第331話 ルナ・ドール・リンク初陣
切るだけでは、駄目だった。
ユイはノクス・レクイエムをまだ起動しなかった。
それは正しい判断だった。
だが、正しい判断をしたからといって、状況が良くなったわけではない。
命令層中枢の白い空間には、監察局の偽端末群が増え続けていた。
支援網に似せた線。
退避路に似せた誘導。
残響に似せた反射。
通信中継に見せかけた干渉点。
それらが、ミオの支援網の周囲にまとわりついている。
ルナ・スケイル・リフレクトの内部で、ミオは次々に変化する表示を見つめていた。
全てを守ろうとすれば、偽端末に引きずられる。
全てを撃とうとすれば、味方の支援線を壊す。
全てを確かめようとすれば、間に合わない。
ミオは唇を噛んだ。
『ミオ、聞こえるか』
通信越しに、レガロンの声が入る。
整備区画からの通信だった。
彼は前線にはいない。
だが、《ルナ・ドール・リンク》の管制状態を、後方から確認していた。
『はい。聞こえています』
『焦るな。全部見る必要はない』
ミオは一瞬、目を細める。
『でも、見ないと偽物が混ざります』
『全部見ようとするから混ざる。こういう時は、撃つ場所じゃなくて、撃たない場所を先に決める』
その言葉は、以前から何度も聞かされていた。
面制圧は、ただ広く撃つことではない。
撃たない場所を残すこと。
味方の通る場所を残すこと。
帰ってくる場所を潰さないこと。
レガロンは続ける。
『お前は砲台を増やすんじゃない。戦場に形を作るんだ』
ミオは息を吸った。
そうだ。
自分は攻撃役になりたいわけではない。
全員を支えるために、手を増やす。
支援網に、守るための外皮と、押さえるための砲台と、通路を作るための盾を足す。
そのための《ルナ・ドール・リンク》だ。
ミオは管制画面を切り替えた。
「ルナ・ドール・リンク、本格起動します」
ルクス・ヴァルキュリアの後方格納区画で、封鎖されていた三つの機体が目を覚ました。
一機目。
GD-06 バリスタ。
灰白の機体に、黒鉄の砲身と黄色の照準ラインを持つ中距離砲撃型GD。
二機目。
GD-11 ファランクス。
鉛灰の重装甲と白灰の追加装甲、青緑の防御ラインを持つ重装防衛型GD。
三機目。
GF-07 リーフガード。
深緑の装甲に、葉脈のような淡金ラインを持つアース・ヴェルデ製防衛支援型GF。
いずれも有人搭乗機ではない。
すべて命令層接続部品は撤去され、追跡タグも除去されている。
自律攻撃は禁止。
ミオの支援網から切断された場合は、即時停止。
出力制限あり。
運用記録は全件保存。
それが、《ルナ・ドール・リンク》の絶対条件だった。
グリッドが整備区画で最終確認を読み上げる。
「バリスタ、砲撃出力制限内。ファランクス、防御フィールド低出力固定。リーフガード、通信保護ユニット安定。ミオ、管制権はそっちに渡す」
『受け取ります』
レガロンが短く言った。
『忘れるな。撃てるから撃つな。撃たない場所を決めろ』
『はい』
ミオは静かに答えた。
『みんなが帰る場所を、先に決めます』
中枢内部。
偽端末群がさらに増殖していた。
白い空間のあちこちに黒い支柱が浮かび、そこから細い光の線が伸びている。
それらの一部は本物の監察局端末。
一部は中枢照合装置。
一部は偽装された支援中継。
そして一部は、撃てば周囲の再同期波を強める罠だった。
カイトはアルタイルを前衛に置いたまま、通信を開く。
「ミオ、いけるか」
『いきます。ただし、カイトさんは少し下がってください。今から戦場の形を変えます』
「分かった」
カイトは素直に機体を下げる。
レイが少し驚いたように言った。
『前に出ないのか』
「今はミオの番だ」
カイトは短く答える。
「俺が前に出る場所も、ミオが作る」
その言葉と同時に、ルナ・スケイル・リフレクトの周囲から淡い支援線が広がった。
だが、それまでとは違う。
細く、広く、全体を覆う支援網ではない。
最初に線が引かれたのは、撃たない場所だった。
ナユの残響索敵線。
セラの狙撃線。
レイとリンの突入経路。
アミィの退避線。
カイトとユイの通信線。
そして、次に展開する予定の《セレス・バスティオン》の防壁区域。
ミオは、それらを先に固定した。
『ここは撃たない。ここは塞がない。ここは敵に渡さない』
支援網が、まるで地図を描くように戦場を区切っていく。
その外側に、三つの無人端末が展開した。
バリスタが中距離砲撃位置へ移動する。
ファランクスがミオ本体と支援網中継点の前に立つ。
リーフガードが通信線と退避路に沿って、薄い防御フィールドを広げる。
白い空間の中に、ルクス側の陣形が初めてはっきりと形を持った。
オルフェンは観測室で、表示の変化を見ていた。
対象M、支援網再構築。
無人端末三機、限定管制。
GD-06、GD-11、GF-07。
攻撃対象、監察局端末群。
しかし、出力配分が奇妙だった。
オルフェンは目を細める。
「面制圧ではない?」
いや、面制圧ではある。
だが、全域を撃つ形ではない。
撃たない領域を先に固定している。
味方の線を残し、その外側だけを押さえる。
支援網が戦場を覆うのではなく、戦場に道を残している。
「対象M。支援個体としての運用範囲を超えていますね」
オルフェンは興味深そうに記録した。
「これは支援ではなく、戦場形成です」
ミオは、偽端末群の分布をもう一度見た。
全部を消す必要はない。
敵が使う場所だけ潰せばいい。
味方が通る場所を残せばいい。
帰る場所を残せばいい。
『バリスタ、第一射。右奥のビーコン群を押さえます』
GD-06 バリスタの砲身が展開した。
黄色の照準ラインが一瞬だけ光る。
中距離砲撃。
一発目は、敵端末そのものではなく、その周囲の固定節点を撃ち抜いた。
白い空間に浮かんでいた偽端末群の一角が崩れる。
連鎖的に、いくつかの偽支援線が消えた。
『次、左側。通信妨害機の外周だけ削ります。セラさんの射線は残します』
『了解』
セラは銃口を上げたまま、まだ撃たない。
ミオが作る隙間を待つ。
バリスタの二射目が、左側の妨害機群を押さえる。
完全破壊ではない。
動けないようにする。
通信線へ干渉できない位置へ追いやる。
ミオは次にファランクスへ指示を送った。
『ファランクス、前面防御。カイトさんの右側、レイさんとリンさんの進路は塞がないでください』
GD-11 ファランクスが重い足取りで移動する。
盾が展開され、青緑の防御ラインが光った。
その盾は、敵の進路を塞ぐためではなく、味方の待機位置を守るために置かれる。
レイが短く言う。
『そこに立たれると、斬り込みやすい』
リンも続けた。
『こちらの退避角度も残っています。いい位置です』
ミオはわずかに息を吐いた。
次に、リーフガード。
『リーフガード、通信線保護。カイトさんとユイさんの回線を優先。次にアミィさんの退避線。支援網外皮、展開』
GF-07 リーフガードが、葉脈状の淡金ラインを光らせる。
薄い防御フィールドが、支援線の外側に沿って広がった。
帝国製GDではないGFだからこそ、命令層干渉を受けにくい。
リーフガードは攻撃ではなく、管制線の外皮として機能した。
カイトの通信に混ざっていたノイズが、わずかに薄くなる。
『ユイ、聞こえるか』
今度は、返事が早かった。
『聞こえる。さっきより、近い』
カイトは小さく笑った。
「ミオ、助かった」
『まだです。今から通れる場所を作ります』
ナユは残響を聞いていた。
さきほどまで偽の音が多すぎて、本物の位置が濁っていた。
だが、ミオが撃たない場所を固定し、バリスタが偽ビーコン群を押さえたことで、音の返り方が変わった。
偽物が消えたのではない。
偽物が動ける範囲が狭まった。
だから、本物が隠れにくくなった。
『ミオ、右上の空間。さっきまで綺麗すぎた音が、乱れました』
『本命ですか?』
『たぶん、再同期補助ビーコンの基準点』
『セラさん』
『見えています』
セラは短く答えた。
ミオは即座に支援線を調整する。
『セラさんの射線、開けます。レイさん、リンさん、そこには入らないでください』
『分かった』
『了解しました』
セラの照準線が白い空間を貫く。
そこには、一見するとただの壁面しかない。
だが、ナユの残響が示した一点に、確かに違和感がある。
セラは撃った。
一発。
壁面の一部が砕け、隠されていた再同期補助ビーコンが露出する。
続けて、バリスタがその周囲を押さえ込む。
ビーコン群の連携が崩れ、照合波の一部が薄くなった。
『成功』
ナユが小さく言う。
セラは銃口を下げず、静かに答える。
『次も、撃つ場所を教えてください』
『うん。探す』
偽端末群は、なおも増えていた。
だが、戦場の主導権は少しずつ変わり始めていた。
それまでは、監察局と中枢側が用意した線に、ルクス側が対応していた。
今は違う。
ミオが残す線を決めている。
その線の外側だけを、バリスタが押さえる。
ファランクスが守る。
リーフガードが支援網を包む。
ナユが本命を拾う。
セラが一点を撃つ。
レイとリンが通る場所を待つ。
カイトが前衛で支える。
ユイが切るべき時を待つ。
それぞれが、ミオの作った戦場の中で動き始めていた。
レガロンの声が再び通信に入る。
『ミオ、今の判断は悪くない』
『悪くない、ですか』
『褒めてる』
ミオは少しだけ笑った。
『分かりにくいです』
『戦場で分かりやすく褒める暇はない。だが、今のお前は支援役じゃない。管制役だ』
その言葉に、ミオは一瞬だけ黙った。
支援役。
ずっとそう思っていた。
誰かを守る。
誰かを繋ぐ。
誰かの後ろで支える。
それは間違っていない。
でも今、自分は後ろにいるだけではない。
戦場の形そのものを決めている。
撃つ場所ではなく、撃たない場所を決めている。
みんなが通る場所を残している。
『……はい』
ミオは静かに答えた。
『管制、続けます』
オルフェンの観測室では、支援構造の分解図が乱れていた。
偽端末を増やしても、ミオは全部を確認しようとしない。
支援網を濁しても、必要な線だけを残してくる。
再同期補助ビーコンを隠しても、ナユとセラの連携で露出させられる。
通信遅延を広げても、リーフガードの防護線がカイトとユイの回線を保つ。
オルフェンは無表情のまま、新たな記録を開いた。
「対象M、戦場形成能力を確認。無人端末三機の限定管制により、自己応答保持構造を再編」
彼はそこで一度、言葉を止めた。
そして、少しだけ口元を動かした。
「興味深い。支援個体としては過剰です」
白い空間の奥に、次の通路が見え始めた。
だが、その前には最後のビーコン群が集まっていた。
数が多い。
一つ一つ撃っていては間に合わない。
しかも、全てを一斉に撃てば、退避線と通信線が巻き込まれる。
ミオは深く息を吸った。
『バリスタ、広域制圧準備。ただし、射角制限をかけます』
GD-06 バリスタの砲身が複数展開する。
『ファランクス、カイトさんとレイさん、リンさんの突入経路を守ってください。前に出すぎないで』
GD-11 ファランクスが盾を斜めに構え、通路を塞がず、敵の照合波だけを受ける位置へ移動する。
『リーフガード、アミィさんの退避線とセレス・バスティオン予定区域を保護。そこには絶対に干渉を入れさせません』
GF-07 リーフガードの淡金ラインが強く光る。
アミィが小さく言った。
『ミオさん……』
『大丈夫です。そこは残します』
ミオは画面を見つめる。
撃つ場所を選ぶのではない。
撃たない場所を決める。
ナユの残響線。
セラの狙撃線。
レイとリンの突入経路。
アミィの退避線。
カイトとユイの通信線。
セレス・バスティオン展開予定区域。
それらを先に固定する。
その外側。
敵が偽端末を置いた範囲だけを、面で押さえる。
『バリスタ、発射』
中距離砲撃が走った。
それは嵐のような無差別砲撃ではなかった。
線を避け、道を残し、不要な足場だけを削る砲撃だった。
ビーコン群が次々に砕ける。
ファランクスの盾が照合波を受け止める。
リーフガードの防御フィールドが通信線を守る。
セラの射線は残っている。
ナユの残響も途切れていない。
レイとリンの突入経路も開いている。
カイトとユイの通信も繋がっている。
そして、アミィが下がるための線も残っている。
ミオは、最後の一つのビーコンが沈黙するのを確認した。
白い空間に、一瞬だけ静けさが戻る。
ミオは小さく、けれどはっきりと言った。
「全部を撃つんじゃない。みんなが帰れる場所を残すの」
監察局のビーコン群が一斉に沈黙した。
味方の進路が、白い中枢の奥へ向かって開いた。




