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第324話 艦橋の雑用

 命令層中枢への突入準備は、戦闘班や整備班だけで進むものではない。

 機体を直す者がいる。

 防壁を調整する者がいる。

 支援網を組み直す者がいる。

 診察する者がいる。

 記録を残す者がいる。

 そして、そのすべてを動かすためには、もっと地味な仕事が必要だった。

 物資の残量。

 避難経路。

 負傷者搬送手順。

 出撃後の収容順。

 食堂の稼働時間。

 居住区画の封鎖条件。

 非常用電源の割り当て。

 非戦闘員の待機場所。

 監査承認書類。

 補給品の使用許可。

 修理部品の優先順位。

 戦闘ではない。

 だが、それがなければ戦闘後に戻る場所は残らない。


 ルクス・ヴァルキュリア艦橋。

 ジンは、艦内各区画から上がってきた報告を確認していた。

 整備区画。

 医療区画。

 補給区画。

 格納区画。

 食堂。

 居住区画。

 ラスト・オーダー側区画。

 クロウヴェイル・ノア改修区画。

 画面には、膨大な項目が並んでいる。

 命令層中枢突入前、艦内運用整理表。

 作戦中の非戦闘員待機場所。

 被弾時の区画閉鎖優先順位。

 PT反応異常時の医療区画搬送経路。

 支援網遮断時の手動通信ルート。

 避難誘導担当配置。

 補給品持ち出し許可。

 食堂緊急配給手順。

 格納庫内GD/GF無人端末暴走時の停止手順。

 ジンは眉間を押さえた。

「戦闘前に読む量じゃないな」

 隣にいた黒瀬が淡々と答える。

「戦闘前だから読む量です」

「そう来ると思った」

 三島は、その横で端末を抱えながら青い顔をしていた。

「これ、全部読むんですか」

 黒瀬は当然のように言う。

「必要な部分は」

「必要な部分だけでも相当あります」

「だから今読んでいます」

 三島は小さく息を吐いた。

「監査って、もっと危険物の確認とか、許可証の整理とか、そういうものだと思っていました」

 黒瀬は画面を見たまま答える。

「それも監査です」

「これは」

「艦が戦闘後も生活の場所であり続けるための確認です」

 三島は、一瞬言葉を失った。

 ジンは少しだけ黒瀬を見る。

「いい言い方をするようになったな」

「事実です」

「前なら、危険管理です、とだけ言っていた」

「それも事実です」

「否定しないのか」

「どちらも必要です」

 黒瀬の声はいつも通り硬かった。

 だが、そこにある意味は少し変わっていた。


 そこへ、リノヴァが補給区画から通信を繋いだ。

『艦橋、補給区画より報告』

 ジンが応じる。

「聞く」

『命令層中枢突入時の緊急配給案ですが、現行案では高負荷区画への補給が足りません』

 黒瀬が端末を確認する。

「不足ですか」

『はい。医療区画、格納区画、観測席、食堂、整備区画の順で優先配給とされていますが、実際には整備区画の消耗がもっと大きいです。特に《ルナ・ドール・リンク》試験後は、整備班の拘束時間が長くなります』

 三島が画面を見る。

「整備区画の配給を上げると、どこを削ることになりますか」

『食堂の通常メニューです』

 艦橋が一瞬静かになった。

 ジンは確認する。

「通常メニューを削ると、艦内士気に影響が出るな」

『はい。特に最近、食堂は休息場所としての意味が強くなっています。単純に栄養配給だけにすると、アミィやナユの食事量が落ちる可能性があります』

 黒瀬が即座に記録する。

「食堂通常メニュー維持は心理安定上重要」

 三島が小声で言う。

「食堂メニューまで監査項目に……」

「必要な項目です」

 リノヴァが淡々と続ける。

『そこで、ラスト・オーダー側の保存食を一部回します。ただし、味は保証しません』

 カイルの声が横から割り込んだ。

『味は保証しないが、腹は膨れるぞ』

 ジンが目を細める。

「カイル、お前は何をしている」

『補給会議に参加中だ』

 リノヴァが訂正する。

『横から口を挟んでいるだけです』

『ひどい言い方だな』

『事実です』

 ジンは少しだけ息を吐いた。

「で、保存食を回せるのか」

『回せます。ただし、ラスト・オーダー側の非常食在庫が減ります。こちらの退避計画も同時に見直す必要があります』

 カイルが軽い口調で言う。

『まあ、俺達は古い保存食には慣れてる』

 リノヴァが即座に言った。

『慣れていることと、食べたいことは別です』

『はいはい』

 ジンは短く言う。

「補給案を修正しろ。整備区画の配給を増やす。ただし、食堂の通常メニューは可能な限り維持。ラスト・オーダー側の非常食を使う場合、退避計画も同時に更新する」

『了解』


 次に問題になったのは、避難計画だった。

 命令層中枢への突入時、艦内に命令層照合波が逆流する可能性がある。

 その場合、PT反応を持つ者だけでなく、帝国由来の機材、GD/GF無人端末、ノクス・レクイエム封印区画にも影響が出る可能性がある。

 黒瀬が表示を切り替える。

「PT反応異常時の避難導線です」

 三島がすでに疲れた顔をしている。

「まだありますか」

「あります」

「ですよね」

 画面には、艦内の避難経路図が表示された。

 保護区画。

 医療区画。

 観測席。

 格納区画。

 食堂。

 居住区画。

 ラスト・オーダー側区画。

 黒瀬は説明する。

「アミィ、レータ、ユイ、ミオ、ナユ、イリスに命令層由来の揺らぎが出た場合、移動先をそれぞれ分けます。同じ区画へ集中させると、干渉が相互増幅する恐れがあります」

 三島が端末を見る。

「ユイさんは封印区画近くではなく、艦橋側待機?」

「ノクス・レクイエムとの距離を取りたい場合です。使用承認が出た場合は逆に封印区画へ移動します」

「レータさんとアミィさんは?」

「ヴァルクレイド・セレス接続前なら保護区画。接続後なら格納区画内の低干渉ベイ。医療判断が必要なら医療区画」

「ナユさんは」

「残響負荷が強い場合は観測席から離す。静音区画へ」

 三島は表を見て、少しだけ呆然とした。

「これ、戦闘中に判断できますか」

「だから事前に決めます」

 ジンが頷いた。

「黒瀬の言う通りだ。戦闘中に迷えば、それだけで危険になる」

 三島は小さく頷いた。

「分かりました。事前に決めるから、迷わず動ける」

「はい」

 黒瀬は少しだけ端末を動かす。

「ただし、決めすぎると現場の判断を殺します」

 三島が顔を上げた。

「え?」

「命令層中枢では、想定外が起こります。手順は必要ですが、手順に縛られすぎると逆に危険です」

 ジンは少しだけ笑った。

「黒瀬がそれを言うか」

「経験上、必要です」

「いい傾向だ」

 黒瀬は表情を変えなかった。


 艦橋の奥では、カイルが別回線で外周退避路を確認していた。

 彼は軽口を叩きながらも、画面上では複数の退避経路を比較している。

 レグナリア方面。

 カルディア・ベイ外縁。

 旧補給衛星群。

 レオン隊通常軍防衛線。

 監察局処置領域の推定範囲。

 カイルが言う。

『このルートは駄目だな。旧補給衛星群の残留照合波がまだ残ってる』

 ジンが通信を見る。

「軽口を叩きながら、ちゃんと仕事はしているな」

『失礼だな、艦長殿。俺はいつも仕事してる』

 リノヴァが即座に言う。

『必要な時は、です』

『リノヴァ、今日は厳しいな』

『補給表を三回変更されたので』

『それは監察局が悪い』

『カイルも途中で別案を足しました』

『安全のためだ』

『その結果、保存食の割り当てが崩れました』

 ジンは通信越しにそのやり取りを聞きながら、少しだけ口元を緩めた。

 カイルは軽い。

 だが、外周を見る目は確かだった。

 彼が示した経路の一つに、ジンは目を留める。

「この第三退避路は」

『本命じゃない。だが、レオン隊が通常軍として防衛線を維持するなら、監察局処置領域からは外れる可能性が高い』

「通常軍側に寄るのか」

『ああ。敵に近づくことになるが、監察局の網からは離れる。レオンが通常軍を監察局の道具にしないなら、こっちの方がまだ読める』

 黒瀬が記録する。

「レオン隊通常軍防衛線近傍を第三退避候補に追加。ただし、敵対継続のため危険度高」

 カイルが軽く言う。

『敵なのに、監察局よりマシってのも面倒だな』

 ジンは答える。

「敵であることは変わらん」

『分かってるさ。だが、敵にも種類がある』

「そうだな」

 ジンは画面を見つめた。

 監察局は、こちらの構造を崩そうとしている。

 ならば、退避路も単なる航路ではない。

 誰の意図が読めるか。

 どの敵が何を守ろうとしているか。

 そこまで含めて判断しなければならない。


 しばらくして、艦橋には書類と端末がさらに増えた。

 三島は、積み上がった承認項目を見て、ついに小さく言った。

「これ、本当に全部必要なんですか」

 黒瀬は即答する。

「不要なものもあります」

 三島は目を丸くした。

「あるんですか」

「あります」

「では削りましょう」

「削るために読む必要があります」

 三島は黙った。

 ジンが低く笑う。

「監査の沼だな」

 黒瀬は表情を変えずに言う。

「必要な沼です」

「言い切った」

 三島は額に手を当てた。

「黒瀬監査官、せめて優先順位を」

「付けています」

 画面に優先度が表示される。

 最優先。

 命令層中枢突入時のPT反応異常対応。

 ノクス・レクイエム限定起動承認。

 ヴァルクレイド・セレス防壁展開条件。

 ルナ・ドール・リンク無人端末停止手順。

 非戦闘員退避導線。

 高。

 医療区画搬送手順。

 補給区画緊急配給。

 食堂稼働維持。

 外周退避路。

 ラスト・オーダー側区画の保護。

 中。

 修理部品再配分。

 居住区画封鎖順。

 記録端末バックアップ。

 香り強調モード使用制限。

 三島の目が止まった。

「香り強調モード、中なんですか」

 黒瀬は真面目に答える。

「食堂の心理安定効果に関係します」

 ジンが思わず笑った。

「カイトの余計な機能が、とうとう作戦準備表に入ったか」

 黒瀬は淡々と言う。

「余計な機能でも、使用条件を決めれば有用な場合があります」

 三島が少しだけ笑った。

「黒瀬監査官がそれを言うんですね」

「事実です」


 リノヴァは補給区画から艦橋へ直接やって来た。

 手には複数の備品リストがある。

「艦長、補給面から一つ」

 ジンが顔を上げる。

「言え」

「命令層中枢突入時、倉庫区画の一部を閉鎖する案が出ていますが、そのままだと食堂備品とGD/GF無人端末用の予備部品が同じ経路にあります」

 黒瀬が反応する。

「混在リスクですか」

「はい。ユイさんが以前、食堂容器を部品整理に使おうとした件もあります。非常時に混ざると、備品が消えます」

 ジンは一瞬だけ沈黙した。

「備品が消える」

「正確には、別用途へ転用されます」

 三島が小声で言う。

「それ、ユイさん限定では」

 リノヴァは淡々と答える。

「ユイさん限定ではありません。整備班も仮置きをします。レータさんは分類を変えます。カイトさんは修理に使えると思ったものを持っていきます」

 艦橋に妙な納得が広がった。

 黒瀬はすぐに記録する。

「補給備品と機体部品の保管経路を分離。食堂備品の無断転用防止。仮置き禁止。分類変更は許可制」

 三島が端末を見て言う。

「また書類が増えました」

 リノヴァは表情を変えずに言った。

「書類で済むなら安いです。食堂容器が消える方が困ります」

 ジンは頷いた。

「もっともだ」


 会議は、次第に戦闘作戦というより生活管理会議に近づいていった。

 医療区画の予備ベッド数。

 食堂の温食提供可能回数。

 非常用水の配分。

 居住区画の照明節約。

 ラスト・オーダー側の保存食提供条件。

 クロウヴェイル・ノア改修区画の避難導線。

 PT勢の休息予定。

 整備班の交代時間。

 カイルが通信越しに笑う。

『命令層中枢に突入する前の会議とは思えないな』

 ジンは画面を見る。

「これも突入準備だ」

『スープと食堂容器が?』

「そうだ」

 ジンははっきり答えた。

「戦闘で戻る場所を壊すわけにはいかん」

 艦橋が静かになった。

 ジンは続ける。

「我々は命令層中枢へ向かう。そこには、彼女達を作った記録がある。返事を奪う仕組みがある。戦闘になれば、機体も艦も傷つく」

 黒瀬も三島も、リノヴァも、通信越しのカイルも黙って聞いていた。

「だが、勝って戻ってきた時に、食堂が使えない。医療区画が回らない。居住区画が閉鎖されたまま。補給が尽きている。そんな状態では意味がない」

 ジンの声は静かだった。

「戻る場所を守るのも、艦長の仕事だ」

 カイルが少しだけ声の調子を変える。

『そういうところは、相変わらずだな』

「何がだ」

『人命だけじゃなく、その後の飯まで心配するところだ』

「飯がなければ人は動けん」

 リノヴァが頷いた。

「正しいです」

 三島も少し笑った。

「すごく現実的ですね」

 黒瀬は端末に入力した。

「命令層中枢突入時の艦内運用基本方針。戦闘で戻る場所を壊さない」

 ジンは黒瀬を見る。

「それも記録するのか」

「必要な方針です」

「そうか」

 ジンは短く頷いた。


 会議が終わる頃には、艦橋の画面には整理された計画が並んでいた。

 非戦闘員待機場所。

 医療区画搬送経路。

 PT反応異常時の避難先。

 食堂緊急配給。

 整備区画優先部品。

 補給備品保管分離。

 ラスト・オーダー側保存食提供条件。

 外周退避路三案。

 監察局干渉時の通信代替経路。

 レオン隊通常軍防衛線近傍の危険評価。

 香り強調モード使用条件。

 三島は最後の項目を見て、やはり少し笑った。

「これが同じ表に入っているの、すごいですね」

 リノヴァが真面目に答える。

「艦内生活に関わります」

 黒瀬も頷く。

「心理安定に寄与する可能性があります」

 ジンは諦めたように言う。

「もういい。必要なんだろう」

「はい」

 カイルが通信越しに笑った。

『艦長殿、香り強調モードの使用許可を出す時は俺にも教えてくれ』

「なぜだ」

『何が出るか確認したい』

 リノヴァが即座に言う。

『カイルは食堂設備の実験に参加しないでください』

『実験扱いか』

『実験です』


 会議後、艦橋には少しだけ静かな時間が戻った。

 三島は端末を整理しながら、ふと艦内モニターを見る。

 食堂では、アイナが次の配給準備をしている。

 整備区画では、グリッドとタツヤが部品表を見ながら口論している。

 医療区画では、モルドが淡々と診察記録を整理している。

 観測席では、イリスが「命令ではない記録」を保存している。

 射撃訓練区画では、セラ達が休息ゲームの後片づけをしている。

 三島は小さく言った。

「本当に、生活しているんですね」

 黒瀬が隣で答える。

「はい」

「監査対象として見ていると、危険なものばかりに見えます。ノクス・レクイエム、GD/GF無人端末、PT反応、命令層干渉、監察局の追跡」

「危険です」

「でも、それだけじゃない」

「はい」

 黒瀬は艦内モニターを見た。

「だから、危険管理が必要です。危険だから排除するのではなく、生活を守るために管理する」

 三島は少しだけ頷いた。

「黒瀬監査官、変わりましたね」

「そうですか」

「はい。前より、少し」

 黒瀬は短く沈黙し、それから言った。

「対象を見誤らないようにしているだけです」

 三島は微笑んだ。

「それを変わったと言うのだと思います」


 ジンは、艦長席から艦内状況を見ていた。

 ルクス・ヴァルキュリアは巨大な戦艦だ。

 兵器を積み、PT達を乗せ、ノクス・レクイエムを封印し、GD/GF無人端末の試験準備まで進めている。

 だが、それだけではない。

 食堂がある。

 医療区画がある。

 居住区画がある。

 補給区画がある。

 観測席に残された日常記録がある。

 修理された保温器がある。

 転んだ者を診るベッドがある。

 戻ってきた者に出す温かい飲み物がある。

 それらを守るために、艦長は雑務を処理する。

 戦闘命令だけが艦長の仕事ではない。

 戻る場所を壊さないことも、艦長の仕事だった。

 ジンは最後の確認項目に承認を入れた。

 命令層中枢突入前、艦内運用整理。

 承認。

 その下に、黒瀬が追記した基本方針が表示される。

 戦闘で戻る場所を壊さない。

 ジンはそれを見て、短く言った。

「よし」


 命令層中枢への突入準備は、また一つ整った。

 派手な強化ではない。

 新兵器でもない。

 敵を倒す作戦でもない。

 それは、雑務だった。

 だが、その雑務が艦を生活の場所として保っている。

 補給品を分ける。

 避難路を決める。

 書類を読む。

 承認条件を整理する。

 食堂備品を守る。

 医療区画を回す。

 退避路を確保する。

 非常食を数える。

 誰がどこへ戻るのかを決める。

 艦橋の雑用。

 それは、誰かが帰ってくる場所を守るための仕事だった。

 命令層中枢の奥には、返事を奪う仕組みがある。

 そこへ向かう者達が、自分の返事を失わずに戻ってこられるように。

 ルクス・ヴァルキュリアは、戦う準備だけではなく、帰る準備も進めていた。

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