食べる土地もある
食べる土地がある。
ヴィオラの言葉を聞いた瞬間、隔離してある肉のことを考えた。
生のまま残した肉。
専用の区画で、少しだけ焼いた肉。
どちらも、食べないと決めたものだ。
「ほれ。やはり食えるではないか」
ナーヴァが、隔離場所の方へ顔を向ける。
「似た魔物を食べる土地がある、という話です」
アヤメが言った。
「同じ個体が食べられるという話ではありません」
「だが、似ておるのであろう?」
「似ているというのも、メルナの言葉です。どこが、どの程度似ているのかは、まだ聞いていません」
灰色の体。
牙と爪。
口元にあった針のような器官。
顎の後ろから取り出した、袋のようなもの。
俺たちは、それらを分けた。
肉も焼いた。
でも、毒がないとは分からなかった。
食べていいとも決められなかった。
だから、食べないまま終わらせた。
別の土地で食べられていると聞けば、もう一度確かめたくなる。
ここまで残したのだから、今度こそ答えが出るかもしれないと思う。
「今回の肉を、もう一度調べ直す話にはしない」
俺は、先に言った。
自分へ言い聞かせるためでもあった。
「でも、次に同じような魔物が来た時のために、メルナが何を知ってるのかは聞きたい」
「聞いた結果、食えそうだと思ってもか?」
千代が尋ねる。
「今回のは食べない」
「ならば、聞く意味はある」
今ある肉を食卓へ戻すためではない。
次に、同じようなものを前にした時。
今回と同じところから始めなくて済むようにするためだ。
◇
レイナとヴィオラが、もう一度だけ緩衝区画へ入ることになった。
今回、二人が引き受けると決めた範囲での応対だ。
次も二人がやるとは決めない。
四人の武器は、外門寄りの指定場所に置かれたまま。
ダグは低い台へ座っている。
生活区域へ通さない。
肉も、針も、袋状器官候補も持ち出さない。
見せるのは、解体前後に残した絵と記録だけだ。
「聞くのは、どこで見たか。誰が処理したか。メルナ自身は、どこまで知ってるか」
ヴィオラが紙へ書いていく。
「それから、似てると思った場所?」
「はい」
レイナが頷く。
「処理方法についても伺います。ただし、メルナが専門家であるとは決めません」
「分からないことは、分からないまま持って帰る」
「その方がよろしいですわ」
内門を開ける。
二人が緩衝区画へ入る。
決めた位置へ着いたのを確認して、内門を閉じた。
俺は今回も、内側へ残った。
アヤメと千代は、別々の観察位置から外の動きを見る。
リゼは内門の近く。
ナーヴァは、話を聞ける場所へ残した。
「なぜ我は行ってはならぬ」
「食べられるって聞いたら、肉を持っていきそうだから」
「持っていかぬ」
「本当に?」
「……まず、メルナへ見せるだけじゃ」
「持ち出さないって決めたからね」
ナーヴァは腕を組んだ。
不満そうではあったが、隔離場所へ向かうことはなかった。
◇
二人が戻るまで、それほど長くはかからなかった。
内門を開ける。
レイナとヴィオラが境界を越えた後、もう一度閉じる。
「ただいま」
「ただいま戻りましたわ」
「お帰りなさいませ」
ファステが迎える。
ヴィオラは、戻ってすぐ紙を広げた。
「メルナは、実際に食べたことがあるって」
「その魔物を?」
「似てる魔物を」
言い直してから、ヴィオラは紙を見る。
「ガルディアより南の方を通った時に、現地の人が獲ったものを処理して、料理するところも見たって」
「メルナが処理したわけではありません」
レイナが付け加える。
「本人も、はっきりそう言いましたわ」
「食べたことはある。でも、私が処理できるとは言ってないよ、って」
ヴィオラが、メルナの言い方をそのまま繰り返した。
「見て覚えていることはあるけど、全部を知っているわけでもないそうです」
食べたことがある。
処理するところも見た。
でも、自分で同じことができるわけではない。
少なくとも、メルナ自身がそこを分けている。
「どこが似てたの?」
ヴィオラが、絵を俺たちの方へ向けた。
解体前の魔物を描いたもの。
横から見た口元。
牙と爪。
取り出す前の針状器官と、顎の後ろにあった膨らみ。
「灰色っぽい体と、顎の後ろの膨らみ。口元の針。牙と爪の形。それから、背中側の形と皮の厚さ」
かなり多い。
「なら、同じではないのか?」
ナーヴァが言う。
「メルナは、同じだとは言いませんでしたわ」
「かなり似てる。でも、同じだとは言えない、だって」
ヴィオラが、別の紙を持ち上げる。
「模様が分からない。針の本数と並びも、絵だけじゃ正確には分からない。袋みたいなところの位置も、向こうで見たものと比べられるほど覚えてないって」
「生きている時の臭いと鳴き声も、残っておりません」
レイナが言う。
「どこで暮らしていた個体かも、同じではありません」
見た目が似ている。
食べる個体にも、針と袋のような部位がある。
それだけで同じだとは決められない。
「向こうでも、似た見た目で食べない方がいるらしいよ」
「方?」
「食べる方と、食べない方」
見た目が似ているからこそ、取り違えることがあるのかもしれない。
それが別の種なのか。
同じ種でも、状態が違うのか。
メルナも、そこまでは知らなかった。
◇
「処理は?」
ナーヴァが身を乗り出す。
「どうすれば食える」
「ナーヴァ」
「聞くだけじゃ」
今回は、本当に聞くだけだ。
ヴィオラが記録を読み上げる。
「メルナが覚えてたのは、新しいものだけを使うこと」
「新しい?」
「倒してから長く置いたものは使わないって」
今ある肉は、もう当てはまらない。
「あとは、口元の針と、その奥の袋みたいなところを破らないように外してた」
そこは、俺たちがしたことと似ている。
千代とファステが作業着を着て、針の先をほかへ触れさせず、袋状器官候補を潰さないように分けた。
「その周りの肉も、ほかとは分けていたそうですわ」
レイナが続ける。
「刃物と布も、ほかの肉へそのまま使ってはいなかった、と」
「我らも分けたではないか」
「うん」
間違っていたとは限らない。
でも、それで正しかったと証明されたわけでもない。
「袋が破れていたり、肉の色や臭いがおかしかったりしたら、使わなかったみたい」
「最後は、よく火を通していたそうです」
「どれくらい?」
俺が聞く。
ヴィオラは首を横へ振った。
「そこは分からないって」
「向こうの人は、見れば分かるって言っていたそうですわ」
レイナが答える。
「ですが、メルナは、その見分け方までは教わっていません」
「ほかにも決まりはあったと思う。でも、私が覚えてるのはそのくらい、だって」
新鮮なものを使う。
針と袋を破らず外す。
周りの肉と道具を分ける。
おかしい個体は使わない。
最後は、よく火を通す。
手掛かりにはなる。
同じことをすれば食べられるという手順にはならない。
「針と袋を外せば、安全になるのですか?」
レイナも、同じことをメルナへ聞いたらしい。
「そこまでは言えないよ。向こうでは、それを外してから食べてたってだけ」
返ってきたのは、それだけだった。
◇
「あの土地では、獲物として扱われていたそうです」
レイナが言う。
「処理を知っている狩人や、解体できる者がいるためです」
「ほかでは?」
「食べないところもあるって」
ヴィオラが答えた。
「サフィラも、針と体液が危ない魔物なら、知らない場所では触らないって」
ロアンは、もっと短く言ったらしい。
「あの土地じゃ、獲物だ。でも、処理を知らない土地じゃ、毒持ちの魔物でしかない」
同じような魔物が、一つの土地では食料になる。
別の土地では、毒を持つ危険な魔物になる。
魔物の体だけで、食べ物かどうかが決まるわけではなかった。
見分け方を知っている者がいる。
危険な場所を壊さず分けられる。
異常な個体を捨てられる。
そのやり方が、土地の中で残っている。
だから、食べる土地がある。
でも、その土地でも、何でも食べているわけではない。
「ならば、我らも同じように処理したのであろう?」
ナーヴァが、隔離場所の方を見る。
「同じ魔物だと確認できていません」
アヤメが言った。
「倒してから解体までに時間も経っています。回収前に何へ触れたかも分かりません」
「袋は破らなかったぞ」
「破らなかったように見えました。目に見えない傷までなかったとは確認できていません」
「火も通した」
「現地で行われていた加熱と同じ条件ではありません」
さらに、保存を続けた時間がある。
採取した時にはなかった変化が、今は起きているかもしれない。
メルナが食べたものと同じ魔物かも分からない。
同じだったとしても、同じ状態ではない。
「食べる土地の話を聞けたことと、この肉を食べてよくなったことは――」
「別です、であろう」
ナーヴァが先に言った。
アヤメが、短く頷く。
「はい」
「我にも分かっておる」
「なら、隔離場所へ向かわないでね」
「向かわぬ」
少し間を置いてから、ナーヴァは付け足した。
「今回は」
「今回だけじゃなくて」
食べられる種類に近いのかもしれない。
そう考える材料は、前より一つ増えた。
食べられる種類に近い可能性は増えた。それでも、今ある肉の安全は変わらない。
「今回の肉は食べない」
もう一度、俺は言った。
「これは、次に新しい個体を手に入れた時のために残す話にする」
誰も反対しなかった。
ナーヴァも、肉を取りに行かなかった。
◇
「では次は、潰さずに持ち帰る」
ナーヴァが言う。
「持ち帰っただけで食べないでね」
「見分けてからじゃ」
捕る。
焼く。
食べる。
その間に、少しずつ手順が増えている。
ファステが、新しい紙を用意した。
「次回、同じような魔物を確認した場合の記録でしょうか」
「うん。でも、何でも調べようとすると、また何が必要か分からなくなる」
「では、今回足りなかったものからにしましょう」
解体する前の全身。
口元と、針の本数や並び。
顎の後ろにある膨らみとの位置関係。
倒してから回収し、分けて、保存を始めるまでの時間。
袋が破れていないか。
液が漏れていないか。
肉の色と臭いに変化がないか。
最後に、どこで見つけ、どう動いていたか。
全部を調べ尽くすためではない。
次に、知っている者へ見せた時。
今回より比べられるものを残すためだ。
「牙や爪も、これまでどおり分けますか?」
ファステが尋ねる。
「食べられなくても、使えるかもしれないから」
「食べる物と、売る物は別じゃな」
ナーヴァが満足そうに言う。
「今のは合ってる」
「我は、もう使いこなしておる」
「使いたいだけじゃない?」
「それも別じゃ」
たぶん、今のは違う。
◇
紙の端に、ミネットと縁の名前も書いた。
二人が、今すぐこの魔物を判定できるわけではない。
ミネットが学校で知ったのも、同じ名前で呼ばれていても、術者によって違う魔法だった。
毒や薬草との反応を見る者。
魔力の変化を見る者。
人間の身体へどう作用するかを、限られた範囲で調べる者。
ミネットと縁は、自分たちにできる形をこれから探す。
今回、メルナから聞けたのは、ある土地で受け継がれている経験だ。
どちらか一方があれば、何でも食べられるわけではない。
魔法で危険が見つからなくても、古くなった肉が新しくなるわけではない。
現地の処理法を知っていても、別の魔物へそのまま使えるとは限らない。
それでも、いつか二つを比べられれば。
今回より、確かめられることは増えるかもしれない。
「ミネットへ知らせますか?」
レイナが尋ねる。
「今はいい」
ミネットには学校の生活がある。
今すぐ帰ってこなければならない話ではない。
「記録は残す。次に帰ってきて、本人が読みたいなら見られるようにしておく」
「縁にも?」
「ミネットが、縁とどう使うか決めると思う」
俺たちが必要だからといって、二人の研究の進め方までこちらで決める理由にはならなかった。
◇
「それで、サフィラたちの荷物なんだけど」
ヴィオラが、別の紙を出した。
保存食。
薬。
布。
蓋を閉められる小さな容器。
火を起こすための物と、いくつかの道具。
「全部を出せるわけじゃないよ。帰る分もいるから」
「何を出せるか、聞いたの?」
「まだ。何を持ってるか、見える範囲で確認しただけ」
こちらには、売り物になるかもしれない牙と爪がある。
皮も、量は少ないが用途候補がある。
針は、普通の素材とは分けたままにする必要がある。
探索者たちの持つ物の中で、今の俺たちに特に必要なのは、密閉できる容器と清潔な布だった。
薬も欲しい。
保存食も、次に外へ出る者のために使えるかもしれない。
「聞いた話のお礼に、何か渡す?」
俺が言うと、レイナが少し考えた。
「情報を教えていただいたことへのお礼と、物を交換する話は分けた方がよいと思いますわ」
「混ぜると?」
「どこまでが礼で、どこからが取引か分からなくなります」
情報を教えたから、牙を渡す。
牙を渡したから、次も情報を教える。
そう決めたわけではない。
物を交換するなら、何を出すのか。
代わりに何を受け取るのか。
今回だけなのか。
次も同じ条件になるのか。
一つずつ、先に決める必要があった。
食べる土地もある。
だからといって、目の前の肉を食べてよいことにはならなかった。
今回、食卓へ戻ったものは何もない。
代わりに残ったのは。
次に同じような獲物を前にした時、何を見るべきかという記録だった。
その記録の隣には、牙と爪の札がある。
そして、閉じた内門の向こうには。
それらと交換できるかもしれない物を持った四人が、まだ待っていた。




