第八章(3/4)
「クイナって、鳥のクイナのことデスか?」
「はい」
そう頷いて、都子ちゃんは詳しい説明を始めたのだった。
「私たちのクラスでは、数人のグループで交換日記をやるっていう宿題が出ているんです。それで、その日記に、美華ちゃんが〝公園の池でクイナを見た〟って書いて。だから、日記を読んだ子たちがクイナを見に行ったんですけど、どこにもいなかったみたいなんです」
話の流れで、僕は自然と池に目を向ける。しかし、水の中にコイかフナかがいるのが見つかるばかりだった。あとは筒井先輩の句にもあったように、昼間なのに夜行性のカエルが鳴いているくらいである。
「そのせいで、美華ちゃんが嘘つきだって言われてるの?」
「いえ、狛犬の時のことがあったので、本人に言った人はいません」
「影で言ってる子はいるってことだね」
「はい……」
本当に嫌われているのなら、今回も問答無用で嘘つき扱いされていたはずである。狛犬の時と違って陰口止まりなところを見ると、美華ちゃんとクラスメイトの仲は一応進展しているようだ。
でも、そのことを「進展していてよかった」と楽観的に考えてしまうのは、自分が実際の陰口を聞いていない第三者だからだろう。沈んだ表情をする都子ちゃんを見て、僕は考えを改める。
「てことは、クイナが見つからないのを、美華ちゃんはまだ知らないの?」
「そのはずです」
そういうことなら、僕たちより先に話をする相手がいるだろう。
「クイナを本当に見たのかどうか、本人に確認するのが手っ取り早いと思うんだけど……」
「それはメイファを嘘つき扱いするようなものじゃないデスか?」
「それはそうですけど……」
狛犬が鳴いたという話を嘘ではないかと疑っている僕としては、今回も疑念を抱かざるを得ない。しかし、非難するようなエミー先輩の目つきには勝てなかった。狛犬の時もそうだけど、外国人同士のせいか、先輩はやけに美華ちゃんに肩入れしているような……
「まぁ、鳥を見たなんて、嘘として微妙過ぎますよね」
気を引く相手は、バードウォッチャーではなく女子小学生なのだ。野良猫あたりの方がよっぽど食いつきがよさそうである。
が、これを聞いて都子ちゃんは顔を曇らせていた。
「それが、そうでもないんです。最近、音楽の授業で、『夏は来ぬ』をやっているので……」
「あー、そういうことデスか……」
つられるように、エミー先輩まで語勢を失ってしまう。
しかし、どういうことなのか、僕にはさっぱり分からない。
「『夏は来ぬ』っていうのは?」
「卯の花とか田植えとかホタルとか、初夏の風物詩について歌った曲です。その中に、クイナも出てくるんです」
「だから、『夏が来た』というわけデスね」
僕は「へー……」とだけ答える。都子ちゃんとは年代が違うせいか、学校が違うせいか、まったく覚えがなかった。エミー先輩なんて小学校はアメリカのはずなのによく知っているものである。
「トコ、よく分かってないようだから、歌ってあげてくだサイ」
「エミー先輩、何無茶振りしてるんですか」
「う、卯の花の匂う垣根に時鳥早も来鳴きて忍音もらす夏は来ぬ」
「都子ちゃんも、真面目に言うこと聞かなくていいからね」
素直ないい子ぶりに、僕は申し訳なくなってしまう。先輩がアレな人でごめんね。
二番からは、先輩も歌に加わって合唱になった。そして、四番でようやく、「楝ちる川べの宿の門遠く水鶏声して夕月すずしき夏は来ぬ」とクイナが出てきたのだった。
ただ、二人の歌を聞いても、僕にはいまひとつピンとこなかった。
「そもそも、クイナってどんな鳥だっけ?」
いつもの習慣で、分からないことはとりあえずネットで調べようと、スマホを取り出す。
しかし、検索をするより先に、都子ちゃんが説明を始めていた。
「あ、美華ちゃんが言ってるのは、多分クイナじゃなくてヒクイナのことだと思います。先生がクイナは冬に外国から日本に渡ってくる冬鳥で、ヒクイナは夏に外国から日本に渡ってくる夏鳥だって言ってたので。だから、『夏は来ぬ』に出てくる水鶏も、ヒクイナのことなんだそうです」
都子ちゃんが学校の図書室から借りてきたという図鑑にも、確かに二羽の渡り鳥としての性質の違いについて書かれていた。
また図鑑には写真も掲載されていた。ただのクイナは背中側が茶色い一方で、顔から胸にかけて灰色や青色っぽい色をしている。これに対して、ヒクイナは緋水鶏と書くだけあって、顔から胸にかけて赤みがかった色をしていた。
「昔はヒクイナのことを単にクイナと言っていたんデスよ。夏の季語にも『水鶏』がありますが、これもヒクイナのことデスしね」
「先輩、さすがに詳しいですね」
「もちろんデスよ。ちなみに、戸を叩くような声で鳴くので、『水鶏たたく』という季語もありマス」
エミー先輩が解説したようなことは、やはり図鑑にも書いてあった。だけど、〝「コンコンコンコン」と鳴く〟って言われると、キツネみたいだなぁ。
「でも、初夏の風物詩ってことは、美華ちゃんがヒクイナを見つけててもおかしくはないんだね」
「そうですね」
僕が確認の為に尋ねると、都子ちゃんはそう頷いた。
ゴールデンウィークが明け、五月の上旬も終わりかけて、暦の上では既に初夏だった。図鑑にも、「五月、あるいは早ければ四月には日本に渡ってくる」と書いてある。もうヒクイナが見られる季節になったと考えていいだろう。
しかし、それなら一度現れたはずのヒクイナは、一体どこに消えてしまったのだろうか。
「うーん、普通のクイナが冬鳥だといっても、今の時期に日本にいないとは限りマセンよね? トコたちがヒクイナのことだと勘違いしてるだけで、メイファが見たのは実はクイナの方だったってことはないデスか?」
「その可能性もありますけど、どっちにしろクイナもヒクイナも見つかっていないので……」
都子ちゃんの言う通り、池にはただのクイナもいないようだった。それどころか、クイナやヒクイナと勘違いしそうな他の鳥さえ見当たらない。推理を否定されたエミー先輩は、再び「うーん……」と考え込み始めてしまう。
一方、僕はそもそもヒクイナのこともクイナのこともよく知らないから、推理の組み立てようがなかった。だから、ひとまず図鑑やネットを使って、情報収集することから始める。
分類、体長、生息地、食性…… 基本的な特徴や生態については、簡単にデータを見つけることができた。
しかし、どれだけ調べてみても、二羽とも特別目を引くような情報は出てこなかった。せいぜい「地球温暖化の影響で、ヒクイナは日本に留まったまま冬を越す場合もある」という記述が見つかったことで、美華ちゃんが本当にヒクイナを目撃した可能性が上がったくらいのものである。
これ以上ヒクイナやクイナについて調べても意味がなさそうなので、僕は別のアプローチを試みることにする。
「交換日記って、今は都子ちゃんが持ってるの?」
「はい、ちょうど今日回ってきたところです」
「さすがに僕が勝手に読むのはまずいと思うから、美華ちゃんが何て書いたのか簡単に説明してもらえるかな?」
「分かりました」
改めて日記に目を通すと、都子ちゃんはその要約を語った。
「うちのお父さんも、桃園さんのお父さんと一緒で仕事が大変みたいです。でも、今日は珍しく早く帰ってきたので、家族全員で晩御飯を食べられました。
晩御飯のメニューは鶏のから揚げでした。美味しかったけど、お父さんは中国にいた頃よく食べていたクイナを思い出したみたいで、〝久しぶりにクイナを食べたい〟と言い出しました。
だから、私が〝公園の池にたくさんいるのを見たから捕まえたら?〟と冗談を言ったら、お父さんはその気になってしまいました。私は普通に鶏肉の方が好きなのでやめてほしいです。
でも、食べるのが嫌なだけで、見るだけならクイナも嫌いじゃないです。鳴き声も面白いと思います。だから、明日また公園に行こうかなと思いました。
……大体こんな感じです」
日記の詳しい内容を聞いて、驚いたことが二つあった。一つは中国ではヒクイナ(クイナ?)を食べる文化があること。もう一つは――
「たくさんいたんだ……」
「そうなんです。一羽くらいなら、私たちが見つけられないだけの可能性もありますけど……」
たくさんいたヒクイナがいっせいに姿を消したとなると、美華ちゃんの話の信憑性が一気に怪しくなってくる。あんまり疑うような真似はしたくないけれど、僕たちも都子ちゃんもつい渋い表情を浮かべてしまっていた。
その上、都子ちゃんはますます渋い表情になって続ける。
「このままだと、美華ちゃんを嘘つき呼ばわりする子が出てくるかもしれないので、その前に見つけておきたいんですが……」
それで、姉である筒井先輩を通じて、僕たちに連絡を取ったようだ。
時間がないというのなら、もう手段は選んでいられないだろう。
「部活中だけど、しょうがないか」
僕はスマホを手に取ると、彼女に事のあらましを説明したのだった。
「――というわけなんだけど」
「私は安楽椅子探偵じゃないんだが……」
才川さんは困ったような呆れたような口調でそう答えた。
安楽椅子探偵……確か、事件現場に足を運ばずに、人づてに聞いた話を元に推理をする探偵のことだっけ。その安楽椅子探偵じゃないということは――
「分からなかったの?」
「いや、分かったけど」
「本当に!?」
「うん。多分だけどね」
一体、ヒクイナが消えた真相とは何なのか。それが明らかになると思っていたから、続く才川さんの言葉は意外なものだった。
「でも、ただでは教えてあげない」
見返りを求められるとは予想していなかったから、僕は当惑してしまう。こういう時に、意地悪みたいなことを言い出すような性格じゃないと思ってたんだけど……
「何? 焼肉でもおごってほしいの?」
「君が何で俳句を詠まないのか教えてほしい」
「うっ」
足下を見るような才川さんの要求に、僕は答えに詰まってしまった。
視線を向けると、エミー先輩は「?」ときょとんとした顔をする。才川さんに事情を話すのはまだいいとしても、先輩に聞かれるのだけは避けたい。
しかし、美華ちゃんの件を、このまま放置しておくわけにもいかないだろう。
仕方がないから、僕はその二つの間を取ることにした。
「僕、〝その内分かる〟って言ったよね? あれ待っててって意味だけじゃなくて、ヒントにもなってるから」
「……なるほど」
そう相槌を打つと、才川さんは言った。
「じゃあ、私もヒントをあげよう。クイナがどんな感じか確認してみるといいよ」
通話が終わると、すぐに都子ちゃんが尋ねてくる。
「どうでした? 分かりましたか?」
「クイナがどんな感じか確認しろって」
「どんな感じ?」
訝しがりながら、都子ちゃんは図鑑に目を落とす。
一方、エミー先輩は拾った木の棒で、地面に『水鶏』と書いた。
「こんな漢字デス!」
「先輩、そういうことじゃあ――」
ないですよ、と言いかけた瞬間、僕はようやく気づく。
「あ、そういうことか」




