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第五幕 虹玉レンズ職人

おふとん屋さんのお家を出ても、外はもちろん夜のまま。入国してからそれなりの時間を過ごしたような気もしますが、空の様子が変わってないと王子さまにはなんだか変な気がしました。

ここは、本当に夜の国なんだな。王子さまは今更ながらそう思い辺りを見回しました。あたりにはやっぱり、スズアカリランが宵闇を照らしながら揺れています。

あれ?王子さまはふと首を傾げました。スズアカリランの色が、さっきまで見てきた違うようです。

「 この花は、いろんな色が咲くようになっているのかい? 」

王子さまはリスの夫婦に尋ねました。お餅屋さんに来る前に見たスズアカリランは朱鷺色でしたが、ここで見るその花は淡い若草色の光を放っていました。

「 ああ、これは時間が経つと色が変わるようになっているのさ 」

「 この色の変化を時間の目安にしたりもするのよ 」

リスの夫婦が答えました。王子さまはこの国にもやっぱり時間を気にする者がいるのかな、などと思ったのですが、おすのリスの方がそれを見透かしたように

「 果実酒なんかを作るときとか、発酵のタイミングがあるからある程度時間がわからないと困るからね 」

と説明を付け加えました。

「 そうだ、次に案内するお家はね、少し山道を歩くんだ。君、まだ疲れていないかい? 」

「 入国したときにも話したけれど、この国は誰もが好きなときに眠り、好きなときに起きる。小説家さんも休みたくなったらいつでも言ってちょうだいね 」

「 ありがとう 」

実際、そこから次の目的地に付くまでにはずいぶん歩いたのでした。入国してから沢山のことに驚いたり、四つもの物語を聞かせてもらったこともあって歩いているうちにさすがの王子さまも少し疲れてしまいました。けれど途中で見かけたあるものによってその疲れも吹っ飛んでしまったのでした。

それは、山道から見える谷の景色でした。その谷はスズアカリランとは違う、真赤な花に埋め尽くされています。花たちはこの国の二つの月の光を受けて、夜空色の中でその色をひときわ輝かせていました。その光景に王子さまが思わず足を止めると

「 綺麗だろう。ここは曼珠沙華の谷という場所でね」

「 ここにだけは、一年中この花が咲き誇っているのよ。私もこの光景は好きだわ 」

と、リスの夫婦が説明します。その景色があまりに美しいからでしょうか。辺りは不思議な静謐な空気で満たされていました。三人はしばらくそこに足を止め、心ゆくまでその光景を味わいました。

再び歩き始めてしばらく経つと、先頭を歩くめすのリスが洞窟の前で足を止めました。洞窟とは言っても入り口のところは木でできた戸が付けられ、中からは機械で何か削っているような音が聞こえます。おすのリスは王子さまを見上げて言いました。

「 君、勇ましい行進曲を演奏する百人の楽団に取り囲まれている人でも振り返るような大胆なノックをあの戸にしてきたまえ 」

「 無理だよそんなの 」

王子さまは即答します。

「 じゃあ我々のこの小さな体でやれというのかね。あの職人はそのぐらいのノックをしないと、自分の仕事に夢中で気がつかないんだから 」

そこで王子さまは拳も砕けよという力を込めて、三回その戸をノックしました。しかし機械の音が止まる気配はありません。

「 君、百人の楽団に負けないノックをと言っただろう。そんなんじゃ誰も我々の来訪に未来永劫気づかないぞ 」

そこで王子さまは、今度はドアを消し飛ばすつもりで五回ノックしました。するとようやく機械の音が止まり、中から頑固そうな顔をした小柄の老人が出てきました。

「 誰だいあんた」

「 あ、あの、お仕事の邪魔をしてすみません。僕は…… 」

老人に気圧されている王子さまの両肩に、リスの夫婦がぴょんと飛び乗りました。

「 仕事を中断させてしまって申し訳ないね 」

「 この人はね、旅の小説家さんなの。珍しいお話や素敵なお話を集めているのですって。さっきもお餅屋さんやおふとん屋さんのところに連れて行って、お話を聞かせてもらってたのよ 」

そう説明すると、老人はきゅっと顔をしかめて言いました。

「 おいおいリスさん達よう、よりにもよってなんだって俺のところに連れてきたんだよ。俺はな、レンズを磨く以外能がねえから職人やってんだよ。お話なんてもんうまくできねえよ 」

職人が頭の後をぼりぼり掻きながらそう言うと

「 あらそんなこと言って。ねえダーリン 」

「 うん。あなたのお話はたぶん、この若者が聞いておいた方がいいものだと思うよ。それに何より作るものがすごいのだからね。この若者に見せてやらなきゃ 」

「 私たち、どうしても小説家さんを職人さんに会わせてあげたかったのよ 」

夫婦は王子さまの肩から顔を突き出して、輪唱のように言います。この夫婦にはさすがの強面の職人もかなわないようでした、

「 しかたねえなあ。けど、本当に俺の話なんかつまらんぞ。後で文句言われても知らねえからな。とりあえず中に入りな、機械油くせえ家だけどよ 」

そう言って、職人は三人を招きいれてくれたのでした。

中に入ると、いかにも作業するためだけのものといった風情の無骨な机と椅子、それに王子さまには何をするものなのかよくわからない色々な種類の道具らしきものがごちゃごちゃとおいてありました。そして机の上には、今まで磨いていたらしい丸いレンズが、スズアカリランの光に照らされて虹色に輝いていました。

「 適当にその辺の椅子に座ってくんな。ただし機械にはさわるなよ。下手すると小説家さんの指をすっ飛ばしちまうかもしれねえからな 」

そう言うと職人はずんずんと洞窟の奥に入っていき、しばらくしてポットとカップとを持って戻ってきました。そしてそのポットをストーブの上にガチャンと置くと

「 俺の故郷で飲んでた茶だからな。あんたらの口に合うかわからんが、夜風で冷えた体をちょいと温めるぐらいの役には立つだろうよ 」

やがてお茶が温まり、職人がそれぞれのカップに注いでくれました。この家にもやはりリスの夫婦用のクルミの殻のカップがあります。きっとこの夫婦は、いろんな住民のところへしょっちゅう招かれているのでしょう。

お茶は、春の草の葉のような柔かい緑色をしていました。砂糖もミルクも入っていない少し渋みを感じる味でしたが、素朴な感じがしてこれはこれで美味しく飲むことができました。

「 俺が話せる話なんてのはな、どこにでも転がってる間抜けな職人の話だ。あんたが本を作るのに役立つとは到底思えねえけどな 」

職人はそう言いながらも、ぽつりぽつりと語り始めたのでした。


――― 俺はな、本当にいいレンズを作ることばっかり考えて暮らしてた。こっちに来る前はでっかい工場に雇われててな。そういう所は、たまに工場の偉い人間や役人が視察に来たりするんだ。そういうのが来ると、俺より若いほかの職人なんかは作業の手を止めて挨拶などをしていたみてえだが、俺はしなかった。連中だって俺達が働いてるところを見に来ているんだろうし、挨拶なんかしてる時間があったら一個でもちゃんとしたレンズを磨き上げることが大事だって思ってたんだな。けど、本当はそうじゃなかったみてえなんだよな。俺がそれに気づいたのは、同じ場所で働いていたはずの職人が一人、また一人といなくなっていることに気づいたのがきっかけだった。代わりに前にいたやつらよりもっと若い職人が見習いとして入ってきて、けどそいつらも何年と経たねえうちにいなくなる。まあそれでも、その時は何か事情があって辞めていったんだろうくらいにしか考えていなかったんだけどな……そんなことより俺の頭は、次はどんなものを見られるレンズを作るかってことでいっぱいだった。見たいものは色々あったよ。間近で見る星の姿とか、雷を孕んだ雲の中とか、つぼみの中で花びらがどんな風に折りたたまれているのかとかな。いつか俺が作るレンズでそんなもんを見られるようにしてやるんだと思ってた。

あるとき、俺の給料が下げられることになった。それを伝えに来たのは、以前俺の隣で働いてたやつで、視察なんかがあると一番先に立ち上がって挨拶に行ってたやつだ。辞めたんだと思ってたが、いつのまにか役員ってやつになったんだとよ。給料が下がったのは景気が悪くなったからで、俺以外の職人も軒並み下げられたらしい。仕方のねえことだ、俺はそれに納得したよ。だが給料が下げられたのはそのとき一回だけじゃなかった、その役員は何回か俺のところにやってきて同じ理由を述べ、その度に俺の給料はどんどん下げられた。工場の経営が危ないんじゃ仕方ねえ、そう思ってその度に俺は納得した。

だがそんなある日、妻が倒れた。病院に入れなきゃならねえってことになった。支払いなんかどうしたらいいかって泡食ってるところへ、またやつが来て給料を下げると言ってきやがった。冗談じゃあねえ、これまで何度も給料の引き下げに応じてやってるし、これ以上下げられちゃあアイツの病院代が出せなくなっちまう、初めて俺は引き下げに応じられねえと答えたよ。だがどうしても下げざるを得ないんだと言ってやつは帰っちまいやがった。こうなりゃ仕方がねえ、俺は一緒に働いていた職人連中に、妻の病院代を貸してくれと頭を下げて回った。

…… その時にな、話の流れで俺は知っちまったんだ。給料を下げられているのは、職人連中だけだってことをな。役員やら何やら、物を作る側じゃあなくて経営やら営業やらをやってる連中は、これまでと変わらねえ収入があるんだとよ。そのことに早々と気づいた職人は、職人なんか辞めて会社を回す側につくか、抗議してクビ切られるかのどちらかでいなくなってたってことだ。どうしてそんな不公平なやり方なのかとにかくその理由を説明しろと詰め寄ったやつもいたが、俺ら職人には理解できねえ難しい言葉をばーっと並べられて、何にも理解できねえまま話は終わりだって追い出されたそうだ。借金を申し込んだ職人連中はずいぶん気の毒がってはくれたが、懐がぎりぎりなのはそいつらも同じでな、金を借りることはできなかった。それで俺は、今は会社を回す側についた俺らより金回りのいいはずの元職人の連中にも頭を下げた。だが、俺が借りた金をすぐには返せねえだろうってのはやつらが一番よくわかってたんだろう、誰一人として貸してくれるやつはいなかった。そうこうしている内に、妻は病気がどんどん悪くなってな、逝っちまいやがった。

 それから、俺が俺の作ったレンズで見たいと思うものはたった一つになったよ。それは、妻だ。妻の姿だ。それっきり雇われてた工場も辞めちまって望みどおりのレンズを作る方法を探しているうちに、ここに辿り着いた。なあお若いの。あんたここに来るときに真赤な花が咲く谷を通ってきただろう?あの花は『 曼珠沙華 」 っていってな。どこか遠い国の言葉で、天上に咲く花って意味があるんだそうだ。普通は秋ごろにしか咲かないが、あそこでは一年中咲いている。それでな、たまに月に虹がかかる夜があるんだ。そのときだけ、あの谷にはあっちの世界に行っちまった死者が帰ってくるっていう言い伝えがあるんだよ。ただ、死者の姿は人の目には見えない。そこで俺は、あの谷で死者の姿が見られる眼鏡を作ろうと思い立ったんだ ―――


「 それで、その眼鏡はできあがったんですか? 」

王子さまが緊張しながらそう問うと、職人はそれには答えずに王子さまに聞き返してきました。

「 あんた、もう一度会いたい死者がいるのかい? 」

王子さまは頷きます。その胸の中にはもちろん、今は銀白色の大理石のお墓の中にいるあの犬の姿がありました。

「 そうかい。なら、これをやるよ 」

そう言うと、職人は王子さまに筆入れほどの大きさの木の箱を渡してきました。

「 これは…… 」

「 俺はな、月に虹がかかったのを見つけたら、必ずそれをかけてあの谷にすっ飛んでいくんだ。あんたがこの国にいる間に虹がかかるかはわからねえが、それだけ大切な相手がいるんだったらそれはあんたにやるよ。同じ物をいくつか作ってあるからな 」

王子さまはすっかり驚いてしまいました。そして、いけないとは思いながらも少しだけこの職人の言葉を疑ってしまいました。いくら不思議なことばかりのこの国だって、死んだものにもう一度会うことができるなんて到底信じられませんでした。それでも。もし、本当に、もう一度会えるなら。ハルイチがこの世を去ってから、王子さまは何度そのことを考えてきたでしょう。王子さまは抱きしめるようにその木の箱を受け取ると、胸が詰まったような声で

「 ありがとう 」

と答えました。

「 そうだ。あんたら物語を集めているって言ってたけど、次はどこの家に行くんだい? 」

 職人がリスの夫婦のほうを向いて言うと、夫婦が答えました。

「 そうね、あの双子さんのところに案内しようかと思っているわ 」

「 うん、それがいいねハニー 」

 双子、という言葉を聞いて王子さまの胸がどくん、と一つ鳴りました。おそらくその双子こそが、王子さまの今回の旅の目的だからです。

「 そうか、それなら一つ頼みがあるんだがね。あの双子のところに行くなら、あんたらどうせまた曼珠沙華の谷を通るだろう?あそこの花畑にコレ、ぱーっと撒いてきてくんねえか 」

 そう言って王子さまに小さな袋を渡しました。

「 何ですかこれ?」

「 虹玉レンズを磨いたときに出る粉だ。あの花にとっちゃこれがいい肥料になるみたいでな、一つ頼むぜ」

「 お安い御用です 」

 そう言うと王子さまはその袋を受け取って、カバンのポケットにしまいました。

「 なああんた、一つ聞いていいか 」

「 はい 」

「 今はまだ、人間の目じゃあ見ることができねえいろんなものがあるだろう?あんた、そういうものが見られるレンズがあるとしたら、何が見られるレンズが欲しい? 」

「 そうですね …… 」

 王子さまはしばらく考えてから、こう答えました。

「 僕は、僕以外の視点で物事が見られるレンズが欲しいです。小さい子どもの視点とか、年を取って目が悪くなった人の視点とか、いろいろ …… そうしたら、もっと他の人の気持ちがわかるようになると思うから」

 そう答えると職人はニヤリと笑って言いました。

「 …… なるほどな。いつか、あんたがもう一度ここに来るまでに作っておいてやるよ。またこの国に来るといい 」

「 ありがとう。楽しみにしています 」

 そう言って、職人と王子さまは固く握手をして別れたのでした。


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