8 木曜日・前
目を思い切り大きく開けた。視界にスバルの顔が入る。
いきなり目を開けたことに驚いたのか、スバルは一瞬目を見張った後、細めた。
「嫌そうな顔してたけど、悪い夢でも見た?」
「昔の夢を見た」
それだけを答えると、スバルはそれ以上聞いてこなかった。
昔の夢。それだけで、どんな夢を見たのかわかったのだろう。スバルには過去のことは全部話していた。隠すことなんてない。隠しているつもりはないけど、話していないことはあるだろう。それは聞かれたら答える。
「革命同盟のせい?」
「いや、記憶を遡りすぎただけだ」
今回のことは関係ない。革命同盟は理由にならない。こんなことで弱音を吐くなんて自分自身が許せなかった。
誰にも負けたくないし、譲りたくない。これだけは俺の唯一の我儘だ。
「記憶力が良いのも考えものだね。チップで調整しようか?」
「しなくて良い」
即答すると、スバルは呆れたように苦笑した。
チップで過去を思い出さないようにすることはできたとしても、それを利用しようとは思わない。もし、忘れてしまったら。万が一過去を全部忘れてしまったら。
一生幸せになんてなれない。あの過去があったからこそ、今の幸せがある。嫌なことだけを忘れたら、今の幸せが分からなくなってしまうだろう。
「今日は遊ぼう。気分転換も必要だよ。新しい店ができたみたいだし、見に行かない?」
「良いな」
「じゃあ決まり! せっかくの休みを楽しまないと」
早く用意しろとばかりに上着を投げつけられた。
スバルはいつもきちんとした格好をしている。いつでも外に出ることができる程度には整っている。今日の気温を考えた服装は、新聞を見て決めたんだろう。
上着を着て、袖に武器を隠した。癖になっていた。外に出るとき、ここにこれが無いと違和感がある。
鏡で全体を確認し、家を出た。
「はいはい、さっさと行くよ」
スバルは合鍵で錠を下ろし、俺の背中を押して進んだ。
雲一つない青空と背中の温もりが、夢の思い出を過去へと追いやった。
「施設には行かなくていいの?」
「どうかな……行ったところで邪魔になるかも」
「あら、そんなことないわよ?」
後ろからの声に、勢いよく振り返った。
そこには笑顔の施設長がいた。いつ見ても変わらない。ニヶ月振りだけど、懐かしくて自然と笑みが漏れた。
スバルは彼女の存在に気付いていたようで、口の端を上げて見ていた。
「いつでも歓迎するわ。あなたが来るのを楽しみにしている子もいるのよ」
俺が施設にいた頃に一緒に過ごした者の大半は、施設を出ている。それでもまだ残っている子や、たまに施設行った時に面倒を見る子は俺が来るのを楽しみにしているのか。
必要とされるのは嬉しかった。
「でも、今は……」
「今日くらい行ったら?」
「今日はお前と出かけるんだろ?」
「そうだけどさー」
施設に行く気はなかった。今は行くべきじゃない。こんな時にあの場所へ行くと、気が緩む予感がした。長く過ごした場所は、安心してしまう。今はそんな時じゃない。
スバルとのやり取りを見ていた施設長は、くすりと笑った。
「じゃあ、また今度ね。お仕事なら仕方ないもの」
「すみません」
「良いのよ。私、王子様に感謝しているの。あなたを選んでくれて、大切にしてくれて。だから、国のためのお仕事を優先するのは当たり前よ」
ちらりとスバルを見ると、困ったように苦笑していた。
施設長は相変わらずの笑顔だった。
「スバルくん、あなたが信じる道を進みなさい」
二人で頷いた。
俺たちが国を思う気持ちは同じで、きっと同じ道を進んでいる。だからこそ、今やるべきことがある。
施設長が深くお辞儀をしたのに対し、スバルは同じくらいの角度で礼をした。彼が頭を下げるのを初めて見た。頭を下げる機会がないから見ることがなかっただけだとわかっているけど、自然に出た動作が琴線に触れた。
だから、俺は一緒にいることを選んだんだ。
二人は同時に顔を上げ、穏やかに笑った。
「それじゃあ、またね。元気な姿が見られて良かったわ」
「では、また。今度は施設に遊びに行きます」
手を振る彼女に、軽くお辞儀をして見送った。
母親のような存在だった。でも、母親のようには思えなかった。施設長は、皆の母親だ。そう言われたのが引っ掛かっている。皆ではなく、自分だけの特別が欲しかった。
だから、今手に入れた特別だけがただ一つ信じるものだ。




