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第307話 未起動個体

 カルディア・ベイから取得した記録は、まだすべて開かれていなかった。

 セレスティア分解記録。

 A系列設計索引。

 ノクス・リリス封印関連。

 タナトスとモルスの整備記録断片。

 どれも、ルクス側にとって必要な情報だった。

 だが、必要だからといって、すぐに読めるものばかりではない。

 記録は武器になる。

 それは、もう分かっていた。

 そして、次に見つかった記録は、これまで以上に静かで、冷たかった。

 PT未起動個体保管記録。


 解析室。

 黒瀬、クロエ、エルが、カルディア・ベイから取得した記録群を整理していた。

 カナデ、リクト、モルドも同席している。

 画面に表示されているのは、PT関連の搬送・保管記録だった。

 ただし、これまでのような系列評価や機体改修記録ではない。

 保管番号。

 系列候補。

 起動前反応値。

 応答形成率。

 命令層適合率。

 保存状態。

 再調整可否。

 廃棄処理区分。

 それだけが並んでいる。

 クロエが声を落とした。

「未起動、または起動前段階で停止した個体の記録です」

 エルが補足する。

「完全な人格形成前の記録が多いです。初期反応値が規定に届かなかったもの、命令層適合率が安定しなかったもの、応答形成が途中で停止したもの……そういう分類です」

 黒瀬は画面を見つめたまま言った。

「表示範囲を制限します。直接的な処理内容は出しません。保管番号、系列候補、応答値、処理区分までです」

 カナデが頷く。

「それでいいわ。今は、詳細まで見る必要はない」

 モルドも静かに言う。

「身体反応や処置記録の詳細は、当事者に見せるべきではありません」

 リクトは、記録の階層を見ながら眉を寄せた。

「術式層の安定化に失敗した個体も含まれているようです。命令層に接続する前に、反応が定着しなかったものですね」

 黒瀬は端末に制限をかける。

「では、要約形式で共有します。全員に見せるかどうかは、本人の許可を取ります」


 会議室。

 今回は、PT全員が呼ばれた。

 ユイ、ミオ、レイ、セラ、レータ、イリス。

 アミィも、カナデの確認を受けたうえで同席している。

 ただし、彼女の表示端末にはさらに制限がかかっていた。

 カイト、カイル、ジン、黒瀬も同席する。

 重い内容になることは、全員が分かっていた。

 黒瀬は最初に言った。

「これから共有するのは、未起動または起動前停止個体の保管記録です。詳細な処置内容は表示しません。記録の形式は、帝国側の分類に基づいています」

 ミオが小さく息を呑む。

「未起動個体……」

 黒瀬は頷いた。

「はい。人格形成が完了する前、あるいは自己応答が安定する前に、保管、再調整、廃棄、凍結へ分類された個体の記録です」

 レイが低く言う。

「つまり、私達にならなかった子達か」

 その言葉に、誰もすぐには答えられなかった。

 カナデが静かに言う。

「全部を今日受け止めようとしなくていいわ。途中で止めてもいい。見たくない部分は見なくていい」

 セラが画面を見つめたまま答える。

「見ます」

 イリスも小さく頷く。

「私も、見ます」

 ユイは静かに言った。

「見なければ、帝国の記録の中に置いたままになります」

 カイトが隣でユイを見る。

 その言葉は強い。

 だが、無理をしている強さではなかった。

 黒瀬は表示を開始した。


 画面に、記録が並ぶ。

 保管番号。

 系列候補。

 初期反応値。

 自己応答形成率。

 命令層適合率。

 処理区分。

 名前はない。

 Y系列候補。

 現地適応反応、規定未達。

 命令層切断反応、未確認。

 自己応答形成率、低。

 処理区分、再調整不可。

 保管解除。

 M系列候補。

 支援波安定性、不十分。

 集団補助反応、断続。

 応答形成率、規定未達。

 処理区分、保管凍結。

 R系列候補。

 反応速度、基準値超過。

 命令層応答、過剰反発。

 戦闘適性、未確定。

 処理区分、再分類不可。

 S系列候補。

 照準補助同期、不安定。

 遠隔制御反応、乱れ。

 自己応答形成率、低。

 処理区分、廃棄予定。

 I系列候補。

 探索反応、良。

 異常識別、断続。

 命令層応答、安定せず。

 処理区分、再調整中止。

 L系列候補。

 統率反応、未形成。

 防衛指揮適性、確認不可。

 命令層接続、拒絶反応。

 処理区分、凍結。

 会議室が静まり返った。

 ただ文字が並んでいるだけだ。

 そこに声はない。

 姿もない。

 痛みの描写もない。

 だが、その冷たさが重かった。

 ミオが震える声で言った。

「名前が……ないんですね」

 黒瀬が答える。

「記録上は、系列候補として扱われています。名前は付与されていません」

「候補……」

 ミオは目を伏せた。

「支援波が安定しなかったから、保管凍結。そう書かれて終わりなんですね」

 カナデが静かに言う。

「帝国の記録では、そうね」

 ミオは画面を見つめたまま、唇を噛んだ。

「私も、支援波が安定しなかったら、ここにいたかもしれない」

 誰も否定できなかった。


 レイは、R系列候補の記録を見ていた。

 反応速度、基準値超過。

 命令層応答、過剰反発。

 戦闘適性、未確定。

 処理区分、再分類不可。

 レイは小さく笑った。

 だが、それはいつもの余裕のある笑いではなかった。

「反発したら、駄目だったのか」

 カイルが通信越しに低く言う。

『帝国にとってはな』

「命令に従いすぎても使われる。反発しすぎても捨てられる。面倒な基準だ」

 レイは腕を組む。

「私は、たまたま使える範囲に収まっただけか」

 カナデが言う。

「そういう言い方をすると、あなた自身を帝国の評価に押し込めてしまうわ」

「分かってる」

 レイは短く答えた。

 だが、画面から目は離せなかった。

「でも、気分は悪い」

 その言葉に、カナデは静かに頷いた。

「それでいいわ。気分が悪いと思っていい記録よ」


 セラは、S系列候補の記録を見ていた。

 照準補助同期、不安定。

 遠隔制御反応、乱れ。

 自己応答形成率、低。

 処理区分、廃棄予定。

 セラの手が、膝の上で震えた。

 フェンリオン・リサイト。

 照準補助AI。

 自分の意思で撃つための再調整。

 その前に、自分と同じ系列候補の誰かが、照準補助にうまく同期できず、遠隔制御にも安定せず、記録の中で終わっていた。

「遠隔制御反応、乱れ……」

 セラは小さく呟いた。

「乱れたら、駄目だったんですね」

 カイトが言葉を探す。

「セラ……」

 セラは首を横に振った。

「大丈夫です。大丈夫ではないですけど、見ます」

 カナデが優しく言う。

「無理はしないで」

「はい。でも、見ておきたいです」

 セラは画面を見つめた。

「私は、自分の意思で撃つためにフェンリオンを調整しました。でも、帝国にとっては、遠隔制御で安定して撃てる方がよかった」

 彼女の声は静かだった。

「なら、私は帝国の望むS系列ではなくなっているんですね」

 レイが短く言う。

「その方がいい」

 セラは少しだけ目を見開き、それから小さく頷いた。

「はい」


 イリスは、I系列候補の記録をじっと見ていた。

 探索反応、良。

 異常識別、断続。

 命令層応答、安定せず。

 処理区分、再調整中止。

 イリスは、言葉を出すまでに時間がかかった。

「探索反応は、良かったんですね」

 黒瀬が頷く。

「記録上は、そうです」

「でも、異常識別が断続で、命令層応答が安定しなかったから、中止」

 イリスは静かに目を伏せる。

「探索できても、返事が安定しなければ駄目だった」

 リクトが低く言う。

「帝国は、能力だけで見ているようで、最後には命令層への適合を見ている。探索できるかどうかより、命令通りに探索できるかを重視しているんだろう」

 イリスは頷いた。

「私と同じような子が、他にもいた。前にそう思いました。でも……その中には、ここで止まった子もいたんですね」

 会議室の空気がさらに重くなる。

 イリスは続けた。

「私は、探索できるから生きているのではなく、たまたまここにいるんですね」

 カナデがすぐに言う。

「イリスちゃん」

 イリスは顔を上げた。

「ごめんなさい。言い方がよくなかったです」

「謝らなくていいわ」

 カナデは穏やかに言った。

「でも、今ここにいることを“たまたま”だけで終わらせなくていい。あなたはここで、あなたとして選んでいることがある」

 イリスは少しだけ黙ってから、頷いた。

「はい」


 アミィは、自分の端末に表示された制限版の記録を見ていた。

 A系列候補。

 自己応答形成前。

 役割固定適性、未確定。

 命令層接続補助、未安定。

 処理区分、再調整保留。

 詳細は表示されていない。

 だが、それだけで十分だった。

「わたしも……」

 アミィの声が震える。

 レータがすぐに顔を向ける。

「アミィ」

「わたしも、そうなっていたかもしれないんですね」

 会議室が静かになる。

 アミィは画面を見つめたまま続ける。

「自己応答ができなかったら。役割固定がうまくいかなかったら。命令に返事ができなかったら」

 言葉が詰まる。

「わたしも、記録の中で終わっていたかもしれない」

 レータの手が、アミィの手を握った。

「違う」

 レータは反射的に言った。

 だが、すぐに言葉を止める。

 違うと言い切るだけでは、アミィの怖さを否定してしまう。

 カナデが静かに椅子を近づける。

「アミィちゃん。それを怖いと思うのは自然よ」

「自然……」

「ええ。自分もそうなっていたかもしれない。そう感じるのは、怖いことよ」

 アミィはカナデを見る。

「でも、今のあなたは、ここにいる」

 カナデはゆっくり言った。

「記録の中のA系列候補ではなく、アミィとして。怖いと言えて、嫌だと言えて、隣にいたいと選べるアミィとして、ここにいる」

 アミィの目が揺れる。

「でも、ここにいない子は……」

 カナデはすぐに否定しなかった。

 その沈黙が、答えだった。

「そうね。ここにいない子達がいる」

 カナデは静かに言う。

「だから、なかったことにはしない。けれど、アミィちゃんがその子達の分まで全部背負う必要はない」

 アミィは、レータの手を握り返した。

「背負わなくていい……」

「ええ。覚えておくことと、背負うことは違うわ」

 その言葉に、アミィは小さく頷いた。


 ユイは、Y系列候補の記録を見ていた。

 現地適応反応、規定未達。

 命令層切断反応、未確認。

 自己応答形成率、低。

 処理区分、再調整不可。

 保管解除。

 ユイは静かに言った。

「帝国にとって、適応できなければ価値がない。切断できなければ価値がない。返事が作れなければ、保管から外される」

 カイトは隣で拳を握った。

「そんなの……」

 ユイは画面を見たまま続ける。

「私がここにいるのは、能力があったからかもしれません。帝国の基準を満たしてしまったから、使われた」

「ユイ」

 カイトが声をかける。

 ユイは少しだけ目を閉じ、それから言った。

「でも、今ここにいる理由は、それだけではありません」

 カイトは黙って頷く。

「私は、帝国の基準を満たしたからここにいるのではなく、今ここで選んでいるからここにいる。そう思うことにします」

 カナデが静かに微笑んだ。

「とても大事な整理ね」

 ユイは小さく頷いた。

「そうしないと、この記録に引っ張られます」


 黒瀬は、記録の表示を止めた。

「未起動個体記録の閲覧を終了します」

 誰もすぐには言葉を出さなかった。

 会議室には、重い沈黙が残る。

 見たのは、詳細ではない。

 保管番号と応答値と処理区分だけ。

 直接的な残酷描写などなかった。

 それでも、十分だった。

 帝国が何を見て、何を切り捨て、何を残したのか。

 その基準が、冷たい表の中に並んでいた。

 ジンが低く言う。

「この記録は保存する」

 黒瀬が頷く。

「はい。ただし、閲覧制限をかけます。詳細記録は現時点では開きません」

 カナデが言う。

「それでいいと思います。今は、受け止めるだけでも負荷が大きい」

 モルドが端末を見る。

「各員、反応値上昇。今後しばらくは休息が必要です」

 レイが短く息を吐く。

「休めと言われて、すぐ休める気分じゃないけどな」

 リンが通信越しに言う。

『それでも休め。動けなくなったら意味がない』

 レイは少しだけ眉を上げた。

「リンに言われると妙に説得力があるな」

『護衛対象が倒れると面倒』

「そういう理由か」

 短いやり取りに、わずかに空気が緩む。

 だが、重さは消えなかった。


 会議後、アミィは保護区画へ戻った。

 レータとカナデが一緒にいる。

 アミィはしばらく黙っていた。

 それから、小さく言った。

「ここにいない子達のこと、忘れたくないです」

 カナデは頷く。

「うん」

「でも、全部を背負うのは、できません」

「それでいいの」

 カナデは優しく答えた。

「忘れないことと、背負い込むことは違う。アミィちゃんは、まず自分の返事を守っていい」

 レータも言う。

「私も覚えておく」

 アミィがレータを見る。

「一緒に、ですか」

「うん。一人で持たない」

 アミィは少しだけ考えてから、頷いた。

「はい。一緒に覚えます」

 その言葉に、カナデは少しだけ目を細めた。

 アミィはまだ弱い。

 命令層に触れれば揺れる。

 記録を見れば怖くなる。

 それでも、自分の言葉で、少しずつ選んでいる。


 解析室。

 黒瀬は未起動個体記録の分類を終えていた。

 クロエが画面を閉じる。

「詳細記録はどうしますか」

「封印します」

 黒瀬は答えた。

「現時点で閲覧する必要はありません。作戦上必要なのは、帝国がPTをどの基準で選別し、どの基準で切り捨てたかです」

 エルが言う。

「命令層適合率、自己応答形成率、系列機能。ほぼそれだけですね」

 リクトが低く続ける。

「普通なら、反応が不安定なら守る方向に考える。でも帝国は、安定しないなら使えないと判断した」

 黒瀬は頷く。

「その思想が、命令層に繋がっています」

 カナデが静かに言った。

「次は、そこを見ないといけないわね」

 黒瀬は端末を閉じる。

「はい。帝国は、PTをどう作ったかだけでなく、どう返事させようとしたのか。それを確認する必要があります」


 監察局管制区画。

 オルフェン・グラードは、未起動個体記録の閲覧反応を確認していた。

「対象群、強い感情反応」

 局員が報告する。

「対象M、対象R、対象S、対象I、それぞれ反応上昇。対象Aは自己応答揺らぎ。ただし、心理担当により安定。対象Yは記録解釈を自己選択へ変換」

「想定より崩れないな」

 オルフェンは淡々と言った。

「未起動個体記録は、PT系列個体への精神負荷が高いはずですが」

「負荷はかかっている。だが、彼らは記録を個別に受け止めず、共有している」

 局員が記録する。

「共有が安定要因ですか」

「その可能性がある」

 オルフェンは画面を切り替える。

 対象M。

 対象R。

 対象S。

 対象I。

 対象Y。

 対象L。

 対象A。

 それぞれの反応は揺れている。

 だが、崩壊していない。

「次は、共有では処理できない記録を見せる」

「命令層関連ですか」

「そうだ」

 オルフェンは静かに言った。

「未起動個体は、彼らに過去の可能性を見せた。次は、彼らが現在も何に縛られているかを見せる」

 局員が問う。

「命令層中枢記録へ誘導しますか」

「まだ中枢ではない。まずは思想だ」

 オルフェンは、研究中枢へ繋がる記録群を表示する。

「帝国がPTに求めたもの。人格ではなく応答。自由ではなく安定。選択ではなく返事」

 彼は淡々と言った。

「彼らがそれをどう否定するか、記録する」


 ルクス・ヴァルキュリアは、カルディア・ベイ外縁から研究中枢方面へ繋がる記録を追っていた。

 未起動個体記録は、答えではなかった。

 だが、帝国がPTをどう扱ってきたのかを、冷たい形で示していた。

 起動しなかった個体。

 応答が安定しなかった個体。

 命令層に合わなかった個体。

 系列機能が規定値に届かなかった個体。

 それらは、名前を持たないまま記録に残されていた。

 ユイ達は、その記録を見た。

 自分達も、そこにいたかもしれないと知った。

 アミィは、自分もそうなっていたかもしれないと感じた。

 ミオも、レイも、セラも、イリスも、それぞれに自分の系列候補の記録を受け止めた。

 誰も、すぐに答えを出せなかった。

 それでも、彼女たちは記録の中だけには戻らなかった。

 会議室を出て、それぞれの場所へ戻る。

 休む者。

 機体の前に立つ者。

 誰かと話す者。

 黙って考える者。

 記録には名前がなかった。

 だが、ここにいる彼女たちには名前がある。

 ユイ。

 ミオ。

 レイ。

 セラ。

 イリス。

 レータ。

 アミィ。

 帝国が応答値で分けたものを、彼女たちは名前で呼び合う。

 その事実だけが、冷たい記録に対する最初の抵抗だった。

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