第32話 境界線 ~side Kaito~
『複数大型転移ゲート展開確認!』
通信士の声が、会議室へ響き渡る。重苦しい空気が一瞬で緊張へ変わった。
大型モニターへ軌道上映像が映し出される。
黒い宇宙空間。その各所が歪み始めていた。
巨大転移ゲート。しかも一つではない。
複数同時展開だった。会議室内がざわつく。
「こんな数……」
「本格侵攻か?」
「早すぎる……!」
士官達の顔色が変わっていく。しかし、その中でユイだけは静かだった。
いや。正確には違う。表情が固まっていた。
その反応を見て、カイトの胸がざわつく。
ユイは何かを知っている。
カイトには、その確信だけがあった。
その時だった。
ユイが小さく呟く。
「……レグナート」
その声に、レイが顔を上げる。リクトも険しい顔になる。
カナデが低く聞いた。
「心当たりがあるの?」
ユイは数秒黙っていた。やがて静かに口を開く。
「この展開速度は異常」
「普通じゃない」
会議室が静まる。ユイはモニターを見つめたまま続けた。
「多分、何かを見つけた」
「あるいは……確信した」
その言葉に、カイトが眉をひそめる。
「確信?」
ユイは答えない。しかし、その横顔は強張っていた。
まるで最悪の可能性へ辿り着いたみたいだった。
その時。ユイの端末へ小さな通信反応が入る。
全員の視線が集まる。ユイの表情がわずかに変わった。
「……帝国軍暗号通信」
警備部隊が即座に反応する。
「待て、それを開くな!」
だがユイは静かに首を横へ振った。
「開かなければ、逆に不自然」
その言葉に、会議室が黙る。ユイは少しだけ目を閉じる。
そして通信を開いた。ノイズ。数秒後、低い男の声が響く。
『……応答しろ、ユイ』
レオンだった。会議室空気が張り詰める。
ユイは静かに答える。
「聞こえてる」
短い沈黙。やがてレオンが低く言った。
『予定変更だ。全PT、およびGD部隊は旗艦へ帰投。これは総司令官直轄命令となる』
その瞬間、ユイの目が細くなる。
「……何があった」
『知らされていない』
レオンは即答した。
『だが艦隊全体が動いている』
その声にも僅かな違和感があった。レオン自身も、状況を完全には把握していない。
それが逆に不気味だった。その時、別通信が割り込む。
今度は女性の声だった。
『ユイ』
セラだった。ユイの表情がわずかに揺れる。
『早く戻って』
『今の旗艦、空気がおかしい』
珍しく焦った声だった。ユイは小さく拳を握る。
嫌な予感が強くなる。その時だった。会議室モニターへ、新たな映像が映し出される。
軌道上帝国艦隊。その中央。巨大旗艦周囲へ、さらに別の転移ゲートが開き始めていた。
しかも今度は規模が違う。会議室空気が凍りつく。
リクトが低く呟く。
「……なんだ、あれは」
誰も答えられない。ユイだけが、その光景を睨みつけていた。
そして、小さく息を吐く。
「……私、戻る」
その一言で、会議室空気が止まった。
カイトが反射的に立ち上がる。
「待てよ!」
ユイが振り返る。カイトは拳を握っていた。
「今戻ったら、お前また……!」
言葉が詰まる。敵側へ戻る。
それがどういう意味か、カイトにも分かっていた。
だがユイは静かだった。
「だから行かなきゃいけない」
「今の帝国側で動けるPTは、私達しかいない」
その言葉に、レイが目を伏せる。否定できなかった。
ユイはゆっくりカイトを見る。その目は少しだけ苦しそうだった。
「ごめん」
またその言葉だった。カイトは奥歯を噛み締める。
止めたい。
でも止められない。
ユイ自身が、一番苦しんでいるのが分かるからだ。
短い沈黙。やがてユイは小さく視線を落とす。
「……でも」
その声は、とても小さかった。
「帰ってくるつもりはある」
カイトの呼吸が止まる。ユイは少しだけ笑った。
悲しそうな笑顔だった。
「だから、待ってて」
その言葉だけを残して、ユイは静かに会議室を後にした。
ネメシス級中枢戦艦アビス。巨大戦艦内部は、異様な静けさに包まれていた。
長い通路を歩きながら、ユイは小さく周囲を見回す。
空気が違う。普段より人が少ない。兵士達も必要以上に口を開いていなかった。
張り詰めている。そんな感覚だった。
『今の旗艦、空気がおかしい』
セラの言葉を思い出す。確かにその通りだった。
ユイの後ろを、セラが静かについて歩いている。
珍しく無口だった。やがてセラが小さく呟く。
「……レオンも苛立ってた」
ユイは少しだけ視線を動かす。
「何か聞いてる?」
セラは首を横へ振った。
「司令部も閉鎖状態」
「PT側にも情報降りてない」
それが逆に不気味だった。帝国軍は完全な階級社会だ。
だが普段なら、もう少し断片情報は流れてくる。
今回はそれすら無い。その時だった。通路奥から数人の兵士が現れる。
全員が武装していた。しかもPT監視部隊。
ユイの目が細くなる。兵士達はそのまま無言で横を通り過ぎていく。
だが視線だけは明確だった。監視。いや、警戒に近い。
セラが小さく舌打ちする。
「……露骨」
ユイは何も返さない。むしろ予想通りだった。
アーク・ノア接触後、帝国側がこちらを警戒するのは当然だ。
その時、艦内放送が響いた。
『PT-Y01、PT-S03』
『司令室へ出頭』
短い命令だった。ユイとセラが顔を見合わせる。
嫌な予感しかしなかった。司令室前。重厚な扉の前には、通常の倍近い警備兵が立っていた。
ユイの表情がわずかに硬くなる。セラも同じだった。
扉が開く。内部は薄暗い。巨大モニターには、地球周辺宙域図が映し出されている。
そして、その中央。レグナートが立っていた。
白髪混じりの長髪。黒い軍服。変わらない。
しかし、その目だけが以前より鋭く見えた。
ユイ達が入室しても、レグナートはすぐには口を開かなかった。
しばらく地図を見つめている。やがて低い声が響く。
「……戻ったか」
ユイは静かに敬礼する。セラも続いた。
レグナートはゆっくり振り返る。その視線がユイへ向く。
妙に静かな目だった。
「アーク・ノアはどう見えた」
唐突な質問だった。ユイは少しだけ迷う。
だが隠す意味も無い。
「まだ未完成です」
「戦力も不足しています」
「ですが……」
ユイは一瞬だけ言葉を止める。レグナートの視線が鋭くなる。
「続けろ」
「戦う意思はあります」
その瞬間。レグナートが小さく笑った。
しかし、冷たい笑いだった。
「そうか」
短い返事。その時だった。司令室後方モニターへ、新たな映像が表示される。
ユイの表情が止まった。巨大な黒い影。
生物。だがNBとは違う。あまりにも大きい。
山のような巨体が、培養槽の中で眠っていた。
セラが息を呑む。
「……何、これ」
レグナートは静かにその映像を見る。
「新型戦略級ネメシス・ビースト」
「コード:ベヒモス」
司令室空気が凍る。ユイの背中を冷たいものが走った。
戦略級。つまり。都市単位ではない。国家単位を破壊するための兵器だった。
レグナートは淡々と続ける。
「地球は予想以上だった」
「だから計画を前倒しする」
その言葉に、ユイの拳が小さく握られる。
嫌な予感が現実になっていく。その時。
司令室奥の端末へ、小さな警告表示が浮かんだ。
レグナートの視線がそちらへ動く。ほんの一瞬だけ。
その表情が変わった。ユイは見逃さなかった。
驚き。いや。焦りに近い。レグナートが焦る。
それ自体が異常だった。次の瞬間、端末表示が自動で閉じる。
だがユイは確かに見ていた。短い文字列。《RAVEN SIGNAL DETECTED》 その意味を、ユイはまだ知らなかった。
ただ、レグナートが隠そうとした以上、無視できるものではない。




