第344話 オルフェンの敗北条件
外縁部では、レオン隊が監察局部隊を抑えていた。
エリシオンの防壁が通常軍機への照合波を遮り、ヘルメス隊が監察局端末の回収線を妨害する。
そのおかげで、命令層中枢内部へ流れ込んでいた外部干渉はわずかに弱まった。
ルクス側は、奥へ進める。
だが、黒瀬はそこで別の危険を見ていた。
進めることと、勝てることは同じではない。
オルフェンを撃退するだけでは足りない。
彼が何を勝利と見ているのか。
そこを間違えれば、こちらが戦闘で押し勝っても、監察局にとっては十分な成果になる。
艦橋の監査席で、黒瀬は複数の記録画面を開いていた。
「戦闘目的を整理します」
ジンが艦長席から視線を向ける。
「敵を倒すだけではない、ということか」
「はい。オルフェンは戦闘勝利を最優先にしていません」
三島が記録を補助しながら頷く。
「これまでの行動記録を見る限り、彼は撤退しても観測データを持ち帰れれば目的達成と判断する可能性があります」
黒瀬は画面を切り替えた。
対象A再同期失敗。
ノクス・レクイエム切断記録。
ルナ・ドール・リンク管制記録。
セレス・バスティオン展開記録。
命令ではない記録の効果。
監査判断分担。
近接組の判断保留。
射撃手の射撃保留。
それらはすべて、オルフェンにとって観測対象だった。
「彼にとっては、我々の抵抗そのものが成果です。再同期できるか、できないならなぜできないのか。どこで命令が失敗し、どこで自己応答が保持されたのか。それを記録されれば、次の監察局作戦に使われます」
ジンの表情が険しくなる。
「つまり、逃げられたら負けか」
「はい」
黒瀬は静かに言った。
「戦闘で押し返しても、記録を持ち帰られた時点で、オルフェンの勝ちです」
解析区画では、アルベルト、レオニス、リクトが命令層中枢の内部構造を読み解いていた。
そこへ、イリスとナユの情報も重ねられる。
イリスは記録領域を開き、違和感のある流れを探していた。
監察局の記録は、帝国通常軍の記録とは違う。
通常軍の作戦記録は、誰が、いつ、どの命令で動いたかを残す。
監察局の記録は違う。
反応値。
従属率。
揺らぎ。
命令への戻りやすさ。
支援構造の崩れ方。
それらを拾おうとする。
つまり、記録の流れ方そのものが違う。
『記録系統に、不自然な抜け道があります』
イリスが通信で報告した。
『中枢の表層記録ではありません。もっと奥に、観測結果だけを別経路で保存する流れがあります』
黒瀬が問う。
「監察局用の隠し記録ですか」
『はい。帝国通常軍の作戦記録とも、中枢の人格形成記録とも違います。観測するためだけの記録です』
アルベルトがすぐに反応する。
『監察局形式の記録保全装置でしょう。オルフェンのような監察局員が使うものです。通常の中枢データとは別に、観測ログだけを切り出して保存する構造があるはずです』
リクトが画面に命令層接続図を表示する。
『命令層側にも残留線があります。再同期基盤と観測室を繋ぐ線です。これを切らない限り、オルフェンは中枢内の反応を拾い続けられます』
レオニスが別の層を示した。
『ただし、すべてを切るのは危険です。人格形成記録の保護領域と、監察局観測ログが隣接しています。雑に遮断すると、救出対象候補の記録まで破損する可能性があります』
黒瀬は短く息を吐いた。
「撃破ではなく、切り分けが必要ですね」
ナユはロス・セレネの中で、白い中枢空間の奥へ残響を投げていた。
今までの敵は、見える端末や偽の通路に罠を置いていた。
だが、オルフェンの観測線は違う。
見えない。
音も返りにくい。
まるで、見られているという事実だけが残っているような感覚だった。
『嫌な音です』
ナユが呟く。
リンが横で聞く。
『音があるのですか』
『音というより、音が抜ける場所があります。反響が、どこかへ吸われていく』
レイが低く言った。
『そこが観測線か』
『たぶん』
ナユは目を閉じる。
残響を広げすぎない。
広げると偽反響に引っかかる。
ミオが残してくれた支援線の内側から、細く探る。
中枢の奥。
壁面の裏。
浮遊端末群の隙間。
命令層接続線の影。
そこに、ほんの細い流れがあった。
『見つけました』
ナユの声が変わる。
『観測線、三本。いえ、四本あります。一つは囮。三本が本命です』
ミオが支援網越しに位置を受け取る。
『共有します。ナユさんの残響線を基準に、観測線の候補を表示』
黒瀬の画面に、観測線の仮位置が浮かび上がる。
その先は、中枢のさらに奥へ伸びていた。
まだ位置は曖昧だ。
だが、方向は分かる。
オルフェンの観測室。
そこでは、彼自身もまたルクス側の変化を見ていた。
観測ログ遮断の兆候。
記録保全装置探索。
命令層接続残留線の検知。
残響索敵による観測線推定。
監査判断の捕縛作戦移行準備。
オルフェンは、静かに目を細めた。
「こちらの敗北条件に気づきましたか」
怒りはない。
むしろ、当然のような響きだった。
観測対象が観測者へ到達しようとする。
それもまた、興味深い。
「撃破ではなく、記録遮断。逃走経路封鎖。本人拘束」
彼は自分の端末を操作した。
観測ログの複製。
回収端末の準備。
退避路の開放。
命令層残留線の予備接続。
観測室の位置偽装。
すべてを同時に進める。
「では、こちらも退避準備を進めましょう」
その声には、焦りはなかった。
だが、初めてオルフェンは、観測室から離れる可能性を計算に入れた。
ルクス側解析区画では、対策項目が次々に整理されていった。
黒瀬が全体へ通信を開く。
「オルフェンの敗北条件を定義します」
艦内の各部署が反応する。
艦橋。
前線。
解析区画。
医療・心理監視室。
整備区画。
それぞれに情報が送られる。
「第一。監察局観測ログ遮断」
イリスが答える。
『観測ログの流れを追います。命令ではない記録と監察局記録を混ぜません。観測ログだけを識別します』
「第二。記録回路封鎖」
アルベルトが頷く。
『監察局形式の記録保全装置を特定します。通常軍記録や人格形成記録とは別系統です。構造が分かれば、保護したまま封鎖できます』
「第三。逃走経路封鎖」
ナユが答える。
『残響で隠し通路を探します。見えている通路はたぶん囮です。音が抜ける場所を追います』
「第四。回収端末停止」
ミオが通信に入る。
『ルナ・ドール・リンクで外側の回収端末を押さえます。バリスタでビーコンを撃ち、ファランクスで進路を塞ぎ、リーフガードで通信線を守ります』
「第五。命令層接続切断」
リクトが答える。
『ユイさんのノクス・レクイエムが必要です。ただし、人格形成記録に触れないよう、残留線だけを切る必要があります』
ユイの声が静かに入る。
『線が見えれば、切れます。でも、切る場所は確認してから』
「第六」
黒瀬は少し間を置いた。
「オルフェン本人の拘束」
艦内の空気が変わる。
撃破ではない。
殺すのでもない。
逃がさず、記録を持ち出させず、本人を拘束する。
それが必要だった。
黒瀬は続ける。
「彼には証言してもらう必要があります。監察局の運用、再同期基盤、命令層中枢で行われたこと。すべてです」
ジンが低く言った。
「つまり、捕縛作戦へ切り替える」
「はい」
黒瀬は頷いた。
「これ以降、オルフェンを単なる敵戦力として扱いません。監察局中枢運用の証人として拘束します」
レオニスは、解析画面に経路を重ねた。
『安全化できる経路と、危険な経路を分けました』
画面に青と赤の線が表示される。
青は保護可能な経路。
人格形成記録。
救出対象候補記録。
中枢運用記録の一部。
赤は危険経路。
監察局観測ログ。
再同期基盤の残留接続。
回収端末への送信線。
オルフェンの退避路に繋がる可能性のある記録回路。
『赤を切ります。ただし、青に触れると保護記録が傷つきます』
リクトが命令層側の線を確認する。
『ノクスで切れるのは、この赤の残留線です。ユイさん、見えますか』
ユイはノクス・レクイエムの中で目を細めた。
命令層の線は複雑に絡んでいる。
だが、前より見える。
切るべきものと、残すべきもの。
それを周囲が示してくれている。
「見えます」
ユイは答えた。
「ただ、一本だけ、変な線があります」
リクトが反応する。
『変な線?』
「監察局の記録線に見えるけど、少し違う。命令層の線じゃない。人格ノイズみたいな……」
黒瀬が顔を上げる。
「人格ノイズ」
アルベルトが小さく呟く。
『ヴァイス・クロムウェルの痕跡かもしれません』
艦内に一瞬、沈黙が落ちた。
ヴァイス本人はいない。
だが、命令層中枢の奥に、彼が残したかもしれない不自然な逃げ道がある。
レオニスが慎重に言った。
『現時点では断定できません。ただ、この線は監察局の観測ログを乱しています。危険ですが、同時に使える可能性もあります』
黒瀬は短く判断した。
「不用意に触れないでください。ただし、観測ログ遮断に利用できるなら候補に入れます」
イリスが記録する。
『無署名ノイズ線として保存します』
ナユの残響が、奥へ伸びた。
イリスの記録系統の違和感。
アルベルトの監察局記録装置の読み。
レオニスの安全経路と危険経路の分類。
リクトの命令層残留線。
それらが重なり、ひとつの場所へ収束していく。
白い中枢空間の奥。
通常の通路表示には存在しない区画。
照合波の流れが、そこだけ不自然に吸い込まれている。
観測ログの細い線も、そこへ向かっていた。
ナユが息を吸う。
『見つけました』
通信が静かになる。
『観測室の位置です』
三島がすぐに座標を記録する。
「座標、取得。中枢深層、認証空間裏側。通常経路では表示されない区画です」
黒瀬はその座標を見た。
オルフェンのいる場所。
観測者の場所。
そこを押さえなければ、この戦いは終わらない。
黒瀬は艦橋の全体通信を開いた。
「作戦を切り替えます」
ジンが頷く。
「捕縛作戦だな」
「はい」
黒瀬は承認画面を一つずつ整理する。
観測ログ遮断。
記録回路封鎖。
逃走経路封鎖。
回収端末停止。
命令層接続切断。
オルフェン本人拘束。
それぞれの担当者と手順が画面に並ぶ。
黒瀬は最後に、はっきりと言った。
「撃破では足りない」
その声は、艦内の全員へ届いた。
「記録させず、逃がさず、拘束する」
前線のカイトが頷く。
ユイはノクス・レクイエムの切断線を見据える。
ミオが支援網を整え、ナユが残響で観測室への道を照らす。
イリスは命令ではない記録を保護しながら、監察局ログの流れを追う。
アルベルト、レオニス、リクトが危険経路を切り分ける。
オルフェンの観測室の位置が、ついに特定された。




