第二幕 入国
「 この森のはずだけれど 」
お城を出てから王子さまはいく日もいく日も歩いて、今はとうとうこの国の北のはずれ、ソムニフ村という村にある森までやってきていました。
「 それにしても、案内役の『リス』なんて…… 」
お城の図書館の本には、夜の国から帰ってきた人の手記がありました。そしてその本が唯一、夜の国への「 入国方法 」についての記載のある本でした。その手記にはこうありました。
――― あの頃、わたくしは毎日決まってやってくる「朝」に怯えておりました。怯えて、怯えて、力の限り逃げておりました。新しい一日が、恐ろしかったのです。他の人が当たり前になさっている、その日を昨日にかえるということがわたくしにはできる気がいたしませんでした。そうして逃げて逃げて、辿り着いた森でわたくしは彼らに出会ったのです ーーー
その後、手記は「 ヒトの言葉を話すリスが、案内役となってわたくしをあの国に連れて行ってくれたのです 」と続いていました。お城の図書館でその一文を読んだとき、王子さまは思わず傍に控えていた司書の顔を見てしまいました。司書もその本には既に目を通していたらしく、困った顔をして
「 私もその一文の解釈には戸惑っているのです。喋る動物なんてちょっと信じられませんから……何かの比喩なのか、この著者が幻でも見ていたのか、それとも本当に言葉を話すリスがいたのか。他の文献なども参照してみましたが、この箇所の真意はわかりかねました。まだまだ勉強不足で、お役に立てず申し訳ございません 」
「 いや、おまえが悪いのではない。このような文の書き方をされては、誰もが戸惑うかあざ笑うかのどちらかだろう。この森に実際に行ってみればわかるだろうから、おまえは自分の勤めに自信を持っていてよいのだ 」
「 はっ。有難うございます 」
実際、王子さまのお城の図書館の司書は他の国の司書よりもかなり優秀でした。お城の図書館の司書は世襲制で、他の子供たちとはちがって物心がついて以降の人生のほとんどをこの図書館で過ごすのです。彼女らにとっては、お城の図書館こそが学校であり遊ぶための庭。図書館にある膨大な量の本の中身も、成長するにつれすっかり読んでしまっていました。そして代替わりする頃には、その広い図書館のどこにどんな内容の本があるか、自分の体のことみたいに知り尽くしているのでした。
王子さまはその若い司書のことを思い出しながら森をきょろきょろと見回しました。すると、そばにある樫の木の枝に一匹のリスがちょこんと座っているのが見えました。もしかすると、あのリスがそうかもしれないぞ。そう思って王子さまはそのリスの方に近寄りました。そして 「 君が夜の国に案内してくれるのかい 」 と声をかけようとしました。ところがリスは、王子さまが一言も発さないうちにいかにも驚いたと言うような顔をしてすばやく木のずっと上の方にのぼっていってしまいました。王子さまはちょっと思案すると、肩から提げていた大きなカバンを探ってくるみを二つ、取り出しました。そのクルミは前日に止まった宿で、宿のおかみさんがおやつがわりにと分けてくれたものでした。そのクルミを高々と掲げ、王子さまは ( ちょっと恥ずかしがりながらも ) 森の隅々までも聞こえよとばかりにこう叫びました。
「 僕は夜の国への入国を希望する旅人である。案内を乞いたい。近くに案内係がいるのなら姿を見せよ」
この広い森で何百匹いるかわからない臆病なリスたちの中から案内係を探すなんて、王子さまの国で一番賢いと言われる三枢機卿でもできないことでしょう。それなら、向こうから出てきてもらえばよいのです。すると、少し向こうにある木から木へと、まりが弾むように飛び移ってこちらに向かってくるものがありました。やがて、王子さまの足元に毛並みのいい二匹のリスが現れました。二匹はとてもよく似ていましたけれど、片方がもう片方に比べて少しだけ体が大きいようでした。その大きい方が、きらきらとした黒い瞳でまっすぐ王子さまを見上げて口を開きました。
「 我々を呼んだのは君かい 」
少し甲高い声のその言葉は、間違いなく王子さまの目の前にいるリスの口から発せられていました。
ヒトの言葉を話すっていうのは本当だったのか。王子さまは内心声を上げそうなぐらい驚いていましたが、必死に平静を装いながら答えました。
「 間違いなく、僕だ。君たちが夜の国への案内人かい? 」
「 いかにも 」
「 それじゃあ、まずはお近づきの印に 」
そう言うと王子さまはクルミを一つずつ両手に持って、リスたちが届くように地面に膝を付き二匹のリスに差し出しました。二匹は一瞬顔を見合わせてから、すぐにすばやくクルミを受け取りました。
「 ダーリン、なかなか礼儀正しい旅人さんね 」
体の小さい方のリスが大きい方のリスにそう言いました。どうやら夫婦で案内役をしているようです。
「 そうだねハニー。けれど、クルミをもらったからって入国審査に手心は加えないからね 」
そう言うと、おすのリスはクルミをしっかり抱えたまま王子さまに向き直りました。
「 それじゃあ、まず入国の目的から聞こうか 」
そう言われて王子さまは困ってしまいました。枢機卿が問題視している人物の素行を観察するため、などと言えばリスは絶対に夜の国へは連れて行かないことでしょう。どうにか冷静なふりをしていますが、王子さまの頭はこの状況を打開しようとものすごい速さで回転し始めました。
「 あ、あー、えーとね、僕は、本を書いているんだ 」
「 まあ、あなたは小説家さんなの? 」
めすの方のリスが目をキラキラさせながら王子さまを見上げます。王子さまはそんな瞳からそっと目を逸らしながら
「 あ、うん、ええと、そんなところ」
と答えました。お城の図書館にだって、夜の国から帰ってきた人の手記が置いてあるのです。怪しまれないはずだと王子さまは思いました。
「 ……それで、夜の国というのはたいそう幻想的で美しいところだと聞くし、そこに住む人もきっと素敵な人だろうから、身の上話なんかを聞かせてもらって小説の参考にしたいんだ 」
「 素晴らしいわ! 」
急に、めすのりすが大きな声をあげました。王子さまがきょとんとしていると、おすのリスが笑いながらこういいました。
「 いや君、すまないね。妻は物語とかそういうものに目が無いんだ。ところが夜の国ではそうそう沢山の物語がいつでも手に入るわけじゃないからね 」
「 ねえ、あなた…… 」
めすのリスがもじもじしながら上目遣いで夫を見上げます。
「 わかったよ。しょうがないなハニーは 」
「 嬉しい! 」
おすのリスは喜ぶめすのリスをうんうんと頷きながら自分も満足そうに見守った後、王子さまのほうにくるり向き直りこう言いました。
「 ……君、仕事がひと段落した後で構わないから妻に君の物語を一つ聞かせてやってくれたまえ。それを約束してくれるなら入国を許可しよう 」
「 約束する。入国の許可、感謝するよ 」
王子さまはほっと胸をなでおろし、また自分の咄嗟の思いつきに自分ながら満足したのでした。これなら怪しまれずに目的の人物がどんな人間なのかじっくり知ることもできます。めすのリスに聞かせてあげるお話をどうするかだけは心配でしたが、どのみち夜の国には何日間かは滞在しなくてはならないのですから合間に一つお話をこしらえるぐらいならばなんとかなるでしょう。小説家だというのは嘘にしても、王子さまだって物語りは大好きなのです。
「 じゃあ、さっそく夜の国の入り口へ案内してもらいたいのだけど…… 」
「 あら、もう夜の国には到着しているわ 」
「 え?」
王子さまはわけがわかりませんでした。だって、ここはソムニフ村の森のはずれのはずです。ここから、彼らにしかわからない通路なんかを抜けて向かうのだとばかり思っていました。
「 小説家さん。夜の国は、自分から歩いて向かうものではないのよ 」
めすのリスはさも可笑しそうにそう言って、夫の頬に自分の頬をこすりつけました。王子さまにはなんで可笑しがられているのかもさっぱりわかりませんでしたが、リスというのは大体いつだって可笑しそうな顔をしているものなのです。
「 入国の資格が整ったとき、夜の国は向こうからその者を迎えにやってくる 」
「 夜の国は地図にはない国。それは、偉大なる夜の女王さまの優しきローブの中に 」
夫婦は輪唱のようにそう説明します。ですがやっぱり王子さまにはよく理解できませんでした。
(ローブの中って、そんな狭い場所に国が収まるもんか)
あまりにわけの分からないことを言われて王子さまはちょっといらいらしました。けれど、郷に入っては郷に従えと言います。できる限りリスたちに合わせなくてはいけないと、王子さま深呼吸を一つして気を落ち着け、こう言いました。
「 それで、どこに行けば女王さまにお目にかかれるんだい? 」
「 どこにって 」
「 君の後ろに 」
おすのリスが王子の背後を指差します。王子さまがが振り返ると、その背後だけが壁で仕切られているように暗くなっていました。
「 ……え? 」
慌ててもう一度リスの夫婦を見ます。二匹は相変わらず朝陽を浴びて、褐色の毛をきらきら黄金色に輝かせていました。リスの夫婦だけではなくて、王子さまの前にあるものは全て朝陽を浴びてきらきらしています。それなのに王子さまの後ろにあるものは全て夜空色を纏っていたのでした。
朝と夜が、一緒の時の中にいる……。
すっかり面くらってしまった王子さまには構わずに、リスの夫婦は王子さまの背後の空を見上げて微笑みました。
「 運がいいなぁアンタ。今日は女神様が、両のまなこで微笑んでいらっしゃる 」
そう言われて王子さまは慌てて夜空色の空間の中を見回しましたが、女王さまらしきひとの影も形も見えません。
「 ……どこに、いらっしゃるんだい? 」
恐る恐る夫婦に尋ねます。
「 あーもー。アンタの目は虫食いのドングリか?あそこだよ、あそこ! 」
リスの世界では人間でいうところの「 節穴の目 」を「 虫食いドングリ 」と言うようでした。
たしかにあれも中身がないもんな。
そう思いながら雄のリスが指差す方を見ます。小さな指先は、王子さまの真上の空を指差していました。
「 月が、二つ? 」
空にぽつんと一つ浮かぶはずの月が、二つ。両方とも、上側に弧を描く三日月。それはまるで微笑む二つの目の形のように。
「 だーかーらー 」
「 その月こそが、女神様のお眼なのよ 」
夫婦がまるで輪唱のように説明を加えます。
夜空を切り裂いたみたいに細い、上側に弧を描く三日月が王子を見下ろしています。背後に突然夜が現れたことには驚かされましたが、なるほどその二つの月は、それはとても穏やかで優しい顔に見えました。見とれている王子さまに、おすのリスが小声でそっとささやきます。
「 だけど、あんまり女神と仲良くなりすぎちゃいけないよ 」
「 どうして? 」
王子さまが尋ねると、こんどはめすのリスが答えます。
「 小説家さん。夜の雨って、どこか悲しくならないこと? 」
「 昼の雨は生きてるものへのお恵みだが、夜の雨は女王さまの涙なんだ。だから昼の雨より淋しくなるのさ 」
「 あなたは、この国で物語を集めたらまたどこかへ旅立つのでしょう?女王さまは、ご自分のローブの中へ入れたものをとても慈しんでくださるわ。だからこそ、お別れをとても悲しまれるの 」
「 女神様の悲しみが深ければ深いだけ、雨が降る。そのお心がみんなに伝わる。そうするとみんなが少し、憂鬱になってしまうよ 」
「 ……わかった 」
夜空に浮かぶ、女王さまの眼に見とれながら王子さまはぼんやりと答えました。
すると、そのときでした。今までは王子さまの背後にしかなかった夜空色の空間が、まるで王子さまをそっと抱きこむように左右から王子さまの前へと膨らんできました。王子さまの周りの景色が、後からじわじわと夜空色に飲み込まれていきます。やがて朝の光は、王子さまの正面で閉じたカーテンの隙間から漏れる光のように細く、細くなっていきやがて見えなくなりました。あたりがすっかり「夜」に包み込まれてしまったのです。王子さまはあわてて立ち上がると、さっきまで光が細く漏れていたあたりの空間を撫で回しました。何か、カーテンのような布でもあると思ったのです。でももちろんそこにはそんなものは無くて、ただ少し花の匂いを含んだ夜の空気があるだけでした。しかしそのとき、王子さまの視界に淡い鴇色の光が目に入りました。そちらの方に顔を向けると――― さっきまで朝の森の景色だったその場所に、いつの間にか看板が立っておりその看板の先には、綺麗に踏み固められているらしい道が続いていました。
「 夜の国の偉大なる女王陛下と我ら国民、貴君の入国を心より歓迎する 」
「 ようこそ、夜の国へ 」
リスの夫婦が姿勢を正して宣言します。先ほどとは打って変わった夫婦の改まった態度に、少しぼんやりしていた王子さまも姿勢を正してその歓迎を受けました。
「 ありがとう。たぶん短い間だけど、どうぞよろしく 」
こうして、王子さまはまず無事に夜の国への入国を果たしたのでした。
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