第349話 捕縛者オルフェン
命令層中枢は沈黙した。
再同期基盤は隔離され、保護すべき記録領域は残された。
ルクス・ヴァルキュリアへの帰還信号が出され、各機は順次帰還ルートへ入っている。
戦場は、少しずつ終わりへ向かっていた。
だが、まだ終わっていない問題があった。
オルフェン。
監察局の観測者。
命令層中枢を利用し、アミィ達を再同期しようとし、ルクス側の自己応答保持構造を観測しようとした男。
彼は現在、拘束状態でルクス側の管理下にあった。
観測ログは遮断されている。
記録端末も確保済み。
命令層残留線も切断された。
だが、オルフェン本人が持つ情報は、まだ残っている。
監察局内部の運用。
命令層中枢の実態。
再同期基盤の使用手順。
帝国本国との接続情報。
そして、監察局が通常軍すら実験材料として扱おうとした証拠。
ジンは艦橋で、その報告を静かに聞いていた。
黒瀬が隣で拘束状況を確認する。
「オルフェンの生命反応は安定。自傷・逃走用の小型端末は除去済み。記録装置も分離しました」
三島が続ける。
「監察局観測ログは隔離済み。外部送信は確認されていません」
ジンは頷く。
「問題は、ここからだな」
黒瀬は短く答えた。
「はい。誰が彼を扱うのか、です」
◇
ルクス側に、オルフェンを私的に裁く権限はない。
それは黒瀬も、ジンも分かっていた。
だが、監察局へそのまま返すこともできない。
返せば、証拠は消される。
オルフェン自身も処分されるか、都合のいい記録だけに加工される可能性が高い。
監察局が命令層中枢で何をしていたか。
PT達をどう扱ったか。
帝国通常軍に何を強制しようとしたか。
その全てが、監察局の内部処理という名目で消されかねない。
黒瀬は画面に表示された項目を見た。
オルフェン本人。
確保記録装置。
監察局観測ログ隔離データ。
通常軍への過負荷通信命令。
無人機盾運用命令。
照合波中継命令。
PT再同期基盤運用記録。
命令層中枢保護済み記録一覧。
「監察局へ返せば、これらの一部は確実に消えます」
黒瀬が言う。
ジンは腕を組んだ。
「だが、こちらが完全に抱え込めば、帝国側は捕虜の不当拘束と見る」
「はい」
「レオンはどう出る」
黒瀬は少し間を置いた。
「通常軍として、身柄と記録を要求する可能性があります」
ジンは小さく息を吐いた。
「敵に渡すのも危険だが、監察局よりは話が通じるか」
「少なくとも、通常軍被害の証拠として彼を必要としています」
黒瀬は正面モニターを見る。
「それに、レオンは監察局の越権を止めるために動きました。彼にも、証拠を保全する理由があります」
外縁部。
エリシオンはまだ監察局部隊の前に立っていた。
戦闘は小康状態に入っている。
監察局端末群の一部は停止し、外部回収経路も封鎖されたままだ。
旗艦『グラトン』艦橋では、クラウスが通常軍記録を保全し続けていた。
「監察局からの追加通信は減少。ただし、本国方面への報告要求が複数出ています」
レオンは司令席に座ったまま答える。
「内容は」
「通常軍命令不履行、監察局端末喪失、中枢防衛効率低下。こちらに責任を転嫁する文面です」
「予想通りだな」
「はい。ですが、こちらには過負荷通信命令と無人機盾運用命令の原本があります。改竄前の記録も複数系統へ保存済みです」
レオンは短く頷いた。
「オルフェンは」
「ルクス側が拘束中です」
艦橋に緊張が走る。
レオンはモニターに映るルクス・ヴァルキュリアを見た。
「通信を開け」
「ルクス側へ、ですか」
「そうだ」
クラウスはすぐに通信を繋ぐ。
相手はジン艦長。
そして、黒瀬監査官。
今この瞬間、敵同士であっても話し合わなければならない相手だった。
通信画面が開く。
ジンとレオンが向き合う。
黒瀬はジンの横に立ち、クラウスはレオンの側で記録を取っている。
先に口を開いたのはレオンだった。
『オルフェンの身柄を要求する』
ジンは眉を動かさない。
「帝国通常軍としてか」
『そうだ。監察局は通常軍に対し、過負荷通信、照合波中継、無人機盾運用を命じた。オルフェンはその中枢運用に関わっている。通常軍として、彼の証言と記録は必要だ』
黒瀬が静かに返す。
「こちらにも必要です」
『PT関連記録か』
「はい。アミィさんを含むPT達への再同期処理、命令層中枢の運用、人格形成記録の扱い。それらの証言を、監察局側だけに渡すことはできません」
レオンの表情は硬い。
『監察局へ返せば証拠隠滅される。そこは同意する』
ジンが言う。
「だからといって、こちらが完全に抱え込むのも問題になる」
『その通りだ。君達がオルフェンを保持し続ければ、帝国側はルクスによる監察局員拉致として処理するだろう』
「監察局は喜んでそう書くだろうな」
ジンの声には皮肉が混じった。
黒瀬は一歩前に出る。
「提案します」
レオンの視線が黒瀬へ向く。
「オルフェンの身柄は、当面、ルクス側拘束区画で保持。ただし、通常軍側の立会いを認めます。証言記録は共同で作成。記録原本は複製し、ルクス側、通常軍側、保護記録領域の三系統で保全」
クラウスがすぐに内容を記録する。
レオンは少し黙った。
『つまり、完全な引き渡しではなく共同管理か』
「はい。監察局への単独引き渡しは禁止。通常軍側への完全引き渡しも、現時点では保留です」
『こちらを信用していないということか』
黒瀬は即答した。
「敵対勢力ですので」
その返答に、ジンがわずかに目を伏せる。
レオンは一瞬だけ黙り、それから低く笑った。
『正直だな』
「ただし、監察局より証拠保全の意思があることは認めています」
レオンは黒瀬を見た。
『条件は』
「PT関連記録の保全。アミィさん、ユイさん、レータさん、その他PT達の人格形成記録を監察局へ渡さないこと。証言は、個人名ではなく必要に応じて保護名義で記録すること。監察局観測ログは再同期技術へ流用させないこと」
クラウスが確認する。
『通常軍側からの条件も提示します』
ジンが頷く。
「聞こう」
クラウスは記録画面を見ながら読み上げる。
『通常軍への過負荷通信命令、無人機盾運用、照合波中継命令について、オルフェン本人の証言を取ること。監察局端末保護を通常軍犠牲より優先した命令系統を記録すること。通常軍側作戦記録との照合を認めること』
黒瀬は頷いた。
「同意できます」
ジンも続ける。
「こちらとしても、監察局の越権が明らかになるなら都合がいい。だが、こちらのPT達を帝国側の証拠材料として晒すつもりはない」
『分かっている』
レオンは短く答えた。
『こちらも、通常軍兵士を監察局の都合で消されるつもりはない』
◇
通信越しの空気は重かった。
互いに味方ではない。
信頼しているわけでもない。
だが、監察局に任せれば消されるものがある。
それだけは一致していた。
ジンは言った。
「オルフェンの身柄は、当面ルクス側で拘束する。通常軍側からは、クラウス参謀、または指定した記録官の立会いを認める。証言は共同記録化。原本は三系統で保全」
レオンが頷く。
『異議はない。ただし、こちらは身柄引き渡し要求を取り下げるわけではない。共同管理は暫定措置だ』
「承知している」
黒瀬が補足する。
「監察局への引き渡しは、少なくとも証言記録と証拠保全が完了するまで認めません」
『同意する』
レオンの声がわずかに低くなる。
『監察局に返せば、あの男は観測者として処理される。証言者にはならない』
黒瀬は静かに言った。
「だから、こちらで証言者にします」
拘束区画。
オルフェンは、透明な隔壁の向こうで静かに座っていた。
拘束具は最低限だが、逃走用端末も命令層接続もすべて除去されている。
周囲には監視装置がある。
だが、それは彼が使っていた観測装置とは違う。
反応値を抜き取るためのものではない。
証言を記録するためのものだ。
彼の前に置かれているのは、観測端末ではなかった。
証言記録装置。
発言者。
時刻。
照合者。
記録保全先。
証拠添付欄。
そこに並ぶ項目は、オルフェンが好んだ反応値や従属率とは違っていた。
彼はしばらく、その装置を見つめていた。
そして、ゆっくり顔を上げる。
黒瀬が隔壁の向こうに立っていた。
ジンもいる。
通信画面には、レオンとクラウスの立会い表示がある。
オルフェンは静かに言った。
「観測ではなく、尋問ですか」
黒瀬は首を横に振る。
「証言記録です」
「私を裁くつもりですか」
「私的に裁くつもりはありません」
黒瀬は淡々と答えた。
「ですが、あなたが何を行い、何を命じ、何を記録しようとしたのか。それは残します」
オルフェンの目が細くなる。
「記録は、勝者によって作られるものです」
「いいえ」
黒瀬は即座に否定した。
「今回は、複数の立会人と原本保全のもとで残します。あなたがしてきた観測ログとは違います」
オルフェンは沈黙した。
黒瀬は証言記録装置を起動する。
淡い光が、彼の前に灯った。
「オルフェン。監察局による命令層中枢運用について、証言してもらいます」
通信画面の向こうで、レオンが黙って見ている。
クラウスは記録を開始した。
ジンは腕を組み、黒瀬の横に立っていた。
黒瀬は最後に、静かに言った。
「今度は、あなたが記録される側です」
オルフェンは、初めて何も返さなかった。
観測者ではなく。
記録者でもなく。
捕縛者として。
彼は、証言記録装置の前に座っていた。




