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第342話 通常軍の限界線

 対象A、再同期失敗。

 自己応答保持。

 命令層中枢の表示が乱れ、アミィの名が白い空間に刻まれた。

 それは、中枢内部の戦いにおいて大きな意味を持っていた。

 アミィは、対象Aではなく、アミィとして返事をした。

 セレスティア由来の命令層は意味を失い、代替指揮支援個体としての再同期経路は崩れた。

 だが、それは監察局の作戦が終わったという意味ではなかった。

 むしろ、オルフェンは次の段階へ移行した。

 中枢内部で再同期が崩れたのなら、外側から押さえる。

 内側の対象が命令へ戻らないのなら、周囲の戦場そのものを命令に従わせる。

 命令層中枢の外縁部に、監察局からの強制作戦命令が流れ始めた。


 帝国外縁方面軍旗艦『グラトン』。

 その艦橋で、クラウスは次々に届く監察局命令を確認していた。

 最初の一報は、中枢防衛協力要請だった。

 命令層照合波の防衛転用。

 通常軍機を照合波の反射中継点として配置。

 監察局端末保護を最優先。

 ルクス側支援構造の分断を補助。

 その時点で、すでに危険だった。

 だが、今届いている命令は、さらに踏み込んでいた。

「閣下」

 クラウスの声は硬かった。

「監察局より、追加命令です」

 レオンは司令席に座ったまま、短く答えた。

「読め」

「命令層照合波の防衛転用を即時実行。通常軍機は照合波中継点として指定座標に展開。中継負荷による通信障害および操縦系統への影響は、作戦継続上許容範囲とする」

 レオンの眉がわずかに動く。

「許容範囲とする、か」

「はい。さらに、通常兵への過負荷通信を認める項目があります」

 クラウスは次の画面を開いた。

「監察局端末保護のため、通常軍通信網を一時的に監察局管理下へ移行。指揮系統遅延を避けるため、搭乗者への直接命令通信を優先。拒否反応が出た場合、命令層照合波による再入力を許可」

 艦橋の空気が重くなる。

 それは、通常の軍事命令ではなかった。

 兵士へ命令を伝えるのではない。

 兵士の反応を押さえ込むための通信だった。

 レオンは静かに言う。

「被害想定は」

「搭乗者負荷についての詳細項目はありません」

「またか」

「はい」

 クラウスはさらに読み進める。

「無人機部隊の盾運用も含まれています。監察局端末への攻撃を防ぐため、通常軍所属無人機を消耗防壁として使用。回収優先度は監察局端末が最上位。通常軍無人機の損耗は許容」

 レオンの視線が鋭くなる。

「通常軍の無人機を、監察局端末の盾にしろと」

「そのように読めます」

「続けろ」

 クラウスは一瞬だけ言葉を選んだ。

 だが、隠しても意味はない。

「最後に、監察局端末保護のため、通常軍機による進路封鎖を実施。ルクス側の突破を阻止すること。また、監察局観測経路を阻害する全対象を排除対象に指定」

「全対象」

「はい」

 クラウスの声が沈む。

「通常軍機も含まれる可能性があります」


 レオンはしばらく黙っていた。

 艦橋の正面モニターには、命令層中枢外縁部の戦況が映っている。

 白い中枢空間の外側では、監察局所属の端末群と無人機部隊が再配置を始めていた。

 通常軍の一部にも、強制作戦命令が送られている。

 まだ大規模な混乱にはなっていない。

 だが、反応は出始めていた。

 通信障害。

 無人機制御の乱れ。

 通常軍パイロットからの負荷報告。

 監察局命令に従った部隊の一部では、照合波中継の影響で機体制御に遅延が起きている。

 クラウスが別画面を開く。

「第三小隊より報告。中継点指定を受けた機体二機に操縦系ノイズ。第四無人機群は監察局端末前へ強制配置。損耗率上昇」

「搭乗者は」

「現時点で死亡報告はありません。ただし、過負荷通信を受けた操縦者に一時的な意識混濁が確認されています」

 レオンの手が、肘掛けを強く握った。

「監察局は、通常兵を命令層の中継器にするつもりか」

「命令文上は、防衛転用とされています」

「言葉を飾るな、クラウス」

 レオンの声が低く響いた。

「これは防衛ではない。実験だ」

 クラウスは否定しなかった。

 否定できなかった。


 その頃、ルクス・ヴァルキュリア艦橋にも、外縁部の変化は届いていた。

 三島が外部通信ログを確認する。

「帝国通常軍側に混乱。監察局命令による照合波中継が一部で開始されています」

 黒瀬が画面を見た。

「通常軍機を中継点に?」

「はい。搭乗者への負荷報告も混ざっています」

 ジンの表情が険しくなる。

「監察局は、味方まで巻き込むつもりか」

 黒瀬は短く答えた。

「巻き込む、という意識ではないでしょうね。彼らにとっては、使用可能な構造の一部です」

「構造か」

 ジンは吐き捨てるように言った。

「人間も機体も、ただの部品か」

 黒瀬はレオン隊の配置を見た。

 エリシオンはまだ外縁部の防衛線上にいる。

 敵だ。

 ルクス側を通すつもりはない。

 だが、監察局命令にすべて従っているわけでもない。

「レオン隊の動きは」

 三島が確認する。

「現時点で照合波中継には参加していません。防御態勢を維持。ただし、監察局からの命令は増え続けています」

 ジンは腕を組んだ。

「レオンがどう出るかだな」

 黒瀬は静かに言った。

「彼が帝国通常軍の指揮官であるなら、越えてはいけない線はあるはずです」


 監察局からの通信が、『グラトン』の艦橋に直接割り込んだ。

『外縁方面軍、応答せよ。照合波中継配置が未完了です』

 クラウスがレオンを見る。

 レオンは頷いた。

「繋げ」

 通信画面に、監察局の無機質な通信窓が開く。

 相手はオルフェン本人ではない。

 だが、命令は中枢観測室から発されている。

『外縁方面軍は、監察局指定座標へ通常軍機を配置してください。命令層中枢防衛のため、照合波反射効率を最優先とします』

 レオンは静かに答えた。

「搭乗者への負荷想定がない。無人機損耗率も異常だ。監察局端末保護のために通常軍を消耗させる理由を示せ」

『命令層中枢防衛は帝国最優先事項です』

「理由になっていない」

『監察局端末の保全は、再同期基盤の観測継続に必要です』

「観測継続」

 レオンの声が冷たくなる。

「つまり、これは防衛作戦ではなく観測実験か」

 通信窓の向こうに、短い沈黙があった。

『中枢防衛および対象群再同期観測は、帝国命令層の維持に必要です』

「通常軍兵士を照合波の中継器にすることもか」

『必要な負荷です』

「無人機を監察局端末の盾にすることもか」

『必要な損耗です』

 レオンは立ち上がった。

 艦橋の空気が張り詰める。

「通常軍が監察局の観測装置を守るために存在すると、本気で思っているのか」

『外縁方面軍は、帝国防衛の一部です』

「帝国防衛と監察局端末保護は同義ではない」

 通信窓の向こうから、さらに命令文が重なる。

『指揮官レオン。命令不履行は記録されます』

「記録しろ」

 レオンは即答した。

「私は、搭乗者負荷も示さず、通常軍を実験材料として扱う命令を承認しない」


 クラウスは、レオンの横で息を呑んだ。

 今の発言は、監察局への明確な拒否に近い。

 だが、レオンの表情は揺らがない。

「クラウス」

「はっ」

「全通常軍機へ通達。照合波中継配置を停止。監察局からの直接通信は遮断しろ。過負荷通信を受けた機体を後退させる」

「了解しました」

「無人機群を監察局端末前から引き剥がせ。盾扱いされている部隊を回収する」

「監察局端末保護命令に反します」

「構わん」

 レオンは低く言った。

「通常軍の無人機は、通常軍の防衛資産だ。監察局の消耗壁ではない」

 クラウスは即座に命令を転送する。

 外縁部に配置されていた通常軍機が、少しずつ照合波中継座標から離脱を始める。

 過負荷通信を受けていた機体が後退する。

 無人機群が監察局端末の前から引き剥がされる。

 それに対し、監察局端末群が警告反応を出した。

 命令不履行。

 配置違反。

 中枢防衛効率低下。

 監察局側の無人機が、通常軍機の移動を妨害しようと進路を塞ぐ。

 クラウスが報告する。

「監察局部隊が、こちらの無人機回収線を妨害しています」

 レオンは短く答えた。

「エリシオンを出す」


 中枢外縁部。

 GD-NM-03 エリシオンが、重い防御機体を前へ進めた。

 巨大な盾状ユニットが展開し、青白い防壁が外縁部に広がる。

 だが、その向きはルクス側ではなかった。

 監察局端末群の前。

 通常軍機と監察局部隊の間。

 エリシオンは、そこへ立った。

 監察局の無人機が警告を発する。

 通常軍指揮系統逸脱。

 中枢防衛阻害。

 監察局端末保護優先。

 エリシオンの防壁が、それらの進路を塞ぐ。

 レオンは機体通信で告げた。

『監察局部隊へ通達する。通常軍機への過負荷通信を停止しろ。無人機群の盾運用を解除しろ。こちらの回収線を妨害するな』

 監察局側から、無機質な応答が返る。

『命令層中枢防衛を妨害する行為です』

『違う』

 レオンの声は冷たかった。

『これは通常軍資産と兵員の保護だ』

 エリシオンの盾が、監察局端末群から伸びる照合波を受け止める。

 通常軍機へ向かっていた白い波が、防壁で遮られた。

 数機の通常軍機が、その隙に後退する。


 ルクス・ヴァルキュリア艦橋では、その動きが確認されていた。

 三島が驚いたように言う。

「エリシオン、進路変更。監察局部隊の前に立ちました」

 ジンが画面を見据える。

「ルクス側を通すためではないな」

 黒瀬が頷く。

「はい。通常軍の回収線を守っています」

「敵は敵だが、監察局の命令に従う気もない、か」

 ジンは短く息を吐いた。

「面倒な相手だ」

 黒瀬は静かに言った。

「ですが、線を引ける相手です」

「線か」

「少なくとも、通常軍を実験材料として扱うことは認めない。その線は、今はっきりしました」

 ジンはレオンの機体を見た。

 防衛線の敵。

 だが、監察局の盾ではない。

 その違いは、この戦場では大きかった。


 レオンの通信に、クラウスの声が入る。

『過負荷通信を受けていた機体、後退完了。無人機群の一部回収に成功。ですが、監察局部隊がさらに前進しています』

「数は」

『小型端末群、二十。監察局無人機、八。中枢照合波と接続しています』

「こちらへの攻撃意思は」

『警告段階を越えています。妨害排除モードに移行』

 レオンは冷静に状況を見た。

 ここで監察局部隊を全て叩き潰せば、完全な対立になる。

 だが、退けば通常軍が再び中継点にされる。

 選択肢は多くない。

「エリシオン、防御展開。攻撃は最小限。端末群の進路を封鎖する」

『了解』

「クラウス、記録を残せ。監察局による通常軍への過負荷通信、無人機盾運用、端末保護優先命令、すべてだ」

『記録しています』

「後で必要になる」

 レオンの声は低かった。

「これは、戦場の判断だけで終わらせる話ではない」


 監察局端末群が前進する。

 エリシオンの防壁に、白い照合波がぶつかった。

 その衝撃は重い。

 だが、エリシオンは動かなかった。

 盾の機体。

 防衛の機体。

 レオンのエリシオンは、今、帝国通常軍の前に立っていた。

 ルクス側を守るためではない。

 監察局を倒すためでもない。

 通常軍を、監察局の実験材料にさせないために。

 レオンは正面の監察局部隊を睨む。

「帝国軍は、監察局の実験材料ではない」

 その言葉と同時に、エリシオンが進路を変えた。

 ルクス側へ向けられていた防壁が、監察局部隊の前へと向き直る。

 白い中枢外縁部で、帝国通常軍の盾が、監察局の強制作戦を遮るように立った。

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