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第454章 和泉さんの生い立ち

母親は、和泉さんに、「苦労してきた生い立ちの話をしてあげて」と促すのだった。

 母親は、少し身を乗り出すと、俺と眞知の顔を見比べた。

「眞知には、前にも話したかもしれないけど、この人は」

 と、和泉さんにうなずく。

「その子に似ているわ。苦労してきたの。小さいころ親戚をたらいまわしにされたそうよ。ね?」

 和泉さんを見る。

「簡単でいいから、二人にもちらっと話してあげてよ。いやでなかったら」

「う、うん。もう過去の話だし、正直、思い出したくないし、どちらかというと隠しておきたいことなんだけど、二人には、一応、話しておこうか。ただし、あまり、ほかの人には話さないでくれるかな」

「あ、はい」

「実は、私は幼いころ、両親を亡くしてね。誰が育てるかという話になったとき、引き取り手がいなかったらしい。結局、親類の間で押し付けあったんだ。それで、順番に親戚が面倒を見るみたいな感じになったわけだな。どこの家も経済的な余裕がなくて、特に幼いころは、ひたすら厄介者扱いだった。こき使われて、怒鳴られ、虐待と言っていいようなことも随分あった。殴られたり、叩かれたりもあったな。で、私は、とにかく、人とはそういうものだ、世の中を生きるってことは、いかに他人のご機嫌をうまくとるかっていうことだとずっと思い続けてきた。とにかく、この理不尽な世の中では、私みたいな、何一つ、財産を持ってないものは、必死に、すべての他人にへりくだって、おべっかを使うしかないって思って暮らしてきた」

「おべっかですか」

「そう。その眞知の友だちの言うコネってやつさ。生まれつき財産を持っているものは、他人の側が自分におべっかを使って寄ってくる。もうすでに、金もコネも持っているから、周りの人は、そのおこぼれにあずかろうと思って、笑顔で寄ってくる。お世辞も言うし、何か頼めば、喜んで言うことも聞いてくれる。勿論、相手にも自分のコネを分けてやるわけだが、それが自分にとっても新しいコネとして一つの財産になる。つまり、すでに財産を持っているものは、その財産がどんどん膨らんでいくというわけだ、まだ高校生ぐらいだと、ピンとこないかもしれんが……」

「いや、想像はつきます」

「初めから恵まれている人は、もうすでに財産を持っているのが当たり前だと思っているから、自分の成功は、自分が他人より立派で優れているからと思いこんでいるが、実は、ちっともそういうことはない。周りの人はお世辞を言うから、本人も、すっかりその気になっているがな。一方、何も持ってないものは、うまくいかないから、本人も能力がないと思いがちだが、それも本当じゃない。みんな、いろいろきれいごとは言うが、富める者はますます富み、貧しいものはますます貧しくなる。それが世の現実だ。私は、幼いころから、その現実を思い知らされて生きてきた。人に徹底的に媚びることだけがこの世で生きる唯一の方法だとね」

「そう……なんですか。苦労なさったんですね」

「何も持ってないものは、それしかできることはないんだ。その眞知の友だちの言う、勉強だけは公平な制度だというのは嘘じゃないが、残念なことに、すっかり価値が下がってしまったね」

「価値が下がった?」

「現役高校生なんだから、わかるだろう? 今、大学入試は、どんどんコネの世界になってしまっているようだな」

「コネの世界ですか?」

「そうだ。推薦入試っていうの知ってるだろう」

「ええ、もちろん。学校の推薦をもらって、一般入試とは別枠で、試験を受けて合否を決めるんですよね」

「つまり、それは、学校におもねって、うまくコネが作れた人が、大学とのコネで合格するってことだろう」

「いえ、あの、それは、そういうものではなくて……俺も、この前、説明をきいただけですが、まず、通知表の評定が一定以上ないといけなくて、普段の授業の成績が大事みたいですよ。学校の定期テストで一定以上点数を取っていないといけないんです」

「まあ、そうなんだろうが、通信簿の5、4、3、2、1だって、結局は、いかに先生に気に入られるかで決まるんじゃないか?」

「いや、あの、まさか……テストの点数とかが……」

「授業を真剣に聞くふりをして、宿題はきちんと出して、テストでどこが出るかを聞いて、出るところを勉強して……だろ、私は推薦という時代ではなかったが、とにかく、先生にもおべっかを使う感覚で、言われる通りのことをきちんとやるふりをしていた。だから成績は良かったよ」

「模範生だったんですね」

「そうそう、一つ思い出した。眞知が通っていた中高一貫の学校では、たまに後期の3年を別の高校でやりたいというやつがいて、受験を許可しているんだが、その際、相手の高校に出す内申書では、オール5を付けてくれるらしい。その生徒が、どんなに落ちこぼれでもだよ。完全にコネだろう?」

「そうなんですか。でも、もともと、優秀な人ばかりが集まる中学でしょうから」

「そう、この学校に来るぐらいの人は普通の中学だったらオール5のはず、という理屈らしいが、その話を聞いたときつくづく思ったよ。私立の中学ってこういううもんかってね」

「こういうもの……というのは?」

「まあ、他の高校に行く生徒の事情はいろいろだろうが、とにかく合格はしてほしいし、オール5の成績を出しておけば保護者も本人も文句は言わないだろ。要するにそれが正しい成績かというよりは、高い授業料と引き換えに出した、いわば商品だ」

「確かにそうですね」

「こういうふうに、成績でさえ、コネで出すのが私立だ。そして、金持ちだけが私立に通える。言いたいことはわかるだろう?」

「なるほど、わかります。金持ちは私立とコネを作って、コネでいい成績をもらうということですね」

「私の学生のころは、推薦はまだ少なかったが、始まってはいた。同じ大学に、推薦で入ったやつがいてね。小さいころから推薦狙いで、植物かなんかの研究していたらしい。どんな立派な研究か知らんが、とにかく私のような恵まれない生い立ちのものには、絶対に無理な話だなと思った。もちろん、私を含め大多数は試験で入ったんだが、こういう話を聞くと、、眞知の友だちの言うように、勉強だけは公平な競争だというのも怪しく思えてくる。そうは思わないか?」

「そうですね。確かに」

「今は、筆記試験で合格するやつのほうが少ないとも聞いた。もはや大学入試も公平な世界とは言えない時代だよ」

「ああ、そうなんですか。確かに、推薦で入ることを、真剣に考えろと先生も言っていましたね」

「そう、眞知の友だちは、有名大学にはコネを作りに入るんだと言っていたんだろう? まったく正しいよ。昔は学歴社会というのがあったのは知ってるかな?」

「わかりますよ。都会は違うのかもしれないけど、田舎では、有名一流大学を出ているのは偉いという風潮は今でもありますよ」

「そう、昔は、東大を出ていれば、それだけで、他の同期より早くえらくなれるという時代があったんだな。今ではそんなことはあり得ない。学歴なんか関係なく、その人も見ろってな。私の考えでは、これは日本の失敗だと思うよ」

「失敗なんですか。正しい理屈のようにも思えますが」

「ああ、失敗だね。言葉の上ではよさそうに見えるかもしれないが、その人を見ろって、誰が見るんだい。結局、お偉いさんだろ。権力者が見て、自分に都合のいい人を出世させてるだけじゃないか。学歴は、人を測る尺度として十分ではないが、誰かのコネよりはよほど公平だ。結局いい人材が、社会の上に立つという確率だけでいえば、学歴社会のほうが今のコネ社会より優秀なんだよ」

「そういうものですか」

「学歴社会への批判も、結局、コネをすでに持っている金持ちが、勉強という公平な制度ではコネが効かないことへの恨みから始まったことだろう? たった一点差で合否が決まるなんておかしい、なんて言葉を今でも聞くが、これって、『公平なのが許せない』って意味だよな」

「ああ、言われてみれば、確かにそうですね」

「私の両親の世代が昭和の高度成長期を支え、ジャパンアズナンバーワンとして、世界に冠たる経済大国になった時代があったんだが、この日本の成功は、学歴という公平な物差しで人間を計って、優秀な人材を社会にとって重要なポストに送り出せたことが大きいと私は思うよ。別の面から言えば、貧富に関係なく誰でもが努力次第で社会で活躍できるという『希望』が社会の中にあったというだけで、社会の活力が違う。学歴社会をやめて、日本は、今はすっかり停滞してるじゃないか」

「ああ、なるほど。社会の透明性や、公平さというのは、やる気に影響しますものね」

「そうだ。公平に扱われていると思えば、自分の頑張りが報われると思うから、がんばれる。いい仕事もできるだろう。だが、コネで全部が決まる世界には絶望しかない」

「絶望ですか」

「そうだよ。私みたいに何も持っていないものはそもそも社会に入ることさえできない。その眞知のお友だちは、この世界に入るために、無理してでも私立学校に来たと言ったんだろう? 私には、そんな入り口はあり得なかった。それでも何とか、学校だけは行かせてくれたから、自分なりに必死になって、里親というか、家の人に、そしてそれ以外のかかわれる人、先生やクラスメートやバイト先の人に必死に媚を売ってきた。料理の腕前をあげたのも、自分が料理が好きじゃないのに、家の人に気に入られようとしたからだ」

「料理すること自体は、あまりお好きじゃないんですか?」

「何かを自分が好きとか嫌いとかいう前に、どうふるまえば、殴られずに済むかということの方が先に立つようになっているというのが正しいかな」

「幼いころの経験が一種のトラウマになっているんですね」

「そう言ってもいいかな。ただね、私は、そうやって、いかに周りに媚を売るかということばかり考えて生きてきたんだが、結果的にというのかな、今、社会に出て、会社に入ってつくづく思うのは、大人になっても同じことの繰り返しだということだ」

「同じことの繰り返し? つまり、周りに媚を売るっていうことですか?」

「そう、さっきも話したろう? 学歴が意味を持っていたころは、社会的には、まだ、いくらか、公平とか真実とかいう言葉に価値があると思われていた。でも、今は、そんなものにだれも価値を認めない。いかにうまく媚を売ったかで出世は決まり、いかに能力があるかのようにアピールするかで、その人の評価が決まる。それを前提に、周りに媚を売る優秀さの競争だ。これももちろん持って生まれた才能や、その人の努力もものをいうが、さっきも言ったように、生まれつきのハンデはあまりに大きい。私のように、マイナスのハンデを持ったものが、いくら頑張っても、持っていないというだけの理由で、相手にされない。料理やお世辞がいくらうまくなっても、都合よく利用されて、大事にされることはない。それが世の中だ。絶望するしかない、とは思わないかね」

「あの、今は一流企業にお勤めなんですよね。一流ビジネスマンでいらっしゃるんだから、俺なんかから見ると、超一流の成功者に思えるんですが……」

「もしかすると、はたからは、そう見えるかもしれんね。実際、給料という意味では、標準よりは稼いでいる方だと思うよ。でも、これは、ひたすら取引先や、社内でご機嫌取りをやってきた結果だ。私の立場はすごく弱い。、とっても薄い氷の上を、恐る恐る、なんとかわたっているという感じだ。一歩間違えれば、あっという間に転落しかねない」

 母親は夫の腕にそっと手を置いた。

「まあまあ、気持ちはわかるけど、それは言い過ぎでしょ。あなたは、もう立派で優秀な一流の社会人よ。そうでしょ?」

 和泉さんは妻を見返した。しばらくじっと見つめる。

 それから、少しうつむいて、何かを考えているようだった。そして、眞知と、俺の香を順に眺めた。

「この人と、ナカ、つまり中井……眞知のなくなったお父さんだね、と学生の頃、出会ったんだ。それが私の運命を変えた」


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