第311話 レータの選択
オリジナル六名の記録を見た後、レータはあまり話さなかった。
L系列オリジナル。
重装・統率型。
防衛戦指揮、局地統率、集団防衛維持。
低頻度重大誤判断。
オリジナル個体所在不明後、系列継続凍結。
その記録は、すでに見ていたものだ。
だが、ユイ、ミオ、レイ、セラ、イリスの記録と並べられたことで、レータの中でまた別の形を持ち始めていた。
自分だけの記録ではない。
六名の中のひとつ。
そのうち、自分だけが逃げた。
その後、L系列は凍結され、A系列が作られた。
頭では、分かっている。
アミィが作られた責任を、レータ一人が背負う必要はない。
カナデもそう言った。
黒瀬も、帝国の論理をそのまま受け取るべきではないと言った。
アミィ自身も、代わりだけでは嫌だと言った。
それでも、記録の言葉は残る。
L系列欠損補完。
その言葉が、レータの胸の奥に引っかかっていた。
保護区画。
アミィは、ヴァルクレイド・セレスの簡易同期訓練を終えたばかりだった。
本格的な出撃ではない。
機体に乗るわけでもない。
保護区画内の小型端末を通じて、支援波制御の反応を短時間だけ確認する訓練だ。
アミィの反応は、以前よりも安定している。
カナデが端末を確認しながら言った。
「今日はここまでにしましょう。反応は悪くないわ」
アミィは少しだけ安心したように息を吐いた。
「はい」
隣にいたレータは、その様子を見ていた。
アミィは回復している。
少しずつ話せるようになっている。
怖いと言える。
嫌だと言える。
見たいと言える。
代わりだけでは嫌だ、と言えるようになってきた。
それは、喜ばしいことのはずだった。
だが、レータの中には別の感情があった。
この子が、そう言えるようになるまでに、どれだけ縛られたのか。
その縛りの理由の一部に、自分の逃亡が記録されている。
レータは、無意識に手を握りしめていた。
カナデがそれに気づく。
「レータちゃん」
「……はい」
「少し休憩した方がいいわ」
「私は大丈夫です」
そう答えた瞬間、カナデは静かに首を横に振った。
「大丈夫な人の言い方じゃないわ」
レータは言葉に詰まった。
アミィが、不安そうにレータを見る。
「レータさん?」
その声に、レータはすぐ表情を整えようとした。
だが、うまくいかなかった。
「少し、考えていただけ」
「何を、ですか」
アミィの問いに、レータはすぐには答えられなかった。
少し後。
レータとアミィは、格納区画に来ていた。
ヴァルクレイド・セレスが整備ベイに立っている。
命令層接続部を除去し、旧セレスティアの保護機能をレータ機ヴァルクレイドの防衛制御層へ接続した機体。
前線防衛司令塔。
通信保護。
命令系干渉遮断。
支援波制御。
そして、二人乗り対応。
代わりではなく、隣に座るための機体。
そう決めたはずだった。
レータは機体を見上げたまま、ぽつりと言った。
「私は、まだ少し怖い」
アミィが隣で顔を上げる。
「レータさんも、怖いんですか」
「うん」
レータは頷いた。
「アミィが怖いわけじゃない。ヴァルクレイド・セレスが怖いわけでもない」
「じゃあ、何が怖いんですか」
レータは、しばらく黙った。
言うべきか迷った。
だが、隠してもアミィは不安になるだけだ。
「私が逃げたから、アミィが作られた」
その言葉を口にした瞬間、アミィの表情が揺れた。
レータは続ける。
「そうではないと、みんなは言ってくれる。カナデも、黒瀬も、アミィも。帝国の論理をそのまま受け取る必要はないと分かっている」
レータの声は静かだった。
「でも、記録には残っている。L系列オリジナル個体所在不明。系列継続凍結。統率型空白への代替系列設計。A系列、L系列欠損補完」
アミィは、黙って聞いていた。
「私がそこにいなかったから、帝国はアミィを作った。そう考えてしまう」
「レータさん」
「だから、私はアミィを守らなければいけないと思っていた」
レータは、ようやくアミィを見た。
「守ることで、償おうとしていたのかもしれない」
アミィは、すぐに言葉を返せなかった。
レータは、自分の言葉がアミィを傷つけたかもしれないと思った。
また間違えた。
そう思いかけた時、アミィがゆっくり口を開いた。
「わたしは……」
言葉を探すように、一度目を伏せる。
「レータさんに、償ってほしいわけではありません」
レータは息を止めた。
アミィの声はまだ強くない。
けれど、前よりも長く、自分の言葉を繋げていた。
「守ってくれるのは、嬉しいです。怖い時に隣にいてくれるのは、安心します。でも……」
アミィは、ヴァルクレイド・セレスを見上げた。
「わたしは、レータさんの罪ではありません」
レータの瞳が揺れる。
「アミィ……」
「まだ、全部は分かりません。わたしがどうして作られたのか、記録には嫌なことがたくさんあります。L系列欠損補完って言葉は、嫌です」
アミィは、そこで一度息を吸った。
「でも、わたしは……レータさんが悪いからここにいる、とは思いたくないです」
レータは何も言えなかった。
アミィは、さらに続ける。
「わたしは、レータさんの代わりではありません」
その言葉は、以前よりはっきりしていた。
「でも、レータさんの隣にいるのは、嫌じゃありません」
レータの手が震えた。
「代わりじゃなくて、隣がいいです」
格納区画の奥で、グリッドとタツヤが整備端末を確認していた。
二人は会話に割り込まなかった。
だが、聞こえてはいた。
コウタも少し離れた場所で作業をしている。
彼は工具を持ったまま、どうしていいか分からず固まっていた。
グリッドが小声で言う。
「聞こえてないふりをしろ」
「はい」
コウタは慌てて頷く。
「でも、工具を落としそうです」
「落とすな」
タツヤが低く言った。
「今落としたら台無しだ」
コウタは両手で工具を握り直した。
その小さな緊張感とは別に、レータとアミィの間には静かな時間が流れていた。
レータは、ゆっくりと言った。
「私は、アミィを守りたい」
「はい」
「でも、それを償いにしてはいけないんだと思う」
アミィは黙って頷く。
「守るだけでは、アミィを私の責任の中に閉じ込めてしまう」
レータは、自分の言葉を確かめるように続けた。
「だから、私は守るだけではなく、一緒に行く」
アミィが顔を上げる。
「一緒に……」
「うん」
レータは、ヴァルクレイド・セレスを見上げた。
「この機体は、アミィを後ろに隠すためだけの機体ではない。私が前に立って、アミィを守るだけの機体でもない」
彼女は、アミィを見る。
「隣に座るための機体」
アミィは小さく頷いた。
「はい」
「なら、私はアミィを守るだけじゃなくて、アミィと一緒に行く。怖い記録を見る時も、命令層に向き合う時も、戦場に出る時も」
レータの声は、少しずつ強くなる。
「アミィが返事を選ぶなら、その隣で私も選ぶ」
アミィの目が揺れた。
「わたしが間違えたら?」
「止める」
「レータさんが間違えたら?」
「止めて」
アミィは少しだけ驚いたように瞬きをした。
「わたしが、レータさんを止めるんですか」
「うん」
「わたしに、できますか」
「できるかどうかではなく、頼みたい」
レータは真っ直ぐに言った。
「アミィに、私を止めてほしい時があると思う」
アミィは、その言葉をゆっくり受け取った。
守られるだけではない。
後ろに隠されるだけでもない。
レータを止めることも、支えることもできる。
それは、アミィにとって初めて与えられた役割ではなかった。
初めて選ばせてもらえた関係だった。
「……分かりました」
アミィは小さく頷いた。
「レータさんが、無理をしたら止めます」
「うん」
「でも、わたしが怖くなったら、止めてください」
「必ず」
レータは答えた。
ヴァルクレイド・セレスの防壁反応が、わずかに灯る。
そこへ、カナデが格納区画へ入ってきた。
彼女は二人の様子を見て、少しだけ微笑んだ。
「話せたみたいね」
レータは頷く。
「はい」
アミィも小さく言う。
「少し、話せました」
「そう」
カナデは二人に近づき、ヴァルクレイド・セレスを見上げた。
「この機体は、二人にとって大事な場所になってきたわね」
レータは言う。
「守る場所ではなく、隣に座る場所にします」
カナデは頷いた。
「いいと思うわ」
アミィが少しだけ不安そうに尋ねる。
「わたしが、レータさんを止めることも……していいんですか」
「もちろん」
カナデは優しく答える。
「支えるって、守られるだけじゃないわ。相手が無理をしていたら止めることも支えよ」
アミィは少し考える。
「では、わたしも支えるんですね」
「ええ」
カナデは微笑む。
「アミィちゃんは、守られるだけの子ではないわ」
その言葉に、アミィの表情が少し変わった。
まだ自信とは呼べない。
けれど、ほんの少しだけ、胸を張るような変化だった。
「はい」
その後、ヴァルクレイド・セレスの簡易搭乗訓練が行われた。
実戦ではない。
格納区画内での接続確認だ。
レータが主制御席に座る。
アミィは隣の補助席に座る。
旧セレスティアの時とは違う。
アミィを命令層へ繋ぐ座席ではない。
レータの防衛制御と、アミィの支援波制御を並列に繋ぐための席。
グリッドが通信越しに確認する。
『接続開始。命令層反応なし。支援波制御、低出力で安定』
タツヤも続ける。
『レータ側防衛制御、問題なし。アミィ側自己応答補助、揺れはあるが許容範囲』
カナデがアミィの反応を確認する。
「アミィちゃん、どう?」
アミィは少しだけ緊張した顔で答えた。
「怖いです」
レータが隣を見る。
アミィは続ける。
「でも、戻される怖さではありません」
「うん」
「間違えたらどうしよう、という怖さです」
レータは静かに頷いた。
「それは、私もある」
「レータさんも?」
「うん。たくさんある」
アミィは少しだけ目を見開いた。
「レータさんも、たくさん怖いんですね」
「怖い」
レータは真顔で言った。
「段差のないところで転ぶくらいには」
通信越しに、コウタが小さく吹き出した。
『すみません』
グリッドがすぐに言う。
『笑うな。いや、今のは少し無理だな』
カナデも口元を押さえている。
アミィは数秒ぽかんとしてから、少しだけ笑った。
「段差のないところで……」
「低頻度」
レータは真顔のまま強調した。
「重大ではありません」
グリッドがぼそりと言う。
『いや、厨房では重大だったぞ』
レータが通信に向けて言う。
「厨房の件は、手順に曖昧さがありました」
『鍋を焦がした理由にはならねえ』
「想定外でした」
アミィが、今度ははっきり笑った。
それは短い笑いだった。
けれど、格納区画の空気を柔らかくするには十分だった。
カナデはその様子を見て、静かに目を細める。
帝国は、L系列の低頻度重大誤判断を危険と記録した。
だが、ここではそれが、アミィにとってレータを完璧な元型ではなく、隣にいる人として見る助けになっていた。
簡易搭乗訓練は、大きな問題なく終了した。
アミィは少し疲れていたが、表情は悪くなかった。
レータも、いつもより少しだけ肩の力が抜けている。
カナデは記録にこう残した。
ヴァルクレイド・セレス接続訓練。
対象L、対象Aともに反応安定。
対象A、恐怖反応あり。
ただし、命令層再接続への恐怖ではなく、自己判断への不安として表出。
対象L、自責反応を一部整理。
守る対象から、共同選択相手への認識変化あり。
黒瀬もその記録を確認した。
「共同選択相手」
カナデは頷く。
「ええ。今の二人には、その言葉が近いと思うわ」
「帝国の記録にはない分類ですね」
「だからこそ、こちらで残す意味があるの」
黒瀬は少しだけ沈黙し、それから端末に追記した。
ヴァルクレイド・セレス。
運用補足。
二名の役割は主従ではなく、相互補助。
保護対象と保護者ではなく、共同選択者として扱う。
監察局管制区画。
オルフェン・グラードは、ヴァルクレイド・セレスの接続訓練反応を確認していた。
「対象L、自責反応の一部低下」
局員が報告する。
「対象A、自己応答安定。ヴァルクレイド・セレス接続時、恐怖反応はありますが、再同期恐怖とは異なる波形です」
「異なる?」
「はい。命令層への引き戻しではなく、自己判断への不安に近い反応です」
オルフェンは静かに画面を見た。
対象A。
対象L。
ヴァルクレイド・セレス。
L系列欠損補完。
A系列補助統率。
旧セレスティア保護機能。
防衛制御層接続。
帝国の記録上では、L系列とA系列の関係は、欠損と補完で説明できる。
だが、現在の反応はそれだけでは説明できなくなっている。
「対象Aは、対象Lの代替ではなく、相互補助関係へ移行しつつある」
オルフェンが言う。
局員が記録する。
「分類を変更しますか」
「仮分類を追加しろ」
オルフェンは答えた。
「L-A相互補助反応。対象Aの自己応答保持に寄与。対象Lの自責反応を緩和。ヴァルクレイド・セレス接続時、安定性上昇」
「脅威度は」
「維持ではなく、上げる」
局員が少しだけ顔を上げる。
「攻撃能力ではなく、安定性による脅威ですか」
「そうだ」
オルフェンは淡々と続ける。
「再同期は、対象Aの自己応答を揺らすことで成立しやすくなる。だが、対象Lとの相互補助が強まれば、その揺らぎを吸収される」
彼はヴァルクレイド・セレスの反応図を拡大した。
「守るだけではなく、一緒に行く。彼らはそう解釈している」
局員は無言で記録する。
「ならば、次に測るべきは、その“隣”がどこまで維持されるかだ」
格納区画。
訓練後、レータとアミィはもう一度ヴァルクレイド・セレスを見上げていた。
アミィは、まだ少し疲れている。
だが、その目は先ほどより落ち着いていた。
「レータさん」
「うん」
「わたし、まだ強くありません」
「うん」
「でも、守られるだけではなく、止めることも、支えることも、少しずつ覚えたいです」
レータは頷く。
「私も、守るだけではなく、一緒に行くことを覚える」
「一緒に、勉強ですね」
「うん」
アミィは少しだけ笑った。
「レータさんも、勉強中」
「そう」
レータは真顔で答える。
「低頻度で間違えるから」
「低頻度」
「重要」
アミィはまた少し笑った。
ヴァルクレイド・セレスは、静かに二人を見下ろしていた。
帝国が作った欠損と補完の記録。
その言葉は、まだ消えない。
だが、二人はその上に別の言葉を重ね始めている。
代わりではなく、隣。
守るだけではなく、一緒に行く。
命令ではなく、自分達の返事で。
レータは、もう一度アミィの手を取った。
「行こう」
アミィは頷いた。
「はい」
二人は、ヴァルクレイド・セレスの前から歩き出した。
その足取りは、まだ少し頼りない。
けれど、同じ方向を向いていた。




