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第八章(1/4)

「才川さん、ありがとう。面白かったよ」


「それはよかった」


 ゴールデンウィーク明けの朝の教室で、僕は才川さんに本を返した。連休に入る前に借りた、井上ひさしの『小林一茶』である。


 それから僕たちは、


「才川さんはなんでも読むって言うけど、やっぱりミステリが好きだよね」


「それはそうかもしれないね」


 だとか、


「『ひょっこりひょうたん島』は実は死後の世界が舞台なんだよ」


「え、ホントに?」


 だとか、しばらく作品に関係あるようなないような話をしたのだった。


「そういえば、才川さんって、『坂の上の雲』って知ってる?」


「読みたいの? 貸そうか?」


 僕の質問に、才川さんは逆にそう質問し返してきた。話が早くて助かる。


「お願い。エミー先輩が読め読めうるさくって」


「ああ、正岡子規が出るから」


「そうなんだよ」


 もっとも、一番の理由は「『小林一茶』を読むなら、『坂の上の雲』も読んでくれたっていいじゃないデスか!」ということらしかった。まぁ、エミー先輩がオススメしてくれたのを無視したわけだからご立腹も無理ないけど。


「ちなみに、どんな話なの?」


「簡単に言えば、明治時代を舞台にした群像劇だね。日露戦争で活躍した秋山好古・真之兄弟と並んで、正岡子規は主人公の一人になってるよ」


 と、そこまで説明したところで、才川さんは何故か黙り込んでしまった。そして、喋る代わりのように僕をじっと見つめてくる。


「……どうかした?」


「正岡子規で、先輩の病気のことを思い出してね。もう俳句ができているのに、君はどうして詠んであげないのかと思って」


「あー……」


 僕は曖昧な声を漏らす。言おうか言うまいか。才川さんになら、先に言ってしまってもいい気がするけれど――


「その内分かるよ」


「またそれか」


 回転寿司での一件からしばらく経つものの、未だに僕の意図を量りかねているらしい。才川さんは睨むような悩むような顔つきをする。


 しかし、すぐに表情を緩めていた。


「ま、やる気になったみたいで安心もしたけどね」


「…………」


 例の寄稿した俳句に込められたメッセージのことといい、才川さんには随分心配をかけていたようである。おかげで、恥ずかしいような、情けないような、照れくさいような気持ちになって、僕はつい黙ってしまう。


 そんな僕に、才川さんはさらに言った。


「春には田鼠でんそうずらになると言うからね」


 どういう意味か気になったけれど、また照れくさい結果になりそうだから聞かないでおくことにした。



          ◇◇◇



 探し方が悪いのか、ネットで検索してみても、それらしい情報は出てこなかった。


 というわけで、部活の時間になるのを待って僕は尋ねる。


「先輩、でんそがどうとかって話知ってます?」


「もしかして、『でんそかしてうずらとなる』のことデスか? 春の季語デスよ」


 そう答えると、エミー先輩はホワイトボード用のマーカーを手に取った。漢字では『田鼠化して鶉と為る』と書くようだ。


「ネズミがウズラになるんですか?」


「そんなことありえないデショウ。田鼠というのはモグラのことデスよ」


「どっちにしろ、ありえないじゃないですか」


 イラッときて、僕は眉間にしわを寄せた。先輩が「HAHAHAHA」とリアクションをしたせいで、結果的に余計にイラつくことになったけど。


「というか、一体どういう意味の季語なんですか?」


「春になるとウズラを見るようになるのを、土の中のモグラがウズラに姿を変えたからだと考えたのデショウ」


「あー、なるほど」


 説明されてみると、そこまでメチャクチャな言葉でもないようだった。なんだったら、オシャレな感じさえする。


「でも、田鼠なんて言葉あるんですね。土の竜と書いて、モグラって読むよりはそれっぽいですけど」


「そうデスね」


 先輩は再びホワイトボードに向き直ると、『土竜』と書いて、さらにその横にある生き物の絵を描いた。


「そもそも土の竜という熟語は、本来はミミズを指すものデスしね」


「え、そうなんですか?」


「ハイ。昔の中国ではミミズを土の竜と書いていて、日本にもそう伝わったんデスが、いつの間にかミミズからモグラに置き換わってしまったらしいデス。ミミズ化してモグラと為ったわけデスね」


「へー。でも、確かにミミズの方が竜っぽいですもんね」


 エミー先輩の描いたモグラとミミズの絵を見比べて、僕はそう相槌を打った。ていうか、先輩絵上手いですね。


「ちなみに、『田鼠化して鶉と為る』と似たような季語は他にもありマスよ。春の季語なら、『たか化してはとと為る』とか、『菜の花(ちょう)と化す』とか」


「なんか魚がタコに進化したり、貝が魚に進化したりするポケモンみたいですね」


「すぐポケモンの話をする」


 僕の率直な感想に、エミー先輩はそうむくれた。


「ポケモンの方は知りマセンが、季語の方は風流な意味合いがあるようデスけどね。

『鷹化して鳩と為る』は、獰猛な鷹も春の陽気で鳩のように穏和になるという風に解釈できるデショウ。

 また、『菜の花蝶と化す』は、菜の花から蝶が飛び立つ様子が、あたかも花びらが蝶になったかのように見えることを言っているそうデス」


 確かに風流である。いや、何が風流かなんてよく分からないけれど、少なくとも面白い由来だとは思う。


 ポケモンの進化も、魚→タコの進化に見せかけて、実は鉄砲→戦車の進化だったりして面白いと思うんだけど、またエミー先輩に叱られそうなのでそれは黙っておく。


 そうして僕が大人しく聞き手に回っていると、先輩はさらに解説を加えた。


「『田鼠化して鶉と為る』だって、冬は土の中に潜んでいたモグラが、春にはウズラとなって大空を飛び回るように、春は生き物が活動を始める季節だということを意味していると考えられるのではないデショウか」


「なるほど……」


 これまでのエミー先輩の話の中でも、この「春は生き物が活動を始める季節」という説明が、僕の耳にとりわけ強く残った。


 才川さんもそういうことを言いたかったんだろうか。


 一方、事の発端について知らないエミー先輩は、不思議そうに尋ねてくる。


「でも、どうして急に『田鼠化して鶉と為る』の話を?」


「ちょっと小耳に挟んだんですよ」


「ああ、ルイカデスか」


 一応濁してみたのだけれど、エミー先輩にはバレバレだったようだ。


 その上、先輩は無邪気に笑いかけてきた。


「二人はホント仲いいデスね」


「ええ、まぁ……」


 否定も肯定もしづらくて、僕は曖昧な言葉で誤魔化すのだった。

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