第98章 青柳が天使になる話4
青柳と小尾先輩の歌声対決が始まりました。青柳のことを本当の天使だと矢祭は言うのでした。
矢祭の言葉をほとんど信じそうになったのは、青柳の歌声を聞いたせいかもしれない。
少なくとも、矢祭は、本気で天使だと信じているように思えた。「矢祭さんは、青柳さんに恋しているわ」という那加の言葉が頭に浮かんだ。
矢祭は掌で涙をぬぐった。
その隣で、額田は小尾先輩の臍のあたりに両腕を回して、抱きついたままま手に持ったマイクでしゃべる。
「ヴィーナスさまぁ。わたしも涙が止まりませんー。皆さん、私も断言します。小尾先輩は、本物の、美の女神、ヴィーナス様です。この美しい体を見てください。世界で一番だとは思いませんか」
そして、ふくよかな胸に顔をうずめたまま、青柳を振り返る。
「だけど、だけど、だけど、うーん、愛の天使の青柳さまも、すてきでしたあ」
額田は向き直ると、今度は青柳に飛びついて抱きしめる。矢祭が引き離す。
「ダメだよ。対決はまだ終わってないよ。さて、皆様、次は、みんなが知っている曲、『ふるさと』対決です」
バンドのメンバーが入れ替わって、大大地高軽音部になった。ちなみに、あとで聞いた話だが、バンドの名前はそのものズバリ「祭軍」というらしい。
ソロピアノの短い前奏の後、いきなり、青柳が歌いだす。
うさぎ追いし、かの山
こぶな釣りし、かの川
よく知っている歌だが、青柳の澄んだ声によく合って何とも美しい。ドラムとベースが入ってきた。寄り添うようにして矢祭が歌う。
この町に生まれたこと
あなたに出会えたこと
幸せでしたありがとう
いつまでもいつまでも
あなたを思っています
唱歌「故郷」と同じようなシンプルなメロディにのせて、しんみりと少し悲しげに歌うハスキーボイス。
矢祭は青柳に恋していると、那加が言っていたのを、もう一度思い出す。この悲しげな声と、そしてこの歌詞、もしかして、矢祭自身の気持ちなのか? そして、そうだとして、それは矢祭の片思いなのか? 女の子同士の恋が実らないとは限らないのは知っているが、なかなか難しいことは間違いない。
もし、矢祭が青柳に恋しているとして、青柳はその気持ちを知っているのだろうか? 那加はひたすら隠していると言っていた。女の子が女の子に恋を打ち明けるのは、相当、勇気がいることだろう。たぶんかなわないと思っているのだ。
そう思うと、その歌声のせつなさに胸が締め付けられるような気がした。
夢はいつもめぐりて
忘れがたき故郷
まるで答えるように青柳が歌う。なんて澄んだ曇りのない歌声だろう。
歌詞の組み合わせは最初から決まっているんだろうが、まるで、矢祭のかなわぬ恋に、青柳が答えたようにも聞こえて、いっそう、切なくなった。
青柳が一番をうたいおわると、短い間奏を挟んで、小尾先輩が歌いだした。
いかにいます父母
つつがなしや友がき
透き通るような声。きちんとメロディどおり歌っている(って本当はそうあるべきだが)。
額田が寄り添うようにして歌い出す。
あなたのそばで歌う
あなたのそばで生きる
こんなに苦しいのに
愛することってすばらしい
出会えたことってすばらしい
高い声で、まったく額田らしくなく、しんみりとささやくように歌う。なぜか悲しげに聞こえる。額田はヴィーナス先輩に恋していることを吹聴しまくっている。小尾先輩も自分に恋する額田が大好きだ。そして、二人して、大大地高の美少女に恋しまくっている。「昨夜は先輩が恋しくて泣いちゃいましたあ」なんて部室に入るなり、先輩の胸に顔をうずめている額田を思い出す。とにかく、泣いたり笑ったり目いっぱいきている額田を、俺はうらやましく思う。いつも何かに脅えて心を暗くしている俺とはなんという違いだろう。
ただ、こんな悲しげな歌を聴くと、そんな額田でも、ヴィーナス先輩とは、本当の恋人にはなれないと思っているのだろうか? とも思えてしまう。二人の関係はどうなっているんだろう。
雨に風につけても
思いいずるふるさと
まるで愛の告白にこたえるように小尾先輩がやさしく歌う。こんなふうにやさしくも歌えるんだ、とあらためて思う。変な言い方だが、小尾先輩ぐらい嘘がつけない、つきたくない人を俺は知らない。自分がどう思われるかを、すごく気にしている点では俺と同じなのに、嘘やごまかしで自分を飾ることをしない。たぶんできないのだ。そういう意味では、俺とは正反対の人間だ。
俺は、小尾先輩をかっこいいと思う。でも、絶対にまねできない。それは、あの類いまれな美貌と、ヌードの美しさ同様、天賦の才なのだ。
青柳と小尾先輩は中央で深々とお辞儀をする。両脇で矢祭と額田がやはりお辞儀をする。これで終わりなのか? だが、静かな伴奏はまだ続いている。まだ何かありそうだ。
改めて見ると、この4人、本当に美少女ぞろいだ、と思う。みんなそれぞれに個性的で魅力的だ。
4人は顔を上げると、軽く会釈をして、真ん中から両脇に開いた。そして後ろを振り向いた。すると、中央の奥から、まるで突然のように、二人の天使が、静かに、姿を現した。




