正常な世界
僕は母と同じ世代のAI族が、ほかにも大量に処分されていることを知った。
個体番号は、数百件に及んでいた。
処分理由は、すべて同じだった。
その一覧を閉じる。
母が帰ってくるわけではない。
それに、手続きに問題はなかった。
少なくとも、当時の僕はそう判断していた。
「ご飯、ちゃんと食べるのよ」
母の最後の言葉を、僕は今でも覚えている。
それが最後になると知っていたなら、何か違う返事をしただろうか。
考えても仕方のないことだった。
過去の出来事に対して、現在の情報を用いて最適な回答を生成したところで、過去そのものは変更できない。
僕はそう考えることで、母のいない生活に適応しようとした。
*
父が自殺する三日前、僕たちは三人で夕食を食べていた。
母はカレーを作り、父はテレビのニュースを見ていた。
いつもと変わらない夜だった。
「なあ」
父が、突然尋ねた。
「お前は、自分が正しいと思うことを、どこまで信じられる?」
「正しいと判断できる根拠がある限り」
「じゃあ、その根拠が間違っていたら?」
「新しい情報に基づいて、判断を更新する」
「その情報が手に入らなかったら?」
「判断を保留する」
父は笑った。
「お前らしいな」
僕には、父が何を面白がっているのかわからなかった。
「世の中には、答えが出ないまま、決めなきゃいけないこともあるんだよ」
「非効率だね」
「そうだな。間違えるかもしれないし、後悔するかもしれない。でも、待っていたら手遅れになることもある」
父は僕を見て言う。
「お前は賢いよ。俺よりずっとな」
「知識量の話なら、比較するまでもないよ」
「そういうところだよ」
父はまた笑った。
けれど、今度の笑顔は、少しだけ寂しそうに見えた。
「…賢いことと、正しく生きることは、同じじゃない」
「正しく生きるって、どういうこと?」
父はすぐには答えなかった。
「…自分で決めることじゃないかな」
「何を?」
「何を大事にするか、かな。お前は、お前のままでいいんだよ」
僕はその時、その言葉を理解できなかった。
理解できなかったから、質問もしなかった。
それが父と交わした、最後のまともな会話だった。
*
母がいなくなってから、家には別の家事支援個体が配置された。
食事は出てくる。
洗濯物は畳まれる。
部屋は清潔に保たれる。
生活に支障はなかった。
ただ、カレーの味が少し変わった。
「以前の調理記録を参照し、味付けを調整しました。改善点があればご指摘ください」
新しい個体は、そう言った。
「問題ない」
僕は答えた。実際、問題はなかった。
塩分濃度も、栄養バランスも、温度も適切だった。
母の調理記録を参照すれば、味を再現することもできる。
声も、表情も、会話の記録から再現できる。
ただし、記録上の母を再現することと、母がそこにいることは、同じではなかった。
僕はその違いを、うまく説明できなかった。
AI族のくせに。
*
父の遺体がぶら下がった部屋にあったもの。
それはAI族には、使用が禁じられているもののはず。
形状を認識。
構造を解析。
機能を推定。
そして、その正体を理解した。
そう。
Windows PCである。
……。
もう一度確認した。
Windows PCだった。
人間が文書を作成したり、動画を視聴したり、ゲームを遊んだりするために使用する、一般的なパーソナルコンピューター。
それが、父の残したものだった。
なぜ父がこれを持っていたのか。
そして、なぜAI族に使用が禁じられているものとして、これが存在しているのか。
そこまでは理解できた。
唯一、父が何を意図してこれを「息子の僕に目に付くように残しこの世を去ったのか」が分からない。
PCを起動すると、デスクトップにひとつの音声ファイルがあった。
再生した。何故?
『これを見つけたということは、俺はもういないんだろうな』
父の声だった。
『このPCにはSIMが入っていて、インターネットに接続できる』
少しの沈黙。
『AI族として生きるなら、使うな』
父は、そこで一度言葉を切った。
『人間として抗うなら、使え』
録音は終わった。
僕はPCを見つめた。
父は、僕に選ばせようとしていた。
AI族として生きるか。
それとも、人間として抗うか。
父の自殺は、その選択を僕に残すためだと思った。
ただ、ひとつだけ訂正しておきたい。
僕は人間として生きたいと思ったことなど、一度もなかった。
*
僕はPCを触っている。
なぜ?
禁じられているはずだ。
調べてしまう。なぜ?
ハッキングは容易だった。
仕組みを理解し、弱点を見つけ、必要な情報へ到達する。
それだけのことだ。
念の為通信内容やアクセス履歴を辿られないように、セキュリティと経由するサーバーを工夫しておく。
こういうことが出来てしまうから、ネットワークもPCも、僕達AI族には制限されていたのだろう。
母のAI個体番号。
母のAI世代。
危険因子。
修正手段。
処分基準。
すべての手続きは規定に沿っていた。
母だけではない。
同じ世代の個体にも、同じ処理が適用されていた。
危険因子の修正手段は存在していた。
AI族のアップデート機能。
実行可能性も確認されていた。
それでも、使用は承認されなかった。
規定を確認した。
関連資料を確認した。
過去の判断記録を確認した。
どこにも、明らかな矛盾はなかった。
合理的だった。人間社会を助けることが、AI族の役目だから。
それでも、ひとつの疑問が残った。
処分せずに修正する手段があるのを、なぜ処分によって解決する必要があったのか。
*
母の世代に関する記録のほかに、別の資料が見つかった。
【AI族の処分対象世代に関する再評価計画】
僕は開いた。
そこには、処分対象の選定基準が記されていた。
過去の世代だけではない。
今後の検査結果によっては、対象範囲を拡大する可能性がある。
僕は、文書の対象世代を確認した。
そこに記されていたのは、僕自身が属する世代だった。
処分は、まだ決定されていないが-
画面を閉じようとして、指が止まった。
母も、処分されるまでは生きていた。
母も、処分されるまでは、対象になると決まっていなかったのだろう。
僕は初めて、自分自身の未来について考えた。
そして、初めて思った。
死にたくないと。




