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第329話 最終再同期作戦

 対象A。

 再同期候補。

 白い空間に浮かんだその文字は、消えなかった。

 アミィは小さく息を呑んだまま、しばらく声を出せなかった。

 レータがすぐに通信を繋ぐ。

『アミィ、こっち見て。大丈夫、まだ何も始まってない』

『……はい』

 アミィは返事をした。

 だが、その声はわずかに震えている。

 カナデが医療・心理監視室から声を送る。

『アミィさん、今は表示を見すぎないでください。呼吸を整えて。あなたの反応は、まだ命令には接続されていません』

『命令には……接続されていない』

『はい。見えているだけです。返事をしたわけではありません』

 カナデの言葉に、アミィはゆっくり頷く。

 それでも、白い空間の中央に浮かぶ文字は、彼女の視線を引き寄せ続けていた。

 対象A。

 再同期候補。

 名前ではない。

 役割でもない。

 もっと冷たい、処理対象としての表示だった。


 その頃、命令層中枢のさらに奥。

 観測室と呼ぶべき場所で、オルフェンは静かに中枢内部の反応を見ていた。

 周囲には無数の観測窓が浮かび、ルクス側の通信、機体配置、支援網、PT反応値が淡い光として流れている。

 だが、彼の表情に焦りはない。

 怒りもない。

 むしろ、興味深いものを見つけた研究者のような静けさがあった。

「対象A、再同期候補表示に反応。対象L、隣接支援反応。対象Y、命令層切断可能性を保持。対象M、支援網維持。対象I、記録差分を保持」

 オルフェンは淡々と読み上げる。

 彼にとって、そこにいるのはアミィではない。

 レータでも、ユイでも、ミオでもない。

 対象A。

 対象L。

 対象Y。

 対象M。

 対象I。

 自己応答を保持したまま、命令層外で安定している個体群。

 それが、彼の見ているものだった。

「救出後も崩壊せず、支援構造内で安定。命令層切断後の空白も、外部記録と支援網で補完されている」

 オルフェンの指が、観測窓の一つに触れる。

 そこには、ルクス艦内の支援構造が簡略化された図として表示されていた。

 ミオの支援網。

 レータとアミィの防壁予定線。

 イリスの記録保持。

 カナデの心理支援。

 黒瀬の承認判断。

 ジンの艦長判断。

 カイトとユイの通信線。

 それらが、命令ではない形で繋がっている。

「なるほど」

 オルフェンは小さく呟いた。

「一個体の再同期では不十分です。対象Aを単独で引き戻しても、周囲の支援構造が再び自己応答を保持させる」

 彼は別の画面を開いた。

 そこに表示されたのは、作戦名だった。

 最終再同期作戦。

 対象はアミィ単体ではない。

 ルクス側連携構造。

「壊す必要はありません」

 オルフェンは、誰に向けるでもなく言った。

「どこを崩せば、自己応答が命令へ戻るのか。それを観測する」

 彼は指先で承認を送った。

「では、構造分解を開始しましょう」


 最初に異変に気づいたのは、ミオだった。

『……支援線に、何か混ざりました』

 ルナ・スケイル・リフレクトの周囲に広がっていた支援網が、一瞬だけ揺れる。

 通常なら、ミオの支援線は自分で張ったものと味方機から返ってくるものを区別できる。

 だが今、そこに別の反応が紛れ込んだ。

 味方のように見える。

 けれど、味方ではない。

『識別信号が似ています。でも、違う。私の支援網を真似ています』

 ミオはすぐに支援範囲を狭めようとした。

 だが、その直後、別の端末反応が増える。

 偽端末。

 支援中継機に見せかけた、監察局の干渉端末だった。

 艦橋に警告が走る。

「支援網に未登録端末反応。数、増加中」

 ジンが即座に指示を出す。

「ミオ、無理に広げるな。支援線を一度絞れ」

『了解。支援網、縮小します』

 ミオが支援網を絞る。

 しかし、それを待っていたように、中枢の白い壁面から新たな照合波が放たれた。

 絞った支援線の隙間を縫うように、偽端末が入り込もうとする。

『しつこい……!』

 ミオの声に焦りが混じる。

 カイトは前衛位置で機体を止めた。

「ミオ、どこを潰せばいい?」

『まだ分かりません。見えている端末の半分以上が偽物です。撃つと支援線が巻き込まれます』

 セラが低く言う。

『撃てないのは、嫌な位置ですね』

 ナユがすぐに反応した。

『待って。残響を取ります』


 ナユのロス・セレネが静かにセンサーを広げる。

 広域残響波装置セレネ・リップルはまだ本格展開ではない。

 だが、命令層中枢の白い空間に、微細な残響を投げることはできる。

 ナユは目を閉じる。

 返ってくる音を聞く。

 けれど、その音はおかしかった。

『……変』

 ナユが呟く。

『残響が、先に用意されてる』

「どういうことだ?」

 カイトが聞く。

『本当の反響じゃない。こっちが聞きたい音に似せた偽物が返ってきてる。私が探しそうな場所に、先回りして置かれてる』

 ナユの声が少し硬くなる。

 中枢は、ミオの支援網だけでなく、ナユの索敵の癖まで読もうとしていた。

 見つける前に、見つけたと思わせる。

 残響に偽記録を混ぜる。

 それは、ナユにとって最も嫌な干渉だった。

『ナユ、無理するな』

 リンの声が入る。

『無理はしません。でも、偽物なら、偽物の響き方があります』

 ナユは小さく息を整える。

『探します。本物じゃなくて、偽物が隠したがってる場所を』


 艦橋では、黒瀬の前に複数の承認要求が一斉に開いた。

 警告音が重なる。

 ノクス・レクイエム限定起動準備承認。

 ルナ・スケイル支援網緊急拡張承認。

 ヴァルクレイド・セレス防壁展開承認。

 記録閲覧権限変更承認。

 退避路変更承認。

 PT反応遮断層強化承認。

 監察局端末迎撃許可承認。

 三島が目を見開いた。

「承認要求、多すぎます!」

 黒瀬は即座に画面を整理しようとした。

 だが、次々と新しい要求が重なる。

 しかも、その中に偽装されたものが混じっていた。

「……承認要求に偽装があります」

 三島が言う。

「一部、こちらの規格に似せていますが、送信元がルクスではありません」

 黒瀬の表情が険しくなる。

「承認判断過負荷ですか」

 ジンが横から問う。

「黒瀬、どれを通す」

「即時承認はしません。まず偽装要求を弾きます」

「間に合うか」

「間に合わせます」

 黒瀬は短く返した。

 だが、承認画面は増え続ける。

 まるで、判断しきれない状況を作ることそのものが目的のようだった。

 ジンは三島に視線を向ける。

「三島、黒瀬の補助に入れ。記録照合は任せる」

「了解しました」

 黒瀬は一瞬だけ三島を見る。

 三島は頷いた。

「偽装要求は私が拾います。黒瀬さんは、通すか止めるかの判断を」

「助かります」

 黒瀬はすぐに画面へ戻った。

 これも、攻撃だった。

 砲撃ではない。

 判断を詰まらせるための攻撃だった。


 カイトは前衛で進路を維持していた。

 アルタイル・ノヴァ・ブレイスの通信補助が、ユイとの回線を保っている。

 はずだった。

「ユイ、そっちはどうだ?」

 返事が来ない。

 一拍。

 二拍。

 通信画面に、遅延表示が出る。

「ユイ?」

 ようやく返事が来た。

『……聞こえてる。少し、遅れてる』

 ユイの声がノイズを含んでいた。

「通信妨害か」

『違う。たぶん、こっちが返事をする前に、別の返事を挟もうとしてる』

「別の返事?」

『うん。私が答えるより先に、Y系列としての反応を返させようとしてる』

 カイトは奥歯を噛んだ。

 通信を切られるよりも気味が悪い。

 届かないのではない。

 届く前に、別の何かを混ぜられる。

「ユイ、俺の声は聞こえてるか」

『聞こえてる』

「なら、今はそれだけでいい。返事は急がなくていい。俺が確認する」

 少し間があった。

 今度は、ユイの声が少しだけはっきり届いた。

『うん。お願い』

 カイトは機体を前に出す。

 ユイの返事が遅れるなら、その分、自分が前に出る。

 ただし、無理に突っ込むのではない。

 ミオの支援線とナユの索敵を待ちながら、必要な位置を守る。

 それが、今のカイトの役割だった。


 中枢の白い空間に、次々と過去記録が投影される。

 Y系列応答記録。

 M系列支援適性記録。

 R系列近接適性記録。

 S系列照準反応記録。

 L系列統率補助記録。

 I系列記録保存反応。

 A系列補完反応。

 さきほど見えた記録が、今度は断片として戦場に混ざっていく。

 カイトの前に、レイの過去反応に似せた突入誘導が出る。

 セラの射撃線上には、撃てば破壊できそうな偽端末が並ぶ。

 ミオの支援網には、味方機の退避信号に見せかけた偽信号が混ざる。

 ナユの残響には、存在しない通路の反響が返る。

 レータの防壁予定位置には、守れば味方を分断するような誘導線が浮かぶ。

 アミィの前には、対象Aの文字が何度も現れる。

 そして、ユイの視界には、Y系列再照合の文字が重なり続けていた。

 オルフェンの声が、中枢内に直接流れる。

『抵抗しなくて構いません。これは破壊ではなく、観測です』

 ジンが低く言う。

『敵通信、遮断しろ』

「遮断を試みています。ですが、中枢内照合波に混ざっています」

 オルフェンの声は続く。

『対象Aの回収は、もはや単独目的ではありません。興味深いのは、あなた方の周囲に形成された自己応答保持構造です』

 カイトが眉を寄せる。

「自己応答保持構造……」

『命令層から切り離された対象が、なぜ崩壊せず、なぜ命令外で安定するのか。支援、記録、防壁、心理補助、承認判断、前衛保護。それらがどの程度まで対象の自己応答を維持するのか』

 オルフェンの声には、感情がほとんどない。

『興味深い。実に興味深い構造です』

 ユイが静かに言った。

『……あなたは、私達を見ていない』

 通信には遅延があった。

 だが、その言葉は届いた。

 オルフェンはわずかに間を置いた。

『見ていますよ。反応値も、接続構造も、判断遅延も、すべて』

『それは、見てるって言わない』

 ユイの声が、少しだけ強くなる。

『測ってるだけ』

 オルフェンは否定しなかった。

『測定なくして、理解はありません』

 イリスが静かに通信へ入る。

『測定だけでは、記録にもなりません』

 オルフェンの観測窓に、対象Iの反応が強く表示される。

『対象I。命令外記録保持。あなたの存在も、興味深い』

 イリスは答えなかった。

 ただ、記録を続けた。


 ミオは支援網の中に混ざった偽端末を切り離そうとしていた。

 だが、切れば味方の支援線まで削れる。

 広げれば偽物が増える。

 絞れば敵の照合波が濃くなる。

『嫌な作り方をしますね……』

 ミオは小さく呟いた。

 その時、ナユから通信が入る。

『ミオ、全部見ようとしないで』

『え?』

『偽物は、こっちが全部確かめると思って置かれてる。だから、全部確かめないで。残したい線だけ決めて』

 ミオは目を見開いた。

 全部を見る。

 全部を守る。

 そうしようとすると、偽端末に引きずられる。

 なら、逆に決める。

 絶対に切らない線を。

『……カイトさんとユイさんの通信線。アミィさんの退避線。レータさんの防壁予定線。ナユさんの残響線。セラさんの射線』

 ミオは支援網を組み直す。

『そこだけは残します。他は一度、捨てます』

 支援網が大きく変形した。

 偽端末の一部が、接続先を失って白い空間に浮かぶ。

 セラが即座に反応する。

『露出しました』

『まだ撃たないでください。本命じゃありません。……でも、邪魔な端末なら撃っていいです』

『了解』

 セラの射撃が走る。

 偽端末の一つが砕ける。

 ミオの支援網に、わずかに余裕が戻った。


 艦橋では、黒瀬と三島が承認要求を捌き続けていた。

 三島が偽装要求を次々に弾く。

「退避路変更承認、偽装です。送信元が中枢側」

「却下」

「ルナ・スケイル支援網拡張要求、これは本物。ただし、範囲が過剰です」

「範囲を半分に修正して承認」

「ヴァルクレイド・セレス防壁展開要求、待機状態。まだ本格展開ではありません」

「保留。レータとアミィの反応が跳ねたら即時承認できるよう準備」

「ノクス・レクイエム起動準備要求」

 黒瀬の手が一瞬止まる。

 画面には、起動準備承認の文字が出ている。

 それは本物だった。

 だが、今通せば、オルフェンの狙う「切断後の空白」を作る可能性がある。

 黒瀬は短く息を吐いた。

「起動準備は承認。実起動は不可。本人意思認証、カナデ確認、ジン艦長判断、三段階を維持」

 ジンが頷く。

「それでいい。ノクスはまだ使わない」


 オルフェンは観測室で、変化していく支援構造を見ていた。

 ミオが支援網を再構成した。

 ナユが偽残響に気づき始めた。

 黒瀬と三島が承認判断を分担し始めた。

 カイトは通信遅延の中でもユイとの回線を保っている。

 アミィはまだ揺れているが、レータとカナデが支えている。

 オルフェンは興味深そうに目を細める。

「単純遮断では崩れない。偽記録混入にも即時適応。判断過負荷には分担で対応。通信遅延下でも外部確認を維持」

 彼は記録を進めた。

「ならば、次段階へ移行します」

 観測室の奥に、新たな操作盤が浮かぶ。

 再同期補助波。

 分散投入。

 目標は、対象Aを中心とした周辺支援構造。

 オルフェンは静かに手を伸ばした。

「対象を壊す必要はありません。周囲の構造を一つずつ外せば、返事は命令へ戻る」

 彼は、ようやく少しだけ笑った。

「では、構造分解を開始する」


 次の瞬間、ルクス側の通信画面に一斉に警告が走った。

 支援網混線。

 偽端末増加。

 残響記録汚染。

 通信遅延拡大。

 承認要求増大。

 退避路誘導異常。

 再同期補助波、複数方向より接近。

 艦橋に警告音が重なる。

 三島が声を上げる。

「再同期補助波、分散投入! 対象はアミィさんだけではありません!」

 ミオの支援網が大きく揺れる。

『偽端末、増えます!』

 ナユが息を呑む。

『残響が、塗り替えられる……!』

 カイトの通信にノイズが走る。

「ユイ、聞こえるか!」

 一拍遅れて、ユイの声が届く。

『聞こえる。でも、遅い……!』

 黒瀬の前に、新たな承認要求が雪崩れ込む。

 ジンが艦長席の肘掛けを握る。

「全機、持ち場を崩すな!」

 白い中枢空間が、静かに形を変えていく。

 それは砲撃ではなかった。

 突撃でもなかった。

 ルクス側が積み上げてきた繋がりを、一本ずつ測り、ずらし、外そうとする攻撃だった。

 オルフェンの声が、冷たく響く。

『では、構造分解を開始する』

 その言葉と同時に、ルクス側の通信画面に、一斉に警告が走った。

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