第52話 ブラック・ピット ~side Raven~
黒い宙域だった。
光が少ない。
静かすぎる。
無数の残骸だけが漂っている。
崩壊した艦隊。
焼け焦げた居住ブロック。
割れた輸送コンテナ。
時折、その隙間を青白いガスがゆっくり流れていく。
ブラック・ピット宙域。
帝国ですら深く入りたがらない墓場領域。
そして――四年前。
カイルは、その宙域を一人で漂流していた。
小型作業艇。
片側推進器損傷。
食料残り三日。
通信なし。
帝国識別コード抹消済み。
完全な逃亡者だった。
操縦席でカイルは静かに前を見る。
正面モニター。
暗い宇宙。
残骸。
死んだ艦。
時折流れる遭難信号。その大半は、既に誰も応答しない。
ブラック・ピットでは珍しくない。
帝国はここを“終わった宙域”として扱っていた。
だから誰も助けに来ない。
カイルは小さく息を吐く。
燃料警告がまた点滅した。
「……そろそろ限界か」
その時だった。
モニター端へ巨大な影が映る。
カイルは眉を寄せる。
残骸群の奥。
巨大艦。
いや。
輸送艦。
半ば埋まるように漂っている。
外装損傷。
右舷大破。
識別灯消失。
完全放棄状態。
しかし、カイルの視線が止まる。
「……まだ生きてる」
推進炉。
微弱反応。
死んでいない。
カイルは進路を変える。
小型艇がゆっくり残骸帯へ入っていく。
周囲には大量の艦隊残骸が漂っていた。
帝国艦。
民間船。
輸送艦。
その中には、明らかに居住コロニーだったものまで混ざっている。
崩壊した窓。
内部へ凍り付いた家具。
子供用玩具。
誰かの日常だったもの。
それらが静かに宇宙を漂っていた。
カイルは視線を逸らす。
見慣れている。
だが、慣れたくはなかった。
小型艇が巨大艦へ接近する。
艦体側面。
辛うじて残っていた文字。
《CROW VEIL》。
クロウヴェイル。
輸送艦。
旧型。
しかもかなり古い。
普通なら廃棄済みでもおかしくない。
しかし、
「……まだ飛べる」
カイルは小さく呟く。
その時だった。
後方モニターが点灯する。
「おい待て待て待て!」
通信。
ノイズ混じり。
そこへ髭面の男が映った。
グリッド。
当時から既に油まみれだった。
『お前まさかアレ拾う気か!?』
「他に生き残る方法あるか?」
『あるわけねぇだろ!』
即答。
だが否定ではない。
グリッドも分かっていた。
もう選べる状況じゃない。
『見ろよアレ!半分死んでるぞ!』
「半分なら十分だ」
『無茶苦茶言いやがる……』
カイルは小型艇をクロウヴェイルへ接続する。
衝撃。
古いロック機構。
警告音。
何とか固定。カイルは工具バッグを持ち、そのまま船内へ侵入した。
暗い。空気が冷たい。非常灯だけが赤く点滅している。
内部は酷かった。
床は歪み。
配線は剥き出し。
所々で真空露出警告。
しかし、完全には死んでいない。
奥から低い振動音が聞こえる。
炉心。
まだ動いている。
カイルは静かに周囲を見る。
この船も。
誰かの居場所だった。
その痕跡が残っている。
食堂。
散乱した食器。
壁へ貼られた航路図。
床へ転がったぬいぐるみ。だが今は誰もいない。
静かだった。
あまりにも。
『おーい、生きてるかー』
通信越し。
グリッドの声。
カイルは奥へ進む。
艦橋。
モニターの大半は死んでいる。
シートも破損。
だが中央制御だけは辛うじて反応していた。
カイルは端末へ触れる。
その瞬間。
艦内へ低い起動音が響いた。
『……お?』
グリッドが声を止める。
暗かった艦橋へ僅かに光が戻る。
モニター点灯。
補助電源起動。
クロウヴェイルが、ゆっくり息を吹き返していく。
カイルは小さく笑った。
本当に少しだけ。
「ほらな」
『……マジかよ』
その時。
別回線へ新しい通信が割り込む。
女性の声。
少し苛立ったような口調。
『ちょっと、急に未登録艦起動させないでくれる?』
カイルが振り返る。
ノイズの向こう。
若い女性が映る。
短髪。
鋭い目。
リノヴァだった。
『こっちは残骸帯航路計算中なんだけど』
『今その船動いたらデブリ流れるのよ!』
グリッドが笑う。
『お、来たな航路屋』
『笑ってる場合!?』
リノヴァは端末を叩きながら続ける。
『その宙域、重力流ズレ始めてる!』
『五分以内に抜けないと残骸雪崩起きるわよ!』
グリッドが顔を引きつらせた。
『おいカイル!その船今すぐ飛ばせるか!?』
カイルは静かに艦橋を見回す。
死にかけの艦。
まともじゃない機関。
壊れた配線。
しかし、クロウヴェイルはまだ死んでいなかった。
カイルは操縦席へ座る。
古い起動キーを押し込む。
艦内へ重い駆動音が響いた。
《主機関起動》
《クロウヴェイル、航行システム接続》
死にかけの船がゆっくり目を覚ます。
ブラック・ピットの暗闇の中で。
後にラスト・オーダーと呼ばれる一団の物語は、この瞬間から始まった。




