紅い月
「九折ちゃーん!こっちだよ~」
白い光が溢れ、咲き誇る花畑の中で雪那が満面の笑みを浮かべて両手を大きく振っている。
「もう、ユキってば……そんなところでなにやってるのよ」
「おーい!こっちだってば~!!」
元気にぴょんぴょん跳ね回る雪那に苦笑しつつ私も花畑に向かおうとしたところ、後ろから肩を強くつかまれて引き戻される。
振り向いたらそこには金髪の美少年―――アルがお馴染みの極悪人顔で口端を持ち上げていた。
「そちらではないだろう?お前の場所は……」
ここだ、と言うと同時に闇の中に放り込まれる。
きらきらと輝くお花畑と雪那の笑顔があっという間に遠くなって、反対にソルさんの真っ黒な笑顔が私を出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
反射的に私は叫んだ。
「いらっしゃりたくないです!!」
勢いよく飛び上がろうとした瞬間、嫌な音がして息が詰まる。
「かはっ……なに、ここ……」
そこは薄暗くて埃っぽい場所だった。地べたの上に座らされているらしく、お尻がちょっと冷たい。
どうやら私は気絶していたらしい。
目の奥から鈍い痛みがこみ上げて、それを堪えるようにもう一度瞳を閉じてゆっくりと深呼吸して瞳を開ける。
まず目に入ってきたのは大きな木の箱のようなもの。
部屋の中に所狭しと置かれているが、暗すぎて何が入っているのかはわからない。
覗き込めば見えるかもしれないけれど私は部屋の中心辺りにある柱のようなものに縛り付けられているようで
全く身動きができなかった。
縛り付けられているということは誰かに拘束されているということ。
多分さっき襲撃してきた連中だろう。
先刻の出来事を思い出していると自然、私の脳裏に額から血を流したアルの顔が浮かんでくる。
アルとソルさんは無事だろうか。ソルさんの様子はわからないがアルは怪我をしていた。
私は医者ではないので詳しいことはわからないのだが、脳内出血とか起こしていたら早く治療しないと死の危険があることぐらいは分かる。
アルが怪我を負ったのは私の所為だから、私がどうにかしないと……!
「とは思うものの、そもそも身動きができないという……」
後ろでに縛られて居る腕を動かしてみると縄は案外太いらしく、腕は少しは動くものの縄自体はびくともしない。
例えるなら、タワシでできた手錠みたいな感じ。
何とかしてこれを外せないだろうか。
部屋を見回してみても都合よく使えそうなものは落ちていない。
と、よくよく目を凝らしてみたら地面がきらりと光り、丸くて黒いものが落ちているのを見つけた。
コートに入れていた鏡だ。
小学校に入学するときに祖母がくれた鏡で、いつも身に着けていたそれを見つけて私はあることが浮かんだ。
前に見たアクション映画で主人公が割れたガラスを使って縄を切るシーン、あれを実践できないだろうか。
お気に入りの手鏡を割るのはかなり抵抗があったが、四の五の言ってられない。
ここでじっとしていたらアルを助けるどころか自分の身が危なくなりかねないし。
「お祖母ちゃん……ごめんなさい!」
運よく鏡面が表になっていたので、足を伸ばし、踵落としの要領で鏡面を叩き割る。
そのまま足が攣りそうになりながら鏡を引き寄せる。
なんとか手のところまで破片を持っていって握ると変なところを握ってしまったらしく、人差し指が熱くなった。
「ったぁ……指、切れちゃったのかも……」
ぬるぬるする鏡の破片をなんとか掴みながら縄を切ろうと動かすが、一向に切れる様子は無い。
最初のうちは指がじくりと痛んでいたが、そのうち痛みも感じなくなった。
でも、ここで諦めるわけにはいかないので泣きそうになりながらも意地で縄きり作業を続ける。
「こうなったら絶対切って自由になってアル達を助けてくれるわ!」
ぎりぎりと奥歯をかみ締めながら自分を鼓舞して縄切りに集中する。
あと、少し……!!
切れた縄の切り口を確認しながらスピードを上げて上下に動かすと、不意に縄が切れた。
「っしゃあ!やった!!……次ぎは、どうすればいいんだろう」
切れた縄にガッツポーズをとって、私は早くも首を傾げることになった。
映画やドラマは見ていても、実際に誘拐された経験もなければこういう状況での人探しもしたことは無い。
地面に散らばった鏡とその破片をハンカチに包んでコートに仕舞って、手近な箱に腰掛ける。
こういう非常時にこそ冷静に考え、行動するべきだ。
私と違ってアルとソルさんは戦える人だ。
きっと拘束されていても見張りが付けられたり、私一人がのこのこ「助けに来ましたー」とか言っても摑まるのが落ちだろう。
こういうとき、アクション映画のヒーローは敵を陽動しつつ、味方に自分がきたことを知らせ、邪魔するものをばったばったとなぎ倒しながらスマートに救出してみせるのだろう。
けど、私は普通の女子大学生だ。
箱の上で足を組みなおしたとき、手のひらにひんやりとした石の感触が会った。
驚いて手を引くとそこには真っ黒な本が一冊。いつの間にか現れていた。
気味が悪いが、この際気にしないこととする。
「これを使えば……」
敵をばったばったとなぎ倒す、とまではいかなくても陽動と自分の居場所を教える役割は果たせる。
魔術書などというわけのわからないものを使うのは正直ちょっと不安だ。
ソルさんは死後の魂を捧げるとか、対価がどうの~とか恐ろしいことを言っていたし。
でもまぁこの際仕方がない。使えるものは使うべきだ。
使わなければ今ここで死ぬかもしれないし、あるいは私のミスの所為でアルやソルさんが死ぬかもしれない。
「……それにくらべればずっとマシかな」
冷や汗がながれ、緊張に胸が痛んだが不思議と気分は高揚していた。
魔術書を手に取り、ページを捲る。
暗がりであるにもかかわらず、問題なく読むことが出来る。
「でも、何処を読めばいいのよ」
文字からイメージできても、何処がどういう現象を引き起こすのかわからない。
が、確認の使用が無いので適当に読むことにした。
今、頭に今浮かんでいるのは、脳髄がくらみそうなほどの光の爆発と黒い炎。
渦を巻くようにしてぐるぐると螺旋を描く。
「ええと、光の爆発? 」
そこまで読んだところで何だか嫌な予感がしたので止めた。
と、地を揺るがす轟音と網膜を焼く閃光にテントが跡形もなく吹っ飛び、半径数十メートルにわたって見事なクレーターができていた。
「げ……マジですか、これ」
周りのテントにアル達が居なかったことを祈るのみだ。
まぁ、人質と言うのは別々に拘束する場合、離れた場所に拘束するはずなので大丈夫なはずだが。
ぞろぞろとテントから出てくる人々に肝が冷えた、持っている武器が物々しくてかなり怖い。
「ば、バトルアックスとか頭かち割れるから!死ぬ!死んでしまいます!……とりあえず、戦略的撤退!」
体は妙に軽くて全身から汗が噴出し、腕が震えて足が空回る。
踵を返して森のほうに走りながら時々振り返って適当に攻撃っぽい単語を連呼した。
「雷の槍!」
光の柱が空を貫き、地を穿つ。先ほどの光よりは規模が小さいものの威力は洒落にならない。
こんなの、あたれば相手は消し炭だ。
私は……人を、殺してしまったかもしれない。
やっぱり大人しくしておくべきだった?
いいや、ここは元の世界のように、大人しく待っていれば助けが来るような世界じゃない。
「嵐!」
言葉が短ければ威力も少なくなるようだが、それでも人を十分に殺せるくらいの威力がある。
手加減の仕方なんて知らない。手加減なんて、怖くてできない。
歯をかちかちと鳴らしながら私は泣き叫ぶようにして言葉を紡ぐ。
だって、そうしないと死ぬのは私だから。
そうしないと、私はこの世界での唯一の知り合いを失ってしまうかもしれないから。
焼け付くように熱く、真っ白な頭の中で警鐘をならす恐怖のみが、私を突き動かす。
倒れた人たちの間を足早に走り去ろうとしたところ、何かに躓いて私は盛大にこけた。
木の根にでも顔をぶつけたのか鼻から抜けるような痛みが突き抜け、水がはねるような音がして私の顔に何かがかかる。
生臭くて暖かいもの。
反射的にそれに触れると、僅かに覗く月の光がその毒々しいほどに赤い液体を照らし出す。
紅い月、紅い森、紅い地面に、紅に染まった私の両手―――視界が、真っ赤に染まった。
頼んでもいないのに容赦なく私の凶行を暴き出す月の光によって、私は自分がなした行為の罪深さをまざまざと知ることとなった。
大きく見開いた虚ろな瞳でこちらを見上げる生首と、ばらばらに散らばった肉塊や四肢。
赤黒い液体が焦げ茶色の木の幹に飛び散り、ぬらりと揺れる水たまりにほたり、ほたりと紅い滴が滴る。
大声で叫んだつもりだったのに、出てきたのは引きつったような奇妙に甲高い呼気のみだった。
ひくひくと痙攣する喉からこみ上げてくる熱の塊を飲み込んで私はそこにへたり込んでいた。
今更ながらに切り傷だらけであろう足が脈動するように痛み、目の奥が酷く熱い。
動悸や眩暈は激しいのに体は軽くて簡単に死体たちの仲間入りをしてしまいそう。
心はじくりと痛んで苦しいのに空虚だった。
泣けるものなら泣いてしまいたい。でも、私の喉からは何も出てこない。
呼吸するたびに血なまぐさい何かが鼻腔を通り抜けていく。
「わた……わた、わた、し、わたしわたしわたし―――わたしが! 」
私が、人を、殺して……?
泣けなかったのに、人を殺してしまった自分を哀れんで目頭がつんと熱くなる自分に吐き気がした。
喉の奥から苦いものがこみ上げてきて涙を流しながら私はそれを思い切り吐き出す。
喉が、焼けるように痛かった。
「―――ちがう、ないてる、ばあいじゃ……ない!」
泣いちゃだめだ!泣いてちゃ駄目だ!泣く前にやることがあるでしょうが!
泣くなんて、泣いて助けを求めるだなんて―――今の私に、そんな資格はない!!
ふらふらと立ち上がって血を吸った赤い大地を踏みしめる。
また、鮮血が跳ねて足に張り付く。
下を見ると木の根に挟まり、恐ろしい形相をした生首の充血した目が私を見ていた。
私は目を閉じて呼吸をひとつ、萎えそうになる足を黒本で叩き、振るえる唇をかみ締めて走り出した。
涙で視界が滲み、自分が何処を走っているのかもわからない。
木の根に躓いてこけながら本を読み続け、追っ手に向かって本を読み続ける。
森を抜けて再びテントのある場所に戻ってきたときには、そこは随分と混乱しているようで人々が忙しく行きかっていた。
「アルとソルさんを探さないと……」
息は荒く、膝も震えているけどそれでもまだ動ける。
世界は渦を巻いていて、ふらつく視界に身を任せてその場にへたり込んでしまいたかった。
自分の血塗れた頬を勢いよく張って気合を入れる。
よし、大丈夫。まだいける。
二人を助けないと、その目的が私を支えていた。
森の木の影からテントがある地帯の様子を伺うと、1つだけ非常時にもかかわらず見張りのついているテントがあった。
「あそこかも」
でも思い切り本の力をぶつけるとアルやソルさんも危険にさらしてしまう。
しかもそこに居るとはかぎらない。
「炎は駄目、光も威力が強すぎる―――風、かな」
それっぽい単語を探して本を捲っていくと適当なイメージが見つかった。
イメージ同士をくっつけると私の目的に叶う効果を引き出せるかもしれない。
上手くできるかわからないけど、なせば成る!なさねば成らぬ!だ。
「大丈夫。きっと上手くいく!! 」
小声で自分を叱咤し、深呼吸して想像する。
アルとソルさんを包み込む風をつくりだすイメージをし、すうっと息を吸い込む。
「柔らかく、しなやかなかぜを――ー」
風が、吹いた。強く、柔らかい圧倒的な質量を有する無形の力。
風は吹き抜けて薄い膜を張るようにのようにテント集合している場所を包み込み、暴れ狂っていた。
風の膜が消えて、テントの残骸が見られる頃には私の居場所もばれて再び逃げながら本の内容を叫ぶ羽目になっていた。
「黒い炎! 」
頬を掠めるナイフや炎の中に消えていく人々を見ると足がもつれて上手く走れなくなる。
息が苦しくて、喉がからからに渇いていた。
私は本を読み、魔術を行使した後、振り返れずに居た。
背を向けて躓いたりよろめいたりしながらただひたすら前に進む。
目を瞑ると自分が屠った人の怒りと恐怖に強張った顔、見開かれ赤くなった目、ばらばらになった四肢と胴体、多くの残像が浮かんで、ひたすらに許しを請いたい気分になった。
どうして私がこんなことに―――!
助けようなんて思わなければ良かった?
二人について行かなければ良かった?
いや、そもそもこんな世界にさえこなければ……!
自分で始めたくせに、そんな言葉ばかりが頭に浮かぶ。
最低だ。
森の影からまた、数人の人影が飛び出してきて私は本を読もうと口を開いたが、うち一人に足を払われて転んでしまった。
膝を強く打ったが、転んだ勢いで本が手元から滑り落ちてしまった。
振りかざされた大きな剣が私の頭上で輝きゆっくりと降りてくるのがわかる。
どうやってよけたのかわからない。
気づいたときには私は地べたを這いずり回って黒本に手を伸ばしていた。
木にすがり付く様にし、立ち上がり上手く動かない手で本を捲るがそれよりも早く数本の剣が私に吸い寄せられる。
獣のような唸り声がやけに鮮明に耳に響いた。
まるで他人事のような感覚。私は多分ここで死ぬのかもしれない。
そんなことを思ったけれど、震える唇は必至で言葉を紡ごうとしている。
「―――目を閉じていろ、クオリ」
と、背後から口をふさがれ、耳元に聞きなれた少年の声が聞こえた。
聞こえたと同時に私に向けられていた剣が一瞬にして弾かれる。
剣が弾かれたことよりもなにより、相変わらず偉そうでいけ好かなかったその声にひどく安心して私はその場にへたり込んでしまう。
その地面に地だまりは出来ていないのに、生暖かい液体の跳ねる音を聴いた気がして心が軋む。
「見たいと言うなら止めませんけどね」
ソルさんは変わらない穏やかな笑顔で自身より体格のいい男を流麗な動作で切り飛ばした。
その光景に思わず視線をそらして目を閉じる。
アルが私の傍を離れたのを感じて目を開くと、アルはアルで自分の倍以上ありそうな人影の中に豪快に切り込んでいき、あっという間に片してしまった。
今が夜でよかったな、なんて無責任なことをぼんやりと考えていると不意にアルの声が耳を打つ。
「全く……無茶をする」
呆れたような口調にじわりと涙が滲んでしまう。
「わ、るかったわね……私だって、したくてしたんじゃない、けど仕方ないでしょう。
これくらいしか、私に出来ることはなかったんだから」
1人になるのが怖かったなんて、いえるわけが無い。
奥歯をかみ締めて俯く私の頭をアルの白くて少し冷たい手が少し乱雑に撫でる。
そんなことしないで欲しい、みっともなく泣いてしまいそうだ。
「歩けますか、クオリ?」
手を取って私を支えてくれるソルさんに甘えるわけにもいかないので、強く頷くとアルに鼻で笑われた。
「膝が笑っているぞ、クオリ。顔も服も酷い有様だ。自力で歩けるようにはとても見えないがな」
「五月蝿いなぁ、わかってるってば。でも、歩くしかないでしょう。ここに長居するのは良くないし。幸い足が折れているというわけでもないから、大丈夫」
ぶっちゃけ、この状況で甘えて、手ひどく拒絶されたら号泣する自信がある。
それだったら、無茶でも自分で何とかした方がいい。
「クオリ」
「なに?」
「お前はほんっと~に馬鹿だな。馬鹿すぎる。私も長く生きているがお前のように見栄と意地の張り方するやせ我慢が趣味の馬鹿女は見たことがない。いっそ感服する」
言いながらアルはひょいと私を持ち上げて俗に言うお姫様抱っことやらをやらかしやがりました。
というか、そんなに馬鹿馬鹿連呼しないで欲しい。かなり傷つく。傷つきすぎて泣いてしまいそうだ。
体からすっかり力が抜けてしまって私は泣きながら笑い、ついでに憎まれ口を叩いてみた。
「ねえ、アル。1つ聞いていい?」
「なんだ?」
「その小さな体の何処にこんな馬鹿力があるの?」
気恥ずかしくてそれこそ馬鹿な話を持ち出す私にアルは無言。
「クオリ、1つ質問する」
「なに?」
「お前は本物の馬鹿かそれとも自殺願望があるのかどちらなんだ?」
ふふふ、と笑いあう二人の間に冷たい風が駆け抜ける。
そんな私達をソルさんは呆れたようなどこか諦めてしまったような顔で見ていた。
アルに感謝しないと。
こんな面倒で重たい荷物を放り出さないでいてくれるのだから。
アルに横抱きにされたままゆっくりと山を下りていく。
冷たい風にがふき付けるたびに、興奮状態だった体も精神もふわふわと揺れる。
ほうっと息をつくと今更ながらに体がガタガタと震え、ジワリと目頭が熱くなると同時に視界がゆがんだ。
もう安心していいはずなのに、木々の間から誰かが襲ってくるかもしれないと思うと体が言うことを聞いてくれず、唇が痙攣したように震えてうまく言葉を紡げない。
がさがさと風に草木が擦れる音にも一々体がビクつく。
森の中は鬱蒼としていて、人影を警戒して目を凝らしても、精々数歩先までしか見えない。
また襲われるかもしれないのに、アルにこうして運んでもらうなんて、お荷物以外のなんでもない事は分かっていた。
ああ、そうだ。そういえば、私まだアルにお礼言ってない……。
後から振り返ると今更感があったと思うが、この時の私は不安定で、どうしてもお礼を言わなければならない、と思っていた。
そうしないとこの温もりが無くなってしまうような気がして怖かったんだと思う。
「アルッ、あ、あ、の……た、たす、けてくれて、ありが、とう」
こうしていることがアルに負担をかけているとわかっていても、もう少しだけ、縋らせて欲しかった。
体をできるだけ小さく丸め、掠れた声で包み込むようにそっと呟いた言葉は小さすぎて聞こえなかっただろうに、私の耳には呆れたように息を吐くアルの笑い声が聞こえた気がした。