第四章(2/4)
「『見て楽し声に出して楽しチューリップ』……」
そう呟いて、先輩は首をひねる。
天気が崩れそうなので、今日の吟行は見合わせることになった。それで、エミー先輩は以前作った句の推敲をしていたのである。
部室の中を落ち着きなくうろつきながら、先輩は何度も何度も俳句を詠み直す。『見て楽し響きも楽しチューリップ』、『花も名も楽しげなりやチューリップ』、『名前まで楽しげなりやチューリップ』…… 方向性はもう決まっているけれど、ふさわしい言葉選びに悩んでいるようだ。
ちなみに、入部したとはいえ、僕は基本的にサクラ役に過ぎないので、英語の予習を進めていた。せいぜい邪魔をしないように、先輩には聞かずに辞書を使って英単語の意味を調べる。ええと、elaboration、elaborationっと……
「『チューリップ名前も楽しやチューリップ』!」
先輩は突然大声でそう叫んだかと思うと、首を痛めそうなほどの勢いで僕の方を見た。
「どうデスか!」
「いい句だと思いますよ。チューリップって、確かに見た目だけじゃなくて、名前も明るくて楽しい感じがしますもんね」
「デスよね!」
「はい。花壇の前で、先輩が〝チューリップ! チューリップ!〟ってはしゃぐ姿が目に浮かびました」
「そこはただの子供でいいデショウ」
からかっているわけじゃなくて正直な感想だったのだけど、エミー先輩はむくれてしまった。いや、正直な感想だから怒ったのかな。
ともあれ、推敲が終わったようなので、僕は心置きなく先輩に質問する。英単語についてではなく、季語について。一応、部員だからね。
「今の句って、チューリップが季語でいいんですか?」
「ハイ、『チューリップ』は春の季語デスよ。句の雰囲気なんかに合わせて、『鬱金香』や『牡丹百合』と言う場合もありマスけどね」
「へー」
カタカナの季語もあるんだ。ちょっと意外だ。
という僕の考えは筒抜けだったようだ。
「俳句の古い文化のイメージで意外に思うかもしれマセンが、外来語の季語も結構ありマスよ。特に植物の名前はそうデスね。春なら、『シクラメン』とか、『アネモネ』とか。もちろん、『篝火草』や『花一華』と言い換えることもありマスが」
歳時記は過去のものを受け継ぎつつ修正や更新を行っている、というようなことを以前にエミー先輩が説明していた。だから、外国から新しく入ってきた言葉でも、季節感さえあれば季語になりうるのだろう。
「あと多いのは行事関係デスかね。春の季語なら、『エイプリルフール』、『イースター』、『ゴールデンウィーク』、『バレンタインデー』。これらも日本語で訳して、『四月馬鹿』、『復活祭』、『黄金週間』、『バレンタインの日』と言うことがありマスね」
「最後のはあまり日本語になってないような……」
確か人名のはずだから、訳しようがないんだろうけど。
「ちなみに、外国には逆に俳句の文化が伝わっているところもありマス」
「えっ、本当ですか?」
「ハイ。アメリカやイギリスなどの英語圏ではHaiku、中国では漢俳と言いマス」
驚く僕に実例を示そうと、先輩はホワイトボード用のマーカーを手に取る。そして、書き終えたあとは、流暢な発音でそれを読み上げた。
day moon
dotting the snowy hillside
five black cows
「これはカナダ人のテリー・アン・カーターという人の作ったHaikuデス。日本語訳は『昼の月雪の斜面に点々と黒牛五頭』となっていマス」
エミー先輩はマーカーを指し棒のように使って説明する。
「このように、三行詩として書くのがHaikuの特徴デスね。
またHaikuは〝En・glish〟で二音、〝Jap・a・nese〟で三音のように、音節で数えて五七五を作りマス。ただ、厳密にやると単語の数が増えて作りづらいので、五七五より少ない音節を意識することが多いようデスね」
day moon
dot・ting the snow・y hill・side
five black cows
「このHaikuも、このように二七三の音節で五七五に収まっていマスね」
英単語に点を書き加えて、エミー先輩はそう言った。
五七五の話が出たことで、僕の脳内ではかえって疑問が増えていた。本来の俳句なら、もう一つルールを守らなくてはいけないはずである。
「雪が出てきましたけど、やっぱり季語を入れるものなんですか?」
「そうデスね。四季がはっきりしている国ばかりではないので、そこまでこだわらなくていいみたいデスけど」
「それじゃあ、基本的なルールは俳句とそんなに変わらないんですね」
「そうなりマスね」
エミー先輩は続いて、中国の俳句についても「漢俳の方は私も詳しくありマセンが、どうやら漢字五文字・七文字・五文字という風に作るようデス」と解説した。使っている言葉が違うから、Haikuも漢俳も日本の俳句とは全然別物になるんじゃないかと思ったけれど、そんなことはないようだ。
説明が済むと、先輩はからかうでもなく提案してくる。
「ショースケも俳句が作れないなら、Haikuを作ってみたらどうデス?」
「それ余計に難しくなってると思うんですけど」
数学が一番苦手というだけで、英語も大して得意なわけではない。Haikuで使う音節の数なんて、授業でもやった記憶がないから全く把握していなかった。
その後、先輩から『古池や~』の句の英語訳に複数のバリエーションがあることを教わったり、『チューリップ~』の句の英語版を聞かされたり、苦労して終えた英語の予習にダメ出しをされたりしている内に、部活の終了時刻になったのだった。
そうして帰り際になって、僕は先輩に伝え忘れていたことがあるのを思い出す。
「そういえば、バレーの練習ですけど、これからはお昼にやることになりましたから」
これはもちろん、僕が正式に俳句部に入部したことで、才川さんが放課後の練習を遠慮しだした為である。
しかし、それをエミー先輩に正直に伝えるのはどうにも気恥ずかしかった。
「才川さん、部活に出たいみたいなので」
真っ赤な嘘だったけれど、幸い特に疑問を抱かれなかったようで、先輩は「オー、分かりマシタ」と素直に頷いていた。
◇◇◇
「天草君」
翌日、四時間目が終わるとすぐに、才川さんは僕の席まで来た。
「練習ついでに、外で一緒にお昼を食べないか?」
「うん、そうしようか」
窓の外を見て、僕はそう頷く。
よく晴れた、春の日の昼下がりである。外は穏やかで優しげな空気に満ちていた。こんな日に教室にこもっているのは、確かにもったいないかもしれない。
僕が弁当屋のビニール袋を手にすると、それを見て才川さんはさらに尋ねてきた。
「練習付き合ってくれるお礼に、お弁当でも作ろうか?」
「え、いいよ、そこまでしなくても」
「だが……」
「勉強のこととかでお世話になってるんだからいいって」
何も断る為の方便ではなかった。才川さんには予習を写させてもらったり、授業で分からなかったところを教えてもらったり、普段随分迷惑をかけている。
不思議なことに、毎日学校に通っていた僕よりも、病室で問題集を解いていた才川さんの方がずっと成績がよかった。これははたして頭の出来の違いのせいなのか、勉強に対する意欲の違いのせいなのか、それとも現行の教育システムに存在する不備のせいなのか。僕としては三番目に○をつけたいところだけど……
「そこまで言うなら、やめておこうか。私の味覚って人とずれてるみたいだし」
「そうだね」
「そうだね?」
「いえ、なんでもないです」
僕は慌てて首を振る。そんなに怒らなくたっていいのに。
これ以上失言しないように僕が口を閉じると、その代わりのように教室に大声が響いた。
「頼も――――!!」
ただでさえ外見が目立つのに、この人はやることまで目立つなと僕は呆れてしまう。
「どうしたんですか、エミー先輩」
「せっかくデスから、一緒にお昼を食べマショウ!」
弁当箱を掲げる先輩に、才川さんは「考えることは一緒ですね」と苦笑した。
しかし、グラウンドに着いた時に、正確には一緒ではなかったことが判明した。考えなしに行動する先輩と違って、才川さんは制服が汚れないようにレジャーシートを用意してきていたのだ。もっとも、僕もシートを目にするまで全く気づいていなかったから、才川さんが周到過ぎるだけかもしれないけれど。
敷いたシートの上に車座になって、僕たちはそれぞれ弁当箱を広げる。
すると、エミー先輩は開口一番に言った。
「ルイカのお弁当は綺麗デスね。マムが料理上手なんデスか? それとも、もしかしてルイカが作ったんデスか?」
「いえ、うちは家政婦さんがいるので」
「……ルイカって、もしかしてお嬢様デスか?」
「そんなことないですよ」
そうあっさり否定するけれど、僕の知る限り才川さんの家はお金持ちのようだった。だから、今のは謙遜しているのか、単に自覚がないのかのどちらかだろう。
「でも、やっぱりプロの作るものは違いマスね」
先輩の言う通りだった。才川さんのお弁当は、焼き鮭や卵焼きなどメニュー自体は普通だけれど、素材と作り手の腕は普通ではない。おかげで、お弁当なのに作りたてのような色艶があって、このまま料亭にでも持っていけそうだった。
しかし、このお弁当に隠された秘密を僕は知っている。
「いいのは見た目だけですよ。才川さん、味の濃いものダメなんで、これ全部薄味ですから」
「そうなんデスか?」
「ええ、前におかずを分けてもらったことがあるんですけど、食べてみたら全然味がしなくてびっくりしました」
克服しつつある病弱さを除いても、才川さんには僕の知る限り大きな弱点が二つある。その内の一つがスポーツで、もう一つが味の濃い料理だった。辛いものが食べられないとか、甘過ぎるものが嫌いとかいう人なら珍しくもないけれど、才川さんは味の種類に関係なく、とにかく味つけの濃い料理全般が苦手なのだ。
運動音痴と同じく、味音痴もどうやら入院生活が影響しているらしい。つまり、長い間味の薄い病院食ばかり食べ続けてきたせいで、それが基準になってしまっているようなのである。
「うちに遊びにきた時なんて、カルピスが濃いって文句つけられましたしね」
「肉ばかり食べている君に、味覚をどうこう言われる筋合いはないよ」
ムッとしたように、才川さんはそう言い返してくる。
僕のお昼ご飯は、弁当屋で買ったから揚げ弁当……とチキン南蛮弁当……と焼肉弁当の三つだった。
「あ、やっぱり、それ全部食べるんデスね」
「そうですけど」
「ショースケは意外と大食いだったんデスね」
「男子ならこれくらい普通でしょう」
エミー先輩にそう答えると、すかさず「そんなわけないじゃないか」と才川さんが横からとげとげしく反論してくる。まぁ、入院生活が関わってるのに、無神経なことを言った僕が悪いんだけど。
まだご立腹のご様子で、才川さんは次の話題を僕ではなく先輩に振っていた。
「先輩のお弁当は可愛いですね。手作りですか?」
「ハイ。一人暮らしデスからね」
「自炊するのは大変じゃないですか?」
「数日分まとめて作ったりするからそうでもないデスよ。私は、同じようなメニューが続いても気にならないタイプデスから」
豪快な先輩らしい意見だった。
だから、お弁当のメニューも豪快な先輩らしく、ステーキやフライドチキンなど、とにかく肉づくしで――という僕の予想ははずれた。
「…………」
「どうかしマシタか?」
「いえ、別に何も」
バジルソースをからめたショートパスタ、温野菜のサラダ、ベークドビーンズ…… 申し訳程度に白身魚のフライがあるくらいで、基本的には穀物や野菜類が中心だった。量自体が少ないこともあり、オシャレというかヘルシーというか、とにかくカロリーの低そうなメニューである。
「エミー先輩、お弁当は大人しいんですね」
以前なら、そんな風に茶化していたかもしれない。
しかし、今は病気のせいで節制しているようにしか思えなかった。




