第一幕 旅立ち
いつか、あなたと夜の国へ。命としての試練はあれど、朝の光に怯えずに済む世界へ。
「 それら 」は二人組み。「 彼ら 」なのか「 彼女ら 」なのかはわからない。人々に向かって、誰も聞いたことがない言葉で呪文を唱えるという。それらの唱える呪文を聞いたものは、この国の偉大なる経典にも説かれていない楽園を垣間見る。それらが見せる幻が、民に悪影響を与えかねないと懸念している人もいる。「 それら 」に接触すること。そして、ゆくゆくはこの国の王になる者として「 それら 」にふさわしい処遇を見極めること。それが王子さまに与えられた課題でした。
「 課題の期限は、次の満月の夜までとする 」
父王さまは厳かに王子さまにそう言いました。この国では、王子さまが王さまになるためには、そのときの王さまの出した課題をクリアしなければならないことになっていました。歴代の王子さまの中には、王さまの出した課題がクリアできない王子さまもいました。そういうときにはその弟の王子さまや妹のお姫さま、それもだめなら従兄弟姉妹の誰か、決められた順に挑戦していってその課題をクリアできたひとが次の王さまになるならわしです。
課題を申し渡した父王さまの後では、南天の実のように真っ赤な衣を着た三枢機卿がにこにこと笑ってこちらを見ていました。さらにその後では、この国で信じられている神さまが私たちの住む星を両手で包むようにしている姿が象られた大きなステンドグラスがありました。ステンドグラスは広間にいる者を、午前の光で色とりどりに淡く照らしていました。王子さまはまず父王さまの瞳を見つめ、それから順に枢機卿たちの瞳を見据えました。そして胸に手を当て、こう言いました。
「 その課題、謹んでお受けいたします 」
そこで王子さまはまず、お城の図書館へ向かいました。たぶん父王様もおじい様もそのまたおじい様も、旅立ちの前にはきっと図書館に向かったことでしょう。図書館で、自身に与えられた過大に必要な情報を集めてから旅立つのです。
枢機卿達の話では今回の課題である「 それら 」は「 夜の国 」というところの住人で、そこからときどきこの国にやってくるとのことです。けれど次にいつこの国に来るかは誰もわかりませんでしたから、王子さまのほうから夜の国に出向こうと考えたのです。そのためには、まず「 夜の国 」とやらについて十分知る必要があるでしょう。
図書館に着くと、扉の前にはもう司書が王子さまの到着を待って立っていました。司書はつい一月ほど前に、やっぱりこの図書館の司書だった母親から代替わりをしたばかりの若い娘でした。
「 お待ちしておりました、王子さま 」
そう言って静かに一礼すると、扉に手をかけ全身の力を使って手前に引きました。扉はお城の塔の上までも聞こえそうな音を立ててきしみながら、ゆるゆると開いていきます。やがて二人が通れるぐらいに開いた頃には、色の白い司書の額には汗がにじんでいました。
( 僕が王になったら、まっさきにこの扉の工事を大工に命じるとしよう )
王子さまはそっと心の中のメモ帳に書き付けました。
「 何をお調べになりますか 」
司書は館内の、王子さま専用の調べ物用の小部屋に案内しながら尋ねました。
「 夜の国のことを調べたいんだ 」
「 かしこまりました。それでしたら、既に数冊ご用意をしております 」
「 君、今回の僕の課題の内容を知っていたの? 」
王子さまは驚いて司書にそう尋ねると、司書はこともなげにこう答えたのです。
「 存じてはおりません。しかし予想はしておりました。代々課題の内容は枢機卿と その代の王さまが話し合って決めるものと伺っております。また、枢機卿の悩みの種となっている者が夜の国に逃げ込んでいることも 」
王子さまはすっかり感心してしまいました。
「 優秀な司書がこの国にいることを、父も誇りに思っているだろう 」
そう言われて司書は
「 もったいないお言葉です 」
と、はにかんで眼を伏せました。心なしか、王子さまを調べ物の部屋に案内する歩調が少し速くなったようです。小部屋に辿り着くと、机の側に夜の国に関する本や新聞の記事をスクラップしたものなどがきちんとブックトラックに積まれて用意されていました。
王子さまは席に着くと、傍に控える司書に
「 まずは、夜の国の概要について知りたい 」
と言いました。すると司書はすぐにブックトラックから一冊取り出し、王子さまに渡します。司書は、王子さまが夜の国のどんなことについて調べたいかまで予想を立てていたようでした。
そんな調子で夜になってメイドが呼びに来るまで、王子さまはずっと司書と相談しながら本から必要な情報を集めていきました。
翌朝は、いよいよ旅立ちです。王子さまは、起きてまずメイドに用意させた服に着替えました。普段の服とは違うものです。フード付きのマント、飾りのない綿のシャツ、丈夫な麻のズボン、革のブーツ、旅に必要な道具が全て納められる、大きな肩掛けカバン。どこにでもいる旅人の姿です。王子さまはまだ若く、民の前に顔を出したことは数えるほどしかありませんでしたから、そんな格好をしてしまえば王子さまだと気づかれることはほとんどなくなるのでした。
「 旅立ちによい朝でございます 」
着替える王子さまの横で、部屋のカーテンを開けたメイドが窓の外に顔を向けて言いました。
朝食を終えると、王子さまは真っ先に裏庭に向かいます。裏庭には三色スミレやチューリップが今を盛りと咲き乱れる花壇があって、そのすぐ奥に花壇を見守るようにして小さなお墓がありました。小さいけれど白い大理石を使って作られている、良いお墓でした。
それは王子さまの飼い犬――― 飼い犬という言葉では足らないぐらい、王子さまに常に寄り添っていたもの――― のお墓です。この春を迎える少し前に、冬にしてはうららかな陽だまりの中で天寿をまっとうしたのでした。墓石となっている白い大理石にはこう刻まれていました。
――― 僕の影よりも僕をよく知る、兄弟であり、友だちであり、師であり、僕の全てだったハルイチ、ここに眠る ーーー
ハルイチという名前は、王子さまがその仔犬に名をつけようとしたときに王子さまの目の前で春一番の風に煽られてころん、と転んだので、その名がつけられたのです。
「 ハルイチ、行ってくるよ。しばらく来られないけど機嫌悪くしないでくれよ 」
そう言って汲んできた水で墓石を綺麗に洗いました。白い大理石は、生きていたときの彼の毛並みのように朝陽を受けてきらきらと光ります。王子さまは名残惜しそうにしばらくそのお墓の側に立っていましたが、やがて決心したようにお墓に背を向けました。
さあ、いよいよ出発です。お城の門のところにはみんなが見送りに来ていました。何しろ、生まれて初めてお供もつけずに長い旅に出るのです。涙ぐんで見送る者、旅に使えそうなささやかな贈り物をそっと手渡す者など様々でした。王子さまはその一人一人に言葉をかけて進みます。最後に年老いた庭師が一人、進み出ました。
「 王子さま、どうぞこれをお持ちください 」
そう言って、小さなペンダントを差し出しました。皮ひもの先には、この国の一番安い銅貨ほどの大きさの、つるつるとした丸い石がついています。白いような、でもすこしだけ温かい淡い桃色に光るような王子さまも見たことのない、不思議な石でした。
「 これは? 」
「 私の一族に伝わる方法で作ったお守りです。道中の王子さまの無事を願う祈りを込めております 」
「 ありがとう。いつも身につけておくよ 」
王子様はその場でさっそく首にかけました。そうして、見送りの人々の一番奥にいる父王さまと三枢機卿に向かって深々と頭を下げ、お城の門を出て行きました。
既に執筆の済んでいるものを、一章ずつ修正して投稿しています。第二幕は明日にでも投稿予定。




