第451章 超一流の家の超一流の夫婦
広いリビングの窓際に置かれたソファに座ると、小さいけれど、美しい庭が見えた。
お茶を運んできてくれたのは、和泉さんだった。手慣れた様子で、お茶のセットを用意して、目の前で注いでくれる。ケーキも目の前で切って取り分けてくれる。料理がうまいと眞知が言っていたのを思い出す。確かにイケメンだ。少しくせっ毛のようだが、精悍な顔つきにあっている。
「どうしてるのか心配していたけど……」
と母親がティーカップを手に取った。
「元気そうでよかった。それどころか、こんな素敵な恋人を作っちゃって……」
と俺の方を見る。こんな、オタク風のさえない田舎者が恋人? と、内心、思っているのは十分に想像がつくが、眞知が恋人にしたからには、見所があるのかもしれないと思っていてくれるのかもしれない。
眞知によく似た美人だ。40は過ぎているだろうに、全然、そうは見えない。20代と言って十分に通用する。友部家と言い。額田家と言いい、俺の母親とそう年は違わないはずなのに、なぜ、こんなにみんな若々しいのかな、とか、ちょっと余計なことを考える。
「うん、あの。あの時はごめんね。急にいなくなって」
眞知は、何を言うべきか、困っていた。
「あの……那加が、急にいなくなったって言っていたよね……。どういうことなの?」
「家出して、ずっと一緒に暮らしてきたんだけど、昨日、突然、いなくなったの」
「いなくなった? どういう意味?」
「荷物を持って私の前から姿を消したということだよ」
「あの、申し訳ないが……」
和泉さんが、母親の脇に坐る。
「よかったら、どこでどんな風に暮らしていたのか教えてくれないだろうか。それと、そもそも、この家を出ていった理由も」
眞知は俺の方を振り向いた。何をどう話すべきかは夕べ、明け方まであれこれ考えて、眞知には、俺の方から説明させてほしいと頼んでおいた。。
俺は少し身を乗り出した。
「でしゃばってすみません。俺は、田舎の高校で那加さんにすっかりお世話になった人間です。実は、眞知さんのようなすてきな人と恋人になれたのも那珂さんのおかげです。ですから、那加さんになんとか恩を返したいと思っています。今、那加さんは行方が分かりません。何とか見つけたいんです。できることはなんでも、全部、ベストを尽くしたいと思っています」
和泉さんも母親もびっくりした顔で俺を見ている。このいかにもさえない田舎者が、眞知の恋人というだけで驚きだが、いったい、どういうわけで、こんなに出しゃばって、何を言い出したんだ、と思っているに違いない。だが、どう思われようとかまわない、那加を見つけるためなら、できることは何でもするつもりでいた。
「なぜ姿を消したか、どこにいるのか、それを見つける手がかりを探しています。そのためには那加さんのことはなんでも知りたいと思っています」
和泉さんが、俺を見つめて、腕を組んだ。
「いや、話はわかったが、その前に、そもそも、那加がこの家を出ていった理由が私たちにはわからないんだが、君は知っているのかい?」
「いえ、それは……俺も知りたいです。眞知さんも知らないようなので」
母親は少し身を乗り出した。
「眞知、あなた、理由も知らずに家出したの?」
「家出するけど、一緒に来る? って聞かれて、那加についていった。お母さん、昔から知ってるでしょ。私は那加が大好きで、那加といつも一緒にいたいってこと」
「知ってるよ、那加もいつも眞知のことを最優先だった。いくら双子でも、こんなに仲がいい姉妹っているものなの? ってずっと思っていた」
「許して。お母さんには和泉さんがいるけど、那加には私しかいないんだから」
「許すも許さないもないよ。二人は一緒にいるのが一番……でも、理由は全く聞かなかったの?」
眞知は首を振る。
「聞かなかったよ。那加はいつでも私のことを思ってくれる。私が知っていた方がいいようなことなら、きっと話してくれるってわかっていたから。知らないほうがいいことなんだなって思って……」
「そう……なのか」
和泉さんは何か意味ありげに自分の妻を見た。彼女も和泉さんを見る。
もしかして、何か心当たりがあるのか、という思いが一瞬頭をかすめる。でも二人は、それ以上何も言わなかった。
俺は、さらに身を乗り出す。
「とにかく、まず、家出した理由を、俺もぜひ知りたいです。もしかすると、今回、姿を消した理由も、家出の理由と関係があるのかもしれないなとも思います」
「何か、手がかりはあるのかい。那加は何か言ってなかった?」
俺は首を振る。
「いえ、何も……俺が思うに、家出の理由は、中学校でのことか、そうでなければ、失礼ですが、何か家庭の問題の可能性もあると思います。少しだけ、少し立ち入ったことを聞いてもいいですか?」
和泉さんは、少し首をかしげて、もう一度、眞知の母親の方を見た。母親は何も言わずに見返す。和泉さんはあごに手をやって俺を見た
「鯨岡君。気持ちはよくわかったけど、私たちは、君のことをよくは知らない。眞知が恋人に選んだわけだから、全くの他人というわけじゃないが、今日初めて会ったわけだから、どういう人かもわからないし、家庭の話を聞かせてほしいと言われても、簡単には答えられないよ。それはわかるだろう?」
俺は神妙にうなずいた。まあ、簡単ではないだろうと思っていた。超一流の人たちにとってみれば,いかに眞知の恋人だといっても、いかにも三流の俺には、そう簡単に心を許せないというわけだ。やっぱり難しい。この和泉という人はいかにも抜け目なくビジネス界で成功している感じの人だ。非常に用心深くたち回ることに慣れているのだろう。そもそも、眞知の父親が亡くなってから、1年で再婚しているわけだから、かなり早い。もしかすると、二人には秘密というか、詮索されたくないこと、俺や眞知に話したくないことがあるのかもしれない。
「いえ、あの、お話ししていただける範囲で伺えれば十分ですので」
「私としては、むしろ逆に、那加がこの家を出た後、どうしていたのかを教えてほしいんだが……2度目の家出をしたとすれば、理由は最近の環境にあると考える方が自然だろう? 最初の家出とは必ずしも関係ないんじゃないのかい」
今度は俺が眞知と顔を見合わせる番だった。確かに、ごく自然な話だ。
「もちろん、そうですね。今どこに住んでいるか、具体的な場所とかは今は伏せさせてもらいますが、どんな経緯で俺が那加さんと出会って、どういう関係かということは簡単にお話ししたいと思います」
俺は、那加と眞知が違う学校に通っていたこと、俺は、那加と同じ学校で知り合い、友だちになって、勧められるまま、生徒会長になって、那加に相談しながら、行事を成功させてきたこと。そして、那加の紹介で眞知に会い、恋人になったことなどを、かいつまんで話した。もちろん、奴隷になった話などはしなかった。
「そういうわけで、那加のおかげで、俺の人生は変わったと言ってもいいくらいなんです。もう、恩人という言葉では足りないくらいで……」
二人は目を丸くしながら、俺の話を聞いていた。母親は、俺を見つめてうなずいた。
「那加らしいわね。あの子は本当にやさしい……でも、今の話を聞く限りは、那加も、結構、楽しく学校生活が送れていたようにも思えたけど」
眞知の方を見る。眞知はうなずいた。
「うん。ここの生活は自分にあっている。ジラ……っていうのは鯨岡君に那加がつけたあだ名なんだけど、ジラに会えてよかったって言っていたよ」
「生活費はどうしてたんだ。貯金だってそんなにあったわけじゃないだろう」
「小さいころからの二人の貯金と、あとは、那加が深夜にアルバイトして稼いだお金で暮らしていたの。、結構そういう意味では大変な思いはしていたよ。私もバイトしたかったんだけど、那加が許してくれなくて……」
和泉さんは少し体を起こして背筋を伸ばす。
「この際だから、私と妻の考えていたことを正直に言うが……」
母親の方を見た。
「私たちにとって、二人の家出は、正直、ショックだった。理由も告げず突然姿を消したわけだからね。なぜ? 何処へ行った? かなり慌てたよ。でも、少し時間がたつと、実は、内心、それほど心配はしていなかったんだ。な?」
母親の方を振り向くと母親もうなずく。
「実はそうなの。もちろん心配は心配だし、できるものなら見つけたいと思ってはいたけど……」
「心配していなかった……んですか?」
和泉さんがうなずく。
「そう、私も小さいころから那加を知っているし、妻は自分の産んだ子だからもちろんだ。たぶん、君もよく知っているんだろうが、あの子は、本当に神がかり的に頭がいい。それでいて、仏様のようにやさしい。だから、家出という形で、この家を離れたことも、間違いなく、あの子らしい深慮遠謀の結果で、きっと正しい選択なんだろうって思うしかないっていうことだ」
母親がうなずいて言葉を継いだ。
「もちろん、家を出る前に私たちに相談してくれたら、うれしかったけれど、何か、そうできない理由がきっとあったんだろうって、二人で話していたの。二人がいなくなって、もちろん、私たちは寂しいけれど、置手紙に合った通り、全寮制の学校に入ったと思えば、我慢できないことはないよねって。そして、ちゃんと、たまに『元気だよ』って手紙も届けてくれるし、彼女を信じるのが私たちにできる、一番いいことだろうって、そう思っていたの」
「実はな、少しは探したんだが、あの子が、本気で姿を隠すつもりなら、私たちがちょっと探したぐらいで見つかるはずがないし、見つけてほしくないものを見つけないほうがいいかと思っていたんだよ」
「手紙には元気だって書いてあったんだけど、今、話を聞いて、ほんとに元気で楽しく過ごせていたなら、うれしいわ」
眞知が口をはさんだ。
「那加は、田舎の学校は、中学より全然楽しいって。そしてね、さっきも言ったけど、ジラに出会えてよかったって言ってた。眞知の最高の恋人になるって言ってくれたの。おかげで、私は、最高の恋人に出会えたわけ……」
俺の方を見て、少しいたずらっぽく笑う
「えーと……」
俺は坐りなおして、二人を見た。
「大事なことを話すのを忘れていました。実は、那加さんは、俺の学校では、一日中、大きなマスクと黒縁のメガネをかけて、素顔が絶対に見えないようにしていたんです。ほとんど顔が見えませんでした。だから俺自身を含めて、那加さんの素顔を見たことのある人は俺の学校にはいないはずです。それどころか、眞知さんの話では家でもマスクを外さなかったそうで……」
「そうなの。一緒にお風呂入る時もマスクを外さないので、どうしたのかなって思ってたの」
「こんなに顔を隠すのはなぜなんだろうって、ずっと思っていました。学校での様子は、楽しそうに見えることもありましたが、それでも、いつも、心のどこかには、なにか引っかかっているものがあるのかなという感じもあって……ずっと俺も心のどこかでモヤモヤしていたんです。やっぱり、それが家出の理由と関係あるのかなって……」
「そう……なのね。中学校時代もマスクはよくしてたけど、そこまでではなかったわね」
「やっぱり、何か秘めた悩みがあるのかなって気もして……俺も、何か那加さんのためにできることはないのかなって思って、聞いてみたこともあるんですけど、詮索してほしくはないみたいで……ずっと謎のままでした。もしかして、お父様やお母さまには何か心当たりはありませんか?」
二人は、俺も見つめたまま、一瞬、沈黙した。和泉さんが軽い目配せをしたのは、やはり何か意味がありそうだと思う。
「心当たり、といえるのかどうか……」
しばらく考えたあと、和泉さんは、母親の方を見た。
「学校、というか中学校では、いろいろあったらしいが、そうだろ?」
母親は、首をかしげると、少し困ったような顔でうなずいた。
「そうね。私も、詳しくは聞いてないけど……」
「どうする? あれを出してみるか?」
「そ、そうね」
眞知が身を乗り出す。
「どういうこと? 何かあるの?」
「うん、実はね、二人が家出した後、那加あての手紙が何回か届いたの」
「手紙?」
「そう、差出人も書いてないし、切手が貼ってない時もあって、直接持ってきたとしか思えない時もあった。気持ち悪いけど、捨てるわけにもいかず、かといって開けるわけにもいかず、どうしたものかと……」
「この際、思い切って開けてみてもいいかもしれないな……非常事態だし……」
俺は那加と眞知の母親とその結婚相手の和泉さんに会うために、東京を訪れた。




