第98章青柳が天使になる話3
歌声対決の最中他校生が乱入してきた。すると、空から歌声が……見上げると天使が舞い降りてきた。
本当に飛んでいる。信じられないが、ゆっくりと白い翼を広げて、弧を描くように降りてくる。
「飛んでる。飛んでるよね、あれ」
「つってるんだろ」
「つるってどこからつるんだよ。天井もないのに……空からつるのかよ」
「信じられない。本当に飛んでるわけ?」
「まさか、何か、からくりがあるんだよ。絶対に吊ってるんだよ」
「でも、線が見える?」
「見えない」
俺も眼を凝らしたが、見えなかった。しかも、飛び方も、上からまっすぐに降りてくるのではなく、優雅に弧を描いている。線で釣っているようにはとても思えない。一体どんな魔法を使ったんだ?
俺は周りを見回す。ステージは二つの4階建ての校舎の間にはさまれた中庭にあるのだが、両側の校舎の屋上に、矢祭軍団らしい男子生徒が何かやっているのを見つけた。どうやら、彼らのしわざらしい。
それにしても、青柳の歌声の美しさは天使にふさわしい。
あらそわないで
にくまないで
すべての人に幸いを
人はみな天使になれる
スピーカーから聞こえるので、マイクを使ってはいるが、まるで天から降ってくるようだ。飛びながらなので、少し不安定さはあるが、透き通った声の質は、何と表現したらいいのだろう、まるで春の光のように、みんなを包み込む。中学の時の担任の先生が、青柳の歌声にほれ込んで、「奇跡のような声ね。天使のようだわ」と言っていたことを思い出す。演出のせいかもしれないが、その時初めて、その言葉が心の底からわかった気がした。アカペラのソロの歌がこんなに心を揺さぶるものだとは。
すべての人に愛を
人はみな天使になれる
青柳は、ステージに降り立つと羽をしまった。近くで見ると、さすがに、羽は、いかにも作りものだったが、きれいにしまわれた。
今日は、天使のイメージなのだろうか、二房の髪を三つ編みにして、ほかの髪を束ねるようにして後ろで結んでいる。花で飾られた金のティアラ風の髪飾りをつけている。純白の衣装は、袖がものすごく大きく垂れ下がった、古代ギリシャ風(?)のゆったりとしたローブに近い。その白さが肌の白さに映えて、夢見るような瞳を、一層、神秘的に見せている。「馬子にも衣裳」というのは青柳のような美少女には当てはまらないだろうが、普段の飾りっ気のないかわいらしさとは全く違った、一種、神の領域に入ったような美しさだった。青柳のかわいさ、美しさをだれよりも知っているはずの俺でさえ、思わず魂を持っていかれてしまいそうな感じがした。彼女は、本当は、空を飛べる天使なんだよと言われたら、その時の俺は、本当に信じたかもしれない。この姿を見ただけで、彼女に投票することを決めた人もたくさんいるに違いないと、俺は思った。
歌が終わって、深く頭を下げる。あっけにとられていた聴衆から嵐のような拍手が巻き起こる。
と、青柳が顔をあげ、微笑むと、空を見上げて片手をあげた。
もう一つの歌声が聞こえてきた。
どんな人も
どんな愛も
どんな空も
どんな一瞬も
ああなんて美しい
空を見ると、もう一人の天使が降りて来る。
「ちょっとあれ」
「もしかして裸?」
腰まである長い髪の、こちらは金色の羽の天使が空に浮かんでいる。髪の長さから一目で小尾先輩とわかるが、見た瞬間、ドキッとする。一糸まとわぬ裸に見える。本当に裸なのか? 小尾先輩、まさか、いくら脱ぐのが好きでも、それは……とどきどきしながら、乳首や股間に目を凝らしたのは俺だけではあるまい。青柳同様、優雅に弧を描きながら降りて来る。姿がだんだん大きくなるのを見ていると、乳首も見えないし、股間にも何も見えない。実は、クリーム色の水着のようなものを着ていることがわかる。と言っても、覆っているのは胸と腰回りだけだ。絶対、額田の陰謀だ。といっても、こういうのを小尾先輩も嫌いじゃないから困る。先生たちも大勢見ているが、展開に驚いていて、ただ見ているだけのようだ。
小尾先輩の歌声も美しかった。何をやっても絵になる人だ。鈴のような、あるいは青空のような澄んだ声。天才というやつだろう。音程もしっかりしているし、声もよく出ている。うまさという点ではもしかすると青柳以上かもしれないが、歌声対決という意味では、青柳の勝ちだなと思う。青柳の美声には、心の奥を揺さぶられる何かがある。
小尾先輩もステージに降り立つと、羽をしまって、深く頭を下げる。
また嵐のような拍手が巻き起こる。
その立ち姿は、まさしく、名画から抜け出してきたような、美の女神そのものだった。確かに裸ではない。乳首は見えないが、しかし、ブラがあまりにぴったりで乳房のふくらみ方がよくわかるので、まるで裸の絵を見ているような、乳首さえ見えているような、そんな錯覚さえ覚える。髪の毛も、確か、腰を隠すほどは長くなかったと思ったのだが、付け毛なのか今日は十分に長くて、名画「ヴィーナスの誕生」のように、ちょうど足の付け根のところを隠している。そのため、髪の毛の下は、実際に水着はあっても、まるで何もはいてないかのようにも見えてしまう。まさにヴィーナスの誕生そのものをリアルに見ているようだ、と俺は思った。美しい芸術作品だ。
天使姿の青柳と並んだ姿は、まさに奇跡を見ているかのよう。
「すごいわ。美しさに、ため息しか出ない」と那加が言う。全くその通りだった。おそらく、見ている人全員がそう思ったろう。
「さて、みなさん」
美しさに我を忘れた聴衆を、現実に引き戻そうとするかのように、矢祭と額田がステージの右端に並んで立った。
「血の気の多い連中ばかりでお騒がせしましたが、天使と女神が二人降りてきてくれておさまったようです。というわけで、降りてきた二人の対決、いよいよ、始まりです。おいらたちは二人に憧れる悪魔代表の矢祭麻耶と……」
「わたしは額田河合と申しますです。最初にお送りしたのは、今日のためのオリジナル曲でした。ここから、名曲対決になります。みんなが知っている曲をお届けしまーすよ」
「バンドメンバーは……大大地高軽音楽部の予定でしたが、他校の生徒も乱入してきたので、仲良く、曲ごとに変えます。はい、みんな、起立! お客様に頭を下げて」
大大地高の軽音楽部と、乱入してきた他校の生徒は二人ずつペアになって観客に頭を下げた。やっぱりお芝居だったらしいが、それにしても、キーボードの脇で頭を下げた他校の女子、このメンバーの中の紅一点、可憐で清楚な美少女にしか見えないが、顔に擦り傷があって血が出てるぞ、平気なのか?
そのキーボーディストが座ると、ポロンと分散和音を弾いた。あ、と俺は思う。これは知ってる。俺も散々練習した。中学校で青柳がソロをとった合唱曲「春の風」だ。
青柳がソロで歌うのかと思ったら、矢祭、額田が加わって、更に、軽音部の男子が加わって合唱になった。マイクを使った合唱だがきれいにハモっている。ソプラノパートを歌う青柳の美声はやはり際立つ。本来はピアノ伴奏なのだが、少しずつドラムとギターが忍び込んできた。
いよいよ、さびの部分のソロだ。
静かなピアノ伴奏の上に、ハミングが入り、その上で、天使の長い白いドレスの青柳が歌う。かなり高い音なのだが、青柳は軽々と歌う。柔らかく包み込むような歌声だ。背中がぞくぞくする。音楽がこんなに胸を騒がせるものだとは思わなかった。中学ではクラスの合唱に参加し、青柳のソロも聞いていたのに……でも、絶対、あのころよりも、もっとうまくなっている。青柳らしい歌声だ。派手さはない。見事さも。でも、なんてやわらかな、心のこもった歌声だろう。
その瞬間、あの重い雲が一瞬切れたらしく、一筋の光が会場を包んだ。もちろん偶然だったのだ。でも、青柳という天使の歌声が光となって降りそそいだのかもしれないと思ったのは、俺だけではないだろう。光の中の青柳は、まさしくこの世のものとは思えない美しさに輝いていた。奇跡は起こるものなのだ、と思わずにはいられなかった。
歌が終わると光は消えてしまった。拍手が沸き起こる。しかし、曲は続いている。青柳は深くお辞儀をしながら後ろへ下がると、かわって小尾先輩が前に出てくる。プロポーションが抜群なので、その優雅な動きの美しさに、俺だけでなく、みんなの目が釘付けになっている。腰まである長い髪が少し風で広がっている。髪を風になびかせながら歌う小尾先輩の西洋風の美貌は、こちらもこの世のものでないような神秘的な美しさだ。
静かな歌い出しだ。同じ曲でもずいぶん個性が出るものだと思う。というのも、小尾先輩は、いかにも彼女らしく、かなり崩してというか、自由に歌っている。直観のまま自由に歌っているのだろうが、まるで、女神の声のように自然に頭に入ってくる、不思議な魅力だ。
さあ、いよいよさびの部分だ。このハイトーンを青柳と同じように歌えるのか? 青柳の時と同じようにピアノとハミングが静かに響く中を、ソロを歌い始めた。ここが対決の聞き所だと、みんなが息をつめて見守る中、なんと、高い音は無理にださず、音を勝手に下げて別のメロディをうたっている。それはないだろうとも思ったが、オリジナルかと思わせるほどきれいなメロディだ。青柳と同じキーではさすがに厳しかったのかもしれないが、だったら、キーを下げればいいだけなのに、全く独自の曲にしてしまうのだから、さすがにぶっ飛んでいる。もっとも、合唱コンクールで散々練習した俺だから曲がわかるが、そうでなければ、最初からこれがオリジナルのメロディと思うかもしれない。
ソロのあとのコーダの部分では青柳も前に出てきて、二人の両脇に矢祭と額田が並び四人の合唱で曲が終わった。拍手が沸き起こる。俺も観客も、みな夢中で手を叩いている。涙ぐんでいる者もいる。
鳴りやまない拍手の中、ステージの上では矢祭が青柳に、額田が小尾先輩に抱きついている。しばらくそうしていたが、やがて観客のほうに向きなおって、矢祭がマイクを口に当てた。まだ、涙声だ。
「ああ、何てすてきなの。おいらは、まだ涙が止まりません。おいらだけが知ってる秘密を、ここで、皆さんに、こっそり教えちゃいます。青柳さんは、実は……」
矢祭は意味ありげに言葉を切った。
「人間のふりをしているけど、本物の天使なんですよ」




