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第332話 セレス・バスティオン

 ミオの《ルナ・ドール・リンク》によって、監察局のビーコン群は沈黙した。

 白い中枢空間の奥へ、進路が開く。

 だが、それは安全になったという意味ではなかった。

 道が開いたことで、命令層中枢のさらに深い反応が流れ込んできた。

 照合波の質が変わる。

 それまでのように、支援網や通信線へ混ざるものではない。

 もっと直接的だった。

 PT達の反応そのものへ、白い指が伸びてくるような感覚。

 カナデが医療・心理監視室で警告を出す。

『全員、注意してください。照合波が深層反応へ移行しています。特にアミィさんの反応が強く揺れています』

 アミィの前には、まだあの文字が残っていた。

 対象A。

 再同期候補。

 そして、その下に新たな表示が重なる。

 ――補完反応確認。

 ――対象L隣接。

 ――再同期起点化準備。

 アミィの呼吸が乱れた。

『……私を、起点に』

 声が小さく震える。

 監察局は、アミィを単独で連れ戻そうとしているだけではなかった。

 アミィを再同期の起点にする。

 アミィの反応を通じて、レータへ。

 レータを通じて、防壁へ。

 防壁を通じて、ミオの支援網へ。

 そして、その先にいるユイ達へ。

 白い空間に、再同期補助波が広がり始めた。


 ルナ・スケイル・リフレクトの管制画面で、ミオは防壁予定線が歪むのを見た。

『セレス・バスティオン予定区域に干渉! アミィさんの反応に合わせて、防壁の基準線がずらされています!』

 レガロンの声が後方から飛ぶ。

『ミオ、無理に補正するな。防壁線はミオの支援網だけで決めるものじゃない』

『でも、このままだと防壁を張る前に予定線が崩れます!』

『だから、張る側に決めさせろ』

 ミオは息を呑む。

 張る側。

 ヴァルクレイド・セレス。

 レータとアミィ。

 ミオは通信を開いた。

『レータさん、アミィさん。防壁予定線をそちらへ渡します。こちらで全部固定しません』

 レータの声がすぐに返ってくる。

『了解。こっちで見る』

 アミィの返事は一瞬遅れた。

『……はい』

 その声には、まだ揺れがあった。

 けれど、返事はあった。


 ヴァルクレイド・セレスが前に出た。

 暗赤と黒鉄の重装機体。

 そこに、セレスティアから再定義された支援波制御系が重ねられている。

 かつては拘束と命令の檻だったもの。

 今は、守るための防壁として組み直されたもの。

 レータは操縦席でアミィの反応を確認した。

「アミィ、聞こえてる?」

「はい。聞こえています」

 アミィは隣の席で、両手を制御パネルに添えていた。

 ヴァルクレイド・セレスは、一人でも操縦できる。

 だが、今は二人で動かしている。

 レータが前線判断と重装防衛を担う。

 アミィが支援波制御と通信保護、セレスティア残留反応の制御を担う。

 どちらかが、どちらかの代わりになるのではない。

 隣に座る。

 それが、この機体の意味だった。

 白い照合波が、アミィの反応へ触れる。

 アミィの視界に、また文字が浮かぶ。

 対象A。

 L系列欠損補完。

 再同期起点候補。

 アミィの手が震えた。

「……レータさん」

「うん」

 レータは明るく答えようとした。

 だが、その声にはいつもの軽さだけではない、慎重さがあった。

「見えてる?」

「はい。私を、起点にしようとしています」

「そっか」

 レータは前方を見る。

 防壁予定線が揺れている。

 ここでレータが一人で判断すれば、きっと速い。

 重装防衛。

 前線判断。

 局地統率。

 それはレータの得意なことだった。

 けれど、それだけで決めてはいけない。

 L系列の危うさは、そこにあった。

 間違えた時、判断が大きすぎる。

 一人で守ろうとすると、守る線を間違える。

 レータは、ゆっくり息を吸った。

「アミィ」

「はい」

「ここ、守っていい線だよね」

 アミィは顔を上げた。

 レータが指し示したのは、防壁予定線の中心部。

 そこには、ミオの支援網、カイトの前衛位置、ユイの待機線、アミィの退避線が重なっている。

 少しずれれば、味方の進路を塞ぐ。

 少し遅れれば、再同期波が入り込む。

 アミィは震える手で、支援波の反応を読み取った。

 対象Aの文字がまだ視界の端に残っている。

 でも、今はそれを見るのではない。

 みんなの線を見る。

 帰るための線を見る。

「はい」

 アミィは答えた。

「ここは、みんなが帰るための線です」

 レータは笑った。

 今度は、少しだけいつもの調子に戻っていた。

「じゃあ、守ろうか。二人で」

「はい。二人で」


 ヴァルクレイド・セレスの背部装甲が開く。

 重装防衛フレームが展開し、黒鉄の外殻から暗赤の防壁ラインが走った。

 その上に、アミィの支援波が重なる。

 かつてセレスティアが持っていた支援干渉波。

 命令と拘束のために使われていた波。

 それが今、レータの判断に合わせ、守るための層へ変わっていく。

『セレス・バスティオン、展開します』

 アミィの声が通信に流れる。

 まだ小さい。

 けれど、逃げてはいない。

 レータが続ける。

『防壁線、確定。ミオ、そっちの支援網、内側へ入れて』

『了解。支援網、防壁内側へ再配置します』

 ミオの支援線が、防壁予定線の内側へ引き込まれる。

 リーフガードがその線を保護し、ファランクスが外側の圧力を受け止める。

 カイトはアルタイルを防壁の前縁に置く。

「こっちは持つ。ミオ、ユイとの通信線は?」

『リーフガード経由で維持。前より安定しています』

 ユイの声が入る。

『聞こえてる。こっちも安定した』

 ノクス・レクイエムの中で、ユイは命令層の線を見つめていた。

 さきほどより、見え方が変わっている。

 切断後の空白を狙う再同期波が、防壁の外で弾かれている。

 まだ完全ではない。

 だが、初めて見えた。

 切った後を渡せる場所の形が。


 命令層照合波が強まった。

 白い空間の奥から、再同期補助波が押し寄せる。

 それはアミィを起点にしようとする波だった。

 対象A。

 補完せよ。

 支援せよ。

 代替せよ。

 対象Lを補え。

 統率反応を接続せよ。

 アミィの視界が白く染まる。

「……っ」

 彼女の反応が揺れ、防壁の一部が歪む。

 レータがすぐに手を伸ばした。

「アミィ、こっち」

「はい……!」

「私の代わりに守らなくていい」

 レータの声は、はっきりしていた。

「隣で守って」

 アミィは息を呑む。

 代わりではない。

 隣。

 それは、何度も聞いた言葉だった。

 けれど今、照合波の中で聞くと、意味が違った。

 帝国の表示は、アミィを代替個体と呼ぶ。

 命令層は、アミィを補完反応として扱う。

 だが、レータは隣と呼ぶ。

 どちらを信じるか。

 アミィは、震える手で支援波制御を握り直した。

「私は……代わりではありません」

 声は小さい。

 でも、防壁の歪みが止まる。

「レータさんの隣で、守ります」

 支援波が防壁へ重なった。

 暗赤の防壁に、淡い白金の線が走る。

 《セレス・バスティオン》が、形を持ち始めた。


 ミオは管制画面を見ていた。

 防壁が張られる。

 その内側で、支援網が安定する。

 先ほどまで偽端末が入り込もうとしていた受け渡し経路が、セレス・バスティオンの外側へ押し出されていく。

『すごい……』

 ミオは思わず呟いた。

 ただ硬い壁ではない。

 通すものと通さないものを分けている。

 味方の支援線は内側へ入れる。

 再同期波は弾く。

 照合波は弱める。

 監察局の偽経路は外へ押し出す。

 レータの重装防衛判断と、アミィの支援波制御が噛み合っていた。

『ミオさん』

 アミィの声が届く。

『支援網、こちらで守ります。だから、内側を使ってください』

 ミオは頷いた。

『はい。お願いします』

 支援網が再配置される。

 カイトとユイの通信線がさらに安定する。

 ナユの残響線が濁りから少し離れる。

 セラの射線も、防壁の切れ目から通る。

 レイとリンの突入経路が、外側の干渉から守られる。

 アミィの退避線も、消えていない。

 ミオは息を吐いた。

『これなら、戦場を組み直せます』


 オルフェンは観測室で、防壁の展開を見ていた。

 対象L。

 対象A。

 二者搭乗機、ヴァルクレイド・セレス。

 防壁展開。

 対象A、再同期起点化失敗。

 支援波、防御層へ転用。

 オルフェンは、初めてわずかに目を細めた。

「セレスティア由来の支援波を、拘束ではなく防壁へ再定義している」

 彼は記録を進める。

「対象Aは、対象Lの代替としてではなく、隣接補助として機能。対象Lは単独判断を避け、対象Aへ確認を行っている」

 そこに、わずかな興味が混じる。

「L系列の突発判断誤差を、外部確認で補正。A系列補完反応を、代替ではなく共同防衛へ転用」

 彼は低く呟いた。

「設計意図から外れていますね」

 その言葉に、苛立ちはない。

 ただ、分類できないものを前にした観測者の冷たさがあった。

「では、追加照合を――」

 オルフェンが操作を進めようとした瞬間、防壁が反応した。

 追加の照合波が、セレス・バスティオンの外層で弾かれる。

 アミィの支援波が、レータの防壁線に合わせて揺れを吸収した。

 オルフェンの観測窓に、警告が出る。

 対象A、直接再同期不可。

 防壁内反応、外部観測困難。

 オルフェンは、静かにその表示を見つめた。

「……なるほど。観測線まで弱めますか」


 中枢空間では、白い照合波が防壁へぶつかり続けていた。

 ヴァルクレイド・セレスの機体が軋む。

 レータの腕に負荷がかかる。

 アミィの呼吸も乱れる。

 決して楽ではない。

 だが、防壁は崩れなかった。

 レータが短く笑う。

「重いね、これ」

「はい。重いです」

 アミィも答える。

「でも、守れています」

「うん」

 レータは防壁線をもう一度確認した。

「じゃあ、次。左の線、少し下げるよ。ミオの支援網が通りにくい」

「はい。下げても、アミィの退避線は残ります」

「右は?」

「そこは、カイトさんの前衛位置です。動かさない方がいいです」

「了解。じゃあ、動かさない」

 確認する。

 答える。

 決める。

 それは、レータにとって少し遅い戦い方だった。

 一人で判断するより、確かに遅い。

 だが、間違えにくい。

 大きく間違えない。

 味方を巻き込まない。

 守る線を、一緒に決める。

 レータは小さく呟いた。

「これなら、私でも指揮型できるかな」

 アミィが少し驚いたように見る。

「できます」

「即答だね」

「はい。今、できています」

 レータは一瞬だけ黙り、それから笑った。

「そっか。じゃあ、もう少し頑張ろう」

「はい」


 防壁の内側で、ユイは命令層の線を見ていた。

 まだ切らない。

 だが、さっきとは違う。

 切った後の空白を、誰かが守れるかもしれない。

 ミオが支援網で受け取る。

 レータとアミィが防壁で守る。

 イリスが記録を重ねる。

 カイトが通信を繋ぐ。

 黒瀬とジンが承認を分担する。

 その形が、少しずつ見えてきた。

『ユイさん』

 アミィの声が届く。

『今はまだ、全部は守れません。でも、ここは守れます』

 ユイは目を伏せた。

「ありがとう」

『はい』

 アミィは少しだけ息を整えた。

『だから、切る時は教えてください。勝手に一人で切らないでください』

 ユイは小さく笑った。

「うん。約束する」

 カイトが通信に入る。

『聞いたぞ。約束だからな』

「分かってる」

 ユイの声は、さっきより柔らかかった。

「一人で切らない」


 白い中枢空間に、巨大な防壁が完全に立ち上がった。

 暗赤の重装防壁。

 その上を走る、淡い白金の支援波。

 外側では照合波と再同期補助波がぶつかり、細かな火花のような光が散っている。

 内側では、ミオの支援網が安定し、カイトの前衛位置が固定され、ユイの待機線が守られていた。

 アミィの退避線も残っている。

 ナユの残響線も通っている。

 セラの射線も塞がれていない。

 レイとリンの突入経路も開いている。

 それは、ただ敵を防ぐ壁ではなかった。

 味方が動ける形を残す壁だった。

 命令を守るための壁ではない。

 帰る場所を守るための壁。

 レータが息を吐く。

「セレス・バスティオン、完全展開」

 アミィが隣で続ける。

「防壁線、安定。再同期波、外層で遮断中」

 ミオの支援網が、その内側で静かに広がる。

 カイトが前方を見る。

「進めるな」

 ユイが頷く。

「うん。今なら、進める」

 《セレス・バスティオン》が完全展開した。

 その防壁は、命令を守る壁ではなく、帰る場所を守る壁として立っていた。

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