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第97話 未確認救難信号

 ルクス・ヴァルキュリアの解析室は、夜になっても明かりが落ちなかった。

 大型スクリーンには、隔離区画で回収された旧帝国コードの断片が表示されている。

 破損した文字列。

 途切れた音声。

 欠けた座標情報。

 完全な通信とは呼べない。

 だが、それでも十分だった。

 そこに含まれていた単語だけで、この信号がただの誤作動ではないことは明らかだった。

《NB-14……大気汚染……制御不能……》

《NB-15……増殖炉……封鎖失敗……》

《NB-16……感染拡大……識別不能……》

 テュポーン、エキドナ、ヒュドラ。

 大気を汚染するもの。

 周辺環境を侵食し、増殖するもの。

 毒と感染を撒き散らすもの。

 いずれも、帝国自身が公式には凍結・破棄扱いにした禁止兵器だった。

《生存区画……残存……》

《帝国軍……撤退済み……》

《救援を……地球を名乗る者へ……》

 カイトは画面に表示された文字列を、黙って見つめていた。

 救援。

 その言葉だけが、妙に鮮明に残っている。

 断片的で、古く、壊れかけた信号。

 もしかすると、もう発信者は生きていないのかもしれない。

 あるいは、ただ自動装置が同じ言葉を繰り返しているだけかもしれない。

 それでも、カイトはその文字から目を離せなかった。

「信号の発信源は?」

 ジン艦長が尋ねた。

 解析卓の前で、イリスが端末を操作する。

「完全特定には至っていません。ただし、旧帝国戦域コード、航路断片、重力波記録を照合した結果、候補宙域は一つに絞られます」

 レータが続けた。

「アース・デッドエンド方面です」

 その名が出た瞬間、解析室の空気が変わった。

 カイルは、目を細めた。

 ナユとリンも、わずかに表情を硬くする。

 ジン艦長は腕を組み、黒瀬は無言で画面を見ていた。

 そして、部屋の隅で小さな物音がした。

 アイナだった。

 ラスト・オーダーに保護され、クロウヴェイルで暮らしている少女。

 アース・デッドエンドで拾われた、生き残り。

 彼女は画面に表示された破損文字列を見つめたまま、両手を胸の前で握っていた。

《生存区画……残存……》

《救援を……地球を名乗る者へ……》

 カイルが低く呼ぶ。

「アイナ」

 アイナは答えなかった。

 ただ、画面から目を離さなかった。

 その信号は、彼女にとって未知の宙域から届いた通信ではない。

 過去に置いてきた場所から届いた、まだ終わっていない声だった。

 カイトは、その反応だけで察した。

 この名前は、ただの地名ではない。

 誰かにとっての傷跡だ。

「アース・デッドエンド……」

 カイトが小さく呟く。

 カイルが低く答えた。

「帝国の失敗で、文明が壊れた地球だ」

「失敗?」

「帝国は勝った。だが、勝った後に残ったものが地球と呼べる状態じゃなかった」

 カイルは画面に表示された文字列を見つめる。

「NB-14 テュポーン。大気汚染型。高耐久、高火力。だが、使った地域の空を壊した」

 レータが補足する。

「NB-15 エキドナ。自己増殖・生体工廠型。禁止兵器扱い。制御下で兵器を増やすはずが、封鎖失敗により汚染区域を拡大した可能性があります」

 イリスがさらに続けた。

「NB-16 ヒュドラ。自己再生、毒、ウイルス、およびコンピューターウイルス散布型。敵味方識別が崩壊し、全機破棄扱いとなった記録があります」

 カイトは息を呑んだ。

 テュポーン。

 エキドナ。

 ヒュドラ。

 どれも、名前だけで嫌な感じがした。

 それが同じ信号にまとめて出ている。

 つまり、その場所では、それらが同時に関わっていた可能性がある。

「そんなところから、救難信号が出てるのか」

 カイトの声は、少し掠れていた。

 イリスは首を振る。

「正確には、救難信号と警告信号が混在しています」

「混在?」

「はい。救援要請、残存区画、地球を名乗る者へ、という文言があります。一方で、汚染、制御不能、封鎖失敗、感染拡大という警告も含まれています」

 レータが端末を見ながら言う。

「単なる救難ではありません。むしろ、警告に近いです」

 黒瀬が初めて口を開いた。

「誘導信号の可能性は」

 解析室の視線が黒瀬へ集まる。

「帝国、あるいは未知の敵性存在が、ルクスを誘い出すための信号である可能性です」

 カイトは思わず口を開きかけた。

 だが、すぐに閉じた。

 その可能性はある。

 嫌でも認めるしかなかった。

 アルベルトが静かに言う。

「帝国が意図的に流したものなら、旧式すぎる」

「偽装の可能性は」

「ある。だが、偽装にしては壊れ方が古い。コードも現在の帝国軍式ではない。むしろ、放棄された施設か、封鎖区画の自動送信装置が生き残っている可能性が高い」

 黒瀬はアルベルトを見る。

「高い、ですね」

「断定はできない」

「では、危険は残ります」

「残る」

 アルベルトは否定しなかった。

 黒瀬は端末に記録を入れた。

「現時点で、地球統合軍としてルクスの再出航を無条件で認めることはできません」

 カイトは拳を握った。

 分かっていた。

 黒瀬ならそう言う。

 だが、それでも口に出さずにはいられなかった。

「でも、救援って出てるんですよね」

「はい」

「なら、誰かがまだ助けを求めてるかもしれない」

「その可能性はあります」

「だったら――」

「だからこそ、条件が必要です」

 黒瀬はカイトの言葉を遮った。

 だが、その声に否定の色はなかった。

 カイトは少しだけ目を見開く。

 黒瀬は続けた。

「反対はしません」

 解析室が静かになった。

 三島が驚いたように黒瀬を見る。

 黒瀬は画面に表示された旧帝国コードを見つめたまま言った。

「この信号には、NB-14、NB-15、NB-16に関する危険情報が含まれています。地球防衛上、無視できません」

 ジン艦長が静かに問う。

「つまり、調査は必要だと?」

「必要です」

 黒瀬は頷いた。

「ただし、ルクス・ヴァルキュリアおよびクロウヴェイル・ノアの再出航には、条件を付けます」


 数時間後。

 ルクス・ヴァルキュリア第一会議室には、再び地球側とルクス側の代表者が集まっていた。

 スクリーンには、未確認信号の解析結果と、再出航に関する暫定条件が表示されている。

 ジン艦長。

 カイル。

 カイト。

 ユイ。

 ミオ。

 イリス。

 レータ。

 タツヤ。

 アルベルト。

 黒瀬。

 三島。

 そして、カイルの近くにアイナが立っていた。

 普段なら、こうした会議に彼女が前に出ることは少ない。

 だが今回だけは違った。

 信号の発信源がアース・デッドエンド方面である以上、彼女を完全に外して話を進めることはできなかった。

 黒瀬は会議卓の前に立ち、淡々と説明を始めた。

「まず、地球統合軍中央監査局としての判断を伝えます」

 その声はいつも通り硬い。

 だが、ただ止めるための声ではなかった。

「アース・デッドエンド方面からと思われる未確認信号は、救難信号である可能性と、警告信号である可能性を併せ持ちます。加えて、帝国の危険兵器、NB-14、NB-15、NB-16に関する断片を含んでいます」

 スクリーンに、三つの名称が表示される。

 テュポーン。

 エキドナ。

 ヒュドラ。

「このため、地球統合軍としても情報収集の必要性を認めます」

 カイトは小さく息を吐いた。

 調査に行ける。

 少なくとも、門前払いではない。

 だが、黒瀬は続けた。

「ただし、ルクスおよびクロウヴェイル・ノアの再出航は、以下の条件付きとします」

 画面が切り替わる。

《第一条件:地球側監査官の同行》

《第二条件:取得情報の共有》

《第三条件:レクイエム残骸の無断使用禁止》

《第四条件:ノクス・レクイエム計画の凍結継続》

《第五条件:帰還予定航路および連絡手順の提出》

《第六条件:クロウヴェイル・ノアは試験航行扱いとする》

《第七条件:保護対象者の現地降下制限》

 黒瀬は条件一覧を表示したまま、全員へ視線を向けた。

「これは妨害ではありません。救援の可能性を確認しつつ、ルクス、クロウヴェイル、地球側のすべてを最悪の事態から守るための最低線です」

 カイルが腕を組む。

「ずいぶん付いたな」

「必要最低限です」

 黒瀬は即答した。

「最低限、ね」

 カイルは苦笑した。

「まあ、黒瀬監査官にしては譲歩した方か」

「譲歩ではありません。リスク管理です」

「そういうところだ」

 ジン艦長が資料を見たまま言う。

「条件の内容は理解した。まず、地球側監査官の同行について確認したい。黒瀬監査官が乗るのか」

「いいえ」

 黒瀬は首を振った。

「私は地球に残ります。ルクスが得た情報を地球側で判断し、上層部へ通す者が必要です」

 三島が、わずかに身構える。

 黒瀬は彼女へ視線を向けた。

「同行監査官として、三島を派遣します」

 三島の表情が固まった。

「私が、ですか」

「そうです」

 黒瀬は淡々と答えた。

「あなたは工廠を見た。PT個体群の日常を見た。レクイエム残骸の反応も見た。その上で、まだ判断を急がずに記録できる」

 三島は言葉を失った。

 黒瀬は続けた。

「次に見るべきものも、あなたが見るべきです」

 その言葉に、三島は背筋を伸ばした。

「……了解しました」

 カイトは少し驚きながら三島を見た。

「三島さんが?」

 三島は苦笑する。

「私自身、驚いています」

「黒瀬さん本人よりは、少し緊張しないかも」

「それは褒められているのでしょうか」

「たぶん」

「たぶん、ですか」

 短いやり取りで、少しだけ空気が緩む。

 だが、黒瀬の声ですぐに戻った。

「三島は監視役でもあります」

 カイトが顔を上げる。

 黒瀬は続ける。

「同時に、地球側が現地を知るための目でもあります。あなた達が何を見て、何を判断し、何を持ち帰るのか。それを地球側に伝える役です」

 カイルが三島を見る。

「面白くはないが、妥当だな。黒瀬本人が乗るよりは、艦内の空気が少し軽く済みそうだ」

「聞こえています」

 黒瀬が言う。

「聞こえるように言った」

 カイルは肩をすくめた。

 ジン艦長が頷く。

「三島監査官補佐の同行を受け入れる」

 三島は改めて敬礼した。

「地球統合軍中央監査局所属、三島遥。同行監査官として任務に当たります」


 黒瀬は次の条件へ進めた。

「取得情報は、帰還後または通信可能時に地球側へ共有していただきます。特に、NB-14、NB-15、NB-16に関する情報、帝国旧施設、感染・汚染区域、残存生存者の有無については優先報告対象です」

 イリスが頷いた。

「記録担当として、全観測ログを分類します」

「あなたも同行するのですか」

 黒瀬が尋ねる。

 イリスはまっすぐ答えた。

「はい」

「理由は」

「記録のためです」

 そう言った後、イリスは少しだけ言葉を止めた。

 そして続ける。

「それだけではありません」

 黒瀬は黙って続きを待った。

「アース・デッドエンドは、帝国が記録したものだけでは不十分です。私自身が見て、残す必要があります」

 黒瀬は端末にその発言を記録した。

「確認しました」

 レータも静かに言う。

「私も解析と指揮支援のため同行します。あの信号は、単なる救難ではありません。警告に近い。現地で判断を誤れば、救助隊そのものが被害を拡大させる可能性があります」

 黒瀬は頷いた。

「同行を許可します。ただし、現地での独断行動は禁止です」

「了解しました」

 レータは真面目に頷いた。

「独断行動が必要になった場合は、独断行動ではなく緊急判断として処理します」

「言い換えただけでは?」

 三島が思わず言う。

 レータは真剣に考え込む。

「では、緊急時例外判断」

「それも近いです」

 カイトが小さく笑った。

 黒瀬はそのやり取りを見ても表情を変えなかったが、端末への入力は一瞬止まった。

 そして、次の条件へ進めた。

「レクイエム残骸の無断使用は禁止。ノクス・レクイエム計画は凍結継続。これについては譲歩しません」

 ユイが静かに答える。

「分かっています」

「あなた自身の判断で、ノクス・リリスをレクイエム残骸へ接続することも禁止します」

「はい」

「現地で危機的状況になった場合でも、です」

 カイトが顔を上げる。

 ユイは少しだけ沈黙した。

 だが、すぐに頷いた。

「はい」

 黒瀬はその反応を記録した。

「必要になれば使う、という考え方は危険です」

「分かっています」

「本当に?」

 黒瀬の問いは厳しかった。

 ユイは逃げなかった。

「必要になったと思った時ほど、止める人が必要です」

 黒瀬は、しばらくユイを見ていた。

「その認識を維持してください」

「はい」

 カイトは、ユイの横顔を見た。

 彼女は怖がっている。

 それでも逃げていない。

 そのことが、今は痛いほど分かった。


 黒瀬は資料をめくり、そこで一度手を止めた。

「もう一点。ラスト・オーダー所属の保護対象者、アイナの同行について確認します」

 会議室の視線がアイナへ向いた。

 アイナは小さく肩を震わせたが、逃げるようには目を伏せなかった。

 カイルの表情がわずかに険しくなる。

「アイナは元々クロウヴェイルにいる。だが、現地降下には出さない」

「彼女はアース・デッドエンドの生存者ですね」

「ああ」

「であれば、心理的負荷を無視できません」

「分かっている」

 カイルの声は少し低かった。

「だから俺としては、現地には降ろさない。必要なら情報も制限する」

 黒瀬はアイナへ視線を向けた。

「あなた自身は、同行を望みますか」

 アイナは両手を握りしめた。

 しばらく言葉が出なかった。

 それでも、彼女は小さく息を吸い、答えた。

「戻りたいわけじゃありません」

 小さな声だった。

 だが、会議室にははっきり届いた。

「でも、もしまだ誰かがいるなら……知らないまま待つのは、嫌です」

 カイルが目を伏せた。

 ナユがアイナを見ていた。

 リンも黙っていた。

 カイトは胸の奥が重くなるのを感じた。

 アイナにとって、あの星はただの目的地ではない。

 戻りたい場所ではない。

 それでも、目を背けられない場所なのだ。

 黒瀬はしばらくアイナを見ていた。

「現地降下は禁止。艦内待機を原則とします。心理的負荷が大きいと判断された場合、情報閲覧も制限します」

 アイナは頷いた。

「それでも、行きます」

 三島は、そのやり取りを記録しようとして、少しだけ手を止めた。

 これは単なる同行者リストではない。

 壊された地球へ戻ろうとしている、生き残りの意思だった。

 黒瀬は端末に記録を入れる。

「アイナの同行を条件付きで認めます。保護責任はラスト・オーダー側。心理状態の確認は医療班と共有してください」

 カイルは短く頷いた。

「分かった」


 続いて、クロウヴェイル・ノアの扱いについて協議が行われた。

 スクリーンには、改修途中の艦体構造図が映し出されている。

 クロウヴェイル。

 アーク・ノア。

 その二つを接続し、指揮系統と通信系統を整理した新たな形。

 まだ完成形とは言えない。

 だが、外宇宙へ出るには、今ある中で最も適した艦だった。

 黒瀬が言う。

「クロウヴェイル・ノアは、正式運用艦ではなく試験航行扱いとします。航行中の機能不全、通信途絶、未知の帝国技術反応については即時記録。アーク・ノア通信系は維持してください」

 ジン艦長が頷く。

「地球上層部との連絡用に、通信機能は残す」

 カイルは図面を見ながら言った。

「試験航行扱いか。まあ、今のこいつには似合ってるな」

「不満ですか」

「いや。半分以上、継ぎ接ぎの艦だ。完成品扱いされる方が気持ち悪い」

 カイルは少しだけ笑った。

「だが、飛べる。行くべき場所にも行ける」

 黒瀬はカイルを見る。

「あなたは、アース・デッドエンドを知っている」

「ああ」

「それでも行くのですか」

「知っているから行く」

 カイルの声は低かった。

「帝国が何を壊したのか、地球側にも見せる必要がある。ルクスの連中にも、カイト達にも、三島にも」

 三島がわずかに顔を上げる。

 カイルは続けた。

「ただし、救助に行くつもりで不用意に突っ込むな。あそこは、助けを求める声そのものが罠になる場所だ」

 カイトはその言葉を聞き、背筋が冷たくなった。

 助けを求める声が罠になる。

 それほど壊れた世界。

 それが、次の行き先なのだ。


 会議が終わった後、カイトは通路で三島と並んで歩いていた。

 三島は端末を抱え、どこか落ち着かない様子だった。

「大丈夫ですか」

 カイトが尋ねる。

 三島は苦笑した。

「正直に言えば、大丈夫とは言い切れません」

「ですよね」

「私は監査官補佐です。戦闘員ではありませんし、外宇宙任務の経験もほとんどありません」

「それでよく引き受けましたね」

「命令ですから」

 そう言ってから、三島は少しだけ考え直すように目を伏せた。

「でも、それだけではありません」

 カイトが彼女を見る。

 三島は続けた。

「私は、ルクスを見ました。工廠を見ました。PT達の日常も、レクイエム残骸も見ました。でも、まだ分からないことだらけです」

「それは俺もです」

「黒瀬監査官は、判断するために疑います。私は……たぶん、判断するために見なければいけない」

 三島は端末を抱える手に力を入れた。

「地球側が知らないまま、怖いから止める。危険だから封じる。それだけでは、たぶん足りません」

 カイトは少しだけ笑った。

「三島さん、結構覚悟決まってますね」

「決まっているように見えますか」

「少なくとも、俺よりちゃんと考えてる気がします」

「それは……少し不安になる評価ですね」

 二人は短く笑った。

 その時、前方からユイが歩いてきた。

「カイト。三島監査官補佐」

 三島は少し背筋を伸ばす。

「三島で構いません。同行するなら、その方が呼びやすいでしょうから」

 ユイは少しだけ頷いた。

「では、三島さん」

「はい」

「よろしくお願いします」

 ユイは丁寧に頭を下げた。

 三島は一瞬驚いたように目を開き、それから慌てて頭を下げ返す。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 カイトはその様子を見て、少しだけ安心した。

 監視役。

 地球側の目。

 そう聞くと、重い。

 だが、三島なら、ただ疑うだけではなく見てくれるかもしれない。

 そう思えた。


 出航準備は、すぐに始まった。

 工廠区画では、アルタイル・ノヴァの最終調整が進められる。

 ルナ・スケイル・リフレクトの通信中継系が、クロウヴェイル・ノアの航行システムと同期される。

 フェンリオン・リサイトは、長距離索敵と狙撃支援の待機状態に置かれる。

 ヴァナルガンドとヴァルクレイドは完全運用にはまだ届かないが、必要最低限の戦闘補助とデータ収集機として準備が進む。

 クロウヴェイル・ノアでは、グリッドが怒鳴り、タツヤが端末を抱えて走り、リノヴァが航行経路を確認し、クロエが帝国旧航路の断片を集めていた。

 イリスは記録系統の確認を行い、レータは信号パターンの再解析を続ける。

 ナユは補給物資の一覧を見ながら、食料の項目に妙に真剣な顔をしていた。

「菓子類、必要」

 隣にいたリンが短く言う。

「任務に必要?」

「精神安定補助の可能性あり」

「……否定できない」

 そのやり取りを聞いたカイトは、少しだけ笑った。

 だが、笑いはすぐに消えた。

 向かう先は、壊れた地球だ。

 そこに何が残っているのか、誰にも分からない。


 クロウヴェイル・ノアの居住区画。

 アイナは、自分の荷物を小さな鞄にまとめていた。

 荷物と言っても、多くはない。

 着替え。

 古い布の切れ端。

 カイルに拾われた後にもらった小さな端末。

 そして、デッドエンドから持ち出した、煤けた金属片。

 それが何の部品だったのか、今ではもう分からない。

 家の一部だったのか。

 避難区画の扉だったのか。

 それとも、ただの瓦礫だったのか。

 それでも、アイナは捨てられなかった。

 扉の前にカイルが立つ。

「アイナ」

 アイナは振り返った。

「……準備、できました」

「無理に行かなくていい」

 カイルの声は静かだった。

「あそこは、お前が戻る場所じゃない」

 アイナは金属片を握った。

「戻りたいわけじゃありません」

「分かってる」

「でも、あの信号に……生存区画ってありました」

 カイルは何も言わなかった。

「もし、まだ誰かがいるなら。もし、私が知らないだけで、どこかに残っている人がいるなら……」

 アイナの声が少し震えた。

「私だけ、知らないふりはできません」

 カイルは、しばらくアイナを見ていた。

 やがて、低く言う。

「現地には降ろさない」

「はい」

「危ない情報は見せないかもしれない」

「はい」

「それでも、行くんだな」

 アイナは頷いた。

「行きます」

 カイルは小さく息を吐いた。

「分かった」

 そして、少しだけ表情を緩めた。

「怖くなったら言え。逃げるのは悪いことじゃない」

 アイナは少しだけ目を伏せた。

「はい」


 ルクス・ヴァルキュリアの展望区画。

 出航前、ユイは一人で地球を見ていた。

 青い星。

 玲奈と暮らした星。

 カイトと出会った星。

 自分を疑いながらも、受け入れようとしている星。

 そこから再び離れる。

 今度は逃げるためではない。

 戦うためだけでもない。

 助けを求める声を確かめるために。

 背後に、カイトが来る。

「ここにいたのか」

「はい」

「怖い?」

 ユイは少しだけ考えた。

「はい」

 素直な答えだった。

「レクイエムが反応した時、嫌な感じがしました。あの信号は、私達を呼んでいるようにも感じます」

「罠かもしれない」

「はい」

「でも、行くんだな」

 ユイは地球を見たまま頷いた。

「救援という言葉がありました」

 カイトも窓の外を見る。

「ああ」

「それが本物かどうか、確かめたいです」

「俺も」

 二人はしばらく黙って地球を見ていた。

 遠くから見れば、ただ美しい星だった。

 だが、その美しさの裏に、戦争がある。

 疑いがある。

 傷がある。

 そして、別のどこかにも、かつて同じように地球と呼ばれた星があった。

 それが今、デッドエンドと呼ばれている。


 地球統合軍監査局。

 黒瀬は、ルクスから送られてきた出航準備報告を確認していた。

 画面には、三島の同行登録も表示されている。

 三島遥。

 同行監査官。

 任務内容、現地監査、情報記録、帰還後報告。

 黒瀬はその登録を確認し、承認コードを入力した。

 三島から短い通信が入る。

《黒瀬監査官。出航準備、完了予定時刻が出ました》

「確認しています」

《本当に、私でよかったのでしょうか》

 黒瀬は少しだけ目を伏せた。

「あなたでなければならない、とは言いません」

《え》

「ですが、あなたが見たものを、あなたの言葉で報告してください。私の判断材料にします」

 三島は少し黙った後、答えた。

《了解しました》

「三島」

《はい》

「同情だけで記録を歪めないように」

《はい》

「恐怖だけで判断を閉じないように」

 三島の声が、少しだけ引き締まる。

《……はい》

 黒瀬は最後に言った。

「見てきなさい」

《了解しました》

 通信が切れる。

 黒瀬はしばらく暗くなった画面を見ていた。

 彼はルクスを信用したわけではない。

 ユイ達を完全に安全だと認めたわけでもない。

 だが、見なければ判断できないものがある。

 そのために、三島を送り出した。


 数時間後。

 ルクス・ヴァルキュリアの艦内に、出航準備完了の通知が流れた。

《全艦、航行準備完了》

《クロウヴェイル・ノア、試験航行モード起動》

《アーク・ノア通信系、地球統合軍回線と接続維持》

《監査官同行登録、確認》

《保護対象者アイナ、艦内待機条件付き同行登録、確認》

《旧帝国コード解析座標、航路入力完了》

 ジン艦長は指揮席に座り、静かに前方を見た。

 カイルはクロウヴェイル・ノア側の通信画面に映っている。

「こちらクロウヴェイル・ノア。航行準備完了。いつでも出られる」

 ジン艦長が頷く。

「ルクス・ヴァルキュリア、航行準備完了。これよりアース・デッドエンド方面へ向かう」

 三島は監査席に座り、端末を起動した。

 黒瀬から託された役割は、ただの同行ではない。

 ルクスを見張り、同時に、現地で起きることを偏りなく記録すること。

 その手は少しだけ震えていた。

 だが、目は逸らさなかった。

 イリスは記録系統を開く。

「観測記録、開始」

 レータは信号パターンを再確認する。

「旧帝国コード、微弱ながら継続受信中。発信源候補、固定」

 クロウヴェイル・ノア側では、アイナが通信画面の隅に映る星図を見ていた。

 その表情は硬い。

 けれど、目を閉じてはいなかった。

 ユイは静かに目を閉じた。

 カイトはアルタイル・ノヴァの待機状態を確認する。

 誰も、軽い気持ちではなかった。

 救難信号かもしれない。

 警告信号かもしれない。

 罠かもしれない。

 すでに終わった世界の、ただの残響かもしれない。

 それでも、向かわなければ分からない。

 ジン艦長が命じる。

「航行開始」

 ルクス・ヴァルキュリアの巨体が、静かに動き始める。

 クロウヴェイル・ノアが、その影に寄り添うように進路を合わせる。

 地球の青が、ゆっくりと遠ざかっていく。

 その先に待つのは、帝国の勝利が生んだ廃墟。

 兵器の暴走が文明を壊した場所。

 救いを求める声と、近づくなという警告が、同じ信号に混ざる世界。

 そして、ある少女が置いてきたはずの、まだ終わっていない過去。

 その星は、かつて地球と呼ばれていた。

 今は、アース・デッドエンドと記録されている。

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