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第18章 倉庫の陰で空を見上げる話

酒出と土曜日の午後歩いていた俺は「那加は恋人じゃないの」と聞かれてちょっとあわてます。

 酒出はどこで俺たちを見たんだろう。秘密の書斎以外では、滅多に話してはいないはずだが……しかも、相当、仲がいいように見えたってことか? 仲自体は絶対によくないのだが、俺は忠実な奴隷だからそう見えたのかもしれない。

 こんなときにどう答えたらいいのか、困ったな……なんと言おうか考えているうちに、うまいことに馬場商店についた。ここが目的地だ。食料品や雑貨を売る地元の古い店だ。大大地高の生徒もお得意様のはずだ。だが、今は、客は誰もいない。 

「こんにちは」

 レジの向こうにすわっていた、おじさんというより、おじいさんに声をかける。


「で、うまく行ったのね」

 電話の向こうで那加が言う。電話はこちらからかけてはいけないことになっているが、那加が今日の成果が知りたいとかけてきたのだ。

「那加の言うとおりでした。俺、正直、あんなにうまくいくとは思っていませんでしたよ。人数分におまけまでつけてくれて、値段もスーパーよりずっと安く売ってくれることになりました」

「よかったわね。みなみんのおかげかも。あんなかわいい子にお願いされたら、特にお年寄りなんか嬉しくなっちゃうよ」

「美人は得ですねえ。世の中、不公平ですね」

「あたりまえよ。またそんなこと言うの? あいかわらず、心が黒いわね。とは言っても、商店にしてみれば、数の決まった注文をもらえれば、それだけ仕入れて、いくらかでも利益を乗せられれば、十分よね。儲かるんだから悪い話であるはずがないわ。これで、来週の差し入れは安く手に入ったわ」

「いいんですけど、そこまでして部活に差し入れするんですか」

「女の子は差し入れが大好きよ。大事なことは、『部活が楽しい』ってみんなに思わせること、そうすれば、みなみんに対する風当たりは、当然、柔らかくなるのよ」

「はあ」

 俺は、半信半疑だった。

 だが、この前の話でも、酒出の周りの人間関係がよくなっていることは事実らしい。那加の予言は正しいのかもしれない。いつか言っていたことを思い出す。

「人は一歩ずつしか進めないのよ。だから大事なのはどっちの方向が正しいかを見極めることなの」。

 どちらにしても、奴隷の俺は、命令にただ従うしかない。

「それにしても、支払いは、また、俺のポケットマネーですか?」

「いいじゃない。貯金はまだあるんでしょ。小さい頃からお年玉を貯めてきたんでしょ」

「まだありますけど、那加のおかげで、だいぶ使いましたよ」

「眞知を彼女にできるんだったら、お金なんかいらないでしょ。けちけちしないの」

「いいです。全部、那加の命令通り、使いますけど、眞知さんとのデートの予算ぐらい、とっておきたいです」

「悪いわね。私にお金があったら出したいところなんだけど、実は、私は、とってもとっても貧乏なの。でも、大丈夫。次は、保護者や先生のポケットマネーを引き出す作戦で行くから……下小川商店の方はどうだったの」

「そっちは店が臨時休業で」

「おやおや、じゃあ、あしたあたり、行ってきて。日曜だから午前練でしょ?」

「明日は、みなみんは忙しいみたいで。部活のあとデートみたいです」

「そうか。デートね。もう大丈夫かなあ」

「何がですか」

「大宮先輩よ。みなみんをあまり大事にしてないんじゃないかって、それを心配してたんだ」

 俺は酒出の言葉を思い出す。明日は機嫌は直るんだろうか?

「俺、俺が大宮先輩を不機嫌にしているのでは、って不安に思ってるんですけど」

「それでいいんだよ。大宮先輩に限らず、多くの人が、ジラはみなみんが好きで、自分を振り向かせたいという下心を持って、みなみんにまとわりついているんだと思ってるよ」

「実際に下心あるじゃないですか。俺は那加の命令で動いているわけなんだから」

「でも、みなみんを幸せにしたい気持ちに嘘はないでしょ」

「それは本当ですけど……」

「みなみんだけはそれがわかってるけど、他の人はそう思わないから、大宮先輩が気に入らないのは当然だと思うよ。ここでどうふるまうかで、大宮先輩の器がわかるわね。まあ、恋愛の問題は難しくて、理屈でどうのこうのなるものじゃないけど……もし、万が一……大宮先輩が……」


 那加の予言はよく当たる。しかし、今度は少し外れた。しばらくしたある日の昼休み、俺を呼び出したのは、大宮先輩ではなく、同じテニス部の友人である西金先輩だった。校庭の隅にある体育館の裏の倉庫の陰に待っていたのは、体が大きくてがっしりした、とがった顔の先輩だった。

「鯨岡くん。呼び出してすまないね。大宮から、よからぬ噂を聞いたので、ちょっと確かめたいのですよ」

「はい」

「君は、大宮の彼女にまとわりついているそうじゃないか」

 おお、やっぱり、そういう話か、と俺は思った。那加は大宮先輩が来ることを予想していたが、来たのは意外にも友だちだった。まあ、その方が俺にとっては都合がいい。言うべき台詞は決まっていたが、大宮先輩に面と向かって言うより、その友だちに向かって言う方が、ずっと気が楽だ。

「まとわりついている? いや、そんなことはないですよ。それは誤解です。確かにソフトボール部のマネージャーとして一緒にいる時間もありますが、それ以上じゃありません。俺は、酒出さんのために女子ソフトのマネージャーになりました。正規のマネージャーが入院してしまって、困っているって聞いたからです。俺でも役に立てるならと思って入って、酒出さんやほかの部員の役に立てるように頑張っているだけで、それ以上じゃありません」

「その割には、酒出さんと一緒にいろいろやっているって聞いてるんだけど」

「酒出さんは、やさしいから、マネージャーの仕事を手伝ってくれるんです。俺もついつい甘えて、いろいろお願いしている部分はあるけど、それだけです」

「きれい事を言っても、結局、酒出さんにうまいこと言ってつきまとっているんじゃないか? 正直に言ってほしいんだけど、酒出さんが好きなんだろう。うまいこと言って、チャンスを狙ってるんだろう? 違いますか?」

「それは誤解です……っていくら言っても信じてもらえないでしょうから、その誤解に乗った言い方をしますね。俺が、酒出さんが好きだとしたって、それで何か困るんですか? 俺は酒出さんが大好きですよ。だって、西金先輩も知っているとおりの、とびっきりのかわいさで、明るくてみんなの人気者なのに、俺みたいなモブキャラにまですごく親切にしてくれる、とびっきり優しい心を持っているんですよ。酒出さんを彼女にできたら、どんなにすてきだろう、って誰でも思うと思いますよ。西金先輩だって、もし大宮先輩がいなかったら、そう思うんじゃないですか。俺もそう思っている一人に入れてもらっていいですよ。でも、俺がどんなにそう思っても、彼女は、大宮先輩が大好きなんです。あんなかわいい天使のような子に好きって言われたらなって。俺だったら死んでもいいと思うくらい、うれしいと思います。でも、酒出さんは大宮先輩が好きなんです。俺はそれをすてきだと思っています。俺の大好きな酒出さんが好きな人と一緒にいられて、幸せでいるならこんなうれしいことはないです。俺は酒出さんに幸せな毎日を送ってほしいだけです。大好きだからそう思うんです。ここだけの話ですけど、先輩は酒出さんが部活のことで悩んでいることを知っていますか?」

「いや、知らない」

「俺の口からは言いにくいので、詳しい話は大宮先輩か酒出さんから聞いてください。とにかく悩んでいることを聞いたので、俺みたいなものでも役に立つことがあるなら、精一杯やってみようと思ってマネージャーに立候補したんです。俺が役に立ったかどうかはわからないけど、少しは、酒出さんの役に立てたかなと思ってます。西金先輩は俺がストーカーみたいにつきまとっていると思っているかもしれないけど、酒出さんは俺につきまとわれて困ってるって言ってましたか? 言ってないと思いますよ。西金先輩は、どういうわけで俺を呼び出したんですか。大宮先輩に何か言われたんですか?」

「そういうわけじゃないけど」

「でしょう? 大宮先輩は一番の理解者のはずです。何にも心配なんかしてないと思いますよ。俺は、大宮先輩は、俺よりも誰よりも酒出さんを大事にしてくれるって信じてます。だって、酒出さんに好かれていて、彼女を大事にしていないなんて罰が当たります。違いますか?」

「ああ、まあな」

「俺、大宮先輩を尊敬してます。すてきな人で、あんないい人が酒出さんの恋人でうれしいです。比べるのも失礼だけど、俺なんかじゃ、全く相手にならないこと、わかってます。大宮先輩は、酒出さんが、部活のことでがんばってるのは、知ってるはずだし、応援してくれてると思います。俺と一緒にいるのも部活のためだと知ってると思います。何より、酒出さんが幸せになるように、一番応援してくれているのは大宮先輩だと思います。だから、俺が酒出さんを好きだとしても、俺が酒出さんの幸せだけを願っているのをわかってくれてるはずだし、一緒に酒出さんを守る同士として、感謝というのでなくても、俺のことは認めてくれていると思ってます。もしそうでなくて、俺が酒出さんのためにやっていることを、『俺の酒出に手を出すな』みたいな感じで見ているとしたら、俺は怒ります。だって、それって酒出さんより自分のことを考えているってことですから。もし、万が一、大宮先輩が、そういう人で、あんな輝く宝石みたいな人を大事にできない人だったら、俺は大宮先輩を軽蔑するし、今すぐにでも、自分から大宮先輩のところに行ってけんかを売りますよ。それこそ、酒出さんを大事にしない人になんか渡さないって!」

 那加が俺にこんなこと言えと命じていた。が、言っているうちに俺は、それが俺の本心でもあるような気がして、目頭があつくなるほど興奮していた。「場合によってはけんかして」と那加は言っていた。

「俺、勝てるわけないけど、何度、ぼこぼこにされても、南さんのためならけんか売りますよ」

 その時の俺は本気でそう思った。

 俺の迫力に押されるように、西金先輩の表情は少し弱気に変わった。

「わかったよ。俺の勘違いだったのかもな。もういいよ。わかったから」

 先輩はそれだけ言うと、俺の返事も聞かずにかえってしまった。

 部室倉庫の裏に俺は一人、取り残されて天を仰いだ。校庭のケヤキの木の葉っぱが紅葉して風に泳いでいる。黄色と空の青の対比が美しいと思った。まだ、胸が波打っている。命令とは言え、言ってしまったことに、後悔と満足とが奇妙に入り混じっていた。俺の中にあんな強い気持ちがあったなんて、思いもよらない気がした。風にそよぐ枯れ葉を見つめながら、俺は自分で思っている以上に酒出に恋しているのかもしれないと思った。

 眼のすみに何かが動いた。

 振り向くと、倉庫の建物の角に酒出が立っていた。秋の美しい光を浴びて、本当に宝石のように輝いている。もちろん、ずっと美少女だと思っていたけれど、それでも、彼女がこのときほど輝いて見えたことはなかった。

「いたんだ。もしかして聞いてた?」

 酒出は軽くうなずく。

「ジラが呼び出されたと聞いて、いやな予感がしたから、大急ぎで大宮先輩のところに行って、一緒に来たの。倉庫の陰で、一緒にみんな聞いちゃった」

 酒出は急に走り寄ってきて、俺の胸に頭を埋めるようにして抱きついてきた。俺はあわてた。

「実は、二人でそこまで来たら、二人の声が聞こえてね。立ち聞きしちゃったんだ。そしたらね、大宮先輩がね。話が終わったあと、急に私を抱きしめてくれたの。『俺が悪かったよ。おまえをもっともっと本気で大事にするから』って。私、感激して、泣いちゃって」

 酒出はまだ涙を流しているように見えた。俺はおそるおそる酒出の背中に両手を回した。スーパーアスリートなのに華奢な背中だった。

「ジラ、ありがとう。みんな、ジラのおかげ。一言、お礼が言いたいって言ったら、大宮先輩も『そうしろ』って言ってくれたの。ほんとに、ほんとに、いろいろ、みんな、ありがとう」

「俺、何もしてないよ」

 全部、ご主人様の指示ですから……俺、お礼、言われる資格ないんですけど……でも、あなたに幸せになってもらいたいという気持ちにだけは、嘘いつわりはありませんから……

 俺は、少しだけ、酒出の背中に回した手に力をこめた。酒出が俺の正体を勘違いしているだけだとしても、今だけ、少しだけ、俺にも感動させて下さい。ご主人様。



「男と女のことは、一筋縄じゃいかないけど」

 次の日の朝、那加は、こちらを見ずに言う。「ジラも、見事、失恋したってわけね。お気の毒さま」

「失恋なんてしてませんよ」

「そーお? 実は私、ジラとみなみんが相思相愛になっちゃうんじゃないか、って少し心配してたんだ」

「んなわけないじゃないですか」

「まあ、そうよね。でも、よかったと思う。大宮先輩は、もう、みなみんを悲しませないような気がする。ジラみたいにかっこいい男がそばにいるとわかったら、ちょっと油断したら大変、と思ってくれたんじゃない? みなみんの価値も、今度こそ、本当にわかったと思うよ。もともと、イケメンにしてはなかなかの男だったから。ま、ジラ、みなみんは彼に譲りなさい。ジラも、もう、ソフト部もやめどきね」

「マネージャーも来週、復帰する予定ですからね」

「少し、引きついでやめなさい。勉強時間も確保しないとね」 

「また、勉強ですか」

「当たり前よ。次の目標は委員長よ」

 委員長? あの絶対美少女を相手に何をさせるつもりなんだ、那加は。


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