第60章 奴隷解放の日が来ない話
運命のテスト、結局、俺は2位だった。これで、また、眞知とのデートは遠のいたと思った俺だったが……
「いよいよ、デートさせてあげるよ」
那加は、突然、そう言った。
「ふう、ついに、ここまで来たか、って感じ。いつまでも、ジラも眞知も待たせられないし、ほおっておくと、ジラは、委員長に熱を上げてしまいそうだし……」
「え? どういうことですか?」
俺は、びっくりして言った。もともと、俺が那加の奴隷になることは、眞知とデートさせてもらうこととの交換条件だった。つまり、俺の奴隷生活は、眞知とのデートが目標だった。しかし、「一番をとれたら眞知とデートさせてあげるよ」と言われてとりくんだこの前のテストで、俺はまた二番だったので、これじゃ、まだ、眞知とのデートは先だな、と思っていたところだった。
「本当は、もう少し、ジラを奴隷としてこき使いたかったんだけど、まあ、よくやったよ。生徒会長にもなったし、マラソン大会もジラにしては、がんばったし、というより、がんばりすぎたし、一度だけだけど透子さんにも勝ったしね。ニキビも消えてスリムになったし、けっこうかっこよくなってきたよ。眞知とデートさせてあげる。今度の日曜日、一〇時に大地駅の入り口で……そして、そのあとは、もう、奴隷契約は終わりにしていいよ」
「え? 終わり……なんですか?」
「終わりよ……最初から、眞知とのデートが報酬ですもの」
那加は、珍しく頬づえをついて、窓の方を見ながら、独り言のように、少し元気のない声で言う。
「ちょっぴり残念なんだけどね。ジラが一番になるまで、とも思ったけど……やっぱり、透子さんはすごいわ。これは私の想定外。今回、ジラがあれだけ他の人を引き離しても、まだ上にいるんだものね。ちょっとすぐには抜けないわ。下手すると、永遠にね。ジラにはもうしわけないけど、頭の作りが違う、としか言えないわ。これじゃ、いつまでもデートが実現しないもの……生徒会のこともいろいろやりたかったし、他にもやらせたいことがいっぱいあるので、まだまだ、奴隷にしておきたかったんだけど、これ以上引っ張るのは、二人に悪いわ」
俺は、何も言えなかった。あまりに奴隷生活になれすぎて、すぐには頭が回らない。奴隷契約が終わる? これまで、毎日、一分一秒、那加の命令を実行することに必死になってきたのに、それがなくなるってこと? それって、俺の時間を俺の好きに使っていい、っていうわけ?
那加は軽くため息をつくと、頭を掻いた。これも珍しい。
「デートしたら、次のデートの約束は、自分でとるのよ。私がお膳立てするのは、この一回限りよ。あとはデートを重ねて、眞知にはっきり『好きです。恋人になってください』って言うのよ。眞知が承知したら、さらにデートを重ねて、強く抱きしめて、キスをして……そして、必ず、眞知を幸せにするのよ」
「そんな……どうせ、相手にされないと思ってるんでしょ」
「ずっと、そう言ってきたけどね。最近は、あまりそう思ってないんだ。この半年の奴隷生活で、ジラ、ずいぶん進歩した、って自分でもわかってるでしょ。生徒会長としての評判もいいし、成績も透子さんのいいライバルだし、ニキビも消えて、体力もついて、ぜい肉もとれて、けっこうイケメンになってきたと思うよ。女の子の間でもかなり人気があるようだし……。眞知の彼氏になれるかも、というよりきっとなれるって思うようになってきたからこそ、デートさせるのよ」
デート? 奴隷でなくなって、眞知とデート? 那加の指示のない俺が、素のままで、眞知と一緒に二人きりで過ごす? 立派な生徒会長のふりをして、女の子に人気のイケメンのふりをして? その状況を想像したとたん、突然、頭ががんがんなりだして、俺は頭を抱えてしゃがみこんだ。
「どうしたの」
那加がいすから立ち上がる音がした。俺の脇にかがみこむ。
「頭が痛いの?」
「それ、俺じゃないですよ!」
叫ぶようにいう。頭の中はぐるぐる回っている。でも一つのことだけはわかる。
「生徒会長は俺じゃないです。イケメンも、委員長のライバルも俺じゃないです」
「どうしたの。ジラらしくもない」
「俺じゃないです。それは那加の奴隷のやったことです」
「だから、前にも言ったじゃない。外見と中身は別のものじゃないって」
「別のものですよ。大大地フェスティバルが成功して、最初は、あんなに、絶対反対していた先生たちが好意的なんですよ。生徒会長として、ほめられるんですよ。だけど、大大地フェスティバルもマラソン大会も、俺が自分からやったことは何もない。俺一人だったら、あんなこと思いつきもしなかったし、できるとも思わなかった。とんでもないアイディアを提案して、何と言われても、いろいろな人と交渉して、粘り強く説得したのも、全部、那加の命令です。俺だったら、あんなすごい考えなんか思いつくわけないし、たとえ思いついたとしても、最初に断られたところで、さっさとあきらめていた。俺は、正直、内心では無理じゃないかと思いながら、那加の命令だからという理由で、半信半疑、やってただけです。それが、やっていくうちに、不思議に、少しずつ道が開けてくるんです。さっきも言ったとおり、生徒会長の俺を時々「すごいね」ってほめてくれる人がいます。でも、すごいのは那加の命令です。俺はそれに乗っかっていただけです。俺自信も、ご主人様は本当にすごいと思います。神様みたいだとずっと思ってました。でも……俺自身は……命じられなければ何もできない哀れな奴隷です。奴隷から解放された俺が、立派な生徒会長を演じ続けられるわけないです。那加の言うとおりにする以外に能のない俺が、眞知さんと二人きりで会って、見かけの俺にふさわしい行動を取れるわけない。素の俺が眞知さんに好かれたり、眞知さんを幸せにできるわけないじゃないですか」
俺は、パニックになりかけて、声を震わせながらそう言った。体が勝手にがたがた震える。
「やれやれ」と那加はため息をついた。
「ジラが、ここまで弱虫とは思わなかったよ。弱虫で根性なしのところがいいところでもあるんだけどね。さてさて、どうしたものか」
那加はしばらく考えていた。そして、俺の両手をとると「さあ、立って」と近くのいすに座らせた。冷たい那加の手の感触は、何か魔法のように、俺の混乱をなだめてくれた。那加は、俺の手を取ったまま、いすに座らせると、隣のいすに座って、俺の顔をのぞき込んだ。こんなに間近に那加のそばにいるのは初めてのような気がした。
「いい? よく聞いて。ジラ、あなた、大大地フェスのとき、中心になって立ち働いているの、かっこよかったよ。確かに、指示したのは私だけど、実行したのはジラだよ。私がいくら指示したって、ジラがうまくやらなかったら、あんなにうまくいかなかったよ。それからね、みなみんはジラが大好きだよ。ジラに感謝している以上に、今は、ジラのファンだよ。ジラが、テストで二番の成績を取ったときも、自分のことのように自慢していた。私の指示で始めたことだけど、ジラの真心がなかったら、みなみんのこと、幸せにできなかったと思うよ。何をとっても、はじめは私が命令したことだけど、やったことは全部、ジラがしたことなんだよ。私ね、正直言って、ジラを奴隷にしたはじめは、ジラがこれほどになると思ってなかった。あなた、本当にすごいよ。自信を持ってよ。あなたがやってきたことは、全部、あなた自身がしてきたことよ。これからだってあなたに出来ない理由はないわ」
両手からかすかに伝わる那加の体温が、俺の心に少しずつ何か暖かいものを流し込んだ。気がつくと俺の両目から涙があふれていた。
「どちらにしても、いつまでも奴隷のままでいるわけにはいかないでしょう。眞知の恋人になるってことは、一生、眞知を幸せにするって誓うってことよ。今のあなたが虚像なのだとしたら、それを本物にしなくちゃ……それが私の最後の指令よ」
那加がなんと言っても、気休めにしか聞こえなかった。当たり前のように奴隷になりきって、進歩している気になっていたが、実際は、ちっとも進歩していないことに、初めて気づいた。何を思いだしても、那加の指令は、初めは、突拍子もなく見えるのだが、半信半疑で従っているうちに、魔法のようにいろいろなことがうまくかみ合って、事態が不思議と好転していくのだ。那加の言うとおり、酒出が俺のファンだとしても、それは、俺が那加の忠実な奴隷であることへの評価に過ぎない。
那加はいつまでもそれじゃだめだと言う。眞知の恋人になりたいなら、本物にならなくちゃと言う。
たしかにそうだ。わかる。わかってる。
だけど、無理だ。
今の俺じゃ。
「ふう」
と那加はため息をついた。俺の両手を合わせて握り直す。
「わかったわ。つまり、もう少し、奴隷でいたい、ってことなのね。私が無慈悲に、何の説明もせずに、命令を乱発してしまったのが、いけなかったのかもしれないね。あなたが、あまりに忠実に、しかも、うまく事を成し遂げるので、つい、面白くて、女王様気取りになってしまったわ。私の責任かな。ジラは、その気になりさえすれば、もう本物なんだけどな……じゃあ、もう少し、私の奴隷になる?」
俺はうなずく。
「じゃあ、しばらくは、朝のミーティングも続けましょう。でも、ジラが眞知に愛を告げて、眞知が承知して、二人が恋人同士になるまでよ。それまでに,これまでの反省も含めて、ジラが自信を持てるようにしましょう。確かに、あの生徒会長が、『一人じゃ何もできない』って言って涙を流しているなんて、誰も想像しないでしょうからね。まだ、虚像と実像のギャップがありすぎるといえば、その通りだわね」
「はい」
俺は那加を見上げた。こんな近くで那加の顔を見るのは初めてのような気がする。眼鏡越しの瞳がきれいだった。
「まず、最初に」
那加は、俺の手を離すと立ち上がった。床を見つめたまま、こちらを見ずに言う。
「眞知とのデートコースを自分で考えて持ってきて。それと、大大地フェスに続く行事のアイディアも自分で考えてみて……私も、あなたのことを、こき使いすぎたかもね」
「とんでもない。那加は……素晴らしいご主人様です」
「あははは、まだそんなこと言ってるの? ジラこそ、素晴らしい奴隷よ。いつまでもこき使い続けたいけど……そうもいかないよね」
那加の言葉が、少し寂しそうに聞こえたのは、自分勝手な俺の耳のせいかもしれない。




