第328話 返事を測る部屋
命令層中枢の内部は、戦場ではなかった。
少なくとも、カイトが想像していたような場所ではない。
砲台が並び、GDが待ち構え、防衛線が張られている。
そういうものを覚悟していた。
だが、開いた扉の奥に広がっていたのは、白く冷たい空間だった。
壁も床も天井も、どこか曖昧だった。
巨大な部屋の中にいるようでもあり、何層もの記録装置の内側に取り込まれたようでもある。
幾何学的な光の線が宙に浮かび、そこに文字列と波形が流れていた。
ジンの声が通信に入る。
『全機、進入速度を落とせ。敵影はないが、命令層反応が濃い』
「了解」
カイトはアルタイル・ノヴァ・ブレイスを前進させながら、周囲を見回した。
攻撃されているわけではない。
だが、見られている。
それも、外側からではなく、内側を覗かれているような感覚だった。
『……気持ち悪いですね』
ミオの声が震える。
ルナ・スケイル・リフレクトの支援網は最低限に絞られている。前回の入口突破時よりも、ずっと慎重な展開だった。
『こちらの通信内容じゃなくて、支援網の癖を読まれている気がします』
『癖?』
セラが聞き返す。
『はい。どう繋ぐか、どこを守ろうとするか。そういうものです』
ナユの声が続いた。
『残響も変です。ここ、音が返ってくる前に、返し方を決められているみたい』
「返し方を決められている……?」
カイトは思わず呟いた。
その言葉に、ユイが答える。
『ここは、そういう場所なんだと思う』
ノクス・レクイエムはまだ本格起動していない。
ユイは中核部で待機したまま、外部観測だけを行っている。
それでも彼女の声には、明らかな緊張があった。
『返事を聞く場所じゃない。返事を、命令に合う形へ変える場所』
その言葉が、白い空間の冷たさと重なった。
ルクス・ヴァルキュリア艦内、解析室。
リクト、アルベルト、レオニスが、次々と流れ込んでくる中枢情報を読み取っていた。
ただし、直接接続はしない。
外部遮断層を挟み、読み取り専用の隔離画面へ流している。
アルベルトが顔をしかめた。
「やはり、通常の軍事認証ではありません」
黒瀬が通信越しに問う。
『どういう意味ですか』
「所属、階級、機体番号ではない。ここで照合されているのは、もっと古い分類です」
リクトが画面を切り替える。
そこに表示されたのは、幾つもの系列名だった。
Y系列。
M系列。
R系列。
S系列。
L系列。
I系列。
A系列。
その横に、細かい数値と反応波形が並んでいる。
レオニスが低く言った。
「これは個人名ではない。系列ごとの初期反応記録です」
三島が息を呑む音がした。
『初期反応……』
「はい。人格が育つ前、あるいは命令適性を測るために使われた記録です。名前ではなく、系列。意思ではなく、反応。返事ではなく、従属率」
艦橋が一瞬、静かになった。
ジンが短く言う。
『全機へ共有しろ。ただし、必要最低限だ。全部見せるな』
黒瀬が頷く。
『同意します。読ませすぎると、精神負荷が大きい』
カナデの声が割り込んだ。
『私の方で心理反応を見ます。PT本人達に見せる情報は、こちらで制限してください』
アルベルトは小さく頷き、表示を分割した。
「では、分類名と危険反応だけ送ります。詳細評価文は伏せる」
だが、中枢側はそれを許すつもりがないようだった。
前方の白い空間に、新たな光の壁が現れる。
そこに文字が浮かんだ。
――Y系列応答記録。
――M系列支援適性記録。
――R系列近接適性記録。
――S系列照準反応記録。
――L系列統率補助記録。
――I系列記録保存反応。
――A系列補完反応。
カイトは息を止めた。
こちらが選ぶ前に、中枢が見せてきた。
ユイの視界に、Y系列の文字が重なる。
その下に、古い波形が流れていた。
自分のものなのか。
それとも、自分と同じ系列の誰かのものなのか。
一瞬では判別できない。
ただ、その表示を見た瞬間、胸の奥が冷たくなった。
そこに名前はない。
ユイも。
竜奈も。
クレスケンスも。
どの名前もなかった。
ただ、Y系列とだけ表示されている。
『……ユイ』
カイトの声が届く。
ユイは目を閉じ、短く息を吐いた。
「大丈夫。見えてるだけ」
『本当に大丈夫か?』
「うん。今はまだ、引っ張られてない」
それは事実だった。
けれど、平気という意味ではない。
名前を奪われる感覚は、思ったよりも深く刺さった。
ミオの前にも、M系列支援適性記録が表示されていた。
そこには、支援網の反応速度、通信安定性、同時接続数、命令伝達補助率が並んでいる。
『……嫌ですね、これ』
ミオは小さく言った。
『私が誰かを支えたいって思ったことまで、数値に変えられているみたいです』
カナデがすぐに通信を入れる。
『ミオさん、それはあなたの現在の支援ではありません。帝国が昔、そういう見方をした記録です』
『分かってます。でも、見えると少し嫌です』
『嫌だと思えるなら大丈夫です。記録に飲まれているなら、嫌だとも思えません』
ミオは少し間を置いて、短く笑った。
『……なるほど。嫌だと思えるのは、私が私だからですね』
『ええ』
そのやりとりを、イリスは後方で静かに記録していた。
レイの画面には、R系列近接適性記録。
反応速度、踏み込み角度、切断判断、敵機接近時の迷いの少なさ。
レイは一度だけ眉を寄せた。
『斬るのが速いと、こうやって書かれるのか』
リンが通信越しに言う。
『……レイさん、それは褒め言葉ではないと思います』
『分かってる。だから気に入らない』
セラの方には、S系列照準反応記録が浮かんでいた。
射撃命令受諾率。
照準補正適性。
命令射撃時の躊躇低下。
その文字を見た瞬間、セラの声が途切れた。
『セラ?』
ナユが呼ぶ。
『……大丈夫』
セラは答えた。
『まだ撃ってない』
それは、短い言葉だった。
けれど、今のセラには大きな意味があった。
命令を見た。
射撃の記録を見た。
それでも、まだ撃っていない。
ナユは静かに返す。
『うん。見てる。撃ってないの、分かる』
レータの前には、L系列統率補助記録が表示されていた。
重装運用適性。
前線防衛判断。
指揮補助反応。
局地統率率。
その下に、別の赤い警告が混ざる。
――突発判断誤差。
――広域被害可能性。
――指揮型継続運用凍結推奨。
レータはしばらく黙っていた。
アミィが隣で小さく声を出す。
『レータさん』
『うん、見えてる』
レータは、いつものように軽く笑おうとした。
だが、少しだけ失敗した。
『ひどい書き方だね。まあ、間違ってるって言い切れないのが嫌だけど』
『でも、それだけではありません』
アミィが言った。
『今のレータさんは、私に聞いてくれます。守る線を、一緒に確認してくれます』
レータは目を瞬かせた。
そして、少しだけ笑った。
『そっか。じゃあ、これは古い記録だね』
『はい』
アミィはそう返した。
だが、その直後だった。
彼女の前に、A系列補完反応の表示が浮かび上がる。
アミィの視界が白く染まった。
そこに文字が並ぶ。
――A系列。
――L系列欠損補完候補。
――代替指揮支援個体。
――対象L不在時、統率補助反応を代行。
――セレスティア支援中核。
アミィの呼吸が浅くなる。
分かっていた。
自分がレータの欠けた場所を埋めるために作られた存在だと、説明は受けていた。
それでも、こうして中枢そのものに表示されると違った。
まるで、自分の中にある不安だけを選んで、正しい記録として突きつけられているようだった。
『……私は』
言葉が詰まる。
対象A。
欠損補完。
代替。
支援中核。
そこには、アミィという名前がない。
『アミィさん』
カナデの声が入る。
穏やかで、けれどすぐ近くにある声だった。
『見えているものを、無理に否定しなくていいです』
『否定、しなくて……いいんですか』
『はい。それは事実の一部かもしれません。でも、あなた自身の全部ではありません』
アミィは息を飲む。
『全部では、ない』
『そうです。記録は、誰かがある目的のために残したものです。帝国があなたをどう使おうとしたかは、そこに書かれているかもしれません。でも、あなたが今どう返事をするかは、そこにはまだ書かれていません』
カナデの声が、少しだけ柔らかくなる。
『だから、急いで答えなくて大丈夫です。今は、見えているものに飲まれないでください』
アミィはゆっくりと呼吸を整えた。
隣でレータが言う。
『アミィ、こっち見て』
『……はい』
『私はここにいるよ。だから、欠けた場所を埋めなくていい。隣にいて』
アミィは返事をしようとした。
だが、声はまだうまく出なかった。
それでも、頷くことはできた。
イリスは、全員の反応を記録していた。
中枢が見せてくる記録。
帝国が残した分類。
系列。
数値。
適性。
従属率。
それらは確かに記録だった。
ただし、イリスが今まで残してきた記録とは違う。
イリスは思い出す。
食堂で、レータが転びかけた記録。
アミィが自分で席を選ぼうとした記録。
ミオが支援網の調整後に疲れて座り込んだ記録。
セラが撃たないことを覚えた記録。
ナユが残響を聞き分けた記録。
レイとリンが刃を下ろすことを考え始めた記録。
ユイがノクスを使わないと決めた記録。
カイトが壊れた小物を直していた記録。
それらも記録だった。
でも、中枢に並んでいる記録とは違う。
帝国の記録は、命令に使うためのものだった。
イリスの記録は、誰かがそこにいたことを残すためのものだった。
同じ記録という言葉でも、意味が違う。
『イリス?』
ユイが呼びかける。
『反応、強くなってる?』
『はい。中枢の記録投影は継続中です。ただし、こちらの記録も保持しています』
『こちらの記録?』
『ルクス内での生活記録です』
イリスは、迷わず答えた。
『帝国の記録は、対象を命令へ戻すために使われています。ですが、私の記録は違います』
カイトが聞く。
「どう違うんだ?」
イリスは少しだけ考えた。
そして言った。
『帝国の記録は、何に使えるかを残しています。私の記録は、誰がそこにいたかを残しています』
通信の向こうで、誰かが息を呑んだ。
それが誰かは分からなかった。
だが、その言葉は確かに届いた。
中枢の白い空間が、さらに奥へ続く通路を開いた。
同時に、壁面に並んでいた系列表示が一斉に更新される。
照合完了。
反応確認。
再分類準備。
カナデが警告を出す。
『全員、注意してください。中枢側が次の段階へ移ります。今度は見せるだけではなく、反応を誘導してくる可能性があります』
黒瀬が即座に応じる。
『記録制限を強化。三島、表示情報を遮断できる範囲で落としてください』
『了解』
ジンが指示を出す。
『全機、前進停止。支援網を維持したまま、次の照合を確認する』
白い空間の中央に、新しい表示が浮かび上がった。
今度は、複数の系列名ではなかった。
ひとつだけだった。
対象A。
再同期候補。
アミィの機体反応が、小さく跳ねる。
『……っ』
彼女が息を呑む音が、通信に乗った。
レータがすぐに呼ぶ。
『アミィ』
カナデも声を重ねる。
『アミィさん、呼吸を。今はまだ、返事をしなくていいです』
だが、中枢の表示は消えない。
対象A。
再同期候補。
名前ではない文字が、白い空間に冷たく浮かんでいた。
アミィは、小さく息を呑んだ。




