一七一日目 文明の利器、フル活用すると……
この時代、私たちの周りには目に追えないほどの情報で溢れています。
特にスマートフォンは、凄まじい情報量です。パソコンより起動が早く、使用用途もたくさんあり、さらに従来の携帯電話、いわゆるガラケーの機能もありますね。
まちかぜは今から2年前まではずっとガラケー生活でした。
今はスマホに変えましたが、なぜか「ガラケーの方が使い心地がいいし、使っていて満たされて」いたんです。
なぜ、技術的に上をいくスマートフォンより、ガラケーの方が良いと思ったのでしょうか。
それは、"多機能すぎない"からです。
例えば、みなさんが今から本屋にいき、一冊の本を買うとしましょう。予算的には一冊の本しか買えません。なお、別に買わなくてもいいとします。
ここで、気になる小説の選択肢が6冊の場合と、その4倍、24冊の場合を考えます。
みなさん、どちらが決めやすいですか? そして買いやすいですか?
画面の前のみなさんは、最終的に6冊の方を選ぶと思います。
24冊も比較するのは大変でしょう。これが2冊になればもっと楽でしょうし、100冊ならば、もっと大変でしょう。
これは【ジャムの法則】という、シーナ・アイエンガーさんが証明した法則です。
端的にいうと、選択肢が多いほど、購入する確率が下がるということです。
ガラケー(携帯電話)とスマートフォンにこれを当てはめると、「スマートフォンは多機能すぎて選択肢が多い」ということがいえます。
なんでもできると、逆にやることが決まらないということでしょうか。
突然、選択肢が無数にある、自由な時間が訪れると、何をしたらいいのかわからなくなります。
それと同じで、スマートフォンを開いたあと、なんとなく時間を潰そうと思っても、選択肢が多すぎます。
どのアプリを選ぶかだって、多すぎます。まちかぜの場合は56アプリです。
そのうえ、一つのアプリをとってもそれで何をするかでまた分岐します。仮に3パターンあるとすると、全部で168パターンもあるとわかります。
そんな膨大な選択肢をいちいち検討なんてしていられません。
すると、おのずと"やらない選択肢"が増えていき、次第に使わないアプリが増えていくというわけです。
ガラケーはもともと機能がスマホに比べて多くないので、少ない選択肢から行動を取れるので、"やらない選択肢"の割合は低くなります。
すると、「使いこなせた!!」という達成感が生まれるのではないでしょうか。
「スマホをなぜ勉強に使わないか」という意見を耳にしますが、そんなことをしたら170パターンにまで選択肢が増えてしまいます。
そこからTwitterやなろうやインスタに逃げず、勉強という選択肢を取るとは到底思えません。
スマホには、無限の可能性があります。
これまで使ってこなかった機能を一度確認してみて、生活の中に取り込んでいくのもいいかもしれません。
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小説でも、次の展開の選択肢が少なすぎたり、多すぎたりすると困ります。
この話は、「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉に帰結する気がします。
小説を書く際も、適切な寮の選択肢で脳に負担をかけすぎることなく、納得のいく決断がしたいものです。




