第309話 研究中枢への入口
研究中枢へ続く航路は、カルディア・ベイのさらに奥にあった。
通常軍の建造区画。
GD整備区画。
監察局管理区画。
それらを抜けた先に、黒い隔壁で囲われた区画が見える。
PT研究中枢関連施設群。
レグナリアで得た索引。
カルディア・ベイで取得した改修記録。
未起動個体記録。
命令層思想記録。
それらの多くが、最終的にそこへ繋がっていた。
だが、帝国がその入口を開けたままにしているはずがなかった。
ルクス・ヴァルキュリア艦橋。
前方画面に、研究中枢入口周辺の防衛構造が表示されている。
黒瀬が説明した。
「研究中枢入口、閉鎖されています。物理隔壁、認証網、命令層照合波、監察局ビーコン群。さらに、カルディア・ベイで取得した記録と一致する特殊GD反応があります」
ジンが問う。
「タナトスとモルスか」
「はい。ただし、前回とは運用が異なります」
画面に二つの反応が表示される。
GD-NM-02 タナトス。
隔離場発生器、再調整。
対象分断だけでなく、支援網の節点切断を優先。
GD-NM-04 モルス。
重砲撃座標固定系、改良。
砲撃前残響を偽装。
複数の偽座標固定反応を発生。
艦橋の空気が重くなる。
ナユの表情がわずかに強張った。
「偽の、残響……」
リンがすぐに言う。
『ナユ、一人で全部拾おうとするな』
「はい」
ナユは頷いたが、その声は硬かった。
モルスの砲撃前兆を拾ったのは、ナユのロス・セレネだった。
残響索敵によって、撃たれる前の座標固定を見つける。
その能力があったから、第一防衛圏でモルスの砲撃を避けられた。
だが、今度はその残響そのものを偽装してきた。
監察局は、こちらの対策を記録し、次の妨害へ変えている。
ジンは低く言った。
「厄介だな」
黒瀬が頷く。
「今回は、ナユの索敵結果だけに依存すると危険です。リンの護衛、セラの射撃確認、イリスの位相補正、ミオの支援網を重ねて判断する必要があります」
セラが通信で言う。
『偽残響を撃ち抜く危険はありますか』
「あります」
黒瀬は答えた。
「囮の座標固定を撃つと、本命の砲撃経路が見えなくなる可能性があります。射撃は、ナユの残響だけでなく、イリスの位相補正とセラ自身の照準確認が一致した場合に限定します」
セラは静かに頷いた。
『了解しました』
格納区画では、出撃準備が進んでいた。
カイトのアルタイル・ノヴァ・ブレイス。
ユイの支援用装備。
ミオのルナ・スケイル・リフレクト。
ナユのロス・セレネ。
リンのヴァイス・リッパー・リビルド。
セラのフェンリオン・リサイト。
イリスの補正支援機。
GF-07 リーフガード。
ノクス・レクイエムは封印区画で待機している。
ユイは、その前で立ち止まった。
研究中枢入口。
命令層照合波。
タナトスの隔離場。
モルスの偽残響。
ノクスを使えば、切れるものはあるかもしれない。
隔離場の一部。
命令層照合波。
研究中枢入口の認証線。
だが、ここでノクスを使えば、研究中枢側にユイの切断範囲をさらに記録される。
しかも、入口そのものが命令層と強く繋がっているなら、過敏反応を起こす可能性もある。
カイトが隣に来た。
「使うか迷ってる?」
ユイは少しだけ目を伏せる。
「はい」
「必要なら、使う?」
「はい。でも、今回はまだ早い気がします」
カイトは頷いた。
「じゃあ、まず別の方法で行こう」
「いいんですか」
「ユイがそう思うなら」
ユイはカイトを見る。
「私が迷っているだけかもしれません」
「迷ってるなら、迷ってることも判断材料だと思う」
カイトは前方のノクスを見上げた。
「切る力は必要になる。でも、毎回最初に出すものじゃない。そう決めたんだよね」
「はい」
ユイは小さく頷いた。
「今回は、ノクスなしで突破口を探します」
研究中枢入口周辺。
出撃部隊がカルディア・ベイ内部航路へ進入した。
前方には、黒い隔壁。
その手前に、監察局ビーコン群。
さらに奥で、タナトスの隔離場反応が薄く広がっている。
モルス本体は見えない。
だが、遠距離砲撃座標固定の反応が、周囲の空間に複数浮かんでいた。
ナユのロス・セレネが、残響波を広げる。
「反応……多いです」
ナユの声が震える。
「座標固定が、七つ。いえ、九つ。全部、砲撃前の残響に見えます」
リンが護衛位置で周囲を見張る。
『落ち着け。全部本物なら、もう撃たれてる』
「はい」
ナユは息を整える。
「強すぎるものが三つ。浅すぎるものが二つ。奥に沈んでいるものが……」
その時、画面の一つが急に濃くなった。
「来ます!」
ナユが叫ぶ。
セラが反射的に照準を合わせる。
だが、イリスがすぐに止めた。
『待ってください。その反応、位相が逆です。砲撃前兆ではなく、こちらに撃たせるための偽残響です』
セラの指が止まる。
「偽……」
直後、その偽残響が弾けるように消え、別方向に本命らしき座標固定が浮かぶ。
モルスの砲撃が来た。
ジンが叫ぶ。
『回避! リーフガード、後方支援線を守れ!』
GF-07 リーフガードが防護層を展開する。
砲撃は直撃しなかった。
だが、衝撃が支援網外縁を叩き、ミオの支援線が大きく揺れた。
『支援網、乱れました!』
ミオが声を上げる。
タナトスがその隙を逃さなかった。
薄い隔離場が伸び、ミオの支援網とナユの残響索敵の間へ入り込む。
黒瀬が即座に報告する。
『タナトス、支援節点を分断しに来ています。対象は機体ではなく、連携そのものです』
カイトが前へ出る。
『やらせるか!』
アルタイル・ノヴァ・ブレイスがタナトスの隔離場外縁へ斬り込む。
だが、隔離場は切断ではなく、滑るように形を変えた。
タナトスは正面から押し合わない。
こちらの支援線が通る場所だけを、薄く裂いていく。
ミオが歯を食いしばる。
『支援網、再接続します。でも、同じ線は読まれます』
イリスが補正を入れる。
『右側は使わないでください。認証網に触れます。左下、リーフガードの防護層を経由すれば短時間だけ繋げます』
ミオはすぐに支援網を組み替えた。
『リーフガード経由で再接続。ナユさん、残響波を少し絞ってください』
「はい」
ナユは息を整え、残響波を細くする。
偽残響の海の中から、本命だけを拾うために。
監察局管制区画。
オルフェン・グラードは、戦闘記録を見ていた。
「対象群、ノクス未使用」
局員が報告する。
「対象Y、切断反応を抑制。別手段で突破を試みています」
「よろしい」
オルフェンは淡々と言った。
「タナトスは支援節点へ。モルスは偽残響を継続。対象N、ナユの残響索敵と、対象S、セラの照準判断を分離する」
「セラの射撃を誘導しますか」
「一度は外させたい」
オルフェンは答えた。
「ただし、撃墜は不要だ。彼らがどの条件で射撃を止め、どの条件で撃つかを記録する」
局員が入力する。
「研究中枢入口の封鎖は維持しますか」
「維持。ただし、完全閉鎖ではない」
オルフェンの画面には、入口隔壁の複数の認証節点が表示されている。
「彼らがノクスを使わずに突破するなら、どの支援線を使うのかを見る」
「目的は入口防衛では」
「防衛も目的だ」
オルフェンは静かに言う。
「だが、観測も目的だ」
戦場では、ナユが苦戦していた。
残響が多すぎる。
偽物が本物のように沈み、本物が偽物のように浅く見える。
頭痛が強くなる。
リンがナユ機の前に出て、接近してくる監察局ビーコンを斬り払う。
『ナユ、視野を広げるな。絞れ』
「でも、見逃したら」
『全部拾おうとするな。拾う場所を選べ』
ナユは息を呑んだ。
全部を拾う。
全部を見ようとする。
それでは、偽残響ごと飲み込まれる。
彼女は、ロス・セレネの《セレネ・リップル》を絞った。
広域ではなく、研究中枢入口の認証節点周辺だけを見る。
砲撃全体ではなく、砲撃が入口封鎖とどう連動しているかを見る。
「……違う」
ナユが呟いた。
リンが問う。
『何が』
「モルスは、直接こちらを撃つだけじゃありません。入口の節点を守るために、偽残響を置いています」
ナユの声が少しずつはっきりする。
「本命の砲撃は、こちらを撃つためではなく、私達が近づける通路を消すため。偽残響は、セラさんに撃たせて射線を無駄にさせるためです」
セラが通信で答える。
『本命はどこですか』
「砲撃そのものではなく、座標固定の基準点があります。そこを壊せば、偽残響が崩れるはずです」
イリスがすぐに補正を入れる。
『位相確認します。ナユさん、基準点を送ってください』
「送ります」
ナユが座標を送る。
だが、その座標は非常に狭い。
通常センサーではほとんど見えない。
セラのフェンリオン・リサイトが照準を合わせる。
セラは深く息を吸った。
「これは、砲撃ではなく、偽の残響を支える節点」
黒瀬の声が入る。
『射撃条件確認。対象、モルス偽残響基準点。施設本体への被害は限定的。射撃許可』
ジンが命じる。
『撃て』
セラがトリガーを引いた。
細い射撃が、カルディア・ベイ内部の認証線をかすめるように走る。
直後、空間に浮かんでいた複数の偽残響が揺らぎ、いくつかが消えた。
ナユが目を見開く。
「見えます。本命が一つ」
モルスの本当の座標固定反応が、入口右側に浮かび上がる。
ジンが叫ぶ。
「全機、回避。リーフガード、防護層を右側へ!」
モルスの砲撃が来る。
今度は、見えていた。
GF-07 リーフガードが防護層を張り、ミオの支援網が衝撃を受け流す。
直撃は避けられた。
支援線は、まだ繋がっている。
タナトスが動いた。
偽残響が崩れたことで、支援網の再接続を妨害するため、隔離場を入口方向へ伸ばす。
狙いは、カイトでもユイでもない。
ミオの支援網と、リーフガードの防護層の接続点だった。
ミオが叫ぶ。
『隔離場、支援線に接触します!』
ユイの目がノクスの反応表示へ向く。
ノクスなら切れる。
この隔離場を、命令層ごと切ることができるかもしれない。
黒瀬もそれを理解していた。
『ノクス限定起動条件、部分成立。ただし、研究中枢入口での使用は高リスク』
ユイは一瞬、迷った。
使うべきか。
使わずに済ませるべきか。
その時、ミオが言った。
『まだ、繋げます』
ユイが顔を上げる。
『ミオ?』
『ノクスを使わなくても、支援線をずらせます。リーフガードを固定点にして、ナユさんの残響索敵とセラさんの射線を別経路で繋ぎます』
イリスが補足する。
『できます。ただし、数秒だけです』
カイトが前でタナトスを抑えながら叫ぶ。
『数秒あれば十分!』
リンがナユ機の前でビーコンを斬る。
『ナユ、次を拾え』
「はい」
ユイは操縦桿を握りしめた。
使わない選択。
それも、選択だった。
「ノクス、待機。ミオさんの支援を優先します」
黒瀬が即座に記録する。
『判断確認。ノクス未使用。代替手段、ミオ支援網再構成』
ミオのルナ・スケイル・リフレクトが、支援網を折り畳むように組み替えた。
広げるのではなく、重ねる。
同じ線を使わず、リーフガードの防護層を中継点として、ナユとセラ、カイトとユイを細い線で繋ぎ直す。
タナトスの隔離場が、その線を切ろうとする。
だが、線は一つではなかった。
細く短い線が、複数の層になっている。
ミオの額に汗が浮かぶ。
『長くは、持ちません』
ジンが命じる。
「その数秒で入口を開く。黒瀬、認証節点は」
黒瀬が表示する。
「研究中枢入口、封鎖節点三つ。偽残響基準点の消失により、一つ露出。タナトス隔離場の展開軸上に二つ目。三つ目は入口下部、リーフガード防護層の影にあります」
セラが答える。
『一つ目は撃てます』
カイトが叫ぶ。
『二つ目は俺が押さえる!』
ユイが言う。
「三つ目は、ヴェルディアで防護層をずらします」
リーフガードが防護層を開き、ユイの支援機が入口下部の照合波を逸らす。
その瞬間、セラが一つ目の節点を撃ち抜く。
カイトがタナトスの隔離場展開軸へ突っ込み、二つ目の節点を露出させる。
レイの通信が入った。
『待機解除は?』
ジンが一瞬だけ判断する。
「レイ、短時間だけ出ろ。二つ目の節点を斬れ。深追い禁止」
『了解』
ヴァナルガンドが前へ飛び出した。
レイの近接斬撃が、タナトスの隔離場外縁をかすめながら二つ目の節点を斬る。
ミオが叫ぶ。
『三つ目、今です!』
ユイがヴェルディアの防護層をずらす。
隠れていた三つ目の節点が露出する。
イリスが補正を入れる。
『セラさん、角度補正します』
『受けました』
セラの二射目が走る。
三つ目の節点が砕けた。
研究中枢入口の黒い隔壁に、細い亀裂のような光が走る。
「入口封鎖、部分解除!」
黒瀬が報告する。
「完全開放ではありません。ですが、接触用の通路を確保できます!」
ジンが即座に命じた。
「全機、入口確保。深追いするな。タナトスとモルスを追うな」
タナトスは後退した。
モルスも、砲撃座標固定を解除する。
撃破はできていない。
むしろ、今回も監察局は十分なデータを得ただろう。
だが、研究中枢入口の一部は開いた。
ナユは息を荒くしていた。
リンがその横につく。
『ナユ、状態は』
「頭痛はあります。でも、大丈夫です」
『大丈夫じゃない時もそう言う』
「……少し、休みます」
『それでいい』
セラはフェンリオン・リサイトの照準を下ろした。
「偽残響、次はもっと増えるかもしれません」
黒瀬が答える。
『はい。ですが、今回は偽残響基準点を撃ち抜けることが分かりました。次の対策になります』
ミオは支援網をゆっくり閉じる。
『ノクスを使わずに、入口を開けました』
ユイが静かに答える。
「はい。ありがとうございます」
『ユイさんが待ってくれたからです』
ユイは少しだけ目を伏せた。
「切らない選択も、必要でした」
カイトが前方で笑う。
『今回は、それで勝てた』
「はい」
監察局管制区画。
オルフェン・グラードは、研究中枢入口の部分解除を見ていた。
「対象艦、研究中枢入口の一部を確保」
局員が報告する。
「タナトス、モルスともに撤退。損傷軽微。偽残響基準点、一つ破壊されました」
「対象Yは」
「ノクス未使用。切断反応は抑制されています」
「興味深い」
オルフェンは静かに言った。
「対象Yは切断可能な場面で、切断を選ばなかった」
「代替手段を優先しました」
「対象Mの支援網再構成、対象Nの残響絞り込み、対象Sの節点射撃、対象Rの短時間斬撃。連携で入口を開いた」
局員が記録する。
「失敗ですか」
「防衛としては、部分的に失敗だ」
オルフェンは淡々と答えた。
「だが、観測としては十分だ。彼らはノクスに依存していない。切断を温存する判断ができる」
「次はどうしますか」
「研究中枢内部で、切断を使わなければ進めない場所を用意する」
オルフェンは画面を閉じた。
「ただし、今は入口を与える。彼らはそこから、さらに深い記録を見る」
ルクス・ヴァルキュリア艦橋。
研究中枢入口の一部が、確保された。
完全な突破ではない。
監察局はまだ奥にいる。
タナトスもモルスも健在。
偽残響への対策も、まだ不完全だ。
それでも、入口は開いた。
黒瀬が報告する。
「接触用通路、確保。研究中枢外層端末へアクセス可能です。ただし、入口内部には命令層照合波が残っています」
ジンは頷く。
「深追いはしない。まずは入口を固める」
カイトが通信で言う。
『ノクスなしで開けました』
「そうだな」
ジンは短く答えた。
ユイは静かに前方を見ていた。
ノクスを使わなかった。
切れるかもしれない場面で、切らなかった。
それは、何もしなかったという意味ではない。
ミオが支援網を繋ぎ直し、ナユが偽残響を見抜き、リンが守り、セラが節点を撃ち、カイトとレイが前に出た。
ユイも、ヴェルディアで防護層をずらした。
切る以外の方法で、入口を開いた。
それは、ユイにとっても大きな意味を持っていた。
研究中枢入口の黒い隔壁は、静かに開いていた。
その奥にあるのは、まだ分からない。
PT人格形成記録。
命令層思想記録。
再同期基盤。
未起動個体の詳細。
オリジナル六名の記録。
そこへ進むには、さらに多くのものを見ることになる。
だが、入口は確保した。
ノクスを使わずに。
誰か一人の力ではなく、全員の連携で。
帝国は、望む返事を得るために命令層を作った。
監察局は、こちらの返事を観測し、次の手を組み替える。
それでも、ルクス側は一つの返事を選んだ。
切れるから切るのではない。
切らずに進めるなら、別の道を選ぶ。
研究中枢への入口は開いた。
そこから先にあるのは、彼女たちの記録のさらに奥。
そして、帝国が「返事」をどう作ろうとしたのか、その中枢だった。




