第38話 決断 ~side Yui~
黒い輸送艇が加速した。 ラスト・オーダー機体群も後退を始める。
同時に、帝国艦隊側にも撤退命令が流れた。
『全艦後退!』
『ベヒモス回収を優先!』
レグナートはまだ諦めていなかった。
ユイは小さく息を呑む。 あの男は、また来る。
確信に近かった。
その時、通信が開く。
『ユイ!』
カイトだった。 ノイズ混じり。しかし、声ははっきり聞こえる。
ユイは短く「脱出中」とだけ返した。
それだけで、通信の向こうの空気がわずかに緩む。
だが、詳しい回収位置を告げる前に、戦域ノイズが通信へ割り込んだ。
声が途切れる。ユイは崩壊する旗艦の向こう――帝国艦隊を見つめていた。
脱出艇が震える。 背後では、崩壊しかけた帝国旗艦とベヒモスがなおも激突を続けていた。
アーク・ノア側艦隊の砲火が宇宙を埋め尽くし、赤黒い怪物の巨体を何度も飲み込む。
しかし爆炎の奥から現れる姿は止まらない。
「本当に化け物ね……」
セラが小さく呟いた。 脱出艇内部には重い緊張が残っている。
ユイはシートへ身体を預けたまま、外部モニターを見つめていた。
その時、通信が再び開く。
『ユイ!』
カイトの声だった。 ノイズ混じり。しかし、先ほどよりは鮮明に聞こえる。
『無事なんだな!?』
ユイは少しだけ視線を伏せた。
「……うん」
『今どこだ?回収ポイントは!?』
焦った声だった。アーク・ノア側もかなり混乱しているのが分かる。
ベヒモス。帝国艦隊。未知の黒いGD部隊。
状況が一気に動きすぎていた。 ユイは短く息を吐く。
「脱出艇の中。まだ戦域付近」
『ならこっちへ――』
そこまで言いかけて、カイトの声が止まる。
ユイが黙っていたからだ。 セラも気づいたように視線を向ける。
沈黙。
短いが、重かった。
やがてカイトが小さく言った。
『……帰ってくるんだろ?』
ユイは目を閉じる。 帰りたい。
その言葉は嘘ではない。
玲奈との日々。学校。ミオとのやり取り。
カイトと過ごした時間。
地球で得たものは、もう任務だけでは割り切れなかった。
だが――。 ユイはゆっくり目を開く。
外部モニターでは、帝国艦隊が後退を始めていた。
損傷した艦隊群。その中心にいる旗艦残骸。
そしてベヒモス。 あれはまだ終わっていない。
レグナートは止まらない。
そして帝国には、まだ残っている。
救えなかった者達が。 ユイは小さく拳を握った。
「……まだ帰れない」
通信の向こうで、カイトが息を呑む。
セラも何も言わない。 ユイは続けた。
「やる事が残ってる」
『何言って――』
「ごめん」
カイトの声を遮る。
しかし、ここで逃げるわけにはいかなかった。
PT計画。レグナート。オリジナルナンバー。
帝国内部へ戻れるのは、自分しかいない。
ユイは静かに言う。
「帝国を止める」
短い言葉だった。
しかし、それが今の答えだった。
通信の向こうで沈黙が落ちる。
やがてカイトが低く言った。
『……死ぬなよ』
ユイは少しだけ目を見開く。 責めると思っていた。
止められると思っていた。
だが違った。
カイトは全部飲み込んだうえで、その言葉を選んだ。
ユイは小さく笑う。
「そっちこそ」
通信が切れる。 静寂。
その時だった。
前方モニターへ新たな反応が映る。 黒い輸送艇。
ラスト・オーダー側の機体だった。
『こちらラスト・オーダー』
低い声が響く。 カイルだった。
『回収ルートを開いた。来るなら急げ』
短い通信。 ユイはモニターを見つめる。
セラが顔をしかめた。
「……どうするの?」
ユイは少しだけ考える。 正直、信用はできない。
だが帝国へ戻るなら、今は彼らを使うしかなかった。
ラスト・オーダー。
帝国にも地球にも属さない者達。
そしてカイル・アストラ。 あの男は、レグナートを知っていた。
それもかなり深く。 ユイは静かに顔を上げる。
「行く」
セラが肩を竦めた。
「まあ、そう言うと思った」
脱出艇が進路を変える。
その先では、黒い輸送艇が静かに待機していた。
同時刻。
帝国旗艦残骸内部。 崩壊した司令区画で、レオンはゆっくり立ち上がった。
周囲は瓦礫だらけだった。 片腕装甲は半壊し、制服も血で汚れている。
それでも生きていた。
「……チッ」
口元の血を拭う。
その奥。崩れた隔壁の向こうに、一人の男が立っていた。
レグナート。 彼もまた傷を負っていたが、その目だけは変わらない。
静かだった。 異様なほどに。 レオンは険しい顔で言う。
「……ベヒモスは制御不能です」
レグナートは崩壊していく艦内を見上げる。
遠くでは、まだ怪物の咆哮が響いていた。
やがて彼は小さく呟く。
「いや」
その口元が、僅かに吊り上がる。
「ようやく始まった」
レオンの表情が歪む。
『敵艦隊接近!』
『アーク・ノア高出力反応確認!』
『本艦維持限界!』
レオンは舌打ちする。
だがレグナートは動じない。
代わりに静かに命じた。
「撤退する」
「ベヒモスは回収しろ」
レオンが目を見開く。
「あれをまだ使うつもりですか」
レグナートは答えない。 ただ、燃え続ける戦場を見つめていた。
黒い輸送艇がゆっくり接近する。 戦場ではなおも砲火が飛び交っていた。
アーク・ノア側艦隊がベヒモスへ集中砲撃を続け、その隙に帝国艦隊が後退していく。
巨大怪物の咆哮が、真空の宇宙にさえ響いてくるようだった。
「……しつこいわね、あれ」
セラが呆れたように呟く。 ベヒモスは既に半身を焼かれていた。
それでも止まらない。赤黒い外殻を再生させながら暴れ続けている。
ユイはモニターを見つめたまま、小さく目を細めた。
「あれ、完成してない」
「え?」
「多分、まだ調整段階」
だから暴走している。 もし完全制御されていたなら、もっと厄介だったはずだ。
その時、脱出艇へ通信が入る。
『ドッキングする』
カイルの声だった。
直後、軽い衝撃が走る。
黒い輸送艇との接続が完了したらしい。
「行くよ」
セラが立ち上がる。 ユイも静かに後を追った。
ハッチが開く。
その向こうには、武装した黒服の男達が並んでいた。
帝国軍とも地球軍とも違う。 統一された黒装備。
無駄のない動き。全員が戦場慣れしている。
その中央に、カイルが立っていた。 黒いコート姿のまま、静かにこちらを見る。
「乗れ」
短い言葉だった。 ユイは警戒を解かない。
「どうして助けるの」
カイルは少しだけ視線を細めた。
「助けたわけじゃない」
「?」




