第四章(3/4)
「いつも練習に付き合ってくださるのはありがたいですけど……」
この日のお昼も、バレーの特訓をする為、僕たち三人はグラウンドに向かっていた。
そろそろ四月も下旬に差し掛かり、球技大会の開催日が近い。才川さんはそのことを気にしているようだった。
「エミー先輩はバスケの練習をしなくていいんですか?」
「大丈夫デスよ。バスケならアメリカにいた頃にさんざんやりマシタから」
ジャンプシュートのジェスチャーをしながら、エミー先輩はそう答える。綺麗なフォームだった。上手い。というか、似合う。
シュートを決めたあと、先輩は僕の方に視線を向けてきた。
「でも、そういうことなら、ショースケは野球の練習しなくていいんデスか?」
「球技大会にそんな必死になることもないでしょう」
「それ本心デスか? 最初に吟行に誘った時、ゲームって聞いて目の色変えてマシタよね?」
「まぁ、それは……」
痛いところを突かれて、僕は曖昧な態度で誤魔化す。
しかし、追及は止まなかった。
「君は中学の球技大会の時も、試合が始まったら熱くなってたじゃないか」
「…………」
才川さんにまで言われたら、もう反論のしようがなかった。まさか後ろから撃たれるとは……
本当に自慢にならないけれど、僕は結構負けず嫌いで、すぐに熱くなるタイプである。家でTVゲームをやる時でも、上手くいかなかったことにキレてコントローラーを投げた経験が何度かあった。でも、壊さないようにちゃんとベッドに向かって投げてるから、そんなに気が短いわけじゃないと思うけどね。
「ショースケは野球やったことあるんデスか?」
「ええ、一応は」
「日本は野球人気ありマスもんね」
エミー先輩はそう言うと、今度はピッチングのジェスチャーを始める。
「日本人はピッチャーがいいデスよね。ノモ、クロダ、タナカ、Darvish……」
「発音本格的ですね」
ついでに言えば、ピッチングフォームも。そういえば、野球経験者だって前に言ってたっけ。
ただ、強肩強打のショートだったと主張するだけあって、本職は野手らしい。先輩はピッチングフォーム以上に本格的なバッティングフォームを見せる。
「逆に野手はあんまりデスよね。二刀流のオータニを含めても、あとはイチローとマツイくらいデスか」
「その三人は左打ちです」
右足を軸にスイングする先輩を見て、僕は呆れ顔を浮かべた。
とはいえ、よくすらすらと日本人メジャーリーガーの名前が出てくるものである。クォーターということを差し引いても、結構な野球ファンなんじゃないだろうか。
似たようなことを才川さんも考えたようだった。
「エミー先輩は、やっぱりメジャーリーグのファンなんですか?」
「ハイ、見るよりやる方が好きデスけどね」
それを証明するように、先輩はまたブンブンとバットを振るジェスチャーをした。フォロースルーが僕に当たりそうなんでやめてもらえませんかね。
「ルイカはどうデスか?」
「やらないし、見ないですね。本なら何冊か読みましたけど」
「たとえば?」
「『スローカーブを、もう一球』とか、『マネーボール』とか」
「オー、『マネーボール』なら、映画で見たことありマスよ」
そんな話をしている内に、僕たちはグラウンドに到着した。いつもと同じように、レジャーシートを敷いて、その上で車座になる。
トマトソースのショートパスタ、温野菜のサラダ、コロッケ、ニシンのソテー……
これもいつもと同じように、エミー先輩のお弁当は、穀物と野菜類が中心の簡素なものだった。
◇◇◇
エミー先輩が推敲をしたいと言うので、今日の俳句部の活動は部室で行うことになった。
先輩は過去の俳句を練り直し、僕は英語の予習をする……ふりをして、先輩のメニューの謎についてノートにまとめる。ここ数日間、先輩の弁当を観察したので、ある程度は推測を立てることができた。
①節約説
・一人暮らしで、食費を節約する為にシンプルなメニューになっている?
・肉がないだけで、魚は食べてるから無理があるような……
②偏食説
・単にエミー先輩はああいうヘルシーな料理が好きなだけ?
・先輩のイメージとは違うけど、性格と味覚が一致するわけじゃないからありえるかも。
・ほんと、イメージとは全然違うけど。
③ダイエット説
・自分の体型を気にして、カロリーの低い料理を食べている?
・これもイメージとは違うけど、先輩も一応女子高生だし……
・太ってるようには見えないけど、本人の理想の体型もあるだろうし……
④スポーツウーマン説
・バレーの練習前だから、運動に適した食事をしている?
・食べる量が少ない→食べ物の消化で体に負担をかけない。小麦や豆類を食べる→糖質はエネルギーに代わりやすい。肉を食べない→タンパク質は運動後に摂ると筋肉の回復・増強に効果的。
・野球やバスケの経験者なら、栄養学に関する知識があってもおかしくなさそう。
・休憩時間にちょっと運動するだけなのに、そこまで食事にこだわるのは変?
⑤病気説
・心臓の病気のせいで、食事制限を受けている?
・一番ありそうだけど、病名が分からないからなんとも……
・病気が直接関係なくても、長生きしたくて健康に気を遣っている可能性も。
仮説が出尽くしてペンが止まると、僕は意を決して尋ねた。
「……エミー先輩の好きな食べ物って何ですか?」
「どうしマシタ、急に」
「『アスパラガス』が春の季語だって話を思い出して、ちょっと気になって」
というのは、もちろん嘘である。さすがに直接「病気だから昼はあのメニューなんですか?」とは聞けないので、代わりに探りを入れられそうな季語がないか事前に調べておいたのだ。
幸いにも、エミー先輩は僕が俳句に興味を持ってくれたとしか思わなかったようだった。不審に思うどころか、嬉しそうに質問に答えてくる。
「うーん、私は野菜はあんまり好きじゃないデスけどねー」
「それじゃあ、肉派ですか? 魚派ですか?」
「もちろん、お肉デス!」
先輩の無邪気な表情は演技だとは思えない。とりあえず、これで肉が嫌いだという偏食説は消えたと見ていいだろう。
「なら、どうしてお昼に肉を食べないんですか?」と質問したくなるのをこらえて、僕はひとまずあたりさわりのない会話を続ける。
「肉ですか…… ハンバーガーとかステーキとかですか?」
「アメリカ人への人種的偏見を感じマスね」
冗談交じりに、エミー先輩はムッとした顔をしてみせる。肉料理で思いついたものを適当に挙げただけで、そういうつもりはなかったんだけど。
「じゃあ、何が好きなんですか?」
「ホットドッグデス! それとコーラと、あとは野球かアメフトの試合でもあれば完璧デスね」
「アメリカン丸出しじゃないですか」
イメージ通り過ぎて、先輩がベースボールキャップやサングラスを身に着けている姿まで、鮮明に思い浮かんだくらいだった。しかも、訂正しないあたり、ボケで言ったわけではないらしい。そういえば、前に狛犬の件でファミレスに行った時も、コーラを飲んでたっけ。
「そういうショースケは?」
「僕も肉派ですね」
「日本人なんだから魚を食べマショウよ。スシ、サシミ、カローシ!」
「それこそ偏見ですよ」
少なくとも、最後のはいい加減偏見ということにならないとまずい。
「それで、どんな料理が好きなんデスか?」
「そうですね。棒々鶏とか、口水鶏とか」
と答えたのが、先輩のお気に召さなかったらしい。
「えー、肉といえば牛デショウ、牛」
「鶏肉もさっぱりしてて美味しいですよ。高タンパク低脂肪ですし」
「肉を食べる時に、油がどうとか気にしてもしょうがないデショウ」
「そんなことないと思いますけど」
体重や体脂肪が増えるとパフォーマンスに影響するから、特にアスリートにとっては重要な問題である。スポーツウーマン説も少し怪しいかもしれない。
それからも、
「でも、ホットドッグというかソーセージは、牛じゃなくて豚じゃないですか? せいぜい合挽きのような」
「ビーフ100%のものもありマスよ。日本ではあまり見ないデスけど」
とか、
「鶏同士を戦わせる『闘鶏』『鶏合』や、牛同士を闘わせる『闘牛』『牛相撲』も春の季語デスね」
「闘牛って人と牛が戦うやつだけじゃないんですね」
とか、
「『アスパラガス』は『西洋独活』や『阿蘭陀独活』、『阿蘭陀雉隠』とも言いマス。これは元々はオランダから観葉植物として伝わった為らしいデス」
「観葉植物!?」
とか、下校時刻までいろいろなことを話したけれど、僕が直接お弁当のことを聞けなかったせいで、結局真相は分からずじまいだった。
◇◇◇
答えが出ないまま、週が明けて月曜日――
「いっただきマース!」
エミー先輩はそう言うと、お手製のホットドッグに手をつける。
作ってきたホットドッグは、合挽きソーセージのものが二本、牛バラ肉のものが二本。また、それ以外にも、オムレツやフライドポテトの他、デザートにエッグタルトも用意されていた。
「……エミー先輩、今日はいつもとお弁当が違いますね。その、量とかメニューとか……」
「そうデスか? 普段はこんな感じデスよ」
「はぁ……」
「普段はこんな感じ」ということは、今までは何か特別な理由があって節制していたんだろうか。となると、ダイエットをしていたのか、それとも心臓の病気とは関係ない一時的な体調不良だったのか……
そう考えをまとめようとする僕に、才川さんが横槍を入れてくる。
「量で言ったら、君の方がすごいじゃないか」
「確かにそうデスね。私も食べる方だと思いマスけど、ショースケほどじゃないデス」
お昼ご飯に、僕は今日も弁当を三つ買ってきていた。から揚げ弁当とチキン南蛮弁当と――
「いや、でも、今日は栄養バランスを考えて、野菜炒め弁当にしたし……」
「それだって肉が入ってるじゃないか。だから、私が弁当作ろうか聞いたのに」
「日本人なら魚を食べなサイ、魚を。スシ、サシミ、コーレイカ!」
二人がそう騒ぎ始めたせいで、話題はどんどんずれていって、エミー先輩のメニューの謎はうやむやになってしまったのだった。
昼食とそのあとのバレー(と言うと、OLみたいだけど)を済ませると、僕たちはグラウンドから校舎に戻る。学年の違う先輩は、途中で「では、また!」と自分の教室に向かったけれど、僕はしばらくその後ろ姿を目で追っていた。
やはり、どうしてもメニューの謎が気がかりで仕方なかったのだ。
「…………」
「どうかしたかい?」
才川さんが訝しげに尋ねてくる。
病気のことを悟られそうなので、才川さんにはこれまで相談してこなかった。けれど、病気のせいで食事制限を受けているという説が疑わしくなった今なら、構わないんじゃないだろうか。
「先輩のお弁当のことがちょっと気になって」
「弁当?」
「今までずっとヘルシーな感じだったのに、今日はたくさん肉を使ってたでしょ?」
聞き返すあたり、気づいていなかったんだろうか。才川さんにしては迂闊というか、ぼんやりしているというか。
しかし、僕の抱いた感想はまるで見当違いだったようだ。
「なんだ、そんなことか」
とっくに真相を見抜いていたらしい。才川さんはこともなげに言う。
「大して不思議でもないじゃないか。先輩はアメリカ人なんだから」




