7 水曜日・後
月の明かりが樹木に遮られている公園の中央付近で、スバルは外灯の下で腕を組んで立っていた。
まるで舞台の中心にいるようだ。そして、囮のようにも見える。
その隣に立って、袖裏にある武器に手をかけた。革命同盟に接触した今、何があるかわからない。
「主様」
近くから声が聞こえた。男性にしては少し高く、女性にしては低い声が風に流された。姿は見えない。木の蔭にいるのか、茂みの中にいるのか。
誰何はしない。スバルに従う調査専門のカオルだ。性別は知らされていなかった。だから、この声が地声かどうかもわからない。変装も得意で、男にでも女にでもなれる。何度か会ったが、その度に違う顔、違う体型をしていた。
「何かわかったか?」
「武器を集めている様子はありません。集会のみを行っています。まだ調査が足りず、申し訳あり」
「十分だ。謝る必要はない。よくやってくれた」
スバルは謝罪を遮り、労いの言葉をかけた。近くから安心した気配が伝わった。叱責されるとでも思っていたのだろうか。革命同盟に紛れ込んで、それだけの情報が得られたなら十分だろう。あの集会で、カオルがどこにいたのか見当もつかなかった。
武器はなく、集会のみ。つまり、集会が重要ということだ。
集会で一致団結する、なのか。集団心理で何かするつもりなのか。あの集会が脳裏に甦る。
あの時、何があったのか。何か見逃していないか。誰が、何を。
「さ、帰ろう」
スバルは腕を解き、真っ直ぐ歩き出した。
それに続こうとした時。
「主様を守れ」
「わかってる」
スバルを守れなんて、今更だ。言われなくてもやってやる。この国を守るために動いている者を、誰一人失いたくはない。側にいる者を守れなくて、誰を守れるというのか。
それは誓いだった。誰が決めたものでもない。自分が決めた、ただ一つの忠誠だ。
空が高く、景色が狭かった。
視点が低くなっていた。
「速く歩きな!」
強く手を掴まれ、引き摺られるように歩いていた。
ああ、これはあの日か。集会の状況を思い出そうとして、かなり前の記憶まで遡ってしまった。何度この夢を見ればいいのか。忘れられない、忘れてはいけない記憶。
掴まれた手に、爪が食い込む。甘い香りが鼻を擽って不快だった。
狭い路地裏に入ったところで手を離された。
「こいつか。これならこれくらいだろ」
「たったこれだけ!?」
「嫌なら取引は……」
「これで良いよ! じゃあねッ」
最後に名前を呼ばれた気がするけど、気のせいかもしれない。その名前はもう捨てた。
脱色した長い髪を揺らし、母親は振り返らずに去って行った。手には数枚の札が見えた。
売られた。そう気付いたのは、男に腕を掴まれた時だった。ああ、自分は捨てられたんじゃなく、売られたんだ。捨てられたなら、自分で助けを求められる。でも、売られたなら自由はない。あの時、母親から逃げた方が良かった。
引き摺られるように路地を進んだ。このままで良いのか。このまま、流されるだけの人生で良いのか。このまま、利用されるだけで良いのか。
良いはずないに決まってる。
通りに止まっている車に乗り込むその瞬間、隙をついて逃げた。男が後ろから追い掛けてくる。全力で走り、角を曲がった。
角を曲がった瞬間、何かにぶつかり受け止められた。
「あら、大丈夫?」
心配そうに顔を覗き込んだのは、優しそうな女性だった。母親より大分年上に見える。お婆さんというには若い。
「おい、お前!」
男の声に肩が震えた。もう駄目だ。ここで終わりなんだ。
下唇を噛んで耐えていると、肩にあった手が背中に回った。
「貴方はどちら様?」
「親戚だ」
「というのは本当?」
女性の問い掛けに、首を横に振った。
「じゃあ、どんな関係なのかしら?」
「売られた」
「おい!」
短い答えに、男が怒鳴った。女性はあらあら、とのんびりと背中を撫でた。
「人身売買は禁止されているんですけどね。どういうことでしょう」
「それは!」
「施設長権限を行使しましょうか?」
おっとりと言われたのに対し、男は舌打ちして逃げ去った。
後で知ったことだけど、養護施設の責任者は警察同様の権限があるとのことだった。警察に逮捕される危険を冒してまで俺を選ぶはずはない。男の判断は適格で速かった。
男を見送った後、女性は屈んで頭を撫でた。
「私は養護施設の施設長です。帰る場所がないのなら、私と一緒に帰りましょう」
差し出された手に、少し迷いながらも手を重ねた。ぎゅっと掴まれた。それは逃がさない、というものではなく、包み込むような優しさだった。
母親には施設に入れられるのではなく、売られた。その事実に心が冷えていくのを感じた。握られた手から伝わる体温との差に涙が出そうになったけど、結局涙は流れなかった。
施設での生活は、そんなに大変だとは思わなかった。集団で生活する以上、思い通りにはいかないことはわかっていた。年上には従う。年下の面倒を見る。皆で協力する。そういうものだと割り切っていたら、案外楽だった。母親といた頃の方が気を遣ったくらいだ。
そんな五歳からの生活は、ずっと続くものだと思っていた。
あの日、王宮から迎えが来るまでは。