニニギが全てを与えたんだから。でも……全員を平等に愛せるほど、ニニギは器用じゃないと思うよ」
「ノコルルのくせに、随分上からものを言うのね」
「ボクのくせにって……酷いなぁ。でも、言いたいことはわかるでしょ?」
ナガヒメは通路をいくつも曲がった。ただでさえ巨大な天空の箱庭が、より生活空間の快適性を求め、さらに複雑に改装されている。
「配下を気にかけるのと、女に惚れるのは別ということね。でも、私たちは配下として尊重されるより、女として愛されることを望んでいるわ。ニニギ様のお体も、確かに心配だわ。もっとも近しい第一パーティーのクイーンが、あの嫉妬深いサクヤだしね」
「サクヤ、嫉妬深いの?」
「知らなかったの? 嫉妬心だけで、人間の国をマグマで埋め尽くしかねないわ」
「……こわっ!」
「ええ。サクヤは怖いのよ。ああ……ここね」
ナガヒメは、複雑に入り組んだ通路をなんとか迷わずに移動し、しっとりと水分をまとった、光沢のある扉の前に立った。
「オトヒメとも姉妹なの? ボクの記録にはないけどなぁ……」
「ええ。正史にもないわね。でも、間違いないわ。正史においては、サクヤと姉妹なのは、イワナガヒメただ一人だもの。違っていることもあるわよ」
「……正史ってなに?」
「なにってそりゃ……なにかしら? なんだか、とても重要なものだった気がするけど、思い出せないわ。でも、オトヒメが私の妹なのは間違いないわ」
「妹なんだね。サクヤとどっちが妹なの? イワヒメは?」
「イワヒメと私はは、どらちかが妹ということはないわね。その下がオトヒメで、一番下がサクヤよ。サクヤは一番先に生まれて……一番ニニギ様に愛された。一番綺麗で、一番強い。ずるいわね」
ナガヒメは扉に手をかけ、ゆっくりと押した。鍵はない。ただ重い扉である。
純粋なレベルであれば、この扉の中にいるオトヒメは、サクヤたちに次ぐ。360レベルに達しているが、それ以上はない。レベルはカンストしているが、400レベルには達することができない。そのため、サクヤたちに比べて、圧倒的に能力で劣る。
ナガヒメもイワヒメも、状況は同じである。ただし、二人はレベルカンストまでは至っていない。400レベルに到達できるというのは、本当に特殊なことなのだ。
「天女のナガヒメと岩石姫のイワヒメ、不死の霊峰サクヤの姉妹って、どんな種族?」
「それは、調べればわかるでしょうに。珍しい種族ではないわよ。珍しくない上に強くない。だけど、レベル上限が高い。だから、しばらくニニギ様は、オトヒメを第一パーティーに設置していたわ。だから、私たちよりレベルが高いのよ。いずれ、アレグリアにとって変わられたけどね……オトヒメは、スライムよ」
扉が開く。宮殿のような豪華な部屋に、清楚な淑女が佇んでいた。
透き通るような綺麗な肌をした、綺麗に整った顔立ちの美女である。自分とどちらが、とはナガヒメは考えないようにしていた。
「オトヒメ、調子はどう?」
「私は、体調を崩したことはないわ」
「知っている。そんなデリケートな種族じゃないわね。たまには、部屋から出ない?」
「……あの方に呼ばれれば、二度と戻られなくなっても外に出るわ」
「残念だけど……今の所違うわ」
「でしょうね」
オトヒメは、何もしていなかった。
ニニギは、不足しているものの生産を命じた。最高レベルに達していない者は、不要なものでも生産を続けて、レベルアップを目指すよう指示した。
オトヒメは動植物の育成や栽培職を極めている。一定の場所を必要とする生産職であり、他にもいるため、オトヒメが行ってもやることはない。種族として限界レベルまで成長しているオトヒメは、生産にかかわる必要性もない。
生産職を複数持つこともできるが、複数の生産職を取得しているのは、天空の箱庭から出るがことないキャラクター、戦闘職を一切取得しない者たちに限られる。それは、ニニギの育成方針である。
サクヤが成長するまで、イワヒメやナガヒメとともに戦闘に挑んだオトヒメは、動植物の育成以外にはなにもできない。
「異常がなければいいわ。今でも第三パーティーのクイーンなのだから、いつでも戦えるように、ね」
「この空の上で私の出番があるとすれば、よほどのことでしょうね」
「水の中であなたほど自在に動ける者はいないのですから、海に侵略することも考えたほうがいいわよ」
「……あら……素敵な妄想ね」
現実には起こらないだろう。そう思っている態度だった。
「箱庭内には、水棲の魔物用の部屋もあるのだから、様子を見にいくのもいいのではない?」
「私に、あの程度の者たちの相手をしろと?」
「そんな態度、少なくとも同一パーティーの子らには見せないようにね」
「……わかっているわ」
オトヒメは、水系のスライムである。その粘力は低く、水に溶けるように広がる。集団戦では、その身体的特徴ゆえに水中で無類の強さを発揮する。加えて、種族固有技能を発動させることで、あらゆるものを溶かすこともできる。極めて最強に近い存在である。
だが、その立場が完全に奪われたのは、ファルーカの存在だった。直接はアレグリアにとってかわられたのだが、その前にファルーカによって出番は奪われていた。
「……もう行くわね」
「ねえ……ナガヒメは、ニニギ様に毎日会うのでしょう? 私のこと、何か言っていなかった?」
背を向けたナガヒメに、突然声が掛けられた。正直に言うと、ニニギが個別のキャラについて言及することはほとんどない。だが、気にかけていないとは思えない。
「……会いに行けなくて、済まないって」
「……忙しいのね。ニニギ様も、私に会いたがっているの?」
「もちろんよ」
「……私なら、あらゆる望みにお答えできるのにね……」
「お伝えしておくわ」
「ええ。よろしく」
ナガヒメはオトヒメの部屋を出た。
「ねぇ、あらゆる望みって、なに?」
ずっと一緒にいながら、一言も発しなかったノコルルが尋ねた。
「それは……つまり……サクヤにはできないこと、でしょ」
「ああ……生命魔法……って、オトヒメ使えたかな?」
「いいのよ。調べなくても。オトヒメの妄想の詳細なんて、知りたくはないわ」
「……そうだね」
ナガヒメは玉座の間に戻った。
玉座に座る。
ニニギが転移してから、どのぐらい経過しただろう。
時計を確認する。天空を移動している箱庭にとって、時刻は意味をもたない。 ナガヒメが時間を気にするのは、ニニギが再び訪れるまでにどのぐらいの時間があるのかを確認するだけである。
「ナガヒメは、大変だねぇ」
玉座に戻った天女を、妖精が労う。
「どうしてそういう感想を持ったのか、聞いてもいいかしら?」
ナガヒメは、ただ二人の姉妹を見回っただけだ。ただ、イワヒメについてはどちらが姉かわからない。一心同体のような気もする。
キューブ大戦は、ノンプレイヤーキャラクターは単なる戦闘の駒でしかない。容姿も人格も、血縁も設定はできない。なのに、サクヤとイワヒメ、オトヒメを姉妹だと認識している。その理由はわからない。
ナガヒメは、ただ玉座に体重を預ける。
「だって、あの二人と姉妹なんでしょ。大変だと思うけどね。サクヤも相当だと思っていたけど……」
「つまり、ノコルルの見方によると、四人のうちでまともなのが私だけということになるのね?」
「えっ? それは……ううん……どうだろう……」
「此の期に及んで、裏切るの?」
「ううん、違うよ。でも……サクヤはあんなだけど……ニニギのお気に入りだし……悪く言うのはちょっとなぁ」
緑色に輝く妖精は、悩ましげにぐるぐると回った。
「サクヤ……やっぱりニニギ様のお気に入りなのかしら。強さだけを買われて、お側においておられるのだと思っていたわ」
「……でも、それだと強くないとニニギの側にいられないよ」
「ノコルル、珍しくいいことを言ったわね。なにも、強くなくてもいいんだわ」
「珍しくは余計〜ナガヒメ、どこに行くの?」
「ニニギ様のお役に立たないと。こうしてはいられないわ。ニニギ様の下着を織るのよ」
「糸から? どれだけ時間をかけるんだよ」
ナガヒメの生産技能は機織である。細い糸を使い、どんな生地でも織り上げられる。下着から絨毯まで可能だ。
「一日に、3枚はないとね」
「ニニギ、そんなにだらしないの?」
「あらっ、管理人のくせに、そんなことも知らないの?」
「えーーーーっ……ナガヒメ、どうして知っているの?」
「だって、私がニニギ様の下着を織っているのだもの。常に新品をご使用いただきたいし、使用する枚数はつねに把握しているわ」
はったりである。ナガヒメは自分が作成した布は、全てニニギに渡しているが、身につけているとは聞いたことはない。ニニギが1日に三回下着を変えるというのも、デタラメだ。
「……いいなぁ。ぼく、生産職とれないし」
「仕方ないじゃない。ノコルル、レベルがないんだから」
超人種の導き役であり、天空の箱庭の管理人である妖精は、レベル設定が存在しない。戦いには連れていけないし、慣れたプレイヤーからは存在さえ忘れられるのが常だ。
「……そうだけど」
「いいわ。明日は、ノコルルが一日中なにをしているのか、見せてもらうわ。ニニギ様が喜びそうなこと、一緒に考えましょう。サクヤばっかり独り占め……あの七人ばっかりでも同じことよ。ずるいものね」
「あっ……賛成。よし、そうしよう」
ノコルルが元気に飛び回る。ナガヒメは機織に向かい、すっかり仕上がった下着を持って、玉座の間でニニギを待った。ニニギが必ず来ると信じて待つことがどれほど幸福に感じられたか、思い出すのは少し先のことである。




