第350話 命令ではない帰還
ルクス・ヴァルキュリアの格納区画に、帰還誘導灯が灯った。
赤ではなく、淡い青。
戦闘警報ではない。
帰還受け入れの光だった。
命令層中枢は停止した。
再同期基盤は隔離され、保護すべき記録は残された。
オルフェンは拘束され、証言記録装置の前に座っている。
外縁部ではレオン隊が監察局部隊を抑え、通常軍側の記録を保全していた。
戦いは、終わった。
少なくとも、今この場では。
けれど、帰ってきた機体のどれも、軽くはなかった。
ノクス・レクイエムは出力を落としながら専用封鎖区画へ戻る。
ルナ・スケイル・リフレクトは、《ルナ・ドール・リンク》の端末群を一機ずつ切り離しながら帰還する。
ヴァルクレイド・セレスは、防壁系統を冷却しながら格納用アームに受け止められる。
フェンリオン・リサイト、ヴァナルガンド、ヴァイス・リッパー・リビルド、ロス・セレネも、順次帰還ラインへ入った。
整備班が走る。
医療班が待機する。
だが、誰も勝利に浮かれてはいなかった。
戻ってきたのは、戦果ではない。
人だった。
医療区画では、モルドが腕を組んで待っていた。
「順番に検査だ。文句は聞かん」
その声を聞いて、レータが小さく笑う。
「戻ってきた感じがするね」
アミィは隣で首を傾げた。
「怒られると、戻ってきた感じがするんですか」
「うん。モルドさんが怒ってる時は、だいたい生きて帰ってきた時だから」
モルドが睨む。
「聞こえているぞ」
「聞こえるように言いました」
「なら最初に検査だ」
「えっ」
レータが少しだけ顔を引きつらせる。
アミィはそれを見て、小さく息を漏らした。
笑った、というには控えめだった。
けれど、戦場で見せた緊張とは違う表情だった。
カナデがアミィに近づく。
「アミィさん、まず簡単に反応確認をします。今、声は出せますか」
「はい」
「自分の名前を言えますか」
アミィは一度だけ目を伏せた。
それから、顔を上げる。
「アミィです」
カナデは頷いた。
「はい。聞こえています」
そのやり取りに、アミィは少しだけ安心したように息を吐く。
戦場では、対象Aではないと返した。
ここでは、誰かに突きつけられているわけではない。
静かな医療区画で、普通に名前を聞かれ、普通に答えた。
それだけのことが、今は少し大きかった。
ユイも医療区画へ運ばれていた。
ノクス・レクイエムから降りた直後、足元が少しふらついたため、カイトが支えている。
ユイは不満そうに眉を寄せた。
「歩ける」
「歩ける人は、歩けるって二回言わない」
「言ってない。まだ一回」
「今ので二回目だ」
カイトがそう言うと、ユイは反論しかけて、やめた。
疲れている。
かなり。
ノクス・レクイエムは全開ではなかった。
それでも、命令層を見て、切り、切った後を渡す作業は、身体よりも深い場所を削ったような疲労を残していた。
モルドがユイを見る。
「ノクス使用後の反応を取る。座れ」
「はい」
今度は素直に座った。
カナデが横で心理反応を確認する。
「ユイさん、ノクスに対する感覚はどうですか」
「……怖いです」
ユイは少し考えてから答えた。
「でも、前みたいに封印しておけばいいだけのものとは、少し違って見えます」
カイトがユイを見る。
ユイは続けた。
「封印するだけなら、確かに安全です。でも、命令層を切る力が必要な時がある。今日みたいに」
カナデは静かに頷く。
「管理して使うもの、という感覚に近いですか」
「はい」
ユイは自分の手を見る。
「使わないために封印するんじゃなくて、使う時を間違えないために管理する。たぶん、そういうものにしないといけない」
カイトは短く言った。
「一人で管理するなよ」
ユイはすぐに返す。
「分かってる」
少し間を置いて、小さく笑った。
「今日、分かったから」
整備区画では、ミオがルナ・スケイル・リフレクトから降りた直後、壁際に座り込んだ。
倒れたわけではない。
ただ、緊張が切れたのだ。
《ルナ・ドール・リンク》の端末群はすでに一機ずつ停止処理に入っている。
GD-06 バリスタ。
GD-11 ファランクス。
GF-07 リーフガード。
それぞれ命令層再接続なし。
自律攻撃なし。
切断時停止系統、正常。
整備班が確認を続けている。
ミオはそれを見届けてから、ようやく息を吐いた。
「……疲れました」
レガロンが近くに立つ。
「だろうな」
「もう少し労わる言葉はないんですか」
「ある」
「じゃあ言ってください」
レガロンは少し間を置いた。
「よくやった」
ミオは目を瞬かせる。
あまりに短い。
けれど、レガロンにしては十分すぎる言葉だった。
「……ありがとうございます」
「支援役ではなく、管制役として動けていた。撃つ場所ではなく、撃たない場所を決めた。帰る場所も残した」
レガロンは端末群へ視線を向ける。
「初陣としては、十分以上だ」
ミオは視線を落とした。
少しだけ、表情が緩む。
「戦場を支えられたでしょうか」
「支えた」
レガロンは即答した。
「だから、今は座ってろ。疲れている時に無理をして、整備班の邪魔をするな」
「最後の一言はいらなかったです」
「必要だ」
そのやり取りを聞いていた整備班の何人かが、小さく笑った。
ミオは文句を言いかけて、結局そのまま座り込んだ。
支援網は閉じた。
端末も止まった。
それでも、みんなが帰ってきた。
その事実が、少しずつ胸に染みていった。
観測席では、ナユが静かに座っていた。
ロス・セレネから降りた後も、まだ耳の奥に残響が残っているような感覚がある。
見えない通路。
隠れた観測線。
偽の反響。
それらを追い続けた疲労が、遅れてやってきていた。
隣では、イリスが記録端末を開いている。
「まだ記録するの?」
ナユが尋ねる。
イリスは少しだけ考えた。
「はい。でも、急ぎません」
「珍しいね」
「今回の記録は、急いで整理すると、命令層中枢の記録に引っ張られそうです」
イリスは端末に表示された分類を見つめる。
命令層中枢停止記録。
オルフェン拘束記録。
再同期基盤隔離記録。
対象A自己応答保持記録。
それらは必要な記録だ。
でも、それだけではない。
アミィが名前を言った記録。
レータが隣だと言った記録。
セラが撃たなかったから撃てた記録。
リンとレイが刃を下ろした記録。
ミオが帰れる場所を残した記録。
ユイが一人で切らなかった記録。
ナユが守られるだけではなく、判断を支えた記録。
イリスは新しい分類を作った。
命令ではない記録。
その中に、今回の出来事を一つずつ追加していく。
ナユはそれを見て、小さく笑った。
「私も入る?」
「入ります」
「何て?」
イリスは少し考える。
「ナユさんが、見えない通路を見つけた記録。守られるだけではなく、二人の刃を止めた記録」
ナユは目を伏せた。
「そっか」
「はい」
「じゃあ、残しておいて」
「残します」
観測席には、静かな時間が流れていた。
艦橋では、ジン、黒瀬、三島が戦後処理を続けていた。
命令層中枢停止。
再同期基盤隔離。
保護記録一覧。
オルフェン拘束。
監察局観測ログ隔離。
レオン隊との共同証言記録化。
確認すべき項目は多い。
三島は端末に向かいながら、少しだけ肩を回した。
「終わった気がしませんね」
ジンが短く答える。
「戦闘が終わると、書類が始まる」
黒瀬が真面目な顔で頷く。
「今回は書類では済みません。証言記録、保護記録、監察局越権証拠、帝国通常軍側記録との照合。しばらく処理が続きます」
三島が苦笑する。
「分かっていましたけど、言われると重いですね」
ジンは正面モニターを見る。
そこには、沈黙した命令層中枢が映っている。
「それでも、戻ってきた」
黒瀬は頷いた。
「はい。全員、戻りました」
その言葉は、報告以上の意味を持っていた。
命令に戻ったのではない。
艦へ戻った。
自分達の場所へ戻った。
食堂の照明は、いつも通りだった。
戦闘後だからといって特別な飾りがあるわけではない。
ただ、温かい飲み物と軽食が用意されていた。
医療チェックを終えた者から、少しずつ集まってくる。
セラはカップを両手で持ち、静かに席へ座った。
レイは疲れたように椅子へ背を預ける。
リンはナユの分の飲み物も持ってきて、当然のように隣へ置いた。
ナユは少しだけ笑って礼を言う。
ミオはまだ整備区画で確認中。
ユイは医療区画で追加検査。
イリスは観測席で記録整理。
全員が同じ場所にいるわけではない。
それでも、ここは戻る場所の一つだった。
レータがアミィと一緒に食堂の入口に立つ。
「入る?」
レータはそう聞いた。
連れていくのではない。
促すのでもない。
ただ、聞いた。
アミィは食堂を見た。
席がいくつもある。
誰かが決めた席ではない。
対象A用の待機位置でもない。
補完個体の配置場所でもない。
食堂の、ただの席。
アミィは少しだけ迷った。
それから、一歩前へ出る。
「入ります」
「うん」
レータは隣を歩く。
前ではなく、後ろでもなく、隣を。
アミィは食堂の中を見回した。
空いている席はいくつもある。
レータの隣に座ることもできる。
少し離れた席を選ぶこともできる。
誰かに指定されていない。
その自由さに、少しだけ戸惑う。
けれど、怖くはなかった。
アミィは、自分で一つの席を選んだ。
レータの隣。
けれど、レータに指示されたわけではない。
自分で選んだ席だった。
レータが少しだけ笑う。
「そこ?」
「はい」
「じゃあ、私はこっち」
レータが隣の席に座る。
アミィは椅子に腰を下ろした。
目の前には温かい飲み物が置かれる。
誰かが用意してくれたもの。
命令ではない。
役割でもない。
ただ、帰ってきた人へ出されたもの。
アミィは両手でカップを包み込む。
小さな行動だった。
食堂で、自分から席を選ぶ。
ただそれだけ。
けれど、それは命令ではなかった。




