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番外編 正月明けの摂生粥


 束の間であった正月休みも終わり、通勤通学にと喧騒を取り戻した道をバスに揺られ、愛しの我が家に辿り着く。

 玄関へ入り靴を脱いだ俺は、自室に戻り部屋着に着替える。普段とまるで同じ、日常の光景。

 しかし着替えてリビングへ移動しようとした俺は、部屋の隅に置いてあった鏡を見てハッとした。



「しまった。ここ最近ずっと贅沢が続いていたからな……」



 姿見に写っているのは、当然のようにスウェット姿の自分自身。

 ただそのシルエットは記憶にあるそれより、若干丸みを帯び始めているように思えた。


 クリスマスに始まり、大晦日と正月。加えてそこそこ長い休暇。

 特別遠出をするでもなく、ひたすら家で少しばかり豪勢な食事と酒に舌鼓を打ち、ソファーでダラリと横になる日々。

 そんなのが続けば、当然身体も緩もうというものだ。年末あたりにジム通いを出来ていなかったせいあるが。


 目の前へと突きつけられた、メタボへの警告灯。

 鏡に写るそれに苦い表情をしていると、ノックすらなく入ってくる姿が。



「兄貴~。今日の夕飯は……、ってなに腹出してんのよ」



 扉を開き現れたのは、俺よりも先に帰宅していた我が妹。

 ヤツは許可を得ず覗き込んで来るなり、裾をまくり鏡へ腹を写していた俺に怪訝そうな表情を向ける。

 ただそれをしていた理由がすぐわかったらしく、ジッと見て嫌な声を発した。



「うわ……、ちょっとヤバくない?」



 いかにもドン引いたと言わんばかりに、大仰な素振りで身体を仰け反らせる。



「少々不摂生が過ぎた。またジム通いを再開しないとな」


「兄貴も遂に中年の仲間入りをする日が来たわけね。このままメタボ一直線か」



 駄妹は引いた演技を止め、今度は俺を指さし愉快そうに笑い始める。

 だが俺は知っている。こいつも年末から年明けにかけての不摂生で、似た状態になりつつあるのだと。



「お前も人の事を言えた義理じゃないだろうが。知ってるぞ、今朝も鏡の前で顎のラインを気にしてただろ」


「ちょ、なに勝手に見てんのよスケベ!」


「なにがスケベだ。朝のくそ忙しい時に、長時間洗面台を占領してたら嫌でも気付くわ!」



 過度な油分と酒、普段より遥かに豊富なたんぱく質によって体系が変化したのは妹も同じ。

 むしろ料理をするため台所へ立っていた俺と違い、延々ソファーに寝転がっていたコイツの方が、より悪化し易いとも言える。

 元々の筋肉量も違うため、代謝の度合いも段違いだろう。



「いいから運動の一つもしやがれ。お前の部屋を豚小屋扱いされたくないなら」



 反撃の狼煙を上げ、ビシリと妹を指さす。

 だがその言葉に一瞬黙りこくる妹だが、肩を竦めまっぴら御免と言わんばかりに首を横に振った。



「私はそういうのパス。お兄様からのお年玉でもあれば頑張れるかもしれないけど」


「冗談は寝て言え。そういうのは親父たちに請求しろ、俺は知らん」



 何を言うのかと思いきや、口から飛び出したのは兄貴である俺からのお年玉要求。

 半分は冗談だと思う。しかしもう半分はきっと本気だ。



「ったく、どんだけ堕落してんだよお前は」


「なにを今更。私の運動嫌いを甘く見ない事ね」


「堂々と情けない発言をすんな。……仕方ない、なにか摂生になるような飯でも作るとするか」



 これまでも何度か勧めてきた運動習慣。しかし妹の堕落という牙城は高く強固、この日も崩すには至らない。

 となればせめて、食事内容の改善くらいは図りたいところ。


 そこで俺は説得を諦め、早速台所に向かって冷蔵庫を開き物色を始める。



「とは言え、手間がかかる料理をするのは避けたいところだな」



 正月休みによる緩い感覚も、ここ数日でようやく元に戻りつつある。しかしまだ若干の気怠さが残る。

 出来れば楽をしたいというのが本音で、今日はあまり凝った料理をする気力が沸かない。


 だが流石にこの時期ともなれば、正月に食べていたごちそうの残りも完全に消え去り、あるのは普段通りの食材ストックばかり。

 常備菜として作っておいた物も消えている。料理するのを面倒くさがった結果、全て食べつくしてしまったからだ。


 どうしたものかと悩み、冷蔵庫に次いで棚の方も眺める。

 そうして俺が夕食のネタに思案する最中、妹はソファーの上で転がりスマホをいじっていた。

 いつか痛い目を見せてやろうという考えが首をもたげ、夕食からそちらに思考が傾きかけたところで、その妹から呑気な声が。



「なんかあの子も、同じような状態みたいよ。気持ちほど体型がヤバイって」


「あいつがか? ……でもそういえば、会社でも妙によそよそしかったような」



 妹が"あの子"と言う相手は一人だけ、俺にとっての後輩でもある娘だ。

 なんだかんだあって妹と親しくなった彼女は、しょっちゅうSNSなどでやり取りをし、わりと頻繁にウチで食事を摂っている。


 クリスマスや正月なども同様で、妹は良かれと思って一人暮らしの彼女を呼び、かなりの割合で一緒に過ごしていた。

 なので体調や体型など、我が家と似た状態になっていてもおかしくはない。

 思い出してみれば、今日会社で声をかけた時も慌ててコートで身体を隠していた。



「基本的にはあんまり太らない体質らしいけど、流石に今回は少しキてるみたいね」


「それは悪いことをしたな。っていうかそういう個人的な話しは、秘密にしといてやれよ……」



 そう考えると、少々申し訳ないような気がしてくる。

 ひとまずそんなプライベートな件を、俺に伝えてきた妹の無神経さは置いておくとして、後輩にもなにかしてやった方が良いだろうか。



「彼女へ家に来るよう伝えてくれないか。もし気が向けばでいいんだが」


「りょーかーい。それで、なにを作ってくれるの?」


「そいつは今から考える。でもそうだな、出来ればダイエットに良さそうな物を」



 ちょっとした償いも兼ねて、後輩にはこの日もうちで食事をしてもらうとしよう。彼女の家からはそこそこ近いことだし。

 ただ問題は何を作るか。そこまで気を遣わず食べられ、かつ栄養価が高いというのが理想だ。


 そこでもう一度冷蔵庫を覗き込むと、奥の方にある袋へ目が留まる。

 引っ張り出してみるとそれはオートミール。常温保管をして虫が寄っては困ると、冷蔵庫へ放り込んだのだったか。

 そういえば以前サラダの具材として使って以降、ずっと放置しっぱなしだ。


 これを使うのはなかなか悪くないかもしれない。となればあとは具材だ。

 あるのは鶏胸肉や卵。野菜室を覗けばキャベツや白菜、根菜のカゴには人参に牛蒡が見える。あとは……。



「蕪と大根、か」



 少し前に、近所に在る農協で買ってきた葉っぱ付きの綺麗な代物。

 すぐに使おうと思っていたものの、ついつい億劫でそのままにしてしまったが、見れば葉はかなり綺麗な状態。


 そいつを見てふと思い出し、台所にかかっているカレンダーへ目をやる。

 時期的にちょっと過ぎた感はあるが、こういう時食べるには案外丁度良いかもしれない。

 そう思い至るともう迷うことはなく、俺は必要な材料を手に取った。


 鍋で鶏胸肉を茹でている間に、大根と蕪から葉の部分を切り落とし、本体の部分であるはずの方を冷蔵庫へと戻す。

 葉を短めに刻み、オリーブオイルを垂らしたフライパンで炒め、少量のアンチョビと粉唐辛子を加えてさらに火を通していく。



「兄貴、あと5分くらいで来るってさ」


「了解だ。その頃には丁度出来上がる」



 妹が台所に顔を出し、もうすぐ後輩が来ると告げる。

 その声を聞きながらフライパンへ刻んだニンニクと白ワインを加え、アルコールを飛ばしながら黒コショウをしていく。

 別の鍋でオートミールがくつくつと煮えていくのを確認し、茹で上がった鶏肉を取り出すと、熱さで火傷しそうになりつつもほぐしていった。


 諸々の調理が済み、皿に取り出したところで聞こえるインターホン。

 後輩を出迎えるのは妹に任せ、いそいそと準備を進めていくと、彼女は台所を覗き込んできた。



「すみません、先輩。今日もお世話になります」



 楽さを追求した部屋着の俺たちと異なり、当然のように彼女はしっかりとした小綺麗な私服。

 ただ家に上がったというのに、あまり上着を脱ぎたがらない。

 やっぱり妹が言っていたように体型が気になっているのだろうか。



「あまり気にしないでくれ。……半分こっちの都合だしな」


「都合、ですか?」


「いや、なんでもないんだ。さあ座ってくれ」



 ぽろりと漏れた言葉に、首を傾げる後輩。

 そんな彼女へと誤魔化しながら、リビングで妹と待っているように促す。

 妹から体型が変化した件を聞いているというのは、流石に当人へは言わない方がいいだろう。


 後輩がリビングに向かったのを見て、鍋のオートミールを皿へ盛る。

 上に蕪と大根の葉、ほぐした鶏肉を乗せ、仕上げに香りのよいオリーブオイルを一垂らし。

 非常に簡単な内容に過ぎると思うも、正月あたりにした贅沢に対する戒めとしてはこんなところか。


 リビングに出来上がったそいつを運ぶと、案の定妹は少しばかり眉をしかめる。ボリュームに関して不満があるのだろう。

 対して後輩はすぐに、使ってある食材について気付いたことがあったようだ。



「これ、大根か蕪の葉っぱですか?」



 彼女は時期的なものもあるだろうが、使ってあるそれの正体へと勘付く。

 せり、なずな、すずな、すずしろ、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ。これらを総称し、春の七草と呼ばれる。

 普段は目にも耳にも馴染まないそれらだが、その内すずなとすずしろは比較的身近で、それぞれ蕪と大根を指していた。



「両方だ。丁度よくあったし、時期的にも良かろうと」


「こうして食べるのは初めてです」


「二種類しか入っていないから申し訳ないけど、勘弁してくれるとありがたいな」



 本来は弱った胃腸を休め、冬に不足しがちな栄養を摂るためのものだが、胃に関しては問題ないためここは気分ということで。

 オートミールそのものは腹持ちが良いため、ダイエット食としては悪くないはず。

 高たんぱくで低脂肪な鶏胸肉も、同様に適した食材だと思う。


 後輩は物珍しさに目を輝かせる。一方我が駄妹は、気にした様子もなくスプーンを動かし始めていた。

 もうちょっと後輩のように、風情というものを堪能してくれればいいものを。

 ただ味に対する評価はそれなりであったらしく、妹は麦の粥を口にするなり、率直な感想を漏らした。



「優しい味。でもそこまで軽くない」


「あまり薄い味付けだと、お前が文句を言うと思ってな。辛みがあるから、それなりに食い応えがあるだろ?」



 うちに置いてあるオートミールは、諸々の用途に使えるようなプレーンの物。

 なので普通に煮ただけでは、味が淡白に過ぎるためかなり物足りない。


 今日は固形ブイヨンを入れて煮たのに加え、具に味や香りがしっかり付いているため満足感はあるはず。

 唐辛子の辛みの他に、アンチョビの塩気と旨味が加わった蕪と大根の葉は、ほんの少しだけ青さを残した香りと軽快な歯触りが食欲をそそる。

 鶏肉は単純に塩ゆでだが、気持ちほど大振りに裂いているため食べ応えはあるはず。


 最後に料理へ垂らしたオリーブオイルの香りも良い。

 ちょっと珍しいチュニジア産の物だが、なかなかに好みで最近は気に入っていた。



「……あっという間に平らげちゃった」



 思いのほか口に合ったらしき妹は、以降まるで口を開くことなく皿を空に。

 ただやはりダイエット目的の料理とはいえ、普段の食事量を思えば少々物足りなかったらしい。


 妹のそんな様子を見た俺は空になった三人分の皿を下げると、茶を淹れる用の湯を沸かす。

 その間に冷凍庫からタッパーを取り出し、スプーンで削って器へ盛ると、リビングでくつろぐ二人の前に置いた。



「なによ、これ?」


「シャーベットだよ。まだ物足りないんだろ」



 いったい何が出てきたのかと訝しむ妹と後輩。

 俺はそんな二人に対し、ちょっとばかり自信ありげに腰へ手を当てた。



「シャーベットですか、温まった身体には良いですね」


「市販のフレーバー付き豆乳を凍らせたんだ。こいつなら普通にアイスを食うより、ずっと健康的かと思ってね」



 後輩は麦の粥により温まったことで、既にコートどころか上着すら脱いでいた。

 自身の気になる体型について失念しているであろう後輩は、シャーベット入りの器に触れ嬉しそうに目元を緩ませる。


 乳業メーカーだけでなく、大豆の諸々を扱う企業などが作っている豆乳飲料。

 そいつをタッパーに移し、ほんの少量の酸味を加えて冷凍庫へ放り込み、固まっていく過程で時折かき混ぜただけの代物。

 ちょっとした気まぐれで昨夜作った物だが、このタイミングには良いデザートになってくれるはず。



「甘いけれど、とてもアッサリしてます。食べやすくて、あたしは好きです」


「そいつは良かった。豆乳も昔よりも美味くなったからな、適当に凍らすだけで立派なデザートだ」


「先輩が手を加えたのも良かったと思いますけどね」



 あまりにも簡単な、料理と言えるかすら怪しい代物。

 それでも謙遜する俺に対し、ほんの少しだけ手を加えたのが肝心だと後輩は優しく告げてくれる。


 後輩の口にしたそれに照れ、ついつい視線を逸らしてしまう。

 ただ彼女はそんな俺に小さく微笑んで、残りのシャーベットに舌鼓を打つ。


 俺は甘味を堪能する二人に満足し、台所に戻る。

 その頃には湯がグラグラと沸き始めており、そいつをポットに移して紅茶のパックを入れる。

 色と味が十分に出た頃合いを見計らって耐熱グラスに。温かなそこへと、ちょっとばかり多めのブランデーを垂らした。



「あ、紅茶? もーらい」



 淹れたアルコール入りの紅茶をリビングへ運ぼうとする。

 しかしグラスの一つが、背後から伸びてきた手によって掴まれた。


 見ればそこには妹と後輩が立っており、二人は揃って自身が空にした食器を持っていた。

 後輩はいつも食器を下げたり洗い物を手伝ってくれるが、妹はそんなのお構いなしというのが普段の光景。

 それでも今日は珍しく、後輩と共に洗い物を台所まで持ってきたようだ。



「もうちょっと濃い方が好みかも。兄貴、ボトル頂戴」


「程ほどにしとけよ、最初の時点で結構入れてるんだからな」


「だいじょーぶだって、私明日は休みだし」



 紅茶に混じった酒の割合では物足りなかったらしく、追加でブランデーを足していく妹。

 順調に酒飲みの道を歩んでいるというか、すっかり飲酒が日常化してしまっているようだ。

 ……そのうち週に一度か二度、休肝日として酒を隠してもいいのかもしれない。


 俺がそんな妹の様子に呆れていると、横で後輩がクスクスと笑うのに気づく。

 彼女は俺の隣に立ち、洗った皿を拭くのを手伝い始めると、小さな声で呟いた。



「先輩、今年もよろしくお願いしますね」


「ああ、よろしくな。ところでそいつは職場での話か? それともここで摂る食事について? あるいは書き物に関することだろうか」



 もう既に聞いたような気がするが、改めて新年の挨拶を口にする後輩。

 そんな彼女へと、ちょっとだけおどけながら聞き返す。



「全部でしょうか。でもそうですね、あえて言うなら今年は特に――」



 洗い物を続ける俺と後輩は、背後で紅茶を堪能する妹を他所に言葉を交わす。

 どことなく熱の籠った様子である後輩は、チラリと俺の方を見ると、半歩こちらに近づいてソッと続きを口にした。



「私生活の面で」


「そいつはまた、プレッシャーが半端じゃないな」



 ニコリと笑む後輩の表情からは、どこか蠱惑的なものを感じてならない。

 以前彼女から向けられていた好意について、結局有耶無耶になってしまったが、まだ諦めたという訳ではないらしい。


 とはいえあまり進展を急ぐつもりはないらしく、後輩の積極性はそこで鳴りを潜める。

 それでもこの雰囲気を見咎めたであろう妹は、グラスを荒々しくテーブルへ置き不満気に吠えた。



「ちょっとソコ! 私を放ってラブい空気出してんじゃないわよ!」



 ギロリと鋭い視線を向ける妹。

 身体からは溢れんばかりの不機嫌さが満ち満ちており、俺と後輩は洗い物を終え手を拭くと、その視線を浴びながら振り返る。



「ラブってお前……。こりゃ普通の水でも飲ませた方が良かったか」


「もしかして、仲間はずれがお気に召さなかったのでは?」



 酒の勢いもあってか、妹は年甲斐もなく頬を膨らませている。

 そんな駄妹に対し俺と後輩は呆れながら印象を口にするのだが、それすら気に食わぬようで、ブランデーを足しながら脚をバタつかせていた。



「いいからお前はリビングに戻ってろ。酒を持っていくな、水にしとけ!」



 もう酔いが回っている妹から酒を取り上げ、台所から追い出す。

 世話を任せることにした後輩と共に出ていくのを見て、俺は再び冷蔵庫の中を覗き込んだ。



「仕方ないヤツだ。なにかもう一品、作ってやるとするか」



 酒がそれなりに入ってしまったなら、ちょっとくらい油分を追加で摂った方がいいかもしれない。

 折角ダイエット用の食事を作ったというのに、これでは元の木阿弥だ。


 それでもあの駄妹と後輩は喜んでくれるだろうと思えば、案外この労も悪くはないと、冷蔵庫から適当な食材を取り出し微笑むのだった。


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