20話 シハカミでお買い物(後半)
2025/8/26 加筆修正
昨夜教わった道順を確かめながら、娘を背にゆっくりと歩き始める。
以前であれば、荷物を背負って歩くことなどできなかったが、練習したおかげで娘くらいなら大丈夫だ。歩くたびに擦れる木の関節を「ギッシ、ギィ、ギッシ、ギィ」と鳴らしながら進む。
「かなり揺れてるけど、大丈夫?」
「だいょうぶ!」
肩越しにキョロキョロと見まわしているのが、なんとなく伝わってきて微笑ましい。店先に見える商品を指さしながら、元気に教えてくれる。
「ふぁん!」
「パンだねぇ」
「にうぅ!」
「肉だねぇ」
「ゆーとん!」
「ゆーと…え?」
聞き慣れない単語が出てきた。娘が指さす方向を確認すると、牛と豚を掛け合わせたような不思議な動物が歩いている。
(あれは…乳豚か!)
乳を搾っても良し、肉として食べても良しで、畜産農家に重宝されているという話は聞いていたが、実物を見たのは初めてだった。
「あれは乳豚だ。良く知ってたね?」
「まえはたぅさんいぁ」
(前って事は…捨てられる前に住んでた村かな?)
辛い記憶を思い出してしまったかと娘の様子を伺うと、ぐぅ~っとお腹が鳴った。さっきお腹がパンパンになるまで食べたばかりだというのに、乳豚を見て食欲が刺激されたようだ。
「屋台で乳豚のお肉が売ってたら買ってあげるよ」
「うぁーーーぅ!」
食欲が刺激され、興奮して遠吠えし始めた娘を宥めながら、栗林さんのお店に到着した。雑多な物で溢れてはいるが、綺麗に整理整頓されている革細工店だった。
◆ ⁂ ◆
騒がしく入店してきたワンダたちを、栗林さんと、恰幅の良い奥さんらしき女性が出迎えてくれた。
「いらっしゃい。なんだ、えらく興奮してるじゃねぇか。そんなに楽しみだったのか?」
「いえ、乳豚が好きみたいで、後で食べようと言ったらこの有様で。お恥ずかしい」
「はっはぁ!まだ小こいのに、舌が肥えた嬢ちゃんだ!後でおススメの店を紹介してやるよ。屋台で美味いとこがあるんだ」
「助かります。僕じゃ味見できませんからね」
「そりゃそうだ。さて、早速だが始めさせてもらうぜ」
意外、というと失礼かもしれないが、採寸や型紙の作成は栗林さんがやってくれるようだ。奥様は、娘の相手をしてくれている。
「可愛いねぇ。お名前はなんていうの?」
「?」
「?」
「あぁ、すみません。実は…」
ギルドの依頼で調査したボロ屋敷の中で見つけた子供で、これからギルドへ連れて帰る途中なのだと説明する。
「それにしたって、仮にも貴方、保護者でしょ?名前も無いなんて、可哀そうじゃない」
(んー、そうなのかな?今のところ困ってないけど)
「まぁ、そうなんですが。なかなか思いつかなくて…。ギルドに戻って、相談してから決めようと思っています。そうだ、ついでと言っては申し訳ないんですが、この子に必要な物を見繕ってもらえませんか?毛をとかす櫛も欲しいのですが」
「かぁいいやつ!」
「そう、可愛い奴でお願いします」
「んー、そうだねぇ。うちだけじゃ全部は揃わないから…ちょっとあんた、出てくるよ!店番よろしくね!」
注文を聞くな否や動き出す様は、まさに肝っ玉母ちゃんといった様子で、じつに頼りになる。
「おぅ、きぃつけてな」
「すみません、よろしくお願いします」
栗林の奥さんは、娘をワンダの肩からするりと受け取ると、そのまま肩車して買い物に出かけて行った。
(帰ってきたら、育児についても相談させてもらおう)
「良い奥さんですね」
「へっ!」
照れ隠しをするようにニヤッと笑ったが、すぐに仕事モードの真剣な眼差しに変わった。
「手にピッタリ作るなら、乳豚が良いだろう。薄くて柔軟性もあるから動かしやすいぞ。摩耗に強いしな」
栗林さんは既製品の販売だけでなく、受注生産にも対応している。採寸などは職人の領分だと思っていたが、発注を円滑に進めるため、職人に直接教わりながら習得したそうだ。修理も請け負っており、質の高い一点物から量産品まで扱うこの店は、この辺りでは評判の革細工店というから、意外と大物だったのかもしれない。
しばらく作業しているうちに、せっかく褒めた奥さんの愚痴をこぼし始めた。
「乳豚の革は、使い勝手が良い。だが、それ以外の革の入手には、猟師との繋がりが必要だ。で、奴さんは山深くに住んでいる事が多い。だから、素早く広く情報を仕入れる為にも、あそこで飲むのは仕事みたいなもんなんだよ。だってのに、あいつは『毎日毎日遅くまでっ!』ってよ。勘弁して欲しいぜ」
確かに仕事に繋がる事もあるのだろう。だが、昨日の様子を見るに、面白そうな人へ片っ端から声をかけている気がする。あんまり擁護する気にもなれないが――。
「それでも、上手くやってるように見えますよ」
「はっ!」
なんだかんだ、お互いに支えあっているのだろう。夫婦仲が悪いようには見えなかった。
奥さんが返ってくる頃には、発注の段取りが終わり、奥さんと入れ替わりで職人の所へ出かけて行った。娘は買い物が楽しかったようで、首の下に可愛い鈴付きリボンをぶら下げて、チリンチリンと鳴らしながらニコニコしている。
栗林さんが戻るまで、奥さんが買ってきてくれた商品の説明を受けた。お願いしていた櫛は、艶があって、子ども用にしては高そうな逸品だったが、お任せした以上は何も言うまい。何より、試しに使った時に娘が気持ちよさそうだったので、これが正解なのだろう。
◆ ⁂ ◆
ここでの用事が済んだので、栗林夫妻に別れを告げて市場調査へと繰り出す。買ってきた荷物は預かってくれるというので、有難く帰りに寄らせてもらうことにした。
栗林さんが、奥さんに聞こえないようにこそこそと『夜はまたあそこでな』と言ってきたのには少し笑ってしまった。
朝食を食べてから時間が経ったので、お腹が引っ込んだ娘を歩かせようとしたら、奥さんから『馬車に轢かれたら大変だから、おんぶしてあげて』と言われた。このシハカミという町は、この辺りの交易の拠点として急成長してきているそうだ。馬車の交通量も増えてきているので、それにつれて事故も増えてきているという訳だ。
(迷子防止にもなるし、今日は娘の肩車役としてがんばるか)
こうして、昼間は娘のラジコンと財布の役目を全うしたのだった。
ちなみに、栗林さんが紹介してくれた屋台の『乳豚串焼き』は大変好評だった。美味しそうに頬張る姿は微笑ましかったが、頭の上で食べるのは勘弁してほしい。おかげで髪の毛に、肉汁が染み込んでしまった…。匂いに釣られたのか、帰宿時にウノが髪の毛をペロペロ舐め始めたのには参った。おまけに娘まで真似して舐め始めるものだから、慌てて止める羽目になった。
ウノにオヤツの小魚をおすそ分けしようかと思っていたが、こんなに食い意地が張ってるから太ってしまったのだろう。健康の為にも、オヤツは無しだ。
「ナァーォ」
小首を傾げてあざと可愛く見上げてくる。
(そんな可愛いくおねだりしても、あげないぞ?)
◆ ⁂ ◆
食堂に顔を出すと『待ってました!』とばかりに、娘用の料理が運ばれてきた。
「栗から、乳豚が好きだって聞いたから仕入れてきたぜ」
さすが商人、情報の使いどころが上手い。娘は、屋台で食べたのとは比べ物にならないボリュームの肉に、釘付けになっている。涎が垂れそうになっているので、火傷に気を付けるように言い聞かせてから食べさせる。
食べやすいサイズに切ってくれていたようで、口の周りをベトベトにしながら『あっちゅ!うまうま!』と食べている。その様子を厨房からチラ見しながら、筋肉の妖精さんは満足そうにニンマリしていた。
お腹いっぱいで幸せそうな寝顔を浮かべる娘を、そっと部屋まで運ぶ。起こさないように気を付けながら、静かにベッドに寝かせる。食堂へ戻ると栗林さんが到着していたので、注文した料理が到着してから、昨日の続きを始めるのだった。
今夜も遅くなりそうだなと思ったが、自分にとっても楽しい時間になってきたので望むところだ。
今日も汗水たらして働いて来た労働者が、疲れを癒し、腹を満たし、大騒ぎをする横で――今宵も旅の栞が開かれる。
夢のような世界で、夢の様な体験をし、夢の様な場所で、夢を語る。異世界とはいえ、生活するには苦労も絶えない。そんな日々を乗り切るには、日々を彩る小さな幸せが必要なのかもしれない。
読んでいただき、ありがとうございました!
貴方に、満月の祝福がありますように…




